第153話 甘い香り
「高岡ちゃん、優ちゃんが、わたしを好きだったの!」
柏崎家の大きな脱衣所で、すでに洗い髪を乾かしながら、高岡は、涙ぐみながら言う友里に、思わず時が止まったようになる。
「知ってるけど……」
「もっと!大きな意味で!?」
「落ち着きなさい。とりあえず、お風呂、入ってきなさい」
高岡に促されて、友里は、柏崎家のお風呂を借りた。興奮冷めやらぬまま、体や髪を洗い、浴槽に浸かったところで、高岡が浴槽のドアを開き、借りてきたドライヤーで、じっくりと、本当は癖毛のロングヘアを伸ばして乾かしながら、友里の言葉を促した。
「深呼吸してから教えて。友里のこと、駒井優は、いちもにもなく大好きでしょ?今更なにを言っているの」
「優ちゃんはわたしを大好きだけど、もっと……大きな意味で……その……」
友里は浴槽から腕だけ出して、何か大きな丸い物体を回すような仕草をして、高岡を困らせる。
「友里は、駒井優が、自分を好きなのを知ってるのね?でも、10の内3くらいだと思っていたのに、実は10を超えて友里を好きだと気づいて、動揺しているの?」
高岡の「?」に合わせて、友里はコクコクと首を縦に振った。高岡は、深いため息をつく。
「あのね、友里。本当に、いやだけど、今だけは駒井優の味方をしてあげるわ。駒井優って、友里の思う、5兆倍ぐらい、友里を好きよ?」
数字の桁が違いすぎて、友里はお湯をバタつかせて「ほんと?」と叫んだ。
「相思相愛で良かったじゃない」
高岡にあっさりいわれ、友里はお風呂の浴槽をつかんでいた手を、中にポチャンと落とした。
「どうしよう……優ちゃんが可愛すぎる……!」
「なんなのよ、もう。こわいわ」
高岡が呆れたようにドライヤーを終え、浴槽の友里を見下ろした。
「だって!」と友里は顔をあげると、高岡に微笑まれて、かあっと頬を染める。
「友里が好きだから、駒井優が合わせて好いてくれているだけじゃなくて、ちゃんと駒井優本人の意思で愛されていることに、気付いたのね」
友里が、高岡の言葉をかみしめて、のぼせるのではないかというくらい、全身を真っ赤にする。
「うん……」
「遅いのよ。それで、どう思ったの?」
「──嬉しい。嬉しすぎて、心臓が持たない」
友里は唸るとお風呂に口まで沈む。高岡は友里の言葉に、友里のために自分の傷などどうでもいい顔をしている駒井優の心が、救われた気がした。安堵してから、心の中で駒井優に悪態をついた。
「でも!泣いて逃げてきちゃった!!優ちゃんに合わせる顔が無い」
「あるわよ。元はと言えば、駒井優が友里を好きなのを、隠しすぎた弊害なんだから、あっちもわかってるわよ」
「優ちゃんは何一つ悪くないよ!?」
「悪いのよ。もっと毎日、好きだと気づいたその日から、いってればよかったのよ。無表情でずっと隠しているくせに、誰よりも大きな好意だけはぶつけておいて、駒井優の好意が愛じゃないと思い込まされたのよ。友里が、他人からの生半可な恋心なんかに、気づかなくなってるのはそのせいよ、弊害だらけだわ」
「えええ……」
友里は浴槽の中で、体育すわりをして、高岡の言葉に震えた。
「駒井優は、伝えることを怖がらなくなるのかしら、良かったじゃない」
「でも、落ち着かないよ~、おしとやかな優ちゃんから、わたしなんかを、かわいいって言う言葉がとびだすんだよ……?!」
「駒井優にとっての事実なんだから、駒井優を信じてるなら、うけいれなさい」
「ううううう」
高岡は、軽く手持ちの流さないトリートメントを髪に塗り込んだ。
「いい香り!」
「友里が好きそうって思った。出てきたら、貸してあげる」
「やった」
ふたりで笑い合っていると、ヒナが脱衣所をコンコンとノックした。
「あれ?友里、もうはいっていたのね?!」と驚いて、高岡と友里の様子を眺めた。
