第168話 悪いとこばかり真似する


 お互いに涙する重義と尾花を見送って、荒井家は、シンと静まり返っていた。

 深夜1時。

 優と友里が、こんなに沈黙の時を過ごしたのは、初めてだと思った。


 友里は、お風呂上がりの優を抱きしめた。優も、応えるように友里の背中に手を回した。

「……」

「重義さんたち、残念だったね」

「まさか、今日結論を出すなんてね」

「命の恩人パワーも利かなかったねえ」

「あはは、尾花さん、なんで友里ちゃんにあんな弱いんだろ」

「実際は優ちゃんが助けてるのにね?わたしが怪我したからかな」

「……どういう流れなのか、ぜんぜんわからないや」


 寝る寸前のような、小さな声で、お互いの熱を感じながら、友里たちは言葉を交わした。友里の家族に聞けば、尾花家との関わりもわかると思うが、今は、お互いの気持ちを確認するように、抱きしめ合っていたかった。


 未来のために恋を諦めたふたりの姿が、脳裏から離れなかった。


「優ちゃん、大切なことのために、なにかを諦めたことある?」

 優は小さく頷いた。

「優ちゃんは、わたしが知らないこといっぱいあるのかな、嫌わないから、いつか教えてね」

「……ないよ、ほとんど言ってる」

「嘘つき~!」

「うそつきなわたしも?」

「あはは、あいして!!」


 いつか友里が言った言葉を優が真似するので、友里は照れたように笑った。

「やっと笑ってくれた」

 優が、友里の前髪を撫でるようにそっと手を添えた。

「うん、ちょっとショックだったみたい、ありがとう待っててくれて」

「友里ちゃんの笑顔を、ずっと見ていたいよ」


 唇を合わせて、しばらく、角度を変えながら、優の名前と同じやさしいキスを重ねた。呼吸が荒くなる寸前で、友里は優の首に手を回した。


「……わたしは、優ちゃんの未来ごと欲しいよ」

「うん、わたしも、友里ちゃんを離してあげられない」


「ん」


 深いくちづけを交わして、友里はすこしだけ涙が出た。性的な涙だとも思ったが、ポロポロとこぼれた。

「なんだか、悲しい」

「うん」

「他になにかできたかなあ」

「充分すぎるほど、頑張ったと思うよ」


 その日は、くちづけだけを交わしあって、抱き合って眠った。


::::::::


 優が朝5時に目覚めるまで、友里は優を抱きしめていて、優は自分が悲しい時は優も悲しいと思っている友里が、柔らかいもので包んでいようした心遣いを感じて、その腕から離れることを惜しんだ。

 衣擦れの音がして、友里の瞳が開いた。濃いはちみつ色の瞳に見つめられるたびに、優は彼女に恋をする気がする。


「優ちゃん、おはよ」

「おはよう、友里ちゃん、早いね」

「なんとなく眠りが浅くて……ランニング行くの?」

「うん、でも、友里ちゃんと離れたくない」

 優は、友里を抱きしめて、たおやかな胸に甘える。友里は「カワイイカワイイ」と鳴いて、ごろごろと優をきつく抱きしめるので、骨のほうまで頬が埋まって、優は少しドキリとした。


「じゃあ一緒に走ろうか?」

 優のルーティーンを邪魔したくないのか、友里が言い出して優は目を丸くした。友里と走るのは、長年の夢だったので、優は、はしゃいで飛び起きた。

「うん」

「え、優ちゃん、そんなに嬉しいの?カワイイ!」

 友里は、子どものような優にときめいて、一緒に飛び起きると慌ててジャージに着替える。優は、友里の家に置いてあったジャージに着替えた。


「昨日の尾花さんのジャージ…」

「ああ、面白かったね」

「ううん、わたしも優ちゃんに返す時、迷いそう」

「ないように気を付けたいけど、わたしのかわりにここにいさせて」


 優は言って、ハタと思い出した。

「そういえば、友里ちゃんが14歳のわたしの誕生日に時に作ったシャツ」

 優のつぶやきに、友里はビクリと体を震わせた。「ねえ」と優に言われ、友里は優と目を合わせない。

「ちゃんと渡すって言った」

「だ、だって……あの後、見たらホントにひどかったの!!!縫製はロックミシンのみの荒い既製品、ボタンは、ボタンホールにあってないから止めづらいし!優ちゃんの体型も考慮されてないし!!ほんと、ひどいの!!はずかしい!!」


 友里は、顔を抑えて悶える。悶える友里を、優は心底可愛いと思った。

「でも友里ちゃん、友里ちゃんの愛がこもっているんでしょ」

「愛……そ、それは、まあね」

 恥ずかしげもなく愛を語る優に、友里は照れつつこくりと頷いた。

「そのころから、わたしを好きだったと、思ってもいいの?」

「あ、あ。うん、たぶんね?あの……ちかくない?」

 屈んでいる友里の背後から、なまめかしく、優が問いかけるので、友里はドキドキと心臓がたかまった。耳辺りに、優の吐息が当たって、友里がすこしだけビクリとすると、その反動で優は屈んでいる友里をすっぽりと抱きしめて、膝に乗せた。


「早くランニング行かないと、時間になっちゃう」

「ううん、先に貰わないと、またなあなあで隠されちゃう」

「優ちゃん、いつにも増して強引ね??」

「友里ちゃん方式」

 言われて友里は、自ら椅子になっていた優にくるりと顔を向けた。

「わるいところばっか、真似する!」

「ぜんぶかわいいところだよ」

「!」

 ぴ!と小鳥が鳴くような小さな声が友里からして、優は思わず笑いそうになるが、真剣な姿を見せていたくて、友里をじっと見つめ、顔が近いのを理由に、キスをした。口づけが終わると、友里はうっとりとした顔で口を開いた。

