第144話 朝焼け


 早朝5時。優が目を覚ますと、まだ辺りは暗く、全員が床で眠っていた。優はぼんやりと起き上がり、友里にジャケットをかけた。

「真帆、お風呂を借りてもいい?」

 家主の真帆も、キヨカに抱きしめられながら床に落ちていたが、揺り起こすと、ぼんやりしたまま給湯を教えてくれた。火曜日の朝だ。お風呂上がりの優が「学校は間に合うかな」というと、真帆はハタとして蒼白になった。

「ごめんなさい、優」

「それはもう、聞き飽きた」

「じゃあ、ありがとう」

 優は、なにもしていないけれどという顔で、嫌そうにため息をついた。

 昨夜の雨がまるで嘘のように、快晴になりそうな空に、優が「走りたいな」と目を細める。真帆も、変わらないルーティーンに生きる優を、懐かしい顔で見つめた。


「こうしてまた会えるなんて、嘘みたい」

「そういうこと言うと、キヨカが襲ってくるよ」

「もうあの人のモノじゃないもの。好き同士なだけ」


 ふふと真帆が笑うので、優も少しだけ口角を上げた。

「なんだか表情がかわいくなったわね、優。キヨカとは、似ても似つかなくなっちゃった」

「背も伸びたのに?」

「うん、お姫様みたい」

 真帆は、友里をちらりとみて、「彼女のおかげかもしれないわね」と耳打ちした。

「秘密にしていい過去なのに、友里さんに伝わってしまって、ごめんなさい。もしもわたしにできることがあったら、全面的に協力するわ」

「今は思いつかないけど……なにかあったら、友里ちゃんの力になってあげて」


 優がそう言うと、真帆は理由を聞かず、こくりと頷いた。

「真帆、幸せ?」

 問いかけると、優を見つめて真帆はコクリと頷いた。