第192話 予告したサプライズ


「なにあれ!!!!!!!!!!!!」


 駅前のホテルの一室で、友里は憤慨していた。

 いつもの友里なら、きっと優の母の芙美花が用意してくれたツインの部屋にひとしきり喜んで、照明を付けたり消したりしばらく遊んで、優に口づけをしたりするところだったが、あまりに怒りすぎていて、優が笑ってしまうほどだった。


「友里ちゃんが、わたしのこと以外で怒ってるの、珍しいかも」

「だって!!!わたしたちのことを、なにも知らないのに!」

「あれ?わたしのことではあるのか……」

 優はぷんぷん怒る友里に、笑いつつ、荷ほどきをして、堅苦しいスーツを脱いだ。シャツと友里が作った夏用のデニム生地で足首までのワイドパンツに着替えて、友里にも「友里ちゃんが縫った服に着替えてよ。気持ち的な、お揃い」と可愛くおねがいするので、友里は優のおねだりにメロメロで答えた。


「大阪観光しよう」


 夕方の梅田周辺へ、ふたりでぶらりと出かけることになった。

 梅田スカイビルの空中庭園を目指して、駅へ歩く途中、たこ焼き屋さんを見つけて、友里の機嫌は一瞬で直った。

「優ちゃん、2件はさんで一緒の通りに同じたこ焼き屋さんがあるけど、どっちにする!?」

「両方行って、食べ比べたらいいんじゃない?わたし、朝から何も食べてないから、大丈夫な気がする」

 優が言うと、友里はピョンと跳ねた。それだとばかりに列に並び、ふたりでひと船ずつ購入して食べ比べる。

「え、ぜんぜん違うかも」

「そうだね、ふわふわと、とろとろ」

 ニコニコ笑い合うが、友里は猫舌なので、一つ食べるごとに「あつ、あつい」と怯えた。優が気付かないうちに友里は、イカ焼きも買っていて、「卵焼きみたい!」と喜んでいる。


 妙に優が声をかけられるので、「なんで?」と思っていると、たこ焼き屋さんの辺りから、すでにまったく逆方向に歩いていた。ふたりは、道頓堀に来ていた。友里もちいさな男性に声をかけられたが、優の手を引いて、明るい商店街へ駆け抜けた。

 角を曲がったところにあった白いビルの中で、お出汁のいい香りに誘われ、お揚げがジューシーなうどんを食べきった後、抹茶パフェのお店を見つけてそれも完食。さらに、わらびもちも行った。


「さすがに、ちょっと、おなかいっぱいかも」

「くいだおれを地で行っているね」

 小食の優は、おうどんの後は、楽しそうな友里を見つめるだけだったが、お腹を押さえて斜めに傾いている友里に、くすくすと笑った。

「近くに、紅茶が楽しめるお店があるって言うけど、そこで休む?」

 友里が、さすがに全く反対方向に歩いていたことを反省して、スマートフォンのマップを見ながら言った。

「ううん、もう入らない。友里ちゃんが歩けるなら、少し歩いて、電車に乗って予定通りスカイビルにいこうよ。夜景がきっときれいな時間だよ」


 優に言われて、友里は頷いた。

 地下鉄で茶屋町まで戻って、なにもない道を歩いて、スカイビルへ向かう。

 先にネットでチケットを購入して、長い長いエスカレーターを登る。光があふれて、友里は思わず優に寄り掛かった。優が友里の手を引き駆けだすと、夜の中に放りだされた。


「う、うわ……すご」

 友里は思わず声が出てしまう。足元を思わず確認した。手をつないで、風を浴びる。ビル自体の青い光のなかに、360度、浮かぶ夜景はまるで宝石をちりばめた海のうねりのようだった。友里は少し怖くなって優に寄り添うと、優はふわりと微笑み、ふたりはしばらく見つめ合った。

