第175話 お手入れ



「友里ちゃん、お風呂ありがとう」

 ノックをしてから入ってきた優は、友里が「あ、まだ優ちゃん見ちゃイヤ」と、裸を見られた時よりも焦った声で隠した布から、サッと目をそらした。


「見ないから、続けていいよ」

 そう言いつつ、友里の背中にピタリとくっついた優に、友里も寄り掛かるように笑った。

「明日朝、ランニングするの?」

 友里は優の言葉に甘えながら、背中にお風呂上がりの優の暖かさを感じつつ、運針を続ける。

「どうしよう、一度さぼると、さぼり癖がつきそう」

 優は、「みてないからね」といいながら、友里を横から抱きすくめ、ゆるく三つ編みをしている髪の間を縫うように首筋に顔をうずめる。

「あ……っ待って、針をしまう、から」

 手に裁縫道具を持ったままの友里の唇を奪って、キスを交わしてから、友里の手が自身に回ってこないことに少しの物足りなさを感じて、優は離れた。

「ごめんね、ほんとに見てないから」

「優ちゃんってほんっと、突然、大胆になるよね!」

「だってそばに友里ちゃんがいるから」

 きょとんとする優に、真っ赤な顔で、友里は針山に針を戻し、丁寧に作業していた布を、作業用カバンにしまった。クローゼットの中にそれらを戻すと、部屋に落ちた多少の糸くずを拾って、優の膝の上へ戻ってきた。


「するの?」

 友里に聞かれて、優は照れ臭そうに笑った。

「友里ちゃん、聞かないと不安なの?」

「だって、心構えというか……!!今日はお母さん居るし、わたしいっぱい声出ちゃうし!!」

「友里ちゃん、おちついて、──いちゃつきたいだけだよ」


 優が照れながらそう言うと、友里はハッとして、カアッと全身真っ赤になった。

「そうだよ、それ!わたしがずっとしたいことだよ」

「うん」

 友里の力説に、優は微笑む。夜も遅いので、電気を消してベッドに入る。4月は終わりに近づき、少しだけ暑い気がして、薄手の布団だけにくるまり、笑い合う。

「だっこだけね」

 パジャマ姿のふたりは、ぎゅっと抱きしめ合って、友里は「へへ」と笑った。

「きもちいい~~、ずっとこうしていたい」

「うん」

 お互いにうっとりとして、衣擦れの音と、息遣いを聞く。穏やかな空気が流れていて、暗闇に慣れた瞳で、眠る前のまどろみを共有する感覚に微笑み合う。


「変な感じ」

「いつもこんなふうだったよ、付き合う前は」

「そうだった?付き合う前のこと、忘れちゃったかも。だって優ちゃんはわたしの太陽で妖精で」

「ひどいな、こちらはすごく悶々としていたのに。友里ちゃんは無防備に、わたしを抱き枕にするから、何度も床で寝た」

「あ、そういえば、よく床に落ちてたね。優ちゃん」


 他人事のように言う友里に、優は片思い中の自分を、自分で慰めた。


「おかあさんの話、つまりちゃんと向き合って確認してってことだよね?」

「うん、いつもわたしたちがしていること」

 優と友里は見つめ合って、微笑んだ。

「お手入れって大事だよね、気持ちってすぐダメになっちゃう気がするもん。優ちゃんは特に、すぐ不安になっちゃうんだから」

「本当はたくさんの好きなものに囲まれている友里ちゃんが普通だと、知ってるから。わたしの気持ちは、友里ちゃんだけだけど」

「わたしだって、優ちゃんだけが、大好きだよ」

「──わたしだけなんて、嘘みたい」


 優は言いながら、友里の首筋にキスを落とした。友里は、少しだけ性的な声を出して、濃い蜂蜜色の瞳を潤ませる。震える声で喘ぎ声を我慢する友里に、ごくりと喉を鳴らしてしまって、優は、いちゃいちゃの範疇を超えた気がした。

「優ちゃん、抱っこだけって言ったのに」

 友里も気づいて、煽情的な瞳と声で、言う。友里がすぐにこうなってしまうようになったのは、完全に優の仕業で、優は、ごくりと息をのんで、友里の体をまさぐった。首筋にキスを落とす。骨に沿って、ゆっくりと舐めあげると、友里はビクリと震えた。

「言い訳するとしたら、去年の9月の誕生日の夜……今と同じようなことしたのに、友里ちゃんは全然気づかなかったよ。でもごめんね、あんまり気付かないものだからどんどんエスカレートして。友里ちゃんはわたしの気持ちには永遠に気付かないと思っていた」

 優が言うと、友里は気持ちよさげにふらつく視線を、優に向けた。


「……一番の仲良しって優ちゃんだけだから、疑えなかったんだよ。付き合ってからも、唇にはキスしてくれないし、わたしに魅力が無いんだと思った」

 次第に汗ばむ友里の体を、優は撫でる。そっと、ナイトブラに包まれた丸い胸のラインに沿って、指を滑らせると、友里の先端に触れた。硬くなっていることがわかって、優はゾクリとする。友里が身をよじると、赤い顔で優を見上げて、少しだけ唇を開いた。誘われるままに、唇にキスをして、背中を持ち上げるように友里を抱きすくめた優は、もういちど「ごめん」と謝った。

