第156話 悪事


 朝5時。優と高岡はアラームもなくむくりと起き上がり、お互いを見もせず柔軟をして、柏崎家の周囲を自由に、ランニングした。ラジオ体操をしていた大志に「あれ、ふたりは元気だねえ」ニコニコとほほ笑まれて、軽い挨拶をしていると、スタジオにあるものなら、すぐに使えると準備をしてくれたので、お言葉に甘えてシャワールームを借りた。

「仕切りがあるから、一緒にはいってもいいわよね」

 高岡に言われて、優は頷く。一緒に入ることは女性同士だから抵抗はないが、高岡が嫌がるのではないかとうっすら思っていた分、優に反抗する意思はない。


「ヒナさんのこと、あなた知ってたの?」


 軽いしきりの付いた、2つ並んだシャワーで体の汗を流していると、高岡に言われて優は「ああ」と言った。

「好きな女に、好意を持っている人をそばに置いておくなんて、独占欲を見せつけて、相手の気持ちを翻弄したいのかしら」

「悪い気持ちは、ないつもりだけど」

 優は言うと、ため息をつく。

「友里ちゃんに告白して、それでも傍にいる子もいるし大変」

「村瀬ね?」

「うん、プレゼント、まだ見せてもらってないけど、部屋着みたいなんだよね」

「なあに、それ、聞いてないわよ」

 てっきり友里が、高岡に相談しているものと思って優は言ってみたが、空振りに終わったため、その話はさっと切り上げる。

「わたしなら、友里ちゃんに想い人がいるなら身を引くのに、みんな強いよね」

「あなたはもっと、強い意思で友里のそばにいなさいよ。なあに?今さら好きだと気付かれて、あの態度。情けないわね」

 シャワーを止めて、高岡は髪をパンパンと拭いた。

 高岡はさっと普段着に着替えて、撮影準備用の大きなミラーの前にあるドライヤーを拝借して、髪を乾かし始める。

 優も普段着に着替え、ヒナから教わった乾かし方であっという間に髪を乾かすと、高岡が羨ましそうに見つめた。バレエをしているうちは髪を切れない。

「まさか伝わってないとは、思わないじゃないか」

「……友里の自信のなさって、”優ちゃんのそばにいるのはおこがましい”みたいなのが根っこにあるのよね、好きだから頑張ってるけど」

「……消えたほうがいいかな?」

「ばかね、その考え方だから、だめなのよ」


 髪を乾かしきって、優に向き合う高岡は、ふうとため息をついた。


「友里のことを傷つける人間ぜんぶ排除したって、あなたならやると思ったわって笑ってやるから、隠蔽するなら悪事だけにしなさいよ」

 さらりと髪を後ろに回しながら、高岡が言うので、優は潔さに思わず目を見張る。

「きずものにしておいて、自分だけのものにするなんて、最低最悪の悪党じゃないか……そんなやつが友里ちゃんのそばにいて高岡ちゃんは良いの?」

 優は弱い自分の心を、高岡にいつもさらけ出してしまう気がしていた。友里を、愛している同士だから、分かり合えると思っているのかもしれない。

「友里が選んだんだから、仕方ないでしょ?選ばれたからそばにいるんじゃなくて、自分も好きだというのなら、そのくらいの心の痛みは自分で処理して、友里に気付かれないよう表に出さないでほしいわ」

 強い笑顔で、友里への愛を語る高岡を、すでに優はどこか尊敬してしている。高岡のようには絶対なれないけれど。


「でもそういう弱いところに、友里は惹かれてるのよね、まったく困った子だわ」

「高岡ちゃん……」

「あなたが身を引くのは、友里への裏切りよ」

「──しないよ」


 優が微笑む。この顔は、もう高岡がなにを言っても、なにかを決めた顔なので、高岡はそれ以上なにも言う必要が無いと思った。

「高岡ちゃんには、嫌われたくないし。これからも、たくさん教えてもらわなきゃ……。いつか、高岡ちゃんにも手に負えないなにかがあったら、必ず協力するね」

 高岡のそばで、優はニコリとほほ笑んだ。甘い低音の声で、耳元でゆっくりと囁くので、高岡は眉をひそめる。

「あなたね、友里以外の肩を抱くのをやめなさいよ」

「え、ごめん癖で。友里ちゃんにも、初対面でもやらないって言われたんだけど、私、背が高いから、声が聞き取れないかと思って」

「へえ、誰にでもしてるの……?ひくわ」

「え!!」

「人にみだりに触れないで」

「高岡ちゃんは味方なのに」

「それでもよ!あなた、気安いのよ。でも、急なお泊りなのに、友里にあなたが変な事してるのを見ないですんでよかったわ……。あなた、友里はもう感覚がマヒしてるみたいだけど、お膝に座らせるの、普通はしないのよ!?自重しなさい。──ちょっとなにその顔!?まさか私が見てないところで」

「し、してないよ、本当にすごい我慢したんだから」

 優の顔色に、高岡は怪訝な顔をする。酔っぱらった友里への諸々を思い出して、優は罪悪感で高岡の目が見れない。

 