ヒナが、友里を見つめて、「ねえ、傷って」とそっと聞いてみた。友里は、高岡をちらりとみてから、ヒナに頷いて、友里にとってはそれが当たり前だという態度でいう。
「見えるかな、足と、背中に傷があって、全然気にしてないんだけど、大きなお風呂に入ると結構いろんな人に話しかけられちゃうんだよね。お風呂は、大好きだから、バイトとかしてるよ!」
ニコニコ言いながら、浴槽から出て、背中をぺらりと見せるので、ヒナが「わ」と言った。
「あ!ごめん、傷跡、いやだった!?」
「ううんううん。傷はすごいかっこいい!」
ヒナは赤い顔で友里に言うが、高岡だけが嫌な顔をした。
「友里、はしたないわ」
高岡に怒られて、友里は「たしかに」という顔をして着席した。
「ヒナちゃん、一緒に入る?」と軽い声を上げるので、高岡が制止した。
「──あのね、友里。駒井優って、ほんとに嫉妬深いのよ」
「え……?」
友里がすこしの興味本位で、厳しい顔つきの高岡に問いかけた。優が、他で友里のことをどんな風に言っているのか、今まで気にしたことが無かった。
「友里に、近づく人全員が、友里を奪いたくなるって思ってる。たぶん、いま、ヒナさんに裸を見せたことを知られたら、大変よ」
「ヒエッ……。友里にちょっとでも触れるだけですごいよね……、怖いなあ、あの綺麗な顔で笑われるの……!」
ヒナも続けて言うので、友里は戸惑いつつも、怒る優を想像して可愛さに身もだえた。
「それにね!あの人──」
ヒナと高岡が、日頃のうっ憤を晴らすように言葉をつづけようとしたが、脱衣所のドアをノックする音に、ビクリと3人で飛び上がった。高岡とヒナは心臓をおさえて、固まる。浴槽の中に、友里は慌てて沈んだ。
「友里ちゃん、本当にお風呂に行ってたの?探したよ」
案の定、優が入ってきて、高岡とヒナは、愛想笑いのような顔をしている。
「もう上がるから、優ちゃんもどうぞ」
友里が声をかけると、全員が一度、脱衣所から出て行った。
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洗い髪のまま、ドライヤーだけ手に持って、ドアを開けると、優だけが廊下に残っていて友里はドキリとした。
優はさきほどのことなど、なにもなかったかのように、「入るね」とかわいく微笑んで手を振るので、友里は名残惜しくなって、脱衣所で、優に抱き着いた。
「キスさせて」
優に屈んでもらって、ちゅ、っと頬に口づけをすると、友里は、はにかんだ。
「あの……優ちゃんが、わたしを好きなのはちゃんと気付いてるんだけど、優ちゃんが、わたしをもっと好きだと知って、嬉しかったお礼です」
優が、黒目がちの美しい瞳を丸めて友里をじっと見つめるので、友里は「唇だと趣旨がかわってしまう気がして」と、友里は赤い顔で告げた。親愛のような、豊かな愛情だと身振り手振りで説明する。
「さっきは泣いて、逃げちゃってごめんね。好きって言われて、すごく嬉しくて、どうしようもなくなっちゃって、わたしの感情全部が、優ちゃんが、スキで……沸騰したみたいになっちゃった。誤解されてないと、いいのだけど」
ほほ笑んで、優を見上げた。すると、脱衣所の床に座り込んで、優が顔をしかめたので、友里は、そんな顔の優を見たことが無くて、困らせたのかと思って、どきりと心臓が震えた。座った優の正面に正座で座り、優を覗き込むように見つめる。優はうつむいた髪の間から、友里を見つめ、ため息をついた。
「……ああ…本当に友里ちゃんは──」
優は、友里に聞き取れない言葉で、小さく言って、友里をきつく抱きしめた。友里は、怒ったのかと思って、優の胸の中でオロオロしてしまう。
「優ちゃん?」
「大好きだよ」
告白を受けて、怒ったのではなかったことに気付いて、友里はホッとして、優の背中に手を回した。洗い髪から雫が落ちて、優の服が濡れてしまいそうで、少し居心地が悪いが、優が抱きしめてくれる温度を感じたくて、そのままでいた。