 光の粒と、青い光に包まれた優が光り輝いて見えて、深い闇の中に消えてしまう気がして、友里は優の腕を抱いた。

「さむい?」

 優の甘い声が聞こえて、友里は、抱きしめる手を、強くした。

「なかよしやね」

 どこからか声が聞こえてきたが、友里はどうでもよいと思って、優の体を抱き締めた。優も、友里の想いに気付いたのか、そっと背中に手を回す。


「優ちゃん好き」

 友里は、優の胸にさらに顔をうずめた。優のからだの熱が自分が作ったシャツ越しにわかる。自分の頬が紅潮して、冷たい優の体も熱くなった。とくんと心音が聞こえる。早くなるその鼓動に安心する。優が好きだ、それ以外の原動力は他にないといつも思っている友里は(もしも、今、友達の、好きに戻るとしたら)と考えて、足元から冷たい黒いなにかにとらわれたような気持ちになって、優にしがみついた。


「お父さんに言われたからって、お別れしないよね」

 小さな声で聞く。風が強くて、優には聞き取れなかったようだが、友里が思っていることに気付いたのか、確認だと気づいたのか、髪を撫でた。

「友里ちゃん、大好きだよ」


 友里が、そろそろと顔を上げた。優が微笑んでいるが、友里は泣いていて、優は思わず笑ってしまった。

「夜景に感動した?」

「だって、おとうさんが」


 しくしくと泣き出す友里に、周囲にいたカップルが心配そうに見つめてくる。1組のカップルが、「南側にペアシートがあるから、彼女さんつれてってあげたらどうですか?」と伝えてくれて、お礼をして、庭園を降り、シートを探した。かなり混んでいたが、幸い、ひとつ空いていて、優は泣きじゃくる友里を座らせた。


「ごめんね、友里ちゃん、笑ったりして。夜景に感動したのかと」

「ううん、感動して、なんか、気持ちがぐちゃぐちゃになって。だって、おとうさんひどいこと言ったから」

「高岡ちゃんが言ってたじゃない、断られて当たり前だって。高岡ちゃんの言うことは、いつも正しいんだよ」

 優は、友里を慰める為だろう、少し明るい声で高岡の名前を出す。


「……たしかに」

 涙をのみ込むように、友里は頭の中の高岡を思い出すと、「友里はほんと泣き虫ね」と優しく笑ってくれる気がして、淡く微笑んだが、しばらくしてまた、ボロボロと涙が出てしまう。友里の肩を優は抱きしめた。優の鎖骨辺りに友里がコテンと頭を乗せ、しくしくと泣いている。


 友里が泣くことはめずらしくないが、悲しい涙なのは、とても珍しく、優はしばらく友里の背中を撫でているしかなかった。大きな窓越しの摩天楼に、目が眩みそうだった。


「ねえ友里ちゃん、夜景の、光の粒の一つ一つに人が生活しているから、キレイにみえるのかな」

「うん……キラキラ、眩しいね」

 友里は、いつでも友里がわかる言葉を使って話してくれる柔らかな優の声に、泣き止まなければと思いながらも、止まらない涙にもどかしく思いながら、こくりと頷いた。優の言葉を聞いていたいが、鼻水や、無駄にどくどくと鳴る心臓のせいで、上手く聞き取れない。


「暗闇があるから、光が輝くとか言うけど、あの暗闇の中の人たちだって、幸せな眠りについているのかもしれない。家族で、どこかに出かけているのかもしれない、闇の方が幸せなことだってある」

「……?」

「わたし、友里ちゃんと、ただ美しいだけではない、目に見えない幸せも、たくさん営んでいきたい」


 友里は、優をじっと見つめた。

「光も、闇も?」

「そう、誰かが、きれいだと認めた幸せだけではなくて、自分たちなりの」

 照れ臭そうに、優が言う。いつか、星の数ほど、友里を愛してくれる人がいて、その星の一つになりたいと言っていた優が、ふたりで、なにかになりたいと言ってくれたことが嬉しくて、友里は優の腕をぎゅうと抱きしめた。


