第185話 降りるほうが難しい
「庭に別邸を増築することになって、宝箱を取り出したの。そうしたら、色々思い出したわ」
「俺が穴を掘って埋めたんだよ」
彗がにこにこと言った。紀世の想い出話にはいなかったが、紙を用意したり、高校生の彗が子ども達のわがままな要求に奮闘した想い出を語る。
「女王の無茶な要望に答えてたから、友里ちゃんみたいな子に弱かったのかな?」
駿が、友里をチラリと見て、友里に見つめ返されて、たじろいだ。自分の中で腑に落ちたのか、「なるほど」と言った。
(全然覚えてない)という顔で優を見つめる友里に、優も頷く。
「その時の、書いた紙ってまだありますか?」
優が紀世に問うと、紀世は一枚だけ硬い透明なプラケースに入ったものを見せてくれた。
「これに、ショートケーキが書いてあるでしょう」
「たしかに友里ちゃんの字だ」
拙い字の下にショートケーキが描かれていた。優はにっこりとほほ笑むが、友里は首をかしげた。(全然わからない)と思ったが、そう言えば優の部屋には、友里が幼い頃にしたためた優へのラブレターがたくさん眠っているので、優がそれに気づいてもおかしくはないと思った。
「別にわたしだって、たった一日の想い出を大切に生きてきたわけでは、ないのよ」
当然のように、「すっかり忘れていた」と紀世は何度も言う。友人と呼べる人間がそばにいることを損得以外で許したことが無い。
「ガンの告知を受けてから、庭の木が失われることになって、宝箱が手元に戻ってきたの。中身を見て、降り方を教えてくれた子を思い出したから、木と自分の命をどこか一緒くたに思えて、予言めいて感じて、──子どもの頃の願いを叶えてみたくなったの」
当時、パーティに参加したであろう子どもを調べ尽くしてみて、友里の存在に行き当たった。駿はあれからもしばらく、友里とあうたびに一方的に家臣として仕えていたことなどが報告されると、思わず笑った自分がいた。
それも、友里達の事故以降は、一切交遊が絶たれている。
「駿と優さんが婚約したら、友里さんがわたしだけの女王になるかなって思ったけど、とっくに優さんが友里さんを手に入れてたのね」
まだ抱きしめたままの優を見て、紀世は笑った。
「父が、大切に育てた後継者の病気のせいで正気を失ってるから、色々迷惑をかけていることも、わかっている」
紀世が自嘲気味に、言う。やはり尾花家の暴走を、紀世が知らないわけがなかった。
彗が、コホンと咳払いをした。
「もしも、俺と紀世さんが結婚したら、どうなんだろう?」
「は?」
優が彗を見つめる。
「俺、前から紀世さんのことがとっても気になっていたんだよね」
「どなたですの?」
紀世が言うと、彗は「駒井彗だよ、優の兄」とにこやかに言った。
「でも、うちが釣り合うと思っていなかったから、黙ってたんだよね。優と駿くんが釣り合うのなら、俺も釣り合うのかなっておもって」
「もしかして、わたしを文化祭に誘ったのって、あなた?」
紀世が、怪訝な顔で、彗に問いかけた。
「そうそう、高校の文化祭にいきませんかー!って去年ね!覚えてるのか」
彗のあっけらかんとした声に、優こそ驚いている。そういえば、だれか誘うと言っていた気がした。
「てっきり葛城先生かと思った!」
友里が彗に、11月の豊穣高校の文化祭の件を思い出しながら、言う。
あっさりと彗に「ちがうちがう」と言われて、友里と優は見つめ合う。
「どうしてわたしが、高校の文化祭なんかに、いくっておもったんですか?」
「行きたいかと思って」
「!」
紀世は言われて、ぷうと噴き出した。
「確かに、珍しいものは好きですけど!」
彗が困ったように頬を掻いた。
「珍しい?だって、先生になりたいって言ってたじゃない」
彗に言われて、紀世は目を丸めた。
「大人になったらしたいこと、紀世さんが「先生になりたい」って書いてあった気がしたんだよね」
「そんなの……わたしも忘れてましたのに」
しかし、願い事が書かれた宝箱を開けてから、紀世が教育実習に来たことは事実だった。大人になったら、したかったことは、「先生になること」だったと、紀世は行動で答えていた。彗の記憶力に、優も友里も驚く。
「もしも夢をかなえようとしていたら、教育実習の時期かなと思って、豊穣高校ではないにしても、雰囲気を見るために誘ったんだけど、まあ、あっさり断られたよね」
彗が笑顔のまま笑った。
「彗兄、すごいな」
優が尊敬のまなざしで見つめた。「だって俺、そのころ高校生だったし、覚えてるよ」と頬を掻いた。
「姉が好きなんですか?」
駿に問われて、彗は首をかしげる。
「全然知らないから、まだ恋愛とかそういう意味ではないけれど」ときちんと断りを入れる。
