第161話 ペーパームーン


 注文したモノがあっという間に届いたが、食べるような空気ではないというのに、友里のおなかが抗議の声を上げて、真っ赤になる。

「おなかの音かわいい」

 友里の隣の席に座った村瀬は、頬杖をついて友里を見つめた。


「村瀬」


  店内で、it's only a paper moonの陽気なジャズが流れる。it wouldn’t be make-believe. If you believed in me── 

『たとえ紙でも、あなたが信じてくれたら、本物のお月様』と歌う陽気な歌に、優は励まされるような気持ちになっている。友里が、自分の感情を信じてくれていると思うたびに、なんでもできるような、それこそ偽物の木でできた月も、タダの布の空も、本物にしてしまうような力がみなぎる。


「悪いけど、村瀬。遠慮してくれないかな?ごはんが美味しくない」

「駒井さん、良いって言ってくれたじゃないですか」

「心境の変化。もう友里ちゃんを、誰にも譲りたくないって思ったから」

「へえ、友里さんが気持ち変わるなら、身を引くみたいなの、やめるんですか?」

「友里ちゃんの為になら、なんでもするけど、他人のために何かするのは、やめるってこと。言わないとわからない?」

 優に見下ろされて、村瀬は息をのんだ。

「へえ、戦ってくれる感じですか?楽しみだな」

「楽しくない」


 優が拒絶を示したのに、美形を晒した村瀬は友里のそばから離れようとしなかった。のぞき込まれて、友里が戸惑っている。「部屋着、みてくれました?」と問いかけられて、友里は首を振った。


「……まだ、開けてない」

「ええ、ひどい。でも髪がふわふわでかわいいので帳消しです」

 『You smile, the bubble has a rainbow in it』歌の一節が、優に響く。『あなたの笑顔は、シャボン玉の中の虹』──割れやすいから守りたい美しいモノ、その笑顔が曇っている気がする。

 友里の髪に触れようとした村瀬の手首を、サッと掴んで、優は一瞥した。

「やめろよ」

「どうしたんですか、駒井さん。淑女らしからぬ行動しちゃって」

 村瀬が、その手をパシンと反動ではずそうとするが、優のほうが力が強いのか、なかなか外せない。


 友里は優を見つめてから、村瀬を見た。望月も驚いて、友里を見た。ペーパームーンのマスターが、コーヒーを入れる音がコポコポと響いている。


 赤い顔で優を見つめる望月をちらりと見た。優にとっては、望月も排除対象だったが、友里にとってまだ、かわいい後輩の立場を崩さないので、なにもできることが無い。村瀬が、優が取った手首をパッと引いて、離れる。

「はいはい、友里さんの顔がみれて満足なんで、もう帰りますよ」

 村瀬が呆れたような声で、両手を広げる。友里が明らかにホッとした顔をしたので、優は着席して、コホンと咳払いをした。

「そちらが先にいたのに、申し訳ないけど、助かるよ」

 低音から発せられる声に、謝罪は含まれておらず、村瀬と望月は肩をすくめる。優は、それきり何も言わないことにした。友里がすこし狼狽えて目をそらすので、優は心臓がドキリとした。


「友里先輩」

 望月が、意を決したように友里を呼んだ。友里は望月を見つめた。

「あの、私……友里先輩のことが好きです」

「うん、ありがとう」

「!」

 友里は望月にあっさりとお礼を言う。優と村瀬だけが、驚いて望月を見つめる。望月は言葉の意味が伝わらなかったんだなと思って一度顔を伏せたが、もう一度友里に向き合って、同じように告白を繰り返した。声が震えている。


「違うんです、ちゃんと、好きで。村瀬みたいに、もっとひどい扱いされてもおかしくないんです。ちゃんと諦めるために、振ってください。もっと好きな人を作って、きっと、幸せになります。友里先輩みたいに、大好きな人と、大好きって言い合えるよう、頑張るので、……私の、今の大好きも、嘘にしないでください」


「望月ちゃん」

 友里は、ようやく望月の恋心に気付いて、望月に向き直った。

「ごめんね、気付いてあげられなくて。でも、ありがとう、好きになってくれて」


 友里に微笑まれて、望月は笑顔を作ることが出来たが、だばっと涙がこぼれた。


「なんだよ、ちゃっかり告ったな!」


 村瀬は泣きじゃくる望月に、大きいハンドタオルを顔面に当てるように渡した。

「なにっ!?だってなんか、村瀬ばっか責められてて、悔しくなっちゃったんだもん、わたしだって、友里先輩が好きだ!駒井先輩に、冷たい態度取られて当たり前なんだから!!」

 しゃくりをあげながら、望月は村瀬を睨みつける。友里は、オロオロしながら、望月を見つめた。望月は、友里の態度に苦笑して、村瀬を指さした。

「もっとちゃんと振ってください、こいつみたいに」

「なんだよ、わたしのため?!くそ、いいなあ、上手いこと告白出来て。私はもう、最初から間違っていたんだろうなあ……。次からは、ちゃんとしよ……」

「できるの?!もっとちゃんと、生きないとだめじゃない!?」

「そうだけど……まあ、出来る気もしているよ」


 村瀬が微笑んで、望月を見つめる。泣く望月の肩を村瀬は友里の横の席から立ち上がって、戦友のように抱きしめた。戦場帰りの戦士のようだ。

「村瀬に、好かれても、嬉しくない」

「ああ、そうか、望月はかわいい女子しか愛せないんだもんな、あっぶね、このイケメンが、また叶わない恋をはじめるところだった!!」

「おもってもないこというな!!」


 あっという間に大騒ぎになってしまって、友里は困ったような顔で「アハハ」と笑った。きっと村瀬と望月も、友里の笑顔が見たくて、そうしたのだろうと優は思って、自分のみにくい嫉妬で空気を悪くしていたことを反省した。誰しもが、大好きな人に信じてもらいたいし、笑顔を壊したくないと思っているのだと、思った。it's only a paper moonの曲が終わる。

