第174話 むかしばなし
バンザイをしている母親に、友里は恥ずかしくなって顔を覆った。
「もう、おかあさん!」
一気に祝福モードになる母親に、友里はホッとしつつ、母が何を考えているか、やはり測りかねて気が気ではない。母親のマコは、手を下ろし、友里と優にニコリとほほ笑んだ。
「さて、お付き合いおめでとう。そして、正直、恋愛関係はあんまり得意ではないから、人間関係の先輩として、ちょっと、話をしていい?」
「はい」
「優ちゃんは、ちょっとわかってるっぽいけど、言うね。世間とのずれ、今は理解していると思っていることが、大人になればなるほど、重くのしかかる」
「はい」
優だけが頷く。友里は、優を見つめると「あとでちゃんと言うね」とほほ笑まれるので、友里はおとなしく自分の膝の上に手を置いた。
「ふたりが自分たちの気持ちではなく、世間とのずれに耐えられなくなって、別れを選ぶようなことがあったら、私はさみしい。だから、ほんのちょっとでも歪んだら放置しないで、毎回修正して、大きく修復できなくなる前に、細かく手直ししていくことが、人間関係の在り方だと思ってるんだ。関係に甘んじないで、仲良くしてくださいね」
「ありがたいです、けど、本当に、友里ちゃん以外、考えられないので……それはいつもしているつもりです」
「あはは、そっか!よかった!これは、自分に言い聞かせてる感じになってるかも」
マコが言うと、優も笑った。
「もしも友里が、どうしようもないわがまま娘だったら、私が怒るから優ちゃんは、ちゃんと、愚痴るんだよ!?」
「そんなの、しないよ!?」
黙って聞いていた友里が、慌てて言う。
「マコさんには、いつもご迷惑をかけます。これからもよろしくお願いします」
優がぺこりと頭を下げて、これから、大学進学後は一緒に住むことや、お付き合いをしているが、結婚も視野に入れていることなどを、マコに、照れながらもそっと伝えた。
「あんなに、いっつも、友里の病室から出た瞬間泣いてた子が……」
「マコさん、その話は」
優が、慌てて友里の母を止める。友里の母、マコは涙ぐんで、タオルで顔を拭いた。
「いいじゃん、もう、婚約したよーなもんだし。友里が怪我した時の話、まだしてないんでしょ、この際しようよ」
友里は、優と母親がよくふたりで自分を迎えに来てくれるイメージだったので、2人しか知らないなにかがあるとは思っていたが、自分が怪我をした当時の話が始まることに気付いて、思わず襟を正した。
「聞かせてくれる?優ちゃん」
優は、少し迷ってから、こくりと頷いた。
「わたしも、あまりしっかりは覚えてないので、マコさんが、教えてもらえますか?」
優に言われて、友里の母は、戸棚の奥から、醤油せんべいとお茶を出した。
「とりあえず、これでもつまみながら」
ニコニコとほほ笑んでいるので、優と友里も一枚もらう。
「友里が目覚めるまでの2週間、優ちゃんは本当に壊れたみたいになってしまって、アメリカに行ったのね。だから、目覚めた後も、連絡をするのが怖かった」
ごくりと、友里は、息をのんだ。
「友里は、7年間の不妊治療でようやく授かった子だから、やっぱり神さまが返してねって言ってきたのかと思って、私もお父さんも、さようならを受け入れてて、今考えたらまともじゃないんだけど、冷静だと思ってた」
マコがズズッと緑茶をすするが、友里と優は思わずおせんべいを置いた。
「だけど、先生たちが延命を諦めますかって聞くたびに、怖がって答えられなかった。答えを、伝えなきゃいけない日に、取り乱した優ちゃんを思い出して、というか、生きて、って言ってくれたから、生きてほしいって気持ちがすごく強くなって、延命してもらったら、目が覚めたの。何も考えず、優ちゃんありがとう!おかげで目が覚めたよ!!って感じで、連絡しちゃった」
当時のことを鮮明に思い出したのか、マコはタオルで涙を拭いた。
優も少し涙ぐんでいて、友里は自分の事なのに所在が無いような気持ちで、しかし優に泣いてほしくなくて、テーブルの下で優の手をそっと握った。
「嬉しかったです。友里ちゃんが、生きていてくれて」
「ふたりでわんわん泣いたね!お父さんはいなかったから、優ちゃんが、唯一の味方みたいに思ってた」
優がすぐに帰国して、額や目、全身包帯に巻かれて点滴だけで栄養を取っている友里の前では涙も流さず、いつも通り、美しい笑顔で対応しているのを見て、マコは何度も泣いた。
病室のドアを閉めた瞬間、涙が零れ落ちる優を、抱きしめて、病院から2人で泣いて帰ったことも、何度もある。
「そういう日は、ハンバーグのお店で、ふたりでごはん食べて帰るのよね」