「ただ、要所でポンと記憶がよみがえると、思い出すたびに大きな荷物を抱えていそうで、助けたいなって思ってしまう」
彗に言われて、駿はポッと頬を染めたが、紀世は眉をしかめた。
「あまりにもばかにしてますわ!」
「え、姉さん、とってもいい人じゃないか、かっこいいし」
「あなたの趣味は聞いてないのよ!?」
尾花駿の趣味は、タヌキ顔なんだな、と友里は思った。今は別れている
「もしも俺を、婚約者にしても良いって思ったのなら、連絡して」
彗に言われて、紀世はプイと横を向いた。「わたし、結婚はできませんから」
「婚約者ではないにしても、ちゃんとセカンドオピニオンもしよう。うちの病院に入院して」
彗は、真摯な態度を取った。
「母に優が言ってから、ずっと気になっていたんだ。父はそう言う症例もあると言ってたけど、転移が見られていて、今年の1月に出た1年の余命宣告……。5月末に教育実習が許される病理とは、なんだろうって。できる人も、もちろんいるけど」
「検体として、みてますの?」
「まさか。医者として、治したいだけだよ」
前期研修医だけどねえと、彗は柔和な笑顔を向けた。
「わたしはただ、体にメスを入れたくないだけで、優秀な方に診てもらってますのよ」
「確かに、診てみないとわからないよね、若造の言うことだから、あんまり信用しないでいいけど。気になる子だし、もしも最期を看取れるなら、それでもいいと思う」
「……変わってますのね」
死を受け入れている彗に、紀世は少しだけたじろいだ。紀世は死んでもいいと言いながら、彗の柔和な態度を見て、自分の死を見つめた。自分こそ死を受け入れていないと気付いた。
「紀世ちゃん、やっぱり治してみせてよ」
友里は、優に抱かれながら紀世を見つめた。
「だから、お友達でもそれは」
「じゃあ命令、女王からの!」
友里が人差し指をちょんと動かして、はにかんで言った。
「ねえさん」
駿にも言われて、紀世は困ったように唸った。
「木の降り方を教わっただけで、高くつくわね」
「降りるほうが難しいんだよ」
友里が言うと、紀世は、今、治療に専念しないと突っぱねている自分が、木から降りることが出来なくなっている状況と似ていて、笑った。誰も気づいてくれなければ、紀世が木に登っている事すら気付かれなかっただろう。
「覚えてもないくせに、小さい頃と同じこといわないで」
自分のポテンシャルを信じていた紀世が、誰かを頼ることなど、絶対に嫌だった。紀世が教えを乞うた、初めて助けを求めた友里に言われて、やはり、そのまま聞いてしまいそうになる。
「なんなのかしら、友里ちゃん女王様…。前世に因縁でもあるのかしら!?」
「俺もすっごくふしぎ」
駿が言うので、紀世が笑う。「あなたは下僕気質なのよ!」駿が言われてむくれる。
「わかったわ、彗さんの病院へ行く。治らなくても、最善を尽くすわ」
彗がニコリとほほ笑んだ。
手続きの件などを、ふたりが相談し合うのを見ながら、友里は優を見上げた。
優は、まだ友里を抱きしめたままで、ようやく、気付いたように、友里の背中から手を離した。しかし友里が、優の胸に体をうずめるので、友里の名前を呼んで困ったように唸った。
「友里ちゃん……」
「優ちゃん、心配してきてくれたの?」
「あ、俺が俺が!!優さんに連絡しました!」
村瀬が手を上げて、友里に褒められたいという顔を見せた。
「スマホも拾ってくれたの!?ありがとう、ナイトだね!」
友里に褒められて、村瀬はニコニコとほほ笑んだ。
彗と相談し合っていた紀世が、高校生たちのほうへ向いて、「ケーキでも食べてて?まだたくさんあるのよ」と声をかける。
村瀬は「22時以降の糖質炭水化物は、モデルにはNGでーす」と断っていた。優は、(先ほど山盛りの生クリームを食べたくせに、ホテルクオリテイのケーキは遠慮するのなだ)と感心して村瀬を見た。
「でもすっごいおいしいよ!」
気づくと、友里が食べていて、優も立ち上がった。
「どれがおいしかった?」
「あのね、これがすごいの」
ふたりで寄り添いながら、ケーキを「あーん」と口に運びあうので、村瀬も「ひどい!さっきまで敵対してたから断ったのに!」と立ち上がって、食器を手にふたりの後を追った。
深夜のケーキを高校生3人で貪りながら、友里は、ひとつ欠伸をした。
「ねむい?」
「うん、ちょっと疲れちゃった、優ちゃんに逢えてホッとしたのかな」
皮張りのソファーに身をゆだねると、隣に腰かけた優に問われて、友里がぼんやりと目をこすってほほ笑んだ。優は肩を抱いて、友里をそっと自分に寄り添わせた。友里は、優の香りを感じながら、うっとりと目を閉じた。
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