第180話 おあずけ
教習所のカリキュラムを終えた友里を喫茶店・ペーパームーンで迎え入れた優は、勉強道具を片付けて、友里と、夕飯がわりの軽食を頂くことにした。
「パスタはこのまえ食べたから、今日はこの、ポークステーキにしようかな!」
友里がガッツリとしたメニューを頼むが、きっと足りないだろうと思い、優はBLTサンドを選んだ。ポテトが山盛りなので、友里に手伝ってもらう算段だ。
「ライスとパンが選べますけど!」
聞き馴染みのある声がして、優はため息をついた。
「村瀬」
店長の背中に隠れながら、店長っぽく声を当てる村瀬に、友里も驚く。
「あれー、ファミレスバイトじゃないの?」
「もう本格的に友里さんと同じ日にしてもらったんですよ、シフト。今日はここで腹ごしらえしたら、ガールズバー行くんだ!」
「チャラい仕事してるのよねこの子、うちでバイトしなさいっていってるのに」
「いや、マスターに、金貰うのは忍びないっすわ」
人懐こい笑顔で、店長と談笑する村瀬に、友里と優もすこしだけ和んでしまう。
うっかり、村瀬のことを小学生男子と思ってから、ひとりっこと末っ子な友里と優は憧れたおねえさんになったかのようだった。村瀬が友里への恋心を出さないようにしているのか、上手く隠してくれたおかげで、この関係が保てると思っている。人付き合いがウマイのは、こういう面なのかもしれないと納得した。
「俺はあっちのカウンターで食べるんで、おふたりはごゆっくり!」
友里がライスを頼むと、村瀬はウインクをしてふたりきりにしてくれた。
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ペーパームーンを後にしたふたりは帰路につきながら、おだやかな4月の終わりの風を感じながら、手をつないだ。
「優ちゃん、ちょっと村瀬さんのこと気に入ってきてる?」
友里に微笑まれて、優は「友里ちゃんほどではないよ」と、肩をすくめた。
「あと数日で大阪だけど、準備できてる?」
「むしろ何を持って行けばいいかよくわかんない。ホテルになんでもありそうなんだもん、着替えぐらいかな。チケットとか、ホテルとか、芙美花さんにお礼しなきゃ」
「ほんと、母は魔法使いみたいだよね」
足音だけが響く。
「あああ」
「なに」
思わず、友里の唸り声に、優はビクリと驚いた。
「まって!はじめてのふたりっきりの旅行だ……!!」
「う、うん?そうだね」
今更気付いた友里に、優は面食らう。あれだけ高岡にも「婚前旅行だ」とからかわれていたのに。
「10月の終わりにお付き合いはじめたでしょう?いち、に…、6カ月記念としてこれ以上のものある!?優ちゃんは緊張しないの!?」
「どちらかというと挨拶のほうに震えてて、気付かなかった」
友里の発言に、ようやく優も気づいて、頬を染めた。
「本当は、一か月記念とかそう言うのするものなのかな!って思いながら、あっという間に過ぎちゃったから……」
疎い優は、友里の発言に戸惑う。
「優ちゃん、そういうの気にしないタイプ?!」
「友里ちゃんを好きだから、好きなりに色々したいと思うけど、恋人として、と言われるとやっぱりなにをすればいいのかも、実はよくわかっていないんだ、ごめん」
思わず、普段から思っていることを友里に告げると、友里は驚いた顔をした。
「ゆ、優ちゃん」
「ごめん、間違っていた?」
「恋人として、なにをすればいいか、わたしもすごい悩んでた!!」
友里に言われて、優は眼をパチパチとした。
「え~~優ちゃんは、完璧な彼女だったから、絶対わかってると思ってた!!なんだ、お互いによくわかってなかったんだね!」
ほっとしたような友里の声に、優はどこか不思議な感覚に襲われたが、友里がいつもよりも大きな笑顔で微笑んで、優の手を握るので、どうでもよくなった。
「恋人にしか、出来ないこと、これからもいっぱいしようね」
いろんな意味をはらんで聞こえて、優は、カッと体が熱くなるのを感じた。
「うん」
頷くと、友里も自分の発した言葉の意味を、飲み込んだのか、優を見つめて、モジモジと赤くなった。言ってから気付く様子に、優ははにかむ。
「こうやって歩くだけでも、ふたりでいれば、デートって言ってくれたことがあったでしょ?」
「うん」
「だから、いつも特別だなって思ってて」
友里にそう告げると、友里は「優ちゃんはこんなにカワイイのにわたしときたら!」とまた何か、反省したような声を出してぐにぐにと悶えるので、優は友里の百面相に笑ってしまう。
「優ちゃん、わたしみたいな、はしたない子と、恋人でいてくれてありがとう」
「こちらこそだよ、ずっと、恋人でいてね」
見つめて笑い合って、指を絡めた。いつもの公園にたどり着いて、こっそりキスをした。友里は、優を部屋へ連れていきたくてしばらく押し問答をしたが、優の家で家族会議があることを告げると、イイコの友里は、名残惜しいと言いながら、お互いの自宅へ戻った。