 『信じてくれたなら』と何度も歌うので、「愛した人に信じてもらえないと、とたんに世界は偽物だらけになってしまう」と、少し寂しい気持ちも残る。


「わたしを好きっていうけど、ふたりでいるほうが楽しそうだよ?」

 別のジャズ曲と共に、友里が言う。望月と村瀬は顔を見合わせると、怪訝な表情をした。そして優も、呆れたように溜息をついた。

「友里ちゃんのそういうところ、本当に残酷だと思う」

 優がつぶやくと、望月と村瀬が大きく頷いた。村瀬と望月は、優が言った「残酷」の意味の欠片を、ようやく理解した気持ちがした。



 カランとドアベルが鳴って、重義が戻ってきた。

「ダメだった、その辺で待っててくれると思ったのに」

 駒井優を見つけると、重義はもしかして戻っているのではないかと、店内を見渡してから、ぐったりとした態度で、うらぶれたように言った。


「どうしよう、2か月ぶりに逢ったのに!」

「2か月……!?」

 友里が息をのむ。1か月、優が逃げ回った時期を思い出して、血の気が引く思いがした。

「部活が忙しくて、なかなか会えなかったから……今日久しぶりに部活休みで……」


 重義が立ったまま話すので、マスターが椅子を持ってきてくれた。


 すっかり溶け切ったクリームソーダを、優は走り回って息せき切っている重義に譲って、重義はむせながら完食した。

「こっから10月までまた忙しくなるよって言っただけなのに、水をかけられたんだ」

 村瀬が、「げえ」と嫌な顔で舌を出した。

「え、えっとまってください、お付き合いしてるのにそう言ったんです?」

 望月が、赤い顔で重義に言うので、重義が、駒井優に向かって(だれ?)という顔をした。優と友里以外、目に入っていなかったようだ。自分を責める、天使と悪魔にでも見えていたようだった。

「え、実在してるのか!」

 重義の唸り声に、優は苦笑した。


 望月璃子と村瀬詠美に、重義航しげよしわたるを紹介して、重義はぺこりと頭を下げた。吹奏楽部のムードメーカーでトロンボーンのパートリーダー、人当たりの良い重義は、気さくな笑顔だ。──恋人の、尾花駿おばなしゅんの話になると、途端に萎れた朝顔のようになった。


「正月の終わりごろ、ようやく付き合えたのにさあ~~~」

 ふたりは幼馴染で、別の高校へ進んでしまったが、そのおかげでお互いが大事だということに気付き、心を通わせることが出来たと照れながら、重義は言った。

 友里は「よかったねえ」と共感を持って頷いている。


「え、じゃあ、お付き合い直後から、いちども逢わずに、今日逢って、また10月まで逢えないって言った……ってコト?!」

 望月が鋭いナイフを重義に投げつけた。

「う」

「そりゃ、もう別れ話だと思うよ、わたしならそう思うね」

「うう」

 村瀬に言われて、重義は見えないナイフを何本も刺された心臓をおさえた。


「この2年生は、どうしてこんなに当たりがキツいんだ、駒井」

 優は言われて、乾いた笑いで首をかしげた。

「ま、別れちゃったもんは仕方ないですね!仕方ないんで男でも女でも紹介してあげますよ、古い恋を忘れるのは、新しい恋です。重義さんいい人そうだし、大事にしてくれそうな子たちいっぱい知ってます」


 村瀬が背中をパンパンと軽く叩いて、重義にそういう。

 重義は、首を振る。

「あいつじゃなきゃ、だめなんだ」

 村瀬がパチパチと長いまつげの瞳で瞬きした。

「他の人もきっと素敵だろう、俺なんかを大事にしてくれる人もいるだろう。でも、俺のことなんかどうでもいいっていわれても、俺は、あいつが、良い」

「……」

 沈黙が流れて、重義は顔を手のひらで覆った。村瀬が、よく言ったとばかりに背中を叩くので、よけいに照れる。


「それをちゃんと、本人に言ったの?」

 優に言われて重義がハッとして、優を見た。優は少しだけ赤い顔をしていて、友里は嬉しそうに重義を見つめている。1年生2人は、人間の許容量を超えた砂糖を入れすぎたコーヒーを飲んだ時のような複雑な顔をしている。


「変なとこ見られちゃったよな!?でも、気にしないでほしい、自分で、なんとかする!」

「重義。お前だけが相手を好きだって思ってないか?どうでもいいとか、言ってやるなよ。お前がそういう考えな限り、仲直りしても、また同じような喧嘩をすると思う」


 重義は、優の言葉をかみしめるようにうつむいた後、水を一気に飲み干して立ち上がった。アテがあるのか、尾花を探しにもう一度出かけるようだった。

「なにか、わたしにできることあったら、言って」

「おう、頼むわ、駒井」


 気さくな笑顔で、再度ペーパームーンを出て行った。

 優たちも、喫茶店を後にする。薄暗い店内から出ると、春の日差しがまだ、輝いていた。


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