第195話 くじけそうなときは
茶器を並べる音だけが響く中、アールグレイの香りが漂う。和室の中、優村瀬は支度を整えてくれる村瀬の母に言葉をかけた。
「素敵な香りですね」
「ありがとう、良い茶葉なのよ」
優と村瀬の母が柔和に会話するのを、村瀬詠美はブスくれた顔で見守る。友里も、優の隣で、正座しているが、正座がどこまで耐えられるか、根気比べという様相だと思った。バレエの姿勢で、少しだけ足を浮かせた。
「それで、どうしてこちらに?」
「わたしの父に、逢いに」
友里が口を開くと、村瀬の母は少しだけ笑顔を消した。
「あら、単身赴任?ご家族が揃ってないのって、良くないと思いますけれど」
「どの口が。お前なんか、ほぼ家にいねえじゃん」
村瀬が、舌を出して、母親へ罵倒する。
「詠美、その口のきき方はよくないって、言ったでしょう」
嗜められて、詠美は「べえ」と舌を伸ばした。
「詠美さん、転校されるんですか?」
優が、踏み込んだ質問をした。さっそく話に入るのかと、詠美は腕を組んで胡坐をかいて、見守った。「詠美さん、はしたない格好はやめて」優がそう言うと、村瀬は「はい」と言って正座をした。優の言うことなら聞くのかと、村瀬の母は目を見張った。
「良い学校が見つかってね、そこなら、全寮制だから、──さっき詠美が言ってたでしょう?私、ほとんど家にいられないことが多くて、寂しくないかなって」
「そうなんですか」
「こんな素敵な方々とお友達だともっと早くしっていたら、とは思うけれど、詠美と、学校を離れても仲良くしてあげてくださいね」
ニコリとほほ笑まれて、優は、「もちろんです」とほほ笑み返した。
(あれー--?!駒井さん、話が違いません?!)
(優ちゃん!?)
友里と村瀬が、頭の中で思っていることをそのまま顔に出すので、優はポーカーフェイスが崩れそうになり思わず口を手で抑えた。
「んっふ……」
「あら、どうされました?暑い?」
村瀬の母が、詠美の部屋のエアコンの温度を確かめた。
「いえ、快適です。さきほど通された時も、部屋が涼しくてとても心地よかったです、詠美さんのためですよね」
「あら、良かった。詠美がいつ帰ってくるかわからなかったから、快適な温度にしておこうと思って。部屋もね、高校生の子が住む部屋って、どうしたらいいかわからなくて。畳じゃないほうがいいかしら?」
穏やかに談笑する母を、村瀬は初めて見たという顔で歯ぎしりする。
「そーだよ、床のほうがよかったな、あと、ふすまって。プライバシーがない。でも、ここに住むわけじゃねえのに。寮にぶち込まれんでしょ」
「寮に入ったって、休みは、帰ってくるのよ。部屋があるほうがいいでしょ」
プンと横を向いて、村瀬の母が言う。
「うちの母もリフォームが好きで」
「あら、そうなの?」
コロコロと笑顔を見せる母に、村瀬は無言で紅茶をすすった。甘くするために、砂糖を4つ、放り込んだ。「友里さんは?」「わたしも3つ欲しい」とふたりで言い合って、「甘いとおいしいね」とほほ笑む。
「おふたりは、同学年?」
「いえ、詠美さんのひとつ上です。もう卒業の年なので、詠美さんに見送ってもらえないのは、寂しいです」
そう言うと、村瀬の母は優に進学先を聞いた。医大だと素直に答えると、家柄や、家族構成を詳しく聞いてくる。優は、自分が困らない程度にさらりとつげる。
「あら……詠美、駒井さんのお兄さんに嫁いだらどう?お医者様」
「どうじゃねえ!」
詠美はカッと怒って、茶器をガシャリと置いた。
「俺は男だから、女みたいに嫁げないの!自分だって何回も結婚してて、結婚が幸せの終わりとは思ってないくせに」
「またそんなこと言って……
村瀬の母は、詠美を指さして言った。
「宏衣の話は聞いてる?この子ったら、影響受けちゃって」
「配偶者にしてらした……という?」
「元夫。今は女に戻ってるハズ。いつか魔法が解けるなら、みんなが望む、当たり前の幸せを早いうちに、手に入れたほうがいいと思うの」
「そうやって先回りして、なんでも決めてしまうのは、良くないと思います」
黙っていた友里が、やはりしびれてしまった足を延ばして、言った。
「誰かがそうだったとか、みんなが望む幸せとか、そんな理由で、今の村瀬さんを止めることは、絶対に良くないって思います」
「ええと、荒井さんでしたっけ……。どういう意味かしら」
「かかってくるならかかってきなさい」という顔でいわれて、友里はぐぅと怯んだ。しかし、村瀬の母を知らない分、優の母の芙美花と比べたらそこまで怖くない。口を開く。
「む……詠美さんには詠美さんの気持ちがあるんだから、したいことや好きな友達をお母さんが決めるのは、自分で作ったレールをはずして、違うパーツをドンドン入れているようなかんじです」
「親には、教育の義務があるから。正しいレールに、そもそも乗りたくないって子どもが言っていても、歩く道の小石をどけたり、できる限り傷つかないような道をつくってあげるのが、愛でしょう」
ふわりと自信ありげにほほ笑むので、友里は「義務と愛」という相いれない言葉に驚いて口を閉ざした。
「ふたりはもしかして、詠美の転校の話を聞いて、駆け付けてくれたのかしら」
「はい」
優が、(嘘はついていない)という顔で悪びれもせず返事をした。
