第171話 パステルカラー


 優と婚約してから、家の中でも、学校でも、友里はどこかふわふわとした世界にいて、世界がパステルカラーのマシュマロで出来ているかのようだった。

 友里は、優からの連絡を受けて、視聴覚室の前の廊下にいた。鍵が閉まっていて、入ることが出来ない。以前ここで、大変なことをしてしまったことがあるため、(今日も、もしかして)と思って、照れてしまう。ペットボトルのお茶を飲んだ。

「ごめん友里ちゃん、遅れた」

 優の姿を見つけて、友里は笑顔になった。優は視聴覚室のカギを開け、友里を中へエスコートするように腰をもって運ぶと、鍵を閉めた。


「優ちゃん」

 いう前にキスをされて、友里は目の前に星が飛んだ。

「逢いたかったから、焦った」

 めずらしく優のキスが短くて、友里はすこしだけ物足りなくなる。額に汗を浮かばせて、優が走ってきてくれたのだから、なにがあったのと聞いて、その話を聞きたくなるが、それよりも口づけをしたいような気持ちに踊らされていて、やはり、またパステルカラーのマシュマロに囲まれているようなポワンとした感覚になってしまう。


「優ちゃん、大好き」

「わたしも」

 優がストンと椅子に腰を下ろし、友里も膝に乗ろうとして、妙に照れてしまう。

「う」

「どうしたの?」

 優が立ち上がって、友里を後ろから抱きしめ、そのまま座った。

「急に恥ずかしくなっちゃって」

「どうして?結婚するの、いやになっちゃった?」

 優からそう言われて、友里は破顔してしまう。

「いやになるわけない!夢じゃないよね?」

「うん、嬉しい」

 うっとりと優が微笑んで、くちづけをする。またスッと優が離れるので、友里は「あれ?」と口に出してしまうが、優が笑顔で友里の首あたりに顔をうずめてうっとりとしているので、『物足りない』などと口に出せるわけもなく、可愛い優を抱きしめた。


「……」

「そうだ。高岡ちゃんに言った?」

「あ!」

 友里は慌てふためく。スマートフォンを抱え、メッセージを見ると高岡に昨日のうちに連絡をしてあって、何通も返事が来ていることを発見した。自分に呆れるような声で、友里は優を見つめる。


「優ちゃん、わたし、夢遊病かもしれない。なにか言ってた?」

「あはは、まあ、色々……お叱りと、祝福と……」

 優は高岡からの諸々を相談しようとしたが、友里の百面相に耐え切れなくなって、笑った。

「どうしたの」

「だって、世界がマシュマロみたいにふわっふわなの。優ちゃんはなんだか冷静ね」

「わたしだってそうだよ、友里ちゃん。必死に冷静になろうとしている。一日逢えないのが本当につらい。毎日抱きしめて、授業が受けられたらいいのに」

「そんなの、恥ずかしくて死んじゃう」

「死なないで」

 優は友里のふざけた死の言葉に、いつも素直に「死なないで」というので、友里は優の腕をそっと撫でた。


「優ちゃんより先に、死なないから安心して。おばあちゃんになって、もしも死んでしまうとしたら、この世界の楽しいこと全部やりつくして、ふたりでひなたぼっこして気持ちいいね~って笑いながら眠って。でも優ちゃんのいない世界は耐えられないから、すぐお迎えに来てね」

「うん」

 友里は優に真正面になるように優の太ももを自分の太ももで挟んで座ると、優を見つめる。見下ろす形で、優を見るのが新鮮で、見上げる優の瞼や頬の光の粒の一つ一つに、友里はうっとりとしてしまう。

「ねえ優ちゃん、キスしたいんだけど、いい?」

「もちろん」

 見上げる優も、友里に熱を帯びた瞳を向ける。

「そのつもりで、この教室借りてるの?」

「うん、ここが一番いいかなと思って」

「えっち」

 優は友里の、からかうような言葉にごくりと喉を鳴らした。

 掻き抱くように友里を自分に寄せると、唇を奪う。

「待って、わたしがしたい」

「うん」

 友里が言うと、唇を合わせたまま優は手を離した。瞳を閉じて、キスを待つ。友里が、優の頬を撫でて、そのまま両手で優の小さな頬を包むと、ちょこんと唇を当てる。優の口角が上がった。

「優ちゃん、かわいい」


 ::::::


 友里の小さな舌が、優の中に入ってきて、優はビクリと震えた。

「ん……」

「下手かもだけど、ちょっとがまんしてて」

「友里ちゃん」

 優はくらりと視界が揺れて、熱を帯びる。優の首の後ろに手を回して、友里はそっとそっと、優の口中を舐める。

「待って友里ちゃん、だって、わたし、友里ちゃんがソフトクリームを舐めるのすら、耐えられないのに」

「?」

 友里は、優の言葉に首を傾げつつ、優が喜んでいることに気付いて、そのまま行為を続けた。

(ソフトクリームを舐めあげるのすら、無理で「スプーンで食べて」とお願いしているのに、自分の口の中を舐めているなんて)と優は思うと、心臓が爆発しそうで、好奇心で瞳を開くと、必死に優にしがみ付いて、気持ちよくしようとしている友里が飛び込んできて、またごくりと喉を鳴らしてしまった。


