第165話  点と線


 次の日。

 21時をだいぶ過ぎた頃。優が公園で待っていることに気付くと、友里は駆け寄って、ハッとして元の道へ戻った。友里よりも、だいぶ大柄な183センチの尾花駿おばなしゅんが、萎れた風船のような風体で友里の自転車をひいていた。

 肩までの明るい髪を、ハーフアップにもせず、シャギーの入った髪が軽くウエーブしていて、ライオンのように華やかな印象を持つはずだが、痩せてげっそりとした印象で、儚げだった。


 優はきょとんとした。なぜ友里と、尾花が歩いているのか意味が分からなかった。

「友里ちゃん、どうしたの?」


 友里が働いているファミレスに、たまたま尾花が来て、友里を見つけた尾花が重義の私物を渡して来たと友里は言った。それだけ言うと帰ろうとするので、「絶対に終わるまで待っていて!」と友里に言われ、素直に待っていたそうだ。

「こんばんは」

 優が言うと、ぺこりと頭を下げた。低音で、尾花は「こんばんは、遅くにすみません」と礼儀正しい子息の礼をした。

「たぶん、お会いしたことありますよね。お姉さまと一緒に、お茶も」

 優が言うと、尾花も肯定の頷きをした。正月のあいさつ回りで訪れる、大きな化粧品会社の子息だと優は気付いた。

「しがない石鹸屋の息子です。先日は、姉が大変ご無礼を。駒井優さん、いつもと印象が違うので、今日までわかりませんでした」

 優と尾花が出会う場では、正装なので、優はそれなりにドレスアップしている。今年は振袖での茶会だった。尾花も和装で、100人規模の茶会で挨拶をしただけだったため、お互いにすぐに気付かなかった。


「優ちゃん、お姉さんって?」

尾花紀世おばなみちよさん。茶会のお手前も大変すばらしい方だったよ、尾花さんにそっくり」

「よく言われます。オレを小さくした感じ」

 友里は、優が年上の女性に可愛がられるのを、知っているし可愛いと言ってくれる年上の女性のことを基本的に好意的に思っているが、優は殆ど「おぼえてない」というのに、「すばらしいかた」というのは、少しだけモヤリとした。

 友里の気持ちに気付いたのか、優が、そっと友里の肩を抱いて、自分の隣に引き寄せた。友里は恥ずかしくなる。思考がすべてお見通しだとしたら、悩むことは少なくなるが、自分では止められないもやもやも一緒にわかってしまうことは、嫌われそうで怖いと思った。


「駒井さん、これを、重義に渡してもらって……そして、もう、オレとは、逢わないでって伝えてください」


 重義の私物だというそれは、不透明の綺麗な白いショップバッグに入っていた。真新しく、私物が汚れないよう細心の注意がなされている気がした。ずっとそれを持っていて、重義に渡せなかったようだ。

 友里が、受け取ろうとした優の手を拒む。

 尾花は、無言で立ちすくんでいる。友里の勢いに押されてここまで来たが、なぜこんなところに来たのだろうと、友里の魔法が溶けたような顔をしているのが、優にはわかった。

「荒井さん、申し訳ないけれど」

 言いかけた尾花に、友里はさっと振り向く。

「ふたりはすれ違っているだけで、重義さんがちゃんと大好きだよって言ってさえくれたら、尾花さんは、大丈夫だよね」

 尾花が(困った)というように溜息をつく。

「駒井さん、荒井さんはずっとこう言ってて……なかなかこちらの意見を聞いてくれず、こんなところまで押しかけてきてしまって、すみません」

「ううん、友里ちゃんはこういうところあるから、慣れてる。尾花さんはどうしたい?いまメッセージ送ったら、10分でくると思うけど」

「え!?」

 名前は言わなくても、重義のことだと気づいて、尾花は戸惑った。

「駒井さんも結構、強引ですね」

 苦笑され、優も微笑んだ。

「重義はいいやつで友達なので、応援してます。けど、正直、尾花さんの決断であるなら、日和見なとこありますけれど」

 言いながら、友里が「むう」と頬を膨らますので、優は友里を見てから、尾花を見た。つまり、自分のかわいい子が心を尽くしているので、友里の味方をするということを、尾花に告げる。尾花は、ふうとため息を吐き出す。


「そんなに重義のこと好きなのに、どうして我慢しようとしているの?……あいつから、逢いに来ないとだめなの?」

 優が、落ち着いてきた尾花に話を戻すように問いかけると、尾花は首を振った。

「逢うと、もう逢わないって決めた決心が鈍るから」


「?」

「オレは大学出たら家柄のいい娘さんと結婚して、家を継ぐんだよね。だから、重義への想いは、絶対無駄になる。高校時代だけ、恋人にしてって言っても、それってエゴだろ。抱いてもらった事だけ思い出にして、終わりでいいんだ」


「重義の気持ちは、ないがしろ?」


 優の低音が、夜の公園に響いた。生ぬるい風が吹いているが、春の陽気は昼間までで、4月の空気はまだ冷たい。

「優さん、重義が、オレを好きなのは、まあ、つまり紀世みちよが好きなんだよ。姉に顔、そっくりだろ?めちゃくちゃオレの顔が好きだから。それを利用した。水ぶっかけたし、逢わないようにさえすれば、もう大丈夫だよ」


「さすがに、大きさも何もかも違うし、それは強引すぎないかな」


 優は呆れたように溜息をついた。重義が自分を好きではないと思い込む材料にしているとしか、思えなかったが、尾花が優のムッとした態度を感じ取って、笑う。尾花の笑い声に、友里は、優に止められたが、尾花に近づいた。


