第197話 彼女たちの世界

「ふたりがいてくれなかったら、朝まで説教コースでした」


 ふかふかのお客様布団に、3人で並びながら、村瀬が天井を見つめて、明るい声で言うので、優は溜息をついた。

「あ、ごめんなさい、ホテルって、戻らないとペナルティついたりする?」

「チェックアウトさえちゃんと戻れば、気にしなくていい。今のため息は、そんなひどいことに慣れたように笑わなくていいと思ったから」


 村瀬の心配に、優が応えた。

 村瀬と、村瀬の家族との会話はまだ続きそうだったが、友里がウトウトとし始めたため解散になった。冒頭で村瀬が言ったように、村瀬個人だけだったら、あのまま朝まで、村瀬の気持ちが変わるまで、母親の言い分を聞く羽目になっていたと村瀬があっけらかんと言うので、優は気の毒に思った。村瀬は、優の気遣いにくすぐったく思いつつ、話を変えた。


「ばあちゃんがずっと友里さんのこと、クッカって呼ぶんだけど、ごめんね。俺がちっさい頃いたゴールデンでさ、めちゃ頭いくて毛並み良くて、なつこくて、めっちゃかわいいの。確かに友里さんっぽいから、逢わせたかったな」

「おばあさま、フィンランド出身なの?」

 優が問いかけると、村瀬が驚いたように起き上がったが、「まあ、駒井さんならそのくらいわかるか……」と言って横になった。

「クッカって、フィンランド語で花って意味でしょ、映画にも出てくるし、可愛いよね」

「かもめ食堂!」

「村瀬は映画好き?小さなシーンなのに、よく覚えてるね」

 写真だけのクッカの出演シーンを、優が嬉しそうに言った。

「結構好きです。駒井さんは、最近なに見ました?」

「ここ1・2年は、勉強ばっかりで見てないや」

「ええ、残念!焼かれない作品のほうが多いから、さみしいんじゃないですか?」

「そうだね」

 ふたりが会話している間に、友里の寝息が聞こえてきて、優がそちらを見た。


「友里ちゃんが寝たから、静かにしようか」

「ういす」

 ごそりと、布団の衣擦れがして、村瀬は奥へもぐった。

「友里さんと同じ部屋に眠れるなんて……」

「村瀬」

「超こわいセキュリティ付きでなんにもみえないけど」


 村瀬、優、友里の順で眠っているので、横になっている村瀬からは友里の姿は見えない。しかし、お礼だとか、自分の状況だとかを言ってしまいそうな村瀬が、ふざけて言っているのが優にはわかって、そっと天井を見つめて仰向けになると、瞳を閉じた。


「せっかくの、プロポーズ大成功の夜に、こんなことになってすみません」

 暗闇の中、村瀬がつぶやいた。

「いいよ、先日は友里ちゃんの件で、村瀬には迷惑をかけたし」

「攫われたって言っても、別にほっとけばケーキ喰って帰ってきただけでしたね?」

「でも、紀世さんの気持ちが、変わったのは彗兄がいたからだろうし、結果的には村瀬がいなかったら、どうなっていたかわからないよ」

 優が言うと、村瀬はしばし無言になり、眠るのかと優も呼吸を整えた。


「……なんでそんな、やさしくしてくれンです?」

 ぼそりというので、優は答えをさがす。

「友里ちゃんなら、そうするかなとおもって」

「友里さんが、基本的に判断基準なんですか?なるほど、駒井さんって結構冷静で、嫉妬深くて、他人なんかどうでもいいってかんじなのに、大好きな友里さんがそういう人だから、こんな、めんどくさに首突っ込んじゃうんですね」


「端的に言うと、そうかもだけど、でもまあ、色々あったけど、一応、わたし個人だって、村瀬のことは心配しているよ。きっと、離れたら寂しい」

 優は、ねぼけた声で続けた。


「たったひとりを好きになって、その人から、ちゃんと愛されてるって感覚、どんなかんじなんですか?」


 ごそりと、村瀬が起き上がった音がして、優は薄眼を開いた。けれど、村瀬はこちらに背を向けていて、答えを欲しがっているわけではないと思い、優は再び目を閉じた。ぐずりと鼻をすする音がして、優は、そっとしておく方がいいと思い、そのまま眠りについた。



 ;;;;;;;;;;;;;;;;;;


