第191話 いざ大阪
まだ朝が明けきる前に、新幹線の出る駅まで優の兄の彗に送ってもらい、朝の早い時間に新大阪に降りたふたりは、OsakaMetro御堂筋線 千里中央行きに乗り、友里の父親が暮らす社宅へ向かった。
新横浜で食べたシウマイの話を友里はしばらくしていたが、新幹線の中で降りる手前で買ったアイスがまだカチカチなので、父親の家へ行ってから食べることにすると言いながら、何度も外装を揉んでみたり、チャレンジしている。優は、東京で買った手土産の紙袋を、カートの上に置いて、普段と変わらない友里の様子に微笑んだ。
「ついに来ちゃったね!大阪!!」
「うん」
優は、ブルーグレーの夏スーツを着ていて、友里も、とっておきのときに着ると決めているらしい、去年の夏に優の叔母の茉莉花にあつらえてもらったAラインのワンピースにカーディガンを着ている。完全に『ご挨拶』の様相で、ふたりきりで旅行をするのは、これが始めてで、どうしても浮かれてしまうというのに、優と友里のお付き合いの挨拶だと思うと、緊張感で優は、お茶しか飲めていない。
「優ちゃん、どこかでごはん食べていこ、お父さんたぶん、そういうの用意しないから」
「まずは、到着の連絡しようか」
電車から降りたふたりは道を歩いていた。優に言われ、友里は、ハッとしてスマートフォンを見つめる。優は11時待ち合わせに予定を組んでいる友里の父親に、会食の予定が無いとは思えず、友里にその旨も問うようお願いした。友里の母も来れたらよかったと今更に思った。
父親に連絡する前に、望月からの連絡が来ていることに気付いた。【村瀬からの連絡、ないですか?】と書いてあった。ふたりで、しばらくスマートフォンを覗き込み、優がいつの間にか交換していた村瀬の連絡先に、【望月ちゃんに、連絡してあげて】と送っていた。友里は、村瀬と連絡先を交換していないので、なにもできることはなかった。
しかしいつもならすぐに既読が付くはずの村瀬からの反応はなく、通話もかけてみるが、出なかった。ふたりで心配しつつも、気持ちを切り替えた。
父親に連絡をすると、すぐに反応があった。
「お父さん、なにも用意せず来ていいって」
ふー、と友里は一緒にため息を吐き出した。
「緊張するね」
友里の濃い蜂蜜色の瞳に見つめられて、優は「うん」と言った。緊張しているのは自分だけかもしれないと思っていた分、空気が抜けるような気がした。友里は友里で、そんな優に微笑む。
「緊張が解けるおまじないでも探す?」
検索して出てきたものを端から試す。『大丈夫』と呟くもの、親指を握って、空に向かって万歳──友里は、道の真ん中で始めるので、優はくすくすと笑う。
「あ、これは歩きながら、出来るかも。『薬指をマッサージ。薬指は交感神経と繋がっていて、リラックス効果や緊張をほぐす効果があるそうです。』だって」
友里が右側通行で自分の左側にいる優の右手の薬指をそっと握った。
「むにむに」
見上げて、にこりとわらう。
「ドキドキしてきてしまいそう」
「そうだね」
優が微笑むと、しらない土地で、手をつないで歩いていることに気付いたのか、友里はすこし赤くなった。
「普段から、お守りをもって置くのも、良い手だって」
「それなら、今日は友里ちゃんが作ったシャツを着てる」
「カワイイ」
「あと、吹奏楽くまちゃんも持ってる」
「?ああ!前に作ったやつ?!」
「はじめて友里ちゃんが、「作ったよ」って言ってくれたものだから」
トランペットを抱えている部活シリーズのクマのぬいぐるみ。まだ付き合う前のことで、夏休みに高岡と遊園地に行く前に、徹夜の友里から渡されたものだ。優は「好きな子がプレゼントしてくれたものだから、舞い上がったよ」と、いまさらにお礼を言う。
友里は、優の指を揉むのではなく、握った。
「すき」
「!」
「ちゃんと、好きの気持ちを込めて、作ったよ!」
「……」
「たぶん!」
「たぶんか」
優はくすくすと笑う。友里が、「世界で一番大好きだけど、恋って触りたいものだし、触るのはまだ、違うって思っていたし……高岡ちゃんが好きだと思ってたし……」と小さな声で言うが、凛々しい笑顔で、優に向き直った。
「今は、優ちゃんに、触れたいって思うたびに、好きって思う」
スキンシップが過多な友里のことを思って、優は、頬が熱くなるのを感じた。
「友里ちゃん、もう充分。緊張がほどけたかも」
「まだまだ、お父さんちに着くまで!つないでいこ」
「ええ?」
優は照れつつも、握った手を、振りほどくことはなかった。
:::::::::::
友里の父親の社宅は、一軒家だった。同じ形の一軒家が立ち並んでいる。尾花製薬の関係者が一様に住んでいる場所だが、友里が住む荒井家よりも広いくらいで、築浅で、駐車場が2台分、サンルームもある白い家だった。優が心を病んでいたせいで、友里たち家族から、3人で暮らす日々を奪ったと思っている優は、本来なら、友里が住む予定だった家を見つめて、胸が痛んだ。
「よく来たね」
「お父さん」