「多い……っけど、これからも、いっぱい、してね」

「友里ちゃんは、本当にお誘いが上手い」

 息を荒げながら言う友里に、優は唸る。無意識なのか、狙ってやっているのか優にはわからなかったが、優の気持ちに火をつけるには充分で、想いの限りに口づけをする理由になってしまう。友里を下にして、優は押さえつけるように口づけを繰り返した。


「あん…っんん」


 くちづけをしながら、友里の体をまさぐると、友里は喘ぎ声をあげて顔を横にそむけた。遠慮がちに悶えながら、友里は自分の指を噛んだ。

「っ、……っ」

「友里ちゃん、指が痛くなっちゃうから」

「だって、優ちゃんが、えっちなさわりかた、した。こういうかんじ」

 そう言って友里は、ハアハアと息を継ぎつつ、優の背骨をひたひたと触った。指先ではじくと、優もザワっと下から湧き上がるようなものを感じる。

「友里ちゃん」

「優ちゃんは声が我慢できるから、いいなあ。でもちゃんと感じてる顔するの、かわいい」

「!」


 友里がそっと微笑むので、優はどきりとした。

「……──じゃあ、今日は友里ちゃんがする?」

 小さな声で聞くと、友里は目を丸めた。そして、すぐに友里はワクワクとした目で優を見つめてくる。優は早まったと思った。

「優ちゃん、今日はいちゃいちゃするだけじゃないの?」

「したくないのなら、いいよ」

「したい」

「友里ちゃん、なんて元気な声だ」

 叫ぶように手を上げるので、優は焦って赤い顔になる。


「爪が長いかも、ちょっと切ってくるね」

 友里はゲームで宝箱の在りかを見つけた時のようにはしゃいで、準備にいそしむ。優はやはり早まったと思いながらも、その後を続いた。

「え、友里ちゃん、じゃあお手入れさせて」


 いちど消した明かりをつけて、優は友里の爪を丁寧に磨く。


「なんだか、えっちだね、優ちゃんがわたしの爪を、キレイにするの」

「友里ちゃんって緊張するとはしたない冗談を口に出すよね、よくないよ」

「だって、かわいい。丁寧にするほど、いっぱいしてほしいのかなって思う」

「……」

 部屋に、やすりの音だけが響く。チラリと友里を見た優の、沈黙がこたえな気がして、優はもちろん、ふざけた友里も真っ赤になった。



「はい、終わり」

 ふうと爪先を吹かれて、友里はピカピカの指先に感動する。「優ちゃんは器用だねえ」とほほ笑んで、綺麗になった指先で優の頬を撫でると、頬にキスをした。

「いちど洗ってくるから、待っててね」

 優は、手早く去って行く友里の後姿を見送って、自分の短い爪もすこしだけ見た。


(5時のランニングは、やはりさぼることになりそうだな)などと考えて、(いやいや、すぐ終わるかもしれないでしょう)と自分の考えを消した。


 そうこう考えているうちに、友里が部屋に戻ってきた。優は何度も恋をする気持ちで、友里を迎え入れた。


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 冗談のように始まるものかと優は思っていたが、思っているよりもそっと友里がそばに座り、エスコートするように、ふわりと、まさに羽のような動きで優を誘うので、「優のほうが声が出ないから」と始まったはずなのに、いつもよりも声が出そうになる。


 いつもの友里が、ドンと大皿料理を差し出す定食屋だとしたら、今日の友里は、まるでフランス料理だ。一品一品は小さく、小ぶりでも、ひとつひとつが洗練されていて、その都度、喜びや驚きを与えてくる。前菜だけで驚いてしまって、メイン料理の前に、優は果ててしまいそうになる。


「どうしたの友里ちゃん」

 思わず、問いかけるぐらいには、驚いていた。

「優ちゃんが、ううん──駒井先生♡が前に教えてくれた通りに、してるの」

 わざわざ言い直して、友里が『駒井先生』と言うので、いつかの、欲望のままに友里を抱いた日を思い出して、優は顔を紅潮させた。

「いちど教えただけで、上手くなっちゃうの?器用だな……」

「わたしに、同じことして良いって言ったでしょ」

「言いました……」

「優ちゃん先生が指先をお手入れしてくれたから、こんなこともできちゃうよ」


 優はおとなしくなって、友里の好きなようにさせる。


 友里が興奮した瞳で優を見つめながら、撫でるので、優はさすがに声を抑えられない。友里がしている、というだけで背徳感がすごくて、何度も思い出してしまいそうだと思った。

「……っ……あ」

「優ちゃん……すき」

 友里は、リップ音が鳴るような軽いキスを、優の唇におとした。

「……優ちゃん、舐めてもいい?」

「うん?いいよ」

 優は唇の事かと思い、先日から、友里がハマっているのかと思って微笑ましく返事をした。ガバリと下へ向かったので、「!?」として思わず起き上がる。

「かわいい」

「ちょ……!え」


 優は初めての衝動に戸惑いを隠しきれず、当初の目的としては静かにするためのものだったというのに、たくさん騒いでしまって、楽しいはずの、友里の母親とのハンバーグランチもどこか気まずく。

 お手入れは、ほどほどにしようと思った。

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