第179話 教育実習
GWまであと1週間、火曜日の朝、優のクラスに教育実習生が入ってきた。
「
ぺこりと頭を下げると、色素の薄い髪がサラサラと肩から落ちた。優は面食らうが、普通科の生徒たちにもどよめきが起こった。絶世の美女のノースリーブシャツとタイトスカートといういで立ちに心動かされる者もいたが、受験が迫った進学クラスに、教育実習生が入り込むことに、驚く者が大半だった。
「ええ、と、尾花先生は大変優秀な方なので、受験の相談もOKだぞ、先生は数学教務室にいるから、いつでもどうぞとのことです」
優の担任の、林先生が言う。クラス長が手を上げて、進言する。
「授業は、どうなるのでしょうか?」
「あ~、それは」
林先生が困ったように言いかけるが、尾花紀世が、それを遮るように手を挙げた。
「おくれを取らせるつもりは、ございませんわ」
尾花製薬の経営を担っている紀世のことを知っている優は、紀世の言葉にきっと嘘偽りはないのだろうと、ため息をついた。(いったい何がしたいのかな)とは思うが、あまり関わらず、2週間を過ごせればいいと思った。
そして、その言葉通り、尾花紀世は完璧に受験用の授業をこなした。
時折、林先生も交えつつだったが、1日目は完璧というよりほかはなかった。たった1日で、不安に思っていたクラス全体を魅了し、美貌だけではなく、知性も兼ね揃えていることを知らしめた。
お昼休み、優は取り巻きの女性たちに囲まれながらお弁当を食べた。昨日の友里のお弁当と比べると嘘のように味気ないと思った。
「尾花先生、すごいキレイだよね」
ひとりの女子生徒が、言うと、わあっと尾花に対しての賛辞があふれ出した。優の元にいる子たちは、美しいものが好きだ。優はそういう気質は気に入っている。
「駒井くんは、どう思う?」
問われて、優は、(そういえば)と思い出した。素直に美貌を褒めたところ、友里が少しむくれた姿がとても可愛かった。自分も、友里が素直に紀世を褒めた時、とても苦しい気持ちがした。美貌を褒めるのは、良くないのかもしれないと思い、答えを探した。
「お正月に、親と挨拶をしたことがある」
事実だけを言うと、「セレブってこと!?」と黄色い歓声が飛び出して、優は驚いてしまう。尾花の名前から、尾花製薬を連想することはたやすいかもしれないが、優は黙っていた。ふと、視界の端にいつもとは違う人が混じっている気がして、目で追ったが、優の視線に気づくと、どこかへ行ってしまった。
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「友里ちゃん!」
廊下で、聞き覚えのあまりない美しい声がして、友里は慌てて立ち止まった。
「え!?あれ、尾花さん!?どうして」
色素の薄い髪をなびかせて、尾花は友里に駆け寄ると細い腕を伸ばして、友里に抱き着いた。ゼラニウムの香りがして、友里は一瞬、酔ったようになった。
「教育実習なの~」
「えー、うわさでは聞いてましたけど、尾花さんだったんですね!」
友里は美人教師が赴任したことを、耳にしていたので、紀世を引きはがしながら言った。
「商業科に行きたかったんだけど、無理だったの、単位的に!」
「ええ、商業科に教育実習生なんて、聞いたことありませんもん」
友里はくすくすと笑った。そもそも高校に来るのも珍しいと思った。
「駒井優さんのクラスなのよ、数Ⅲ。微分積分♪」
浮かれたようにさも知っていて当然という態度で歌い出すので、友里は戸惑う。
「え、ええっと、その辺よくわかんないんですよね、うちの商業科は、3年になるともう数学が無いので……」
「ない!?どういうことなの!?」
本気で目を丸めた紀世に、友里は笑ってしまう。紀世が、ニコニコと友里を見つめるので、友里も見つめ返した。
「友里ちゃんとお友達になりたいって話、覚えてる?」
「ああ!あ~、はい!」
てっきり社交辞令だと思っていた友里は、曖昧な返事をした。
「あれから、なにも連絡が無いから、どうしたのかなって思っていたけど、そういえば、わたし、連絡先を渡していなかったと思って」
名刺を渡されて、友里は、思わず両手で受け取る。しっとりした紙に、メールアドレスと電話番号と顔写真が入っている。
「これはプライベートの名刺だから、どれに連絡してもわたしに直結なの、良かったら……ううん、出来れば今日中に連絡してね!」
「ええっと、はい!」
「なんで戸惑った感じなの?仲良くして」
ぴえん、という顔で甘えられて、友里は戸惑う。なぜ、尾花紀世に懐かれているのかよくわからなかったが、尾花家の姉弟は、友里にとってなぜかはわからないが、少しだけ気安い気がしていた。弟の駿などは、言うことを聞いて当然とすら思っていた。
「もしかして、紀世ちゃんと駿君、わたしとずっと前に友達だった?」
「ええー、逢ってないわ。今のわたしが、友里ちゃんを気に入ってるだけ」
紀世は手を振って、廊下を小走りに戻って行った。紀世が、友里の懐に入ってきているから、(だから気安いのか……?)友里は一つため息を落とした。
手には名刺が残されている。
優と相談してから、新しい友達を作ろうと思って、友里は制服のポケットにそれを押し込んだ。
「友里!」
岸辺後楽に声をかけられて、一緒に教室へ戻った。
「美人教師と親密じゃん」
「ああ、優ちゃんの元の部活の、友達の、親友の、おねえさん!」
「遠い!!!?」
となりの席の乾萌果が噴き出して、友里の背を叩いて笑う。