「い、以上です……」

 ハアハアと息を荒げて、友里が照れ臭そうに言った。

「……」

 優は余韻に浸るように、瞳を閉じたまま、友里の呼吸音を聞いていた。友里の胸に、耳を当てて、心臓の音を聞いた。ドキドキと音が大きくなっていて、「これが好きの音」かと思うと、恥ずかしさと多幸感で震えた。


「大変だよもう、バイトの時間!」

 キスだけで15分がとっくに過ぎていて、友里は優の膝から慌てて降りた。優は、時計を見て、しかし名残惜しくなり、ジャケットを羽織る友里からそれを奪い、そでを通す手伝いをしながら、お誘いをしてみた。

「友里ちゃん、今日、友里ちゃんのお家に行ってもいい?」

「もちろん、21時過ぎに帰るね」


 ニコニコとしていると、友里がソワっとしたので、優は「?」という目線を送った。

「あのね、今日のブラが新作だったの。今日、見てもらえると思ってたけど、帰ったらね」

 チラリと胸に近い3番目のボタンを、友里はあっさりと開くと、グレーや水色の下着を好む友里の丸い胸元が、ピンクのパステルカラーで彩られていた。

「友里ちゃん!」

 優は思わず、せっかく我慢したモノをこじ開けられたような気持ちで、大きな声を出した。

「はしたないね、ごめん!」

 しかしそれに気付かない友里が照れたように、あははと笑ってキャミソールを正確な位置に直すと制服のボタンを留めた。優は、はあと深いため息をついた。


「まだ淑女だから、怒ったと思っているの?」

「そうじゃないの?」


「もう、──いい加減、気付いてよ」

 友里を抱きしめると、優は友里を見下ろした。友里も、優の胸に両手を置いて、見上げる。

「友里ちゃんのこと、大事にしたいけど、煽情的な仕草をされると、友里ちゃんにその気がない時でも、誘われているような気分になってしまって、我慢できない」

「えっちな気分になるってこと?」

「──そう」

「誘惑してるときはノッてきてくれないのに」

 友里がモジモジというので、優は友里の襟足を撫でた。

「誘惑しているつもりなの?いまのブラは」

「さっきのはただ、みせたかっただけで……キスは、頑張ったんだけど」


 優は、赤い顔の友里を見つめる。つまり、友里が頑張ってくれているから見守っていたが、優からも、しても良かったと言われて、「ああ」と、テスト終了後にケアレスミスに気付いた時のように唸った。無性にやり直したくて、優は友里を抱きしめる。

「友里ちゃん──」

「あ!だめだよ!?もうほんとに、電車に間に合わないからね!?」


 ぐっと顔を近づけるが、友里に唇あたりを手で押さえられて、優はじたばたした。

「いちどだけ」

「だめ、優ちゃんのキスが多いのは、知ってるんだから」

 赤い顔の友里に言われて、優はしかし、いつもなら受けいれてくれる友里と変化してきた気がして、嬉しくなってほほ笑んだ。

「じゃあ、夜に」

「う……はい。優ちゃんだって、無意識のお誘いすごいんだから、自覚してね」

 変わっていく関係が嬉しくて、優は友里のポニーテールの襟足を撫でた。友里が「ひゃ」というので、(これかな?)などと思った。

 今まで何年も、友里は一切、気付きもしなかったのだから、これから、どんどん気付いてほしいと思いつつ、今後は友里に黙って色々なチャレンジが出来なくなるかもしれないとも気付き、(チャレンジ失敗しても、可愛いところが見れるかもしれないからいいか)などと不純で、やはり淑女ではないと自分を嗤いながら、「はい」といい子の返事をした



 ::::::


 友里をバイトに送り届け、優も予備校で早良美好さわらみよしの家庭教師の仕事をした。

「駒井先生って、尾花さんと関係あるの?」

 優は、尾花の名前が出てドキリとしながら、冷静な態度で丸付けをし、直す部分の根本的な考え方の違いについて説明をする前に、時間枠で対応しているため、私語は慎むことなどを念頭に、「どうして?」と聞いてみた。

「駒井と尾花が統合するかも、ってお父さんが言ってたから、先生のことかなって思って」

「聞いてないよ」

 優は嘘ではないが、本当でもない事を言う。

「そっか、まあ、適当に頑張ろうね、家のしがらみ」

 中学3年生の早良に、あきらめたように言われて、優はそっと微笑んだ。

「かぁ~~!ほんとヤバいよ先生、顔がいい!!マジでうちのクラスの子、ガチ恋いるからね!?この間のピクニックから、写真とって来いってうるさくてさぁ」

 大人びた表情から一変する早良に、優は「私語は慎もうね」と一喝する。


「はぁあい!」


 ピンクのパステルカラーのシャーペンで必死に証明を書き込む早良を見つめながら、優は自分が思っているよりも、大きなうねりの中にいるのかもしれないと思ったが、今は早良の学業を見守ることに専念した。

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