「わたしは、はしたない方向へ、すぐ行ってしまうから、嫌われたのかと怯えた。友里ちゃんが好きで……好きで仕方ない」
抱きしめられたまま、そう言われて、友里はドキリとした。優が、自分にきらわれることに、恐れていることを、初めて知った。
「うううん。求めてくれると、嬉しい」
「ほんとうに?友里ちゃんは、わたしのために嘘をつくから……」
「わけがわかんなくなっちゃうけど……愛されてるなあ、って思うよ。高岡ちゃんが、わたしが思う5兆倍って言うけど、さすがに、そこまでは、ないだろうけど」
「高岡ちゃんめ……。それなら、もっとだよ」
「わたしはその倍!優ちゃんを好き!!」
「友里ちゃん、煽らないで」
「あおってないよ!?」
友里は、慌てて否定した。優からいつもと違う香りがして、友里は心臓が躍った。優の元々の薔薇のような香りに、自分から香る、入浴剤のラベンダーがまじりあっていた。
「抱きたい」
熱っぽい低音で言われて、友里は言葉を失う。戸惑いながらこくりと息をのんだ。鎖骨辺りを撫でられて、友里はぴくりと体が震えた。なんでもなかった体のパーツが、優の与える刺激で、全て優に愛されるためのものに塗り替えられてしまったような感覚がした。床に倒されて、優の名前を呼ぶ。
「優ちゃん……」
目が潤んで、優を見つめると、淡いピンク色の光に優が包まれているような気分がして、友里は好きだった。しかし、今日は、いつもよりもずっと優が興奮しているように見えて、ドキリと胸が苦しくなった。漆黒の瞳が友里を捕らえていて、ギラリと光った気がした。鎖骨から、胸の先へ指先がソッと移動していく。柔らかな指に、もう先端が硬くなっていることを気付かれて、友里は羞恥で震えた。唇が首筋に落とされて、腰あたりをまさぐられる。
「あっ…」
小さく声を上げると、優の指が、そこから離れ、指を硬く握ったので、友里は、切なくなって優を見つめた。苦々しい顔をしていて、友里は戸惑う。
優が友里の髪を撫でて、薄く笑った。
「──ごめん、さすがに、帰ったらだよね」
未練の残るような声で、言うので、友里は「あ!」と声を上げた。柏崎家の脱衣所で、してしまうところだった。起き上がって立ち上がろうとするが、優が、すぐには友里の逃走を許してくれなかった。
「でも、予約のくちづけだけはさせて」
優に言われて、友里は心臓が跳ね上がって、爆発してしまうのではないかと思ったが、きょろきょろとどこかを見て、瞳を閉じた。すぐに唇に柔らかな感触がそっと触れる。先程、涙があふれて、できなかった口づけをしていると思うだけで、唇の先が震えているのを感じた。行き場を失った手で、しばらくさまよっていたが、優のキスは長く、抱きしめることに成功した。友里が抱きしめると、優が友里を自分の膝に乗せた。さらにキスが深くなって、呼吸がしづらくなるが、それも慣れてきて、息継ぎをすると優がうっとり微笑んでくれた。
「友里ちゃん、キスが上手くなったね」
「……優ちゃんは、ずっと上手だけど」
「いつも、精一杯だよ──」
もう一度、今度はふわりと合わせるだけのくちづけをして、優は名残惜しそうに友里を抱きしめ、「もう理性が限界だから、放っておいて」などと言いながらも名残惜しそうに浴室へ向かった。
友里は優を見送ってから、廊下に出て、壁に身を預けた。今までは、口づけの時の優を、見つめていたくて、あまり瞳を閉じなかったが、初めて、瞳を閉じる意味を知った。あまりにも、優が熱っぽく自分を見つめていて、その視線に、耐えられそうもなかったからだ。
友里は、よろよろとひとりで柏崎家の廊下を歩きながら、優の唇の柔らかさや、諸々の出来事を思い出し、湧き上がってくる恥ずかしさに、しばらく身もだえして「ああああ」と声が出てしまった。
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