第182話 おともだち
ファミレスのバイト上がりの友里は、ジャージを着て駐車場に佇んだ。一つ欠伸をする。
帰り際、店長に「もしかしたら明後日からのGW、電話するかもだから出られるようにしておいて」などと言われたが、笑顔で「この県にいない」と言った。
大きなバイクが停まっていて、(これが村瀬さんの)と思った。店内の見える大きな窓の中で、望月と、村瀬が仲良く友里に手を振った。友里も振りかえす。村瀬は友里より1時間長く働くので、帰宅が一緒になることはない。
いつもは、出てすぐいることが多い彗の青いSUVを探す。水曜日で、優の家庭教師が長引いていると連絡がきているかもしれないと思い、スマートフォンをカバンから取り出した。
昨夜の、──今朝までの優との逢瀬を思い出すたびに、心臓が早鐘を打つ。授業中も、優と放課後に合流した時もどこか上の空になってしまうような気持ちだった。優も、どちらかと言えば上の空で、友里をそっと見つめては、赤い顔をしていた。その優を思い出すたびに、友里は、「ユウチャンカワイイ」と鳴いてにやにやにまにましてしまう。
「友里さん」
声をかけられ、友里は飛び上がって驚いた。優との妄想の中にいて、ちゃんと服を着ているのに思わず胸を隠すように抱いて、声の方向を見ると、尾花駿がいて、どこかホッとした。
「わたしもう、あがりなんですけど、中はまだやってますよ」
友里が言うと、黒塗りの高級車から、
「あら、友里さんがいらっしゃらないなら、意味がないわね」
サラサラと、屈んだ肩から髪が滑り落ちる。柔和な微笑みの紀世が、そう言うので友里は、(いつみても綺麗だな)と思った。自分の恋人の美しさは銀河いちなので、比べるものではないが、紀世は世間一般で言う美形だとやはり思った。
紀世は車から降りると、友里の手を握った。
「教育実習、どうですか?」
友里が問いかけると、紀世は「覚えることが多くて大変」と微笑んだ。特に興味のない人間の名前を覚えることが大変だという紀世の声に、友里は、他愛もない世間話に頷くときの声で首を縦に振った。
「友里さん、ねえ、ケーキを食べに行きません?」
「はえ?」
友里は、脈略のない問いかけにどこから声が出たのかよくわからない声で、驚く。
紀世はふんわりとほほ笑んで、友里の肩に手をのせた。羽が舞うような美しさだった。尾花駿が、「え」と言った。友里もそちらに気を取られて、ハッと気づくと紀世に持ち上げられていた。
「え!?あの?!」
「まあまあ、友里さん、軽いわねえ、これはたくさん食べないと」
高級車の皮張りシートに降ろされて、友里は面食らう。横に紀世の行動に驚いた尾花駿が乗り込んできて、友里は退路を断たれた。あほの子の駿が、それに気づいたのは乗り込んだ直後だった。
「友里さんごめん!」と叫んで降りようとしたが、運転手が車を回し、駿と友里は寄り掛かる形で、紀世の膝になだれ込む。膝枕のようになってしまった。
友里のおでこの髪を撫でながら、紀世は微笑む。
「シートベルト締めないと、危ないわよお」
カラカラと笑われて、駿と友里は顔を見合わせた。
友里がいた場所に、友里のスマートフォンが残された。待受の優は笑ったままだ。
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優の家庭教師の生徒、早良の父と挨拶をした後、予備校の学長と面会をする流れに遭い、友里のお迎えに遅れた優は、彗の車の中で、村瀬から連絡をうけていた。
『友里さんが、黒塗りの車の中に連れ込まれた』
村瀬から聞いた特徴から、相手は尾花姉弟だと優にはすぐに分かった。村瀬が、アルバイト先から大慌てでバイクで後を追った上に、大きなホテルに入って行ったところで、フロントに入ることを躊躇している弟を捕まえたと言うので、彗にそちらへ向かってもらうことにした。
「駿さん」
「あ、優さん!すみません!!」
チェーンのコーヒー店に入った優は、立ち上がって頭を下げる駿に駆け寄った。村瀬が、のんきにホイップたっぷりの珈琲を嗜んでいるので、優はお礼を言おうと思っていた顔をしかめた。
「だって、暇で」
「友里ちゃんを思って胸が痛くならないのか?」
優に小声でたしなめられた村瀬は、唇を尖らせたあと、友里のスマートフォンを渡した。バイクのそばに落ちていたが、ロック画面が優だったので、気付いたという。バレンタインデーに、ふたりでオムライスを食べた時の写真で、優は、そっとそれを抱きしめた後、丁寧にしまった。
「でもありがとう、おかげでこうしてこれた」
「いえいえ、一緒にバイト先に謝りに行ってくださいね」
「もちろん」
優がそっと微笑む。村瀬は「勝確だわ」と首をすくめた。
「ごめん、うちの姉が!」
「そうだ、駒井さん、ちょっと駿から話を聞いたら、落ち着いたから、俺もこういうの飲んだわけ、駒井さんも座ってよ」
優はあっという間に駿と打ち解けている村瀬に呆れた後、ソファー席に腰を下ろした。彗は車で待っている。
「姉が、友里さんを気に入ってしまって」
しどろもどろの駿に、優は苛立ちを覚えた。つまりは姉のわがままで、友里が無理やりさらわれたことに違いはなかった。どこが落ち着ける話だと、優は村瀬をにらむ。