「じゃあ、荷物なんて捨ててしまえばいいのに」

「荒井さん?」

 尾花が大切に膝にのせていた荷物の前に、友里はしゃがみこんだ。大切なモノとして、尾花に抱えられている重義の荷物を、友里はじっと見つめた。

「本当に、二度と逢わないってことが出来るなら、捨てちゃえるはずだよ。相手の私物だから、悪いって言うのなら、郵送だってなんだってできるのに、尾花さんは、手渡しを選んだ。それって、接点をもってたいってことでしょう?」


 友里が叫ぶので、優は驚いた。なにか、友里を怒らせるポイントがあったのだろうか。友里が、怒るのは、優のことだけだと思うと、優を笑った尾花に対して怒っているのかもしれない。


「友里ちゃん?」


 友里に声をかけると、友里は、怒っているというより、悲しんでいるような顔で、優の胸に飛び込んだ。優は戸惑って、尾花を一度見る。尾花も、驚いているようだった。

「わたしたちを、重義さんにつながる点として残していたいっていう気持ちがあるのに、離れるなんてきっと、すごく我慢しているんだと思うと、悲しいの」

「……!」

「重義さんとだけ繋がっていたい気持ち、自分でもわかってないのかな?!」


 尾花と優は、戸惑ったように友里の瞳にあふれてくる涙に驚いた。友里の言葉の意味を考えて、確かに、荷物を後生大事に持ち歩き、彼と接点がある人を見つけ、自分が重義と離れたいと伝えてくれと、頼むことは、『離れたくない』と同等だと思った。


「オレは。つまり重義だけでなく、自分の気持ちさえわかってないってことか……」


 ショックを受けて額を押さえる尾花を見てから、優は自分の胸にしがみ付く友里を抱きしめた。


「でも、家のこともあるし、オレたちは別れた方がいいんです」

「それは、尾花さんの本心なの?」

 涙目のまま、友里が言う。尾花が、一瞬ひるんだのが分かった。友里のなにが尾花にそうさせるのか、優にはわからなかったが、尾花をぐいとのぞき込んで、自分でも気づかなかった、心の内を柔らかく開いているのはわかった。また、尾花があっという間に魔法にかけられたように、幼い子供のような顔になっていく。


「本心……というか、そう思わないと、ダメだと思って」


 ポロリと尾花の瞳から、涙がこぼれて、友里は慌てた。

(泣かせちゃった!)という顔で慌てて優に振り向くので、優はハンカチを渡す。尾花は、優のハンカチを拒んで、そっと大きな手で目頭を押さえた。

「こんなふうに泣いたの初めてだ。君がオレのために泣いてくれたからかな」

 友里の手を取って、ふざけたように言うので、友里は怪訝な顔をした。

「別に、取り繕わなくてもいいよ。悲しかったんでしょ。泣くのは当たり前だよ」

「……っ!」

「わたし、ちょっと意地悪なこと言ったもん。本心じゃないよねって否定してあげるところなのに、本心なの?って。尾花さんが、嘘をつく余地をあげちゃった。ごめんね」


 優からハンカチを借りて、尾花の涙を拭きながら、友里は言った。友里がせっせと尾花の涙を拭くが間に合わない。優が、尾花から友里を離した。尾花は、友里から離れると、冷静になるので、優は尾花を覗き込んだ。

「友里ちゃんの、なにかが君に作用するみたいだね」

 家でもたくさん泣いているように見える尾花に、優が問いかける。優の前では、子息の姿で、ピシリとしている尾花は、精神をだいぶ鍛えているようだと思った。


「オレにひるまない子、重義以来かもです」

「けっこう怖がられるの?」

「まあ……、この顔と家柄なのでちょっとギラつかれますね」

「友里ちゃんは、綺麗なお姉さんにしか、怯まないんだよね」

「え!?あはは!」

 友里は優になにかを言われている気がしながら、遠巻きにふたりの様子を見ている。尾花と優が、白百合のブーケのようで(ふたりってなんだか……お似合いってやつなの、かなこれ?)と胸の当たりがもやっとした。


「幼い頃、そこの川で落ちかけたところを、助けてもらった子に似てるんですよ」

「……?」

「友里さんみたいな子」


「……それって、いつぐらい?」

 優が、小さな声で問いかけた。

「俺が小5の時かな……」

 優たちが助けた子は、保育園児と聞いていたが、優は記憶には曖昧さが含まれるのはわかっていたので、──彼は、優が助けた相手かもしれない。子どもを助けた反動で、川に落ちかけた優を、友里が、身代わりとなって、川へ消えていった映像が、優の脳裏に浮かんで、クラリと眩暈がした。


「相手の子は相当なケガをしてしまったけれど生きていてくれて。親が、その補償をたくさんしてて……たぶん、うちの大阪の会社に勤めてるのかな。オレには、ぜんぜん関わらせてくれなくて、それがオレはわりと耐えらんなくて。もっと、ちゃんとお礼をしたいって気持ちのままで、友里さんみたいな子に、弱いんですよね」


「そうなんだ、助かって良かったね」

 曖昧な情報で、「君はあの時の!」と言い出すわけにもいかず、優は無理やりニコリとほほ笑んだ。


「優さんも、凛としてお美しいですね」

「それはどうも」


 友里は遠巻きにいて、ふたりの会話は聞こえていなかった。ほほ笑み合っている様子も(社交界のようだな)と友里はわからない世界のことをぼんやりと思いながら、涙で濡れた頬を拭った。


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