「なんて優しいのかしら。でも、もうお話しは済んでるから、GW開けたら、詠美は学校を去って、編入試験を受けるの、皆様にも、お別れを伝えてあげてね」
「まだ試験は、受けてないんですね」
「そうなの、本人が嫌がっちゃって!」
「勝手に退学届けとか、出されたらそりゃいやだろ!」
友里は慌てて、受理をされたかどうか村瀬に小さな声で言った。村瀬は、一応担任預かりにはなっていることを告げる。
「たとえば、詠美さんを、しばらくわたしに預からせてもらえませんか?」
優が言うと、「ふふ」とほほ笑んで、村瀬の母は首をかしげた。
「ダメよ、いくら駒井さんがしっかりして見えても、高校生だもの。もしもあなたが、もう医者になっていれば、話は別だったけれど」
優は「そうですよね」とほほ笑んだ。
「やっぱり勝手すぎます」
「え」
友里が叫んだ。
「村瀬さん、お友達がたくさんいるんです。それはもう、数え切れなくらい」
「新しい高校に入れば、またおなじくらいできるわよね」
「それは、また違う友達です、おかあさん」
真摯な声で、友里が立ちあがった。
「望月ちゃんは、村瀬さんのことすごい人だって、自分の価値観を変えてくれた人だって尊敬しているし、バイト先のみんなだって、弟みたいに可愛がっているし、写真部のヒナちゃんだって、テニス部の美咲さんとか、バレー部の真子さんだって、みんな、ひとりひとり名前の付いた人間です」
「友里さん、わかんないよ、この人には」
「村瀬さんが自分の力で、頑張って作ったお友達は、村瀬さんが自分で作り上げたたくさんの居場所なんだから!傷つかないようにしてあげるのが、愛だって言うなら、取り上げないでほしい」
友里の言葉を黙って聞いていた村瀬の母は、はあと大きなため息をついた。
「まあ、お美しい言葉の羅列だけれど、高校の時のお友達なんて、大人になったらほぼサヨウナラなの、居場所だと思っていたものは、幻想にすぎないわ」
友里は自分もそうだといわれた気がして、グッと息を飲んだが、言葉を続けた。
「もしそうだったとしても、今が、未来を作るんだから。村瀬さんが、お母さんにお友達を取り上げられたって記憶は、消えないんだから」
「感謝する日が来るわ」
友里の真摯な言葉は、村瀬の母の笑みに、バッサリと切り捨てられた。優が、友里の肩を抱いて、「ありがとう、それ以上は傷つかなくていいよ」と小さくつぶやいた。
「こねーよ、ばばあ」
村瀬は立ち上がって、母親に向き直った。
「おまえに感謝する日なんか、来ねーんだわ。おまえが、無くしたから最初から要らなかったと判断したものを、俺にもそれを強いるんじゃねえよ」
「まあ、はしたない言葉」
村瀬の母は、眉をグッと寄せて、村瀬から体を離した。
「充実した日々ですか?」
優に問われて、村瀬の母は頷いた。
「そうよ、この年になって、手にしてないモノなんて、みんないらなかったもの」
言いかけて、ハッとした。自分の言葉の矛盾に、気付いたような顔をした。
「ちがうわ、私は友人なんてものはもともと、いなくて、だから今の成功があって」
「自分が失敗だと思うから、詠美さんに、それをしてほしくないって思うのですか?結果として手元に残らないものは、もともといらなかったんですか」
慌てて取り繕う言葉を、優は逃さなかった。
「もしも詠美さんが、あなたの元から離れていっても、必要なものではなかったと、言い切れるんですか?」
優に問われて、村瀬の母は「子どもが生意気を」と言いかけて、席を立った。
「それでも、転校は、変わりませんから」
ぴしゃりとふすまが閉じて、村瀬と優、友里は、村瀬の母を見送った。
友里と村瀬はハアハアと呼吸を荒げていて、優がくすりと笑った。
「ふたりは顔に出過ぎ……!」
「も~~優ちゃん!」
「なんだよ~~~!!!」
ばたりと畳に大の字になって、村瀬は深呼吸した。
「でも、なんだか、スカッとした」
ため息を吐ききると、それまで、どこか青白かった村瀬の表情が輝いた。
「ごめんね、村瀬さん、怒らせちゃった、わたし」
友里が、大の字の村瀬を覗き込むようにして、言った。村瀬は、友里を見つめてほほ笑む。
「いや友里さん、啖呵きってて、かっこよかったですよ。それに引き換え、駒井さんは、何ですか、うちの母にニコニコしちゃって!」
「え、けっこう有益な情報を引き出してただろ?村瀬の所作がちゃんとしてれば納得するコトとか、まだ入試まで行ってないとか、後見人は医者であればいいとか、彼女なりに、村瀬を大事に思っている事とか──」
「はあ?」
村瀬は、優を覗き込む。優は、少しだけ、挑戦を挑むような顔だ。
「くじけそうになったら、助けるよ。でも、一度あてにしたら、そこからすべてあてにし過ぎるとこがある。自分で何とかする癖をつけろ。助けるけど、村瀬もちゃんと考えて」
優に言われて、村瀬は首を搔いて、いやな顔をした後、(前もこれ言われたな~)と言う。
「がんばりやさんなんだろ?」
友里からの誉め言葉に気に入らなかったのか、優がすこしだけ嫉妬の目を向けるので、村瀬は苦笑して、「ういす」と頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます