第166話 昔のあだ名
友里を治療したのは、優の父が代表を務める病院だ。優が、心を病んで聞いてこなかった過去の話を、誰かに聞きたいと思ったのは今が初めてだった。
優は、自分たちが助けた子どもが、せめて幸せになっていてほしいといつも願っていた。尾花がその子ならば、幸せの手助けに理由が出来るかもしれない。
反省している尾花の様子を見て、しかし、本人であるなら、ふたりの傷の中に、尾花が入り込んだ気がして、優はチクリと胸が痛んだ。
(謝罪している頭を、お前さえ川に落ちなければと踏みつけようとでも言うのだろうか)
その考えが浮かんでは消え、優はゾッとした。あの事故さえなければ、普通に友里に恋をして、怪我を負わせたうえに、己の身勝手な恋をぶつけると思い込むような罪悪感に苛まれることも、少なかったかもしれない。
(なんだ、この感情は)
意味も分からず、優は戸惑う。
「どうかしたんですか?優さん」
顔色が蒼くなっていく優に、尾花が問いかけた。友里も心配して、優の座っているベンチの端に腰かけ、優の肩越しにのぞき込んでいる。
「友里ちゃん、大丈夫だよ」
尾花よりも、友里に話しかけると友里はホッとして優の腕に絡みついた。
「ごめん、わたしたちも、小さい頃あの川で事故に遭ってて、思い出してしまって」
尾花に素直に言うと、尾花は慌てたようになった。
「優ちゃんが保育園児を助けて、表彰されたんだよ。わたしはうっかり流されちゃったけど、今こうして元気はつらつだし!」
「うん、ほんと気を付けようね、お互い」
ニコニコと優と友里がほほ笑み合って、しかし、尾花は少し考え込むような仕草をしている。
「もしかしたら、友里さんと優さん、オレを助けた人かもしれない」
突然、尾花に言われて、友里も目を丸めた。
「優ちゃんが助けたのって保育園児でしょ?小さい子だったよ」
「ああ、オレの両親が、そういうことにしたのかも。当時の新聞とかも隠されてて……同級生を自分の不注意で、川におとしたなんて醜聞だろう?」
友里は、まだわかっていないように、尾花を見上げる。
「醜聞とかよくわかんないけど、川に落ちるなんてよくあることだし、もしも尾花さんがその子でも、生きててよかったよ」
友里の笑顔に、優はハッとして、その話をやめにしてもらうよう、尾花に言った。
「ごめん、性急すぎた。あまりにも荒唐無稽だ。同じような状況だからと、同一視しすぎた」
表情筋を動かさず、尾花が言う。
「でも確認だけは、させて。その時、重義もいたはず。当時のことを、知っているかもしれないから、聞いてみよう」
尾花が言い出して、友里と優はみつめあう。
「逢いたくないのでは?うちの親に聞くほうが──」
「正直、怖いけど、大人に聞くよりは、嘘を言わないだろ」
重義への絶対的な信頼を感じて、友里は(ほらね)という顔で優を見つめた。
::::::::::::
10分もしないうちに自転車で重義が、友里と優の家のそばの公園まで駆けてきた。
「ど、どういう、こと!?」
ゼイゼイハアハアしながら、重義が問いかけるので、ベンチにひとりで腰かけていた友里は、ニコっと笑顔を作るしかなかった。
「尾花さんがやっぱり逃げちゃって、わたしが行ったほうがいいと思ったんだけど、優ちゃんが──尾花さんとわたしをふたりにしたくないって言うので」
「バカップルか?」
「うう、誰のためにしてると思って……!!」
友里は照れて、顔を抑えた。
「なんであいつ、別れようとしてるとか、言ってた?」
重義の質問に、友里は真剣な顔になって、美しく上体を伸ばした。
「聞いたけど、それ、ほんとうに、わたしから、言っていい?」
友里に問いかけられ、重義は驚く。
「だって、尾花が素直に友里ちゃんに言ったのなら……言っちゃなんだけど、俺に聞かせたかったんじゃないかなって思うんだ」
「そうかもしれないけど。わかるよ、相手が自分のこと大好きだって思わないと、自信を持って動けないよね。でも、重義さんって、自分の好きに自信が無いように、見えるんだよね」
「あいつに好かれてる自信だけじゃなくて、俺のほうが?」
重義は、しばし考えて、友里から目をそらす。
「──今日さ、部活もやめて、全部やめて、尾花だけに集中するっていったのに、返事がなかったんだ。何が足りねえんだって思ってたけど、あいつを信じるってことと、自分の気持ちを信じる気持ちが、俺にはないみたいに、みえるのかな」
友里は頷くだけで、重義の話を聞く。
「尾花がいまここにいなくても俺は楽しいし、充実してるし、生きていける。だけど、それじゃああいつが、無理だって言うなら──」
ガシャンと音がして、重義は振り向いた。友里の自転車が倒れて、そこに尾花がたっていた。
「尾花」
尾花が走り出すので、重義も駆けだした。吹奏楽部でも、足が遅い方だったのに、重義はスタートダッシュが上手くなっていた。
あっという間に尾花を捕まえる。
「オレがいなくても充実してるんだろ」
重義につかまった尾花は、開口一番、皮肉を言った。
「おまえ、どこを聞いてたんだ」
「俺がいなくても充実してるって話、してただろ!?」
「バカ、話を最後まで聞けよ……抜けてんだよ、お前」
重義は、13センチの身長差をものともせず、尾花にしがみ付いている。深夜に近い、誰もいない道とはいえ、尾花はその状況に少し不安を覚えてきょろきょろと辺りを見回している。
「俺が言いたかったのは、充実してるって、思うのは、お前がいるからってこと」
「……?」
「おまえが、尾花駿って存在が根底にあるから、充実してて、生きてるって感じがしてるんだ。おまえの存在を、どこかに感じてるから、生きていける」
「重義」
「昔のあだ名で、わっくんって呼べよ」
「いやだよ!そんなのいつから呼んでないって思ってんだ」
「駿が、そばにいなくても、俺は、駿の存在を感じられる。だから、ないがしろにしていたわけじゃない、むしろずっと強く心に残ってて、その原動力で充実できてたんだ。でも今回のことでわかったよ。駿は、俺がそばにいないとだめなんだな」
ふたりを追ってきた友里が、友里の家の前であることに気付く。
「とりあえず、うちに入る?」
いいとこだと思ったが、友里は2人に話しかけた。尾花は嫌がったが、重義は「ありがとう」と友里の申し出に賛同してくれた。優は、「うちのほうが広いけど、どうしようか?」と一応声をかけてみる。
「うちお母さんいないよ、お父さんのとこいってる」
「え?!友里ちゃん、また?!どうして黙っているの。親がいない家に、他人を入れたらだめだよ」
「だって、優ちゃんちは遠いし」
「そこ曲がったとこでしょ」
「いちゃつくなって、もう、尾花が逃げなきゃどっちでもいいから!」
「え、これは、普通の幼馴染の距離感だよ?」
友里に真顔で言われて、重義は「お、おう」と言う。
「でも友里ちゃんに尾花さんや重義とこれ以上は接点ができるの、いやだな」
「優ちゃんってば、尾花さんがまた逃げちゃうでしょ?」
「もういいよ、好きにさせよう」
「ああもう、ごめんって!ふたりはけんかするなよ」
尾花を抱きしめながら、重義は唸った。
「けんかじゃないよ」
「けんかなんかしてない」
ふたりに見つめられて、重義は頭を抱えた。
「わたしは優ちゃんがかわいいから心配してるだけ!」
「お互い心配してるだけだよ、重義」
「このバカップル……!」
重義は、尾花を抱えながら、赤い顔で叫んだ。
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