川に落ちた原因を作った子の姉だと説明したほうがいいのかもしれないが、友里は黙った。気持ち的には、そのくらいの距離感だった。
「美人だから、そういうのすっとばしてどうでもよくなるけど」
「あら~、カササギさんに言っちゃおうかな!」
「言ってもいいぜ、別になにも揺るがねえし~」
後楽は明らかに動揺しつつ、萌果の言葉を受けてポケットに手を突っ込むとそっぽを向いた。
「カササギが嫉妬したら、抱きしめてセックスで一発仲直りだぜ」
「そんなのすぐ破綻すんだからな!」
萌果が軽く足を延ばし、斜め前の席の後楽の腰を蹴った。
「あの、そういうので仲直りって、ほんとにできるもの?」
友里が真面目な顔で小さな声で岸辺に問いかけるので、乾とふたりで顔を見合わせる。
「喧嘩してんの?」
「ううん!喧嘩したことないし、すごい仲良しなんだけど!」
「ノロケか?」
「もしもそういう時に、そういうことしても、わだかまりが残りそうって思ってて」
「ああ……確かにそうかもねえ」
萌果が頷いて、岸辺がうんうんと言いつつ「?」という顔をして、あっさりと聞いてきた。
「友里のとこってどこまで進んでんの?」
「え!」
岸辺に問われて、友里の顔がみるみる真っ赤になっていく。萌果が友里を背中に隠した。
「後楽と違って、友里は純情なんだから!やめてよ!!」
友里は、優とすっかりいろいろしてしまっている上に、家族にも話をしていて、婚約の状態だというのに、萌果に妙にかばわれて、恥ずかしくなってしまう。ふたりに言うべきか、まだ迷っている。
「乾ちゃん」
「わかってるわかってる、岸辺みたいに赤裸々に話さなくていいから!」
「え、ええと」
「そもそも教室で話す話じゃねえんだわ!」
乾が言うと、近くにいた生徒がそっと目をそらした。
「あ」
友里が赤い顔になって、口を押さえた。
先生が教室に入ってきて、その話はなあなあになった。
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「ねえ優ちゃん、もしかしてわたしたち、高校生の範疇を超えてる?」
今日はただの空き教室で、”放課後15分”の時間を過ごしている優は、隣の席に座っている友里を頬杖をついて見つめながらそう聞かれて、目をパチリとしてから、友里を見つめた。
「ああ……うん、そうかもしれないね」
優は涼しげな表情を友里に見せるが、内心は心臓がバクバクと音を立てていた。友里の神妙な顔つきや、おとなしい態度に、どうしてもそそられてしまう。
「──したくなかった?」
「ううん、わたしが、したかったからいいし、後悔もしてないからいいの」
「っ──、そう、だね」
優は思わず嬉しさがこみあげてきて、口を押さえた。友里の無意識な発言に、自分がどれだけ動揺しているか、友里が気付かないよう何年も修行のような日々を送っていたというのに、思わず仕草に出てしまった。
「ユウチャンカワイイ」
「ありがとう」
不本意だなという顔で、友里を見つめたあと、コホンと咳払いをするが、友里は穏やかに微笑んでいるので、優はまた、友里に恋をしたような気持ちになっていた。
「尾花さんが教育実習に来たの、知ってる?」
「あ、うんそれでね!」
友里は名刺を渡された件を、優に言った。優は、尾花がどういうつもりで友里に近づいているのか計りかねつつ、自分もそのアドレスを登録した。
「一応ね」
「うん、とりあえず、まあ、連絡してみていい?」
(わたしだけを見てって言ったのに)と優は思いながら、友里を見つめる。
「……友里ちゃん好みの綺麗なお姉さんだから、心配だな」
「嫉妬しちゃう?ただの友達だよ。岸辺ちゃんがそういうときはセックスすればいいって言ってたけど、どういう意味?」
「は?!」
優は思わず、友里の声で聞きたくない単語を聞いて、大きな声を出してしまったが、しばらく思案して、答えを吐露した。
「ああ……、ええっと、相手が一番ってことを伝えやすいから?」
しどろもどろになる。優の手を友里が握る。
「不安ならやめとくね」
指の間に指を絡めて、友里は優を見つめた。
「しなくても、優ちゃんが一番って伝えられたらいいのにな。友達と優ちゃんは比べるものじゃなくて、優ちゃんだけ、わたしの一番」
夕焼けに照らされた友里が、輝いて見えるようで、優は胸が締め付けられた。
見つめ合ってしばらく黙り込むふたりは、「しなくても」と言いつつ、くちづけをしたくなっていた。が、今日の教室は完全に誰かが通れば見えてしまう。
優は、自分の指先で友里の唇に触れた後、自分の唇をそっとその指に重ねた。
「わたしも、友里ちゃんだけが特別」
見つめると、友里は赤い顔で優を見つめ返した。
「おうちで、する?」
友里が見つめ合ったまま、お誘いのように瞳を潤ませたが、優はその瞳に魅了されながらどこか他人事のように、うわごとを言うような声で「友里ちゃん、教習所でしょ」と言った。友里が、「今日は休む」と言ってくれるのを期待するような声が出てしまったが、友里が現実に戻るには、充分な威力を発していた。
「そうだったわ」
「ペーパームーンで待ってるから、一緒に帰ろうか?あの喫茶店、勉強が捗るんだ」
自動車教習所のそばの喫茶店で、待つことにして、2人はどこかふわふわとしながら、目的地へたどり着いた。
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