第170話 宣言


 制服姿の友里は、優が作った和朝食を駒井家でいただいた後、日本茶を飲みながら、まだ朝の7時、静かな鳥のさえずりを聞いた。(もしかしてまだ夢の中だったりして)と、普段は、まだまどろみの中にいる友里は思った。

 さきほどまで、友里の家で興奮のるつぼにいたはずの優は、たおやかで涼し気な所作で駒井家の家事を行っている。(ギャップがかわいい)友里はまだすこしだけ残る性的な熱を制服の下に隠しつつ、優を見つめた。早い時間の電車は乗り遅れたので、ふたりして、学校まで、彗に送ってもらうことにした。


「ねえ優、尾花家となにかあった?」

 優と、母の芙美花がいつもの朝とは違う話をしているので、友里、朝の支度をしている優の父と、家事をしていた兄のすいも、思わずそちらに目線を向けた。

尾花駿おばなしゅんさんと顔見知りになったよ。同級生の知り合いで」

「優、もしかして」

「うん、聞いた。わたしたちは、彼を助けたんだね」

「……ずっと隠しててゴメン」


 芙美花が、布巾であたりを綺麗にした後、エプロンを外して席に着いた。

「緊急家族会議しましょう」

 すこしだけ物々しい雰囲気に、友里は驚いて(自分も参加してていいのか?)という顔で優を見た。優も、首をかしげているが、「友里ちゃんも同席してほしい」と参謀本部長のような芙美花に促され、襟を正した。


「尾花家から正式に、恩人として招待を受けました。しかし、これを断ると、荒井家の支援を続けていただく条件を、反故にされそうです」

「え……?」

 優は怪訝な表情で芙美花を見つめた。


「もともと、尾花製薬に、友里ちゃんのお父様は勤めていたのだけど、尾花家の子息を友里ちゃんが助けたということで、大阪支社長になっています」

 優は頷く。友里は初めて聞いた家庭の事情に、戸惑ったが、黙って聞いている。

「駒井家は、優への謝礼などはすべて断ってきました。関わりも、なにもかも。だけれど、優と尾花家の長男である駿くんが、個人的にお友達になったのなら、話は別だと」


「……?」


「優と、駿君を許嫁にしてはどうかと、打診を受けました」

 芙美花は苦虫をかみつぶすような顔で、ギリリと言った。

 優と友里は顔を見合わせる。あほの子が、言っていた絵空事だ。


「ぜったい断ってほしい、なぜ助けた側が、条件を突きつけられるのかわからない」

「優さん、正解。わたしもそう言って、お断りしました。一切、関わってほしくない、と」

 芙美花は「はあ」とためいきをついた。態度が参謀本部長から普通の主婦に、急にくだける。

「そしたら、『こちらの好意を断るのなら、尾花家が行っていた、荒井家への援助もすべて断絶だ』って言うのよ。うちの製薬会社とも、お父さんの病院への衛生用品の仕入れも全部やめにするって。なにそれ、馬鹿じゃん、切っても尾花にデメリットしかないのに、一時の感情で反故にするなんて社員が可哀想。優、どんだけ尾花さんに気に入られたの?」


 芙美花がようやく優に聞きたいことを言った。


「尾花駿さんは、友里ちゃんの家から深夜に帰宅しているし、この件には関わってなさそうだということしかわからない」


 優はいたって冷静に言った。

「そうね、昨夜の21時に来た連絡だから、関係なさそうだわ」


 「そもそも婚約の打診を夜半にするのもどうか」という芙美花の叫び声を聞きながら、友里が心配そうに優を見つめている。優は、友里の肩を抱いた。芙美花がふたりを見てそっと微笑んだ。


「……こんな時で申し訳ないんだけど、言いたいことがある」

 優は友里を見つめ、「言ってもいい?わたしたちのこと」と小さく、少しだけ不安そうな表情で友里に問う。友里は目を丸くした。優をじっと見つめたまま、こくりと縦に頷いた。

「幼馴染の関係として、だけでなく、友里ちゃんの怪我に責任を取りたいということだけでもなく、わたしは、友里ちゃんが大切でかけがえのない存在だと思っている。ふたりで、人生を、えらんでいきたいし、これからの人生で、友里ちゃんがいないことは、耐えられない」

 父は、湯飲みをコトリと置いた。ふたりのことを知っている彗が、頷いて、見守っている。


「友里ちゃんと、正式にお付き合いさせてもらってる。結婚は友里ちゃん以外考えられない」

「!」


「知ってました。おめでとう、末永く幸せにね」


 冷静な芙美花に「に」っとほほ笑まれて、優はさすがに、意を決して宣言したのに、あっさりしすぎていて拍子抜けするも、(やはり知っていたか)と唸ってから「はい」と言った。多分この場で、一番驚いているのは、友里だ。真っ赤な顔で優にしがみついた。


「──、結婚って優ちゃん」

「したくない?」

「したいけど!あの……いいの?嬉しいけど、その、だって」

「もっとちゃんと、プロポーズはさせて。その時に、NOでも大丈夫だから。でも今、言っておかないと、よくないと思って」

 優は友里の指を握り、友里を見つめた。

「大好きだよ、わたしと一緒に生きて」

「!」

 優の言葉に、友里は真っ赤な顔で少し震えてから、優の胸に飛び込んだ。しかし、家族の前だと気づいて、離れそうになったが、優に抱きしめられて、その胸におさまったままになる。