玄関先まで迎えに出てきた友里の父親が、駆け寄った友里に微笑む。ひょろりと背が大きく、優と同じくらいの身長をしている。優がぺこりと頭を下げると、困ったように首の後ろを撫でた。
「すごい素敵になったねえ」
優はもういちど頭を下げてから、荒井家に上がらせてもらった。
「わたしも来るのは、はじめてだよ」
友里は言いながら、父親が出前をとったと言うので、台所へ入って行って、優とふたりでほとんど食器のない、新築のような家の中で、お茶などの用意をした。テーブルに、桶にはいった寿司と、お吸い物、お茶が並び、父親が上座について、友里が優の横に座った。新幹線で買ったアイスはまだ硬く、お皿の上に出そうとしても出ないので、諦めてテーブルに一緒に並べた。
優は、もってきた手土産を「美味しいと聞いたので」と言って父親に手渡した。
「ああ、このチョコレート、マコから聞いたのかな!私が教えたんだよ」
友里の父親が無類のチョコ好きと聞いていたので、優はそれを選んだが、一瞬で友里にどこか似ている笑顔になったので、ホッとした。
「お酒はまだ飲めないんだよね、私だけ飲んでもいいかなあ」
「お父さん、まだ飲まないでほしいかも」
友里が止めると、友里の父親は「そうか」と言って、正座した。
「あ、じゃああの……」
優が、友里を見つめる。座布団から降りて、頭を下げた。
「まだ学生の身で、これから大学へ進むのですが、娘さんとのお付き合いを認めてほしく思い、挨拶に来ました」
「あ、ああ、よく来たねえ、うんうん」
しぶしぶというような声で、友里の父は答えた。
「ごめんね、電話でいいよとマコには言ったんだけど、こっちまでこさせて」
「いえ、一度ちゃんとしたくて」
優が言うと、友里の父親は首の後ろを掻いた。
「……」
沈黙が流れる。
「困ったな、どう答えたらいいか、いざとなるとなにも出てこないねえ」
「お父さん」
友里が促すように、優を見つめてから、父親を見た。
「優ちゃんが、大事で、ずっと一緒にいたいって思ってるの」
「結婚してても、私とお母さんは一緒にいないけどね」
友里は言われて、「あ」と言って、それから、少し思い悩んだ。
「でも、お父さんが困ったら、お母さんがすぐにこっちにくるじゃん。そういうことが、当たり前な関係に、なりたいの」
「うん、それは、わかるけど」
優が、友里と父を交互に見つめる。
「今日は、ただご挨拶に来ただけで、答えは、すぐに出してもらわなくても、大丈夫ですから」
優が言うと、友里の父は鼻頭を掻いた。
「いや、友里との交際は認められない」
「え!?お父さん」
友里は否定の言葉に、ガバッと立ち上がって、「どうして」と叫んだ。
「だって、これから何年かかって独り立ちするのかな。友里を幸せにできると思えない。もっとふさわしい、友里が一生、困らない人じゃないと、認められない。優ちゃんにも、友里よりもっと自分を幸せにできる人がいると思うよ」
「お父さん、幸せにしてもらうんじゃなくて、一緒に幸せになりたいの」
「そんなの詭弁だよ、友里。絶対苦労するってわかってる相手と、一緒になりなさいって言う親がいるわけないでしょ」
友里の父親は、ニコリとほほ笑んだ。
「でも優ちゃんと、友里が仲良しなのは嬉しいよ。たいへんな事故があったのに、ふたりともよくたちなおったよね」
あくまでふたりの幸せを祈っているという言葉を重ねて、友里の父が言う。
「お父さんにとっての、幸せってなに?」
友里が言うが、父はさすがに、自分の言葉にふたりが戸惑っているというより、敵愾心を産んだことを察したのか、ニコニコと笑顔を取り繕った。マコが言っていたように、(逃げるところがある)と優は、ぼんやりと、友里の父親を慮った。
茶色い封筒が、そっとテーブルに置かれた。友里が、父親を見つめる。
「今回の旅行は、そう、背負わないで、大阪をふたりで楽しんでいきなさい。これは水族館のチケットを入れておいたよ。父は仕事があるから、付きあえないけど」
「お父さん」
チケットのほかに現金も入っていて、友里は優と別れを了承したと思われる気がして、困ったようにそれを返した。しかし、友里の手荷物の中に、封筒をぐいと押し込んで、「お小遣いも満足にあげたことが無い父親からの、せめてもの格好付けだから」というので、友里は仕方なく受け取る。
「完全に別れろと言っているわけじゃなくて、お互いの子どもの面倒を見て、育児の手が離れたら一緒に遊ぶような、一生の関係になったほうがいいんじゃないかなと思うよ。ほら、マコと優ちゃんのお母さんのような。ステキな関係だよ。よく考えなさい」
「……」
友里は、言葉を失う。
さてと、と一仕事終えたような顔で、友里の父親はビールをグラスに注いだ。
「お寿司を食べなさい」というが、優も友里も手をのばすことはなかった。新幹線で買ったアイスはいつの間にか解けていて、触ったはずみで、どろりとテーブルにこぼれた。
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