第198話 別れるためのチケット
焼き鮭に、豆腐とわかめのおみおつけ、炊き立てのご飯、ぬか漬けのキュウリと人参、大根、山盛りのキャベツのサラダに、甘いトマトが八つ切りで乗っている。キウイやバナナ、アボカド、ドラゴンフルーツが綺麗に切り分けられた、フルーツ盛が中央に置かれ、蜂蜜やヨーグルトをかけるように並べられていた。
「おかあさん、頑張りすぎでしょ」
村瀬の母が、食卓に並んだ色とりどりの朝食の量に苦笑して、呟いた。
「ばあちゃんち来ると、だいたい同じメニューだぜ、1回美味いって言ってから10年以上!」
詠美が言うと、母親は黙って席に着いた。詠美が喜んだメニューを、常に出していることすら知らないことに、なにも反論できなかったからだ。
「ぎょうさんあるさけ、クッカも遠慮せんといてな」
「いっぱいあるから、友里さんもいっぱい食べてね、ってばあちゃんが」
翻訳する村瀬に、友里は食いしん坊の顔で見ていたことを見破られたと気付き、頬を赤くして頷いた。イレギュラーな訪問の友里たちの分まであることに驚くが、深夜のうちに仕入れ先へお願いして、朝、届けてもらったという。旧家には、そういったコミュニティが存在する。小食の優は、目の前のものだけきれいに頂いたが、友里はフルーツ盛も我慢できず、蜂蜜をかけて頂いたので、おなかが膨れてしまった。
「友里さん、いっぱい食べるの可愛いです」
村瀬が、うっとりと見つめるので、友里はカアッと顔を赤らめて、優の後ろに隠れた。
「3人は、三角関係なん?」
祖母の素朴な疑問に、村瀬がお茶を噴いた。
「ばあちゃん、びびるわ、違うよ。ふたりが付き合ってて、俺は、ただの後輩」
なにもかもわかっている顔で、祖母が笑うので、村瀬は困ったように辺りを綺麗にした。
「そういえば、ふたりは今日は観光ですか?」
「うん、海遊館に行って、その辺りを観光する予定」
優が言うと、友里はすこしだけ顔をしかめた。父親から貰ったチケットのことが、やはり腑に落ちていないようだった。
「海遊館!あそこって、別れるってジンクスで有名っスよ!」
村瀬がワッと笑いながら言った。「黙っておいて、別れるのを待てばよかったのに」と小さな声で母親が言うと、村瀬は複雑で嫌な顔をした。
「別に、冗談だろ。ふたりに本気で別れてほしいわけじゃない。幸せでいるのを、見守りたい感情だって、あるんだよ」
「あら、それは……へえ」
バカにされたような気がして、村瀬はプイと横を向いた。
「お父さん、このチケット、別れる為に用意したんだ!!」
話を黙って聞いていた友里が、グッと握りこぶしを作って、腹を立てたように唸った。村瀬の家にいる間の友里は、飼っていたおだやかな犬に似ていると評されているほど、おしとやかな様子だったので、村瀬家族たちは少しだけ驚いた。
「クッカ?」
祖母が心配そうに言うと、友里はふにゃりと泣き顔になった。
「おばあちゃん、父親がひどいんです!」
友里がわあっと言うので、隣に座っていた優は、少しなだめつつ、ほぼ初対面の相手に言う話なのか悩んだが、友里が止まらないので、背中を撫でる役を粛々とこなした。
「お互いに別の誰かと結婚しろって言うのが一番ひどいわね!」
しかし、友里の訴えに食いついたのは、村瀬を友人ごと、冷めた目で見ていたはずの、村瀬の母の愛美だった。
「でしょう、それでお互いの子供の面倒を見て、仲良くしろとか言うの!完全に、わたしたちは当然、相手の男性の感情も考えてないよね!?」
「ホントだわ、人間を、感情を、なんだとおもってるの!?」
妙に意気投合する様子に、村瀬と優は顔を見合わせた。友里はすでに敬語も取れ、友人に話すような口ぶりで、詠美の母、愛美もすっかり友里の味方だった。
「友里ちゃん、お父さんなんかほっといて、愛を貫きなさいよ!」
「ぜったいそれが一番だよね!?」
ガシっと抱き着いて、泣いているぐらいなので、さすがに優は頭を抱えた。村瀬は、耐え切れず、痛みの増していくような顔で、お腹をおさえた。
「なんなのそれ!」
「なによ、詠美」
「だって、友里さんと打ち解けすぎでしょ!?友達適正診断とかはどこ行ったわけ?あんなに冷たいことしておいて……、つか、あんたのそんな顔、初めて見たけど」
村瀬は、思わず言って、母親を眺めた。胸に抱いた友里を見つめて、愛美は、驚きや様々な感情に揺れ動く詠美を見つめたあと、友里をぎゅっと抱きしめ直した。
「あっずるい」
「サイズ感がちょうどいい」
「クッカに似とんなぁ」
お茶を飲んでいた祖母がまったりと言って、愛美が「なるほど」と言った。
「へこたれると、クッカがいつも私のそばにいてくれたから……あれ、もう10年近く経ってるんだ、クッカがなくなってから。詠美は、お腹で眠らせてもらってた」
「5歳くらいで、死んだ気がする……」
「友里ちゃんは生まれ変わりかしら?目が似てるわね、茶色で」
「そんなアホな、友里さん、もう生まれとるで」