「おとうさんがいう、「幸せにしてくれる誰か」ではなく、目の前の、優ちゃんと幸せになりたいの、優ちゃんといることが、しあわせなの」

 友里は涙声で言う。

「うん、わたしも、友里ちゃんのお父さんが言ったように、どうしても離れて生きて行かないといけない状況に陥ったとしても、友里ちゃんと人生を共に、重ねているんだという、自信が欲しい」


「優ちゃん」


 優は少しだけ、言葉を濁すように、「準備期間があまりに少なすぎてね、でも、それでも、たくさん準備をしたんだよ、本当は、誕生日に、渡す予定だったのに、お店の人にも、本当に頑張ってもらって」など、こにょごにょと言っている。


「?」

「前に、サプライズをするために、バイトするって言ったの、覚えてる?」

「ああ、サプライズなのに、言っちゃうんだと思った!」

 友里は、まだ涙の浮かぶ瞳のまま、ニコリと優に微笑んだ。「やはり、覚えてるよね、あの時、お店に初めて行ったから、気分が高揚してて」と優は赤い顔でカバンの中に手を伸ばした。


「受け取ってほしい」


 ベルベットのボックスケースを、優はそっと友里に渡した。

 友里は、すぐに意味が分かって、優を見つめて、その、リングボックスを開ける。2段になっているベロアの中敷きの中に、小さなダイヤと、中央に緑色に輝く宝石が埋められた、ピンクゴールドの指輪がお揃いで2個、並んでいた。

「ゆ……」

「婚約指輪」


 むかし友里が、優にプレゼントしたセボンスターの緑の指輪を、ふたりで、交換したことがある。大きさは、まったく違うが、それを彷彿とさせるような緑が、きらりと輝いた。修学旅行で贈り合ったトゥリングにも、似ていて、思い出が全部詰まっているような指輪に、友里は、せっかく止まっていた涙がボロボロとこぼれて、優がぎょっとした。

「ち、違うの!これは、こっちは、うれし涙!!」


 友里は慌てて手を振って、宝物のようにそっと、ケースを膝に乗せた。

「嬉しい、嬉しい、すごい、すごい!!かわいい」とひとしきり眺めて、一度蓋を閉じて、ジーンと抱きしめた。優が困ったように見つめる。

「つけてみて?」

「え、だって汚れちゃう」

「もしも入らなかったら、直さなきゃだし」

「え、あ……そっか、じゃあ、優ちゃんにわたしが、つけてみてもいい?」

 友里が照れながら、ハンカチで涙を拭いて伝えると、優もにっこりとほほ笑んだ。


 優がそっと長い指を友里に差し伸べた。

 友里が、左手の薬指に、そっと、優用の指輪をはめた。友里が勢いで自分にもはめようとするので、優は慌てて「わたしにさせて」と友里を止める。

 友里は、「ハイ」と小さく俯いて、真っ赤な顔で左手を差し出した。照れて、友里が「緊張する!」というので、優は、友里の小さな手を取って、薬指を少し揉んだ。

「緊張、ほどける?」

 微笑むと、友里は小さな声で「ユウチャンカワイイ」と言った。


 指輪をはめた。当たり前のように、友里の指に指輪はおさまった。ずっとそこにあったかのように、しっくりとなじむ。

 優は、チュと友里の指先にキスをして、じっと友里を見つめる。


「一緒に、しあわせになろう」


「うん、ふたりで」


 友里と優が見つめ合って、微笑み合うと、周囲から「わ」と拍手が起こって、ふたりでビックリした。

「え」

 すっかりお互いのことしか見えていなかったふたりだったが、友里が泣きじゃくっていた時から、心配の目を向けられていたようだった。プロポーズが始まって、辺りの心配はピークに。「今じゃないやろ!」などのヤジも飛んでいたようだったが、無事、成功したように見えた瞬間、周囲の気持ちがひとつになった。


 ふたりでかたまっている間に、「よかったなぁ」などと口々に言い合って、辺りの人々は解散してしまう。図らずも、多くの人間に祝福を受けたふたりは、あまりのことに真っ赤になって、体から湯気があがったような気持ちのまま、硬直していた。



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