「いや、普通に、ホテルでのケーキバイキングに誘ったみたいなんですよ!」
「え!?」
「そうなんです、ホテルシェフが、姉のために月1で開催してくれるもので……」
駿は、恥ずかしそうに目を伏せた。
「ね、安心して甘いモノが食べたくなっちゃうでしょ!?」
優は村瀬の笑顔に、頭をおさえた。
「じゃあ、さらわれたなんて、連絡をしてくるなよ。というか、そのホイップを頼む前に、わたしに連絡をするべきでは」
「だって、抱っこされて車の中に入って、スマホ落ちてたらそりゃ。でもあの美人教師の車に乗った!ってだけでも気になるでしょ?」
「この小学生……!!!」
「それ、ひどい悪口に聞こえる!!」
優と村瀬が押し問答をしていると、駿が頭を下げた。
「なんとなくまわりにこそこそいたの、尾花家だったのか」
優は、尾花駿がなにか言う前に、腕を組んで呟いた。
「すみません」
「友里ちゃんが標的とは、思わなかった。なぜ友里ちゃんにそこまで執着を?」
優は、駿が友里に強く従うのか、紀世が、友里に執着するのかわからず駿の瞳を探る。
「俺にもよくわからなくて。恩人だと強く刷り込まれてるのに、いつ刷り込まれたか覚えてない」
「入院中にお見舞いに来ていたら、わたしが覚えているはずだし」
「実際、助けてくれたのは優さんなのに、なぜか友里さんに付き慕わなければならないと思い込むほど、記憶に鮮明だ」
「まあ友里ちゃんが助けたのは、わたしなんだから尾花家は関係ないのだけど」
無駄に、優は張り合う。駿が、少し笑ったので無表情を崩して、ムッとした顔を向けた。
「とにかく、部屋まで案内してもらう。どう考えても連れ去りはよくない」
優の言葉に、駿は素直に頷いた。
「あのー、命の恩人てなんすか?」
のんきな村瀬に、優は、細かな部分は省いて、軽く小学5年生の時の事故を説明した。
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ラグジュアリーな大理石や皮と光で構成された、キラキラと光るスイートルームに佇むジャージ姿の友里は、自分と部屋の作画が違いすぎるなと思いながら、紀世を見つめた。
「まずはケーキを運んでもらいましょ~」
紀世が夜景の映える大きな窓を背景に、可愛い顔でパンと手を叩いた。
「紀世さん」
友里がジャージの前をぎゅうと握り合わせながら、名前を呼ぶ。
「お友達になろうって言ったのに、連絡してきてくれないから、こちらが強引になるのよ」
「それは」
優の可愛らしい嫉妬にあって、友里は言い淀む。
「どうしてわたしなんです?」
友里は、まずそれが聞きたくなって紀世を見つめた。友里は、自分のことを嫌いではないが、自分が紀世に選ばれるような人間だとは思えなかった。
紀世は、首をかしげる。
「わたし、もうすぐ癌で死ぬのに、友達がいないままなのよ」
「!」
シンと静まり返った。紀世は長いまつげを伏せて、友里を見つめた。友里は、視線に耐え切れず、床を見つめた。
「手術なんていやよ、傷も残るのに転移したら意味ないのよ。だったら、死ぬまでにやりたいことを全部やって、死んだほうがいいわ」
友里は、心を読まれたのかと思って、顔をあげると、「ええと」と言いかけるが、紀世が、そっと肩に触れるので、なにも言えなくなる。
「わたしのお友達になってくれる?友里さん、とりあえずわたしが死ぬまで1年ぐらい我慢してほしいわ、今はねえ、やりたいことをする期間なの!」
教育実習も、なにもかも、やりたいことをすべてしているのだと、尾花紀世は続けた。
「そうだ、友里さんを選んだ理由だったわね。友里さんは、怪我をしてまでお友達を助けたでしょう?」
「……」
「それってすごく美しいと思って。命がけで、助けてくれるなんてとても情熱的なのね。わたしもそんな友達が欲しいって、心から思ったわ」
紀世は思いついたように取って付けた理由を話して、友里の手をとって、にっこりとほほ笑む。
(でもそれは、……優ちゃんだったから)友里は言いかけて、しかし相手が高岡であっても、もしかしたら、紀世でも、飛び込んだかもしれないと思った。目の前の困っている人に、差し出す手を、迷うことはないと思った。
「じゃあ、友達になろ!」
声を出すと、紀世がパッと顔を上げた。
「とりあえずバイト帰りで、汚れてるし早く家に帰って、お風呂に入りたいな。あと、駅に自転車を置いてあるから、それを取りに行きたい!あとね、スマホを落としてきちゃったから探しに行きたいんだよね!」
友達でしょう?という顔で、紀世を覗き込んだ。
紀世は、「あははは!」と高く笑う。お風呂は、部屋のモノを案内されてしまい、友里は「うぐう」と唸った。
「今の状況で、全く動じてないみたい。やっぱり友里さんには、わたしにみえてないものがみえるのかしら」
猫足の白いバスタブにお湯を溜めながら、泡を投入して、紀世はニコニコと笑った。ゼラニウムの香りが高く香る。友里は紀世にわからないように、天井を見つめて、優を想った。
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