 早朝、5時に優が起きる。眠る村瀬と友里をふたりきりにするのは、どうしても許せず、村瀬を揺すって起こして、近場のランニングコースを案内させた。

「くわわ……」

 村瀬がずっとあくびを繰り返しているが、気にせず走る。

「毎日こんなことしてんです?」

「うん、ずっと」

「体力あるわけですね」

 よたよたとしつつ、村瀬が付いてくるので、優は少しほほ笑んだ。


 30分ほど町内を走り、村瀬の祖母の家に戻ると、庭の手入れをする祖母が出迎えてくれた。

「愛美、一度東京に戻ると言うてる」

「はあ?ひとりで?!」

「宏衣と、もう一度話をするそうや」

「……!」


 村瀬が駆けていく。優は、祖母とその場に残った。

「詠美さん、母親を愛したい気持ちと、自分の置かれている状況に、迷っているみたいに見えます」

「せやな、申し訳ないことをしたと思うてるよ。宏衣にも、詠美にも、愛美にも」

 内包された家族愛への言及を感じて、優は黙り込んだ。村瀬の祖母の横顔を見つめる。

「はよに夫を亡くしぃ、愛美を育てるのに必死で、気付ったらあの子は、めっちゃ奔放な子に育っとった。まるでウチに、子育てをしんでもええから、といっとるかのような」

 懺悔するように、優に語り掛けてくる。優は、祖母の手から庭を掃く箒を借り受けて、落ち葉を掃く役を引き受けた。祖母は、直立型のステンレス製ちりとりに、すこし身を預ける。


「せやけどそれはまちごとった。寂しい、寂しいと言うてるって今ならわかってあげられるのに、自分の寂しさをヒイキしとった」

「ひいき」

「優先っちゅう意味。自分だけが可愛うて、こどものこころをわかってあげなんだ。与えへんくせに、愛情だけを欲しがる子にうちがしてもうた気ぃする」

「詠美さんはそれでも、快活に、いろんなものを愛して、大事にする子だとわたしは思っていますよ」

 優が言いながら、集めた葉を、祖母は自分でちりとりに回収した。着物の帯どめをそっとなおすと、優にお礼を言った。

「ありがとう、詠美と友達になってくれて」

「手のかかる小学生の弟のようですけど」

 優が、にこりと笑って言うと、村瀬の祖母は目を丸めて、一瞬、それからわっと大笑いした。

「詠美が小学5年生で、愛美が6年生や」

 ひいひいと笑いながら、目じりの涙を拭く。

「せやさかいと言ってここから育て直すわけにもいかへん、彼女たちには彼女たちの世界がもうあるからね。うちがかわることしかできひん、半世紀もいきて、ようやっとわかった」

「え!見えませんね!?」

「愛美は16歳の頃の子やで、今の詠美と同じ年の頃に産んでんで、そっからふたり男の子も産んやけど、いまなにをしとるやら」

「はあ……」

 どうみても30代にしかみえない、詠美の祖母の前に、優がため息をこぼした。


「誰かの世界を、大事にしようと思うほど、自分が変わるしかないって、わかる気がします。ありのままを愛し愛されたいって思うのでしょうけど、それだと、成長が無くて、淀んだ関係は、いつか大きな崩壊になる」

 優が言うと、村瀬の祖母は頷いた。しかし、心配したような目になり、優を見上げる。

「ジブン、相手の子を大事にしすぎて、自分を壊さへんようにね」

 優は驚いたように、2度瞬きをして、ニコリと目を細めてほほ笑んだ。


「朝ごはんにしよか、ようさんたべていってね」

 辺りをパパッと慣れた手つきで綺麗にすると、村瀬の祖母はそう言って、タタッと駆け出し、引き戸を開くと一目散に台所へ向かった。優は、手伝うと申し出てみたが、やんわりと断られ、朝食の支度が出来るまで、客間で、スマートフォンでしばし授業の動画を見て過ごした。



「おはお、優ちゃん」

 あくびと、少しだけ寝がえりをして、友里が起きた。が、布団を下にして、抱きしめると、またしばらく眠っている。

「友里ちゃん、そろそろ朝食の時間だよ」

 言われて、友里はガバッと起き上がった。ふらふらと優まで這ってきて、抱き着くと、「おはよ」と、いいながら優にちゅっと口づけをした。優は、そのキスを受け取り、友里を抱きしめた。


「ごはんが出来ましたよ!おわああ!」

 村瀬詠美の声と共に、ふすまをがらりと開けられて、抱きしめ合っている様を見られた友里は慌てて優から離れた。村瀬の祖母の家の、客間であることをようやく思い出したようだ。

「だって優ちゃんが、あまりに自然にうけとるから!」

 オロオロと真っ赤な顔で村瀬を見ると村瀬も赤い顔になった。

「友里さんは可愛いけど、駒井さんがちゃんと注意してあげないと!」

「わたしのせいになるのか」


 友里がねぼけていることには、優は気付いていたが、村瀬からも責められるのは、ふに落ちないというように優がぼやいた。


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