村瀬たちが朗らかに笑い合った。
「また犬、飼いましょうよ、お母さん」
「もう無理やで、ひとりじゃ散歩もしてあげらられへんし」
「だって私がこちらに越して…あ」
愛美が言いよどむ。確かにこちらに来ても、家にいられる保証はなにもないほど、忙しい職場に勤めている自分を鑑みているのか、黙り込んだ。
「自分の都合のええ時だけ、構うわけにもいかないやろ、命やねんから」
「──ほんとうに、そうね」
愛美は、言うと、友里の頭を撫でてから、優に返した。
優は友里を返されて、多少戸惑ったが、友里がヘらっと笑うので、微笑み返してその肩を抱いた。
「詠美のこともそう、都合のいい時だけ親の顔をしてたかった」
「うわ、やめてよ……そういうの」
村瀬が、いやそうに席を立った。
「謝ってほしいわけでも、今から直してほしいわけでもないんだよ。あんたには、自由にしててほしい、そんで、その自由に、俺を巻き込まないでほしい、それだけ」
村瀬が、母親の懺悔の時間を奪って言った。
「さみしいんじゃないの?」
「親から、愛されたい!みたいな時間はとっくに終わって、俺は俺なりに生きてるんで、まじで。──犬でもないし」
頭の後ろで腕を組み、村瀬は言った。
「ただ、あんたがさみしいんじゃないかと思って、ついてきたんだよ」
物心ついてから、GWに祖母の家に母親と帰宅することすら初めてだった村瀬は、車の中で自分の編入試験などのことを言われて腹を立てたと、続けて言った。
「さみしいのは、私か」
ぼそりと呟いて、愛美は、床を見つめた。
「友里ちゃんのお父さんも、寂しくて言ってるんじゃないかな」
友里に、今気づいたように言うので、友里はグッと眉をしかめた。
「さみしいなら、寂しいって言ってほしい」
「親はそういうの、言えないものよ」
「だからって、こっちの好きなものを奪うのは、違うでしょ」
「うっ、本当にそうね」
友里の正論に、違う部位に刺さったらしい愛美が唸った。
「もしかしたら、友里ちゃんのお父さんは、まだ、わたしたちの事故の当時から、ぬけだせていないのかもしれない」
「優ちゃん?」
「いや、想像の域を出てないけど、大きな事故を生き抜いたのだから、当たり前の幸せを歩んでほしいって言葉が──……」
優は、胸に手を置いて、思案していると、ふと思い出したようになり、小声で言った。優の脳裏に、病室の前で叫ぶ、友里の父親の姿が浮かんだ。
「自分たちの子どもなんて、死んで当たり前だ、って言ったのは友里ちゃんのお父さんだ」
「……!」
優は苦々しい気持ちで、そのまま口を閉ざした。友里が川に落ちた当時の記憶は、優にとってとても重く、苦しいもので、蒼白になっていくのがわかって、友里は優を抱きしめた。
「優ちゃん、大丈夫だよ、思い出さなくていいよ」
「うん、ごめん……」
貧血のようになっていく優は、玉の汗を浮かべて、優は友里の胸で瞳を閉じた。
村瀬家族は、ふたりが話していない傷を慮って、顔を見合わせて、優と友里を見つめた。
「父親がくれた、別れるためのチケットを使って、さんざん幸せな写真をおくりつけてやったら?」
「え」
村瀬の言葉に、友里と優は思わず声を上げた。
「野暮かもだけど、写真撮影役で、俺、参加します。親も来いよ」
「え!!」
言われた愛美が、優と友里より、さらに大きな声で驚いた。
「村瀬……」
優が、まだ貧血から戻らない気持ちのまま、唸った。さすがに友里も、どうせ行くのならふたりだけで行きたい気持ちが勝ったが、もしかしたら村瀬が、親となにかの親交を深めようとしているのかもしれないと思い、優をそっと抱きしめた。
「いいかな?優ちゃん」
「……友里ちゃんが良いなら、わたしは、反対しないよ」
諦めたように優が言った。友里が、人のために動くことはもう慣れたという呻きだった。村瀬はニコリと大きな口で笑うと、手を広げて演説をはじめた。
「海遊館は、大阪港のそばに佇み、近くには天保山大観覧車、関西のほとんどが観光に訪れた!と言われている水族館!!世界でも最大級の水槽を誇り、飼育展示されている生きものの数は約620種、30,000点!熱帯魚が泳ぐトンネル型の水槽!体長4m、推定体重800キロの雄の「
「優ちゃんと同じ名前だね」
微笑む友里に、優は少しずつ戻ってきた体調と照らし合わせて、ニコリとほほ笑んだ。
「お食事タイムでは、カワウソ、ワモンアザラシ、イワトビペンギン……あ、10時半から、ジンベイザメもありますよ!早く行きましょう!!!」
「待て待て村瀬、もう、それ以上は見る楽しみが減るから」
優に言われて、村瀬はセールストークをやめて、不敵に微笑んだ。
「別れるジンクスなんか、吹き飛ばしてくださいよ」
優は友里から起き上がると、そっと伸びをして、友里を見つめた。
「いこうか」
優に言われ、友里は首を縦に振った。
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