 高岡は(この頃、駒井優の感情がよくわかるのよね)とふてくされるような気持ちで駒井優を眺めた。

 (真面目な顔してふざけたり、人をからかったり、お茶目なところがあるんだから、友里がかわいいと言うわけだわ)もう、「人形のよう」などとは言えない気がしていた。



 ::::::::::::::


 高岡と友里が、13時からバレエスクールへ行くので、午前中で解散になり、キヨカと真帆が社用車で高校生たちを送ることになった。ヒナはまだ眠っている。


 荒井家の前で友里の母に挨拶するために友里が先に家の中へ入った後、車から降りて来た真帆とキヨカが「そういえば」と、優を見て、真帆に耳打ちをする。真帆が、優の顔を菩薩顔で見つめるので、優は(いやな予感がする)と思った。

 真帆が優の横へ移動してくると、その声の特性を最大限に利用して優に囁いた。

「優、友里ちゃんの、ちゃん付けをやめたいの?」

 直接耳打ちされて(やっぱり)と優は思った。キヨカにお願いを聞いてもらうのが面倒で、キヨカの手の届かない、自分の心次第の問題を言ったのがアダになった。優はため息をつく。

「そのうちね」

「でもおかしいわね、あんなにゆりって呼んでたのに」

 真帆がきわどい話題を、こっそりというので、優は(大人はこれだから)と思った。のど元を過ぎれば、もう過去の問題として割り切れるその態度に、優はため息をつく。真帆のことを、「ゆり」と呼んでいたのは──。

「やっぱり別人と思っていたから、出来ていたことなのね」

 先に真帆に言われて、優は頭の中身を読まれたのかと思って真帆を見つめた。

 真帆は、ほんのりと色づいた頬で穏やかに微笑む。


「優ちゃん」

 家から出てきた友里が、真帆と仲良く話す優を不安そうに見上げたので、優は友里の肩を抱いた。

「友里ちゃんのことを、もっと大事にしたいなって話してたの」

「え!これ以上大事にされたら、溶けちゃう」

 ニコニコとほほ笑む友里に、真帆が「ごちそうさま」と言ってキヨカの傍へ戻った。キヨカがソワソワと下衆な笑顔をしたが、真帆が人差し指で頬をツンと付いて、あっという間にキヨカの頬を赤く染めた。

「ふたりのことは、ふたりに任せないと、ね」

 鈴が転がるような声で真帆が言うと、キヨカはコクコクと首を縦に振る。すっかり尻に敷かれているようで、優は笑った。


 :::::::::


 朝10時。


 泊りの疲れが出て、ぼんやりと友里の部屋のベッドに腰を下ろしていると「優ちゃん、しちゃう?」と、友里にあっさりと言われて、優はドキリと心臓が躍った。「抱き合うだけでもいいな~」とお気楽に言われる。


 友里の部屋から、帰ろうとしない優の態度で、きっとずっと前から友里にはさとられていたことだろう。友里がにやにやとした顔つきで、優のかたわらへ来る。

「ん」

 両手を広げて、子どもみたいに「抱きしめて」と促すので、優はごくりと喉を鳴らして、その誘いに簡単にのった。柔らかな友里の肢体を、うっとりと抱擁する。

「いいにおい♡」


 友里がそう小さくつぶやく。優からの強い思いに気付いて、動揺して泣いていた子と一緒には思えない。

 友里のなかでは、もう折り合いがついたのか、それとも、いつものように「自分の勘違いかも」と、問題を先送りにしてしまったのだろうか?

 「ぜんぶ好きだよ」と言われても、優が持つ炎ごと、友里が、柔らかく抱き締めているようで──、加減を誤れば友里を焼ききってしまいそうで、優は怖かった。


「抱きたい」


 しかし口からはそんな言葉が飛び出してしまって、友里を困らせた。自分が抱くつもりだった友里は戸惑っている。優は、友里の背中を撫でると、服の上から友里のブラのホックを外し、ベッドに押し倒した。

「脱衣所の、続きをしてもいい?」

 そう問いかけると、友里の頬が真っ赤になっていく。耳まで赤く染まるので、耳にもくちづけをした。


「じゃ、じゃああの、満足してるかしてないかのはなしって、やっぱり満足してないってこと?」

 友里の言葉に、優は首をかしげる。そっと太ももを撫でると、友里が身もだえた。

「……友里ちゃんがものたりないから、そんな話になるの?」

「わたし!?わたしは…………いつでも、多いっておもって」

 しどろもどろに、初心な発言をされて、優は知っているのに嬉しくなってしまう。

「──わたしは、他と比べられるから、友里ちゃんのテクニックを評価してほしいってこと?」

「そういうことを、いいたいんじゃなくない!?!」

 焦る友里の首筋と、鎖骨に、優は多少意地悪な気持ちでキスをする。友里がビクついて、感じていることを確認しながら、優はあることを思いついてしまって、もしも友里が、ノってきたら、悪事が完成してしまいそうで、心臓が跳ねた。

 友里を傷つけたくないが、友里を愛していると伝えようとすると、やわなやりかたでは、なかなか伝わらなくて、困る。


(頭の中の高岡ちゃんが、怒っている気がする)


 が、やはり優は、高岡にはなれないと、心底思った。



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