「すごくおいしかったです」
「ええ?!わたしも行きたかった!」
「友里は、まだ動けなかったでしょ」
友里が、立ってリハビリが出来るようになったのが、5年生の中頃。そのころの優は失声症が大きく出ていて、マコともうまく話せなくなっていた。
「でも、言いたいことはわかるから、とりあえずふたりで、ハンバーグ食べて、泣いて、笑ったよねえ」
「結局、1年以上、通ったんでしたっけ」
「そう、家に帰ってからもたまに熱出して入院して、中学入るまでは本当、入退院の繰り返しで…友里がやっと、ちゃんと歩けるようになったころ、友里が倒れそうになるたびに支えてくれて、それこそ、騎士様みたいで、かっこよかったぁ」
優をかっこいいと言い張る母親の主張に、やはり相いれないと思う友里だったが、そういう素地があったのだなと、友里は納得はした。
「毎日、マコさんと病院に行ってた時がありましたね」
「そうそう、この間ののぼせて病院に行った時、それ思い出したよね」
ふたりが思い出話に花を咲かせるので、黙って聞いていることにした友里は、自分がいなかった時期の話をこんなふうに聞ける日が来ると思ってもみなかった。過去は「わるいこと」で、安易に話してはいけないと思っていた。自分と優の傷に触れて、傷を掻きむしる行為のような気がしていた。
しかし今、穏やかで朗らかな気持ちで当時を語れるのは、生きていることが素晴らしくて、自分たちが、幸せを営もうとしているからだと気づいて、心が暖まる。
「友里はそうね、あんまり泣き言いわない子だったねえ」
「だって、いつでも優ちゃんがそばにいて、優ちゃんがいることが希望のようで、優ちゃんが、傷を負わないで良かったって思ってたから」
友里が言うと、優はこっそりテーブルの下の指を絡めた。
「わたしのほうが、泣いていた気がします」
優が照れ臭そうに言うと、マコと友里は笑った。
「優ちゃんって、そういえば泣き虫だったよね。わたしの分まで、泣いててくれたのかな?」
優に中学の制服を見せに行った時に、泣かれた思い出がよみがえって、(ユウチャンカワイイ)とこっそり思った。泣くたびにプリンをもっていって、頬をくっつけていた記憶。いつの間にか泣かなくなった優に、たおやかな美しさを覚えた日が巡ってきて、友里はドキリとした。
「ふたりのおかげで、頑張れたんだろうな」
友里が言うと、母と優はふたりで、顔を見合わせた。
「どっちかというと、友里がいたから、がんばれたんだけど」
「そうだよ、友里ちゃん」
「???」
友里は言われて、首をかしげる。
「生きることを、諦めないでくれてありがとう」
「ありがとう、友里」
ふたりに言われて、友里は思わず目を丸めた。
自分の与り知らない部分に、お礼を言われて、戸惑って、涙があふれそうになって、慌てて後ろ髪を前に持って来ると、グッと我慢した。バイト先の匂いが、冷静にさせてくれる。
「そうだ、お風呂入らなきゃ。当時のこと、教えてくれてありがとう」
照れたように立ち上がると、友里はそう言いながら髪をほどいて、優にしばらく待っててねと声をかけて廊下へ一歩出た。
「おかあさん、なんだか、ハンバーグ食べたくなった」
「明日のランチに行こうかね」
「うん!そうだ、あのね」
優と母が、友里の方へ向くと友里はひょこりとドアから顔を出して、小さな声で言った。
「ふたりとも、大好き」
それだけ言うと、お風呂へ走って逃げる友里に、優と母親のマコは目を合わせて、笑いあった。
「あの子あんなに照れ屋だっけ」
「最近ちょっと、照れるときあります。今は泣き顔を見られたくなかったのかもです」
「ふうん、ちゃんと彼女してるんだねえ」
「からかわないでくださいね、もう、うちの家族で手一杯です」
優はマコの言葉に、食傷気味の様子を伝えるとマコは「おけおけ」と言って手をふった。優も、ニコリと頷いて、しかしと首をもたげる。
「お父さんとは、お話しを」
「ああ、あの人は多分、反対するかもなあ……友里が怪我をしたときから、逃げて、逃げて逃げまくってるから……ね。さっきの話は、私の実体験。歪みを逃げて来たから、こうなったんだよ」
マコはうなだれたようになりながら、「直接会話しなければ、大丈夫だから」と添えるが、優が納得していない様子に諦めたように頷くと、今日、友里がバイトから帰宅する前に訪れた理由の一つである、大阪行きの件に、合意する。
「反対されたとしても、うちらみんな味方だからね」
優は、真摯な顔で頷いた。
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