「わたしも大好き」

 うっとりと見つめ合って、友里の髪を撫でる優は、友里の瞳に涙があふれていく様子を、しばらく見つめて、持っていたハンカチで友里の涙をそっと抑えた。


「まって!父は知りませんでした!!」

「嘘でしょ!?あんなに友里ちゃんを溺愛してるのに!?」

 優が友里を抱きしめたまま、そっくりな顔で、父親に聞き返した。

「……じゃあ、あの、洋食屋、ほんとにひどかったねええ……!ごめんね友里ちゃん」

「あの時はまだ、わたしの片思いで」

 優の誕生日にプレゼントのラッピングを勝手に開いてサプライズパーティを台無しにした事件を、友里がもうわだかまりはないと手を振って答えると、「は?なんでこんないい子に片思いをさせておくの?優、はやく付き合いなさいよ」と低音で優の父が言った。

「過去のわたしにアドバイスしてきてよ」

 優はとんちのような事を言う。

 パンと芙美花に開手ひらでをされて、優と父親はハッとする。


「はい、友里ちゃんと優がめでたく婚約をしたので、他とのお約束は絶対にありえません」

 体を友里に向けていた優は、座面を正しく座り直して、母に向き直った。

「優の今年の目標は、友里ちゃんと仲良くいることだものね」

(そうなの?)と、友里に見られて、優は少し照れつつ頷いた。


「うちの子たちの人生を軽んじた行為、私は大変怒っているので、歯向かうつもりです、がしかし単純に喧嘩を買うのでは責任が伴わないので、諸々弁護士さんと相談の上、行う予定です。向こうも打診ですべて断られて、カッとなったのかもだしね。追ってご連絡しますので、各自、清廉で」


 丁度朝の7時半になり、芙美花の報告は終わった。

 友里は、優を見つめる。優が友里の手をそっと握るので、友里は胸が躍ってニコリとほほ笑んだ。

「かわいい」

「優ちゃんのほうがかわいい」


「さてふたり」

 芙美花さんに声をかけられて、優は、「はい」と言った。

「結婚はいつごろ?」

 通常の予定を聞く態度で芙美花が言うが、友里は真っ赤になって答えられない。優が、「友里ちゃんとふたりで決めるものだから」と添えつつ、優自身の気持ちを、友里に伝える体裁で母に向き合う。

「わたしの生活基盤が出来た頃が良いかな。でも在学中、出来れば一緒に住みたいので、援助はしてほしい」

「もちろん、援助は惜しみませんよ。親の気持ち的には高校卒業したらすぐだね。挙式の時期を聞いたほうがいいかな」

「フォトウェディングでいいかなと思っている。知り合いがとっても素敵に撮ってくれて」

 優の笑顔に、友里も頷く。キヨカと真帆の柏崎写真館だ。

「おかあさんは、いや」

「は?」

 芙美花が、青い炎をまとったような風体で言った。

「おかあさんは、優と友里ちゃんを着飾らせたい!みせびらかしたい!ブーケトスしたい!!青い海をバックに、ベールをなびかせたい!!」

「おちついて?」


 優は芙美花のノリに慣れているので呆れ気味だが、友里は戸惑う。イベント事が大好きな駒井家で、結婚式は一大イベントらしかった。


「親族間でいいから、海の見える式場を借りて、やりましょう!?」

「まだ、友里ちゃんの家に、言ってないよ」

「え?遅いね、優は」

 芙美花が膨らんだ風船の空気を抜かれたような、(せめて盛大に割ればいいのに)とでもいうような、呆れた顔で言う。しかし優は、準備不足のところは、尾花家というイレギュラーな出来事があったので許してほしいと思った。


「うちは、きっと、どうでもいいって言うと思う」

 学校へ行く支度をしながら、友里がポツリと言った。が、芙美花がサッと手を振る。

「そんなわけないでしょ、うちの夫を見たでしょう?友里ちゃんを射止めた馬の骨が自分の娘で嫌味をいうしかなかったけれど、本当にショックだったみたい。今度の休み、ゴールデンウィークにでも大阪にふたりで行ってらっしゃい」

 芙美花に言われて、友里は(優ちゃんも娘では)と思ったが優は「がんばる」とこどものようにこぶしを握るので、その話題には踏み込まないようにした。そして、友里はすこし、緊張気味に口を開いた。

「……あの、本当にいいんですか?」


 芙美花は友里の瞳を見つめた。揺れている友里の気持ちを汲むように、手をそっと取ると、頷いた。

「優をよろしくね」

「──はい!」

「反対してほしいなら、するけど」

 彗と同じのようにからかわれて、親子だと思ったが芙美花の方が何百枚も上手そうで、本気で反対をされたらどうなるのかと、友里は震え上がる。不安は拭われて、優と友里は、ホッとする。

「わたし、優ちゃんのドレスを作りたくて」

「ああ、言ってたわね。服飾学校に行くんだっけ」

 芙美花に言われて、友里はすこし照れつつ、優のウェディングドレスを作ることが夢だと言った。

「若いうちのほうが絶対いいって思うんですけど、出来るようになるまで、お式は待ってほしいです」

「そうね、大事だわ。世間様が言う若いうちって言うのは、体力があるうちって意味よ。結婚式は、体力勝負なとこあるから。友里ちゃんが納得できるドレスが出来るまで、お式の計画が立てられて幸せよ。そして優は、お式前に友里ちゃんに逃げられないでね」

「はい。一生がんばる」

 友里にとっても、そうだと思い、そっと手をつないだ。

 優が応えるように握り返して、友里に微笑んだ瞬間、友里はじわじわと「婚約」の実感が増し、内側から大きな幸せがこみあげてきて、あふれ出て、溺れてしまうような気持ちに襲われた。

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