「……すると思ったのに」
上目遣いの友里に、そう言われた名残で、優は駒井家の玄関で、もういちど意味をかみしめて、友里の濃い蜂蜜色の瞳を思い出し、あまりのおあずけぶりに、胸をおさえた。ぐらついた心を、落ち着かせるためにまずはお風呂に入った。
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駒井家、ダイニング。彗と、父と母、優が座る。
「尾花紀世さんが、教育実習に来たよ。友里ちゃんにプライベート番号を教えてくれたみたい。調べたら、本当にプライベートだった」
「そう、それは……なにを考えているのかしらね?」
家族会議の席で、優は芙美花に報告をすると、芙美花が唸る。
「尾花さんから、直々に駿君の釣り書きが届きました。が、こちらはお渡ししておりませんので、ただ、届いたという事実のみです」
優はため息をこぼした。駿の連絡先を重義に聞いてあるため、とっくに問い合わせているが、本人も与り知らないところで話が進んでいるらしく、戸惑っているようだ。
「会社を大きくするためのモノとか、色々言われてますけど長男の
「あ、それについては」
優は言い淀みつつも、紀世が子どもの産めない体であることが判明したことを、母に告げた。
「なるほど、それで焦って、少し劣る弟さんを、後継者に仕立てようと、釣り書きをばらまいているのか……愚策だなあ……屋台骨がぐらついてるって知らしめているようなものじゃないか」
芙美花の言い分に、苦笑しそうになるが、確かにそうなので、優は黙り込む。
「わたしの目から見ても、優は立派な婦女子で、うちはある程度の株主なので、この窮地に、ってことはわかるんだけど、姫は友里ちゃんしか愛してないからねえ」
「う」と優が唸るが、その通りなので口を挟まない。
「いちどお受けしてしまうと、婚約という形になるので、これはお返しします」
「はい」
異論を唱えるわけもなく、優も父も頷いた。
「あ、それでね、優さんの釣り書きなんだけど、一応荒井家にお渡ししようと思って、作成しました。ご確認ください」
父と彗、優で、優のお見合い写真を見つめる。正月に撮った、赤い振袖の優が、すまし顔で佇んでいる。釣り書きは高校生としては、習い事の種類が多すぎて、彗が苦笑した。
「あはは、なんか、ちょっと笑っちゃう。大人になったなあ」
父は少し涙ぐんでいて、優が呆れたような顔をするので、「父としては、感動しちゃうよ」などと言い訳をしている。
「友里ちゃんに見せたいだけで作ったのよ、優かわいい同盟として」
「久しぶりにその名前聞いた。きっと喜ぶと思うよ、ありがとう」
優は大阪行きの荷物の中にそれを入れると、母にお礼を言った。
家族会議は尾花家のやりように無茶な無策しか感じることができず、とりとめもなく終わり、階段を上がっていた優に、彗が問いかけてきた。
「優さ、尾花紀世さんと友達ってことだよね?」
「教育実習に来ただけ」
「ふうん、そっか」
どこか含みのある様子で彗が言うので、優は首をかしげた。
「ううん、なんでもないよ、確証がないからまだ」
彗は、たれ目をより細めて、にこやかに笑う。彗は太陽のようだと思った。
時計を見ると、夜の9時だった。家を抜け出して、友里のマッサージをした日のことを考えると、充分、友里の家に行ける時間だったが、優は少しだけ考えた。課題もまだ終わっていない。
スマートフォンを眺めて、【あいたい】と打ってみる。
すぐさま【わたしも!】とハートにまみれた友里からのメッセージが届いて、優はごくりと喉を鳴らした。角を曲がれば、友里の家へたどり着けるが、向かったら最後、離れられなくなる気がした。
高岡と日課の英会話通話をする。
最近の会話は、もっぱら友里がノロケた話だ。
『優ちゃんが強く抱きしめてくれると、バラ園にいるみたいな気持ちになるそうよ』
「……そうなんだ」
『背の高い優ちゃんが、時々上目遣いに眺めてくるのが好きなんですって。サラサラの髪の間から、黒曜石の瞳が輝いて見えて』
「待って、本当に黒曜石なんて言ってるの?」
優は恥ずかしさに震えて、高岡の会話を何度も遮ってしまう。
『でも聞きたいんでしょ?続ける??』
「──お願いします……」
欲に負けた優を、高岡は憐憫のため息で見つめているのが、スマートフォン越しにも分かった。
『私、修飾語ばっかり上手になりそう』
思わず愚痴る高岡に、優は噴きだしそうになったが、絶対怒られると思ったのでひとつ咳払いをした。
高岡との通話を切った後も、没頭で煩悩を追い出すために、優は課題を手早く片付けていた。すると、家のチャイムがぴんぽんと鳴った。
先に芙美花が応対しているが、優はおもむろに、予感がして、玄関へ向かう。オートロックが解除された門扉の前に、お風呂上がりの友里が立っていた。
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