第159話 お嬢様と仕立て屋さん
新学期まであと数日。卒業式でもみくちゃにされた優の制服の仕上げをするために駒井家に来ていた友里は、寝不足の顔をしているが、朝日に輝く優の姿がまぶしくて、妙にハイテンションで、体の奥底からわきあがってくる笑いが止まらなかった。
「制服を仕立て直すなんて、贅沢だな。奪われないように頑張ったんだけど、ごめんね」
「ううん、おかげで優ちゃんの制服を作れるから、本当にうれしい」
ホワイトデーをうっかり忘れていた友里は、一緒にクッキーとマカロンを優に渡していて、それらを母の芙美花さんがガラス製のコンポート皿に綺麗に盛り付けて、紅茶を淹れている。貴族のお嬢様のお抱え仕立て屋さんのような気持ちで、友里は優雅な状況にうっとりした。少しだけ腰を詰めて、ボディラインを強調しようとしたが、優に怒られて、だぼついたジャンバースカートのままになった。
3月の卒業式の日に家庭科の先生から型紙を受け取り、たくさんの指導をしてもらった友里は、ついに、制服のジャケットまで仕上げることが出来た。全身、友里が仕立て上げたもので飾れて、うっとりする。優の立派な肩の筋肉に沿っていて、サキソニー生地の滑らかな光沢と、ラインが美しい。
「はああ……優ちゃん素敵……!」
友里が涙目で優を見つめる。卒業式に奪われた赤いリボンを、そっと結んで、にこにこした。
優の母の芙美花が紅茶を運んでくれたので、優は着替えようとしたが、友里に「まだそのままで着心地も試して」とお願いした所、その通りに制服姿のままソファーへ座った。友里がジャケットのポケット辺りについていた糸をつまんで取っていると、芙美花がコホンと咳ばらいをして、封筒をテーブルに置いた。
「友里ちゃん、これ、制服の仕立て代」
「え!いりません!!これは、わたしが優ちゃんへの」
(愛の証なので)と言いかけて、友里はさすがに口を閉ざす。思わず母親に宣言してしまうところだった。恋人の服を仕立てるためにバイトをしまくっているのだから、なにも問題はない。制服のついでに、ワイドパンツやシャツも作ってきていた。
「報酬というのなら、わたしが作った服を身に着けた優ちゃんと一生一緒にいることなので!!この感情は、お金に変換できるものではないのです」
友里は、だからこそ、その封筒を受け取れないと拒んだ。優はそんな友里を愛しいと思いつつ(むしろそれは付き合ってると宣言しているのでは?)とか(またプロポーズのようなセリフを!)などの感情がないまぜになって、無表情になっている。それを聞いた芙美花は「素晴らしい演説……」と拍手をするが、真面目な顔をして封筒を友里へ一歩近づけた。
「でも優が迂闊にも、卒業式のたびに壊される制服は、親として用意しなきゃならないもので、タダでいいものが受け取れると思ってしまったら、優の教育にも良くないと思うの」
優がチクリと刺されて、「すみません」と反省した。
「今年はこんな素敵なジャケットまで仕立てていただいて……親として、感謝を伝えるだけでは、足りないし、今後、それを友里ちゃんが生業にしていくのなら、相手がいくらぐらい払ったらいいのかという目安にもなるし、お金を受け取る練習にしてほしい」
ふわっと花が咲いたように、芙美花が微笑む。優は見た目が完全に父親似だが、思考の仕方が芙美花に似ている。説得風に褒められて、友里は一瞬で芙美花が正しい気がした。
芙美花は、しかし友里の気持ちも汲んであげたい気持ちがしているのか、腕組みをして、そして優を見やる。「よし!」と膝を叩いた。
「洋服の仕立て代としてもらってくれないなら、優に、ふたりで遊ぶ時の軍資金として渡す」
「はい、うけとりました。でもこれは、友里ちゃんの教習所代にしていい?」
「使い方は任せるけど、本人に確認はとってるの?」
「その予定っぽいから」
「え!?優ちゃん」
優と芙美花で金銭の受諾が終わってしまって、友里は焦った。優がすぐに中身を覗いて、「少なくない?」と言った。「こっちは普段着の洋服代」ともう1枚封筒が出てきたので、友里は「うけとらないで」と優の腕にしがみついた。
「どうして免許センターのこと、知ってるの!?」
「キヨカさんと、話してたでしょ」
優には、バレてなかったと思っていた友里は、すっかり驚いて、優を見つめた。
「誕生日まで本免取れないから、免許取って驚かせようと思ってたのに」
「サプライズは、苦手って言ったじゃない」
「免許取れても、車が無いしって思っていたから~」
「自分でも用意していた金額があるんでしょ?これで頭金くらいにはなっちゃうんじゃない?どうせ真帆辺りと、車も狙ってるんでしょ?」
「う、うわあ、ああん、お見通しなの……?」
友里は、喘いで思わず涙ぐんでしまう。優と芙美花は顔を見合わせて、車を購入するなら友里の母にも相談しないとねエという話をした。田舎なので、車を停めて置ける場所はたっぷりある、もしもだめなら駒井家に置いてもいいと言われて、友里はさすがに手を振ったが、芙美花は妖しく微笑んだ。
「友里ちゃんは私の娘のようなものなんだから、気にしないでほしい。むしろ中古の軽とか言わず、新車を贈りたい……勝手に納車するから、勝手に使っていいよ」
駒井家の友里への甘さが尋常ではない気がして、友里は焦る。血のつながりがあるのだから当然だが、金銭的に余裕の出た優もそうなりそうだとチラリと思った。
「さすがに勝手に使うのは友里ちゃんは気が引けるだろうから、その新車は兄たちが使うだろうけどね。お金の管理は、まかせて。敏腕仕立て屋さん」
可愛く賢いお嬢様が友里が大好きな笑顔でそう言うので、友里は「はい」と言いそうになって、首を横に振る。優がちらりと封筒の中身を見せた。
「……え!ちょ、こんなにもらったら税金の申告しなきゃじゃない?!」
「あ、しとこうか。お休みのうちに調べておくね」
「は~、落ち着いた、じゃあ友里ちゃんが持ってきてくれたマカロンたべよ~」
金額に震える友里と、落ち着いている駒井家の面々の対比が、徹夜明けの友里には、むしろ笑ってしまいそうな状況だった。
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優の部屋で、普段着に着替えて制服をしまいながら、まだすこしぼんやりしている友里に、優は話しかけた。
「実際、手芸専門店にとんでもない額を払っていたでしょ、技術料と加味したら、少ないくらいだと思うけど」
「でも、恋人へのプレゼントだから、いいのに」
ベッドに腰かけて、友里の肩を抱くと、優は友里の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、そう親に、言ってしまう?」
「……!」
驚いた友里の唇を奪って、優ははにかむ。友里は、頬を赤くして、少しだけ太ももをモジモジとした。先ほどまで仕立て屋さん気分だったので、お嬢様と、秘密の恋仲になっているような気分になってしまう。
(『お嬢様、お立場が……!いけません』みたいな?)