「──笑わない?」

「もちろん、一番の宝物にする」

「でも、モチベーションになってるから、手元には置いておきたいの、見せるだけでもいい?」

「うん」

 友里は、しぶしぶと立ち上がった。


 クローゼットを開くと、トルソーをどけ、小さなカラーボックスの中に、シャツがたくさん入っている箱を友里はそっと取り出すと、中から防虫ケースに入っているモノを出す。儀式のように、流れが決まっていて、優は何度もそれをしたのだと思った。


「これ……」


 友里が用意してくれるシャツとは、明らかに手触りから違って、優ははにかんだ。

「あ、笑った?!」

「ううん、嬉しくて。今受け取れて、本当に良かった」

 友里の言う通り、全てが手探りとわかるシャツだ。今の友里が作ったモノと比べると、現在、どれだけ優の着心地を考えて布から縫い方から、細心の思いやりをしているかがわかる。そのどれもない、ただボタンだけがキラキラと輝いているシャツにも、優を想う気持ちが縫い込まれていて、微笑ましく愛おしく思う。

「?」

「あの時のわたしが、受け取っていたら、意味なんて全然分からなかったかもしれない。友里ちゃんが、どんなにわたしを想っているか、すごく伝わった」

「悪い意味に?」

「ううん!なんで。すごく良い意味。かわいい。やっぱり、これ欲しいなあ」

 友里は、首から耳から、顔を真っ赤にして優からシャツを奪おうとして慌てた。優は、サッと体を翻す。

「やだ恥ずかしいから、絶対無理。欲しいなら、同じの作る」

「まだ待って、もう少し堪能したい」

 優にまた言われて、友里はすこし、照れたように額を掻いたあと、優ごと抱きしめる。

「優ちゃんすっごく嬉しい、ありがとう。そう思ってくれるのは、優ちゃんがわたしを大事に思ってくれるからだね。大好き」


 友里は優をじっと見つめた。優が、喉をごくりと鳴らす。友里から、優の唇に口づけを落とした。チュっと何回もリップ音を鳴らしたかと思うと、下唇をそっと食んで、小さな舌先で唇を撫でる。

「あ」

 柔らかなくちづけは、優を魅了する。くらりと脳が揺れて、昨夜から何度も体を重ねず、しているキスのせいで、優は友里に耽溺しているかのようだと思った。


 手に持ったシャツを手早くとられて、優はハッとする。

「あ」

「うはは、また今度」

 悪役のように笑いながら、友里はシャツのそでで「バイバイ」と手を振る。まだどこかふわふわとした唇の名残を抱えながら、優はクローゼットと、友里の背中を眺める。チラリと茉莉花から送られてきたらしき段ボールが見えた。優に言わないだけで(そちらとも交流はすすんでいるのだろうか?)優は、恋人の全てを知りたいと思うけれど、友里は、秘密主義の部分が多い。


(自分は、聞かれたら答えるのに)


「そういえば友里ちゃん、茉莉花から送られてきたものたちは、使ったの?」

「は!?なんにも使ってないよ!?」

 証拠だよと、茉莉花からの段ボールを開く。新品のそれらを見て、優は「ふうん」という顔をする。

「あの……」

「ん?」


「優ちゃんって、ひとりでとか、したことある?」

 友里に問われて、優は戸惑いつつも頷いた。

「普通のことでしょ」

「あ、ああ……そうなんだ……わたし…………」

 歯切れ悪くごにょごにょというので、優は(思った事なんでも言うのに、こういう部分は照れるんだ、かわいいな)と思ったが、友里がぐうっと目を閉じて、真っ赤な顔でいるので、発言を待ってみた。

「わたし、したことないの」

「……、え?」

「あの、待って、ちがうの」

「したことないの?ひとりで?」

 優に問われ、友里はカアッと頬を紅潮させた。


「でもあの、夜とか、優ちゃんを思い出すことはあるって言ったでしょ?!それだけで結構満足しちゃうっていうか、触んなくても平気っていうか、え、したことないと、おかしい?」

 汗をかきながら、友里が言うので、優はしばらくフリーズしてしまう。心臓が、バクバクと音を立てて戻ってくると、一気に理性を失ったようになって、優はくらりと額をおさえた。

「友里ちゃん……」

 優が、名前を呼ぶと、友里は頬を手でパタパタと仰ぐ。

「ああもう、はずかしい!あ、優ちゃんもう5時半だよ、はじめてランニング一緒に……!きゃあ」


 ひょいと持ち上げられて、ベッドに押し倒されて、友里は思わず悲鳴を上げた。優は心臓がうるさすぎて、友里の声が聞こえていない。

「び、びっくりしたあ」

「友里ちゃん、かわいい」

 頬や首筋、いろいろなところにキスをすると、友里がふざけたような声で優を力のこもっていない拳でぽくぽくと叩くので、優はその拳にもキスをした。

「もう!子どもっぽいって言うんでしょ、はずかしい」

 優が、深いくちづけをすると友里はようやく、おとなしくなった。ジャージの中をまさぐられて、友里はビクリと震えた。

「え?!優ちゃん、朝からするの?」

 友里は、興奮しているらしい優の瞳に戸惑う。優がなにも答えないためか、ひとりでずっと喋っている。優は、友里の無意識のお誘いのせいだと言いたかったが、単純な好奇心しかなかった友里を責めるのもお門違いだと思いながら、友里を抱きしめた。友里が自分で、性的に触ったことが無いといった部分に、容赦なく手を伸ばす。


 ランニングどころでは、無くなった。

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