友里はすこしだけ、ロールプレイングが気に入ってる。
「うちの母はとっくにわかってて、こっちの出方を待っている気がする」
優の言葉に、友里はハッとして、優の胸でゴロゴロと体を揺らす。
「そうかな?!なんか、自分に都合がいいばっかりで、夢みたいだよ」
「友里ちゃん、友里ちゃんはうちの親を甘く見てるよ。恋人になったなんて言ったら、もっと大胆だよ」
「え……!?」
「あの人、リフォーム大好きだから、友里ちゃん専用の仕立て部屋はぜったい作る。季節ごとにわたしの部屋も、わからない程度に色々変えられているし」
ブラインドで仕切られた窓が、この前までははめ殺しだったのに、ドアになってベランダへ続く道が作られていた。友里が1週間お世話になった時も使ってなかったものを直しただけとはいえ、シャワールームをリフォームしていた。もしかして、(芙美花さんは、魔法使い?)と、友里はすこしだけワクワクしてしまった。
「でもそれは申し訳ないから、辞退とかは」
「こちらの意思は、リフォーム欲には関係ないんだよ……」
なにかを諦めたような顔で、優が言うので、友里は、苦笑して優を見つめた。しかし、優が言う通り、駒井家に甘やかされてはいるが、それは、優と幼いころから一緒にいるからに他ならないと友里は思っていた。本当にお付き合いしてると伝えたらどうなるのか、一片の不安もないとは、言いきれなかった。
「でもいつか、みんなにお付き合いしてるって言って、喜んでもらえたら、幸せだね」
友里が言うと、優はじっと麗しい顔で「そうだね」と頷いて、友里を見つめた。友里はドキリとして、その笑顔を眺めていたが、優に口づけをされて思わず目をつぶる。勢いあまって、ベッドに倒れてしまい、驚いた顔で優を見上げた。優は、真剣な顔で友里に覆いかぶさっている。
瞳を閉じて優を迎え入れるように抱きしめる。(わたしってば、はしたないな)と思いつつも、優のぬくもりを堪能していると、優が友里の脇腹を少しだけ撫でながら、服の中へ手を入れた。
「あ……っ」
「友里ちゃん、かわいい」
「すぐ変な声が出ちゃう、恥ずかしい」
「嬉しいから、もっと聞かせて」
優は友里の首筋の後れ毛を撫でて、唇に深いキスをする。友里はベッドに座ったかたちのままの足を、すこしだけばたつかせて、悶えた。
「優ちゃん、するの?」
呼吸の荒くなった友里は、もじもじと優に聞いてみる。芙美花に「制服を部屋に置いてくる」と言ってきただけなので、あまり遅いと怪しまれるのではないかと、チラリと脳裏によぎるが、「あと、すこしだけ」と熱っぽく優に言われ、瞳を閉じて受け入れた。
「コンコン」
ノックの音に、ふたりでビクっと飛び上がった。友里は、起き上がるといつの間にか外されていた下着の浮遊感に慌てた。その間に、優がドアを開けずに対応した。
「マドレーヌ焼くけど、たべる?」
ドアの向こう側で芙美花が言うと、優が「焼けた頃、降りてもいい?」と聞くと、「おっけー」というのんきな声で、1階へ降りていく芙美花の様子が聞き取れた。
「……」
思いがけずできてしまった時間に、少しだけ気まずい気持ちになる。「じゃ、しよっか!」とふざけて言ってもいいが、最近の優はふざけた友里を逆手にとっていろいろとしてくるので、友里は躊躇してしまう。かといって、下着を直しかねた。
「優ちゃん……」
自分が思っているよりも熱っぽく、優の名前を呼んでしまって友里はすこし照れた。触られた箇所が、熱を帯びて、優にもっと触られたいと言っているようだった。
「そんな仕草で、そんな顔されたら、我慢できるわけないでしょ」
優に言われて、友里はうつむいた。優が、自分の顔の微妙な変化すら感じ取っていることに、まだ慣れない。
「あ……っ」
「もっといつもみたいに、声出しても、平気だよ」
「だって……っ」
「友里ちゃんのほうが、淑女みたいだ」
「っ………!」
──その日の芙美花のマドレーヌはいつもと変わらず絶品だったが、友里は火照ったままで、味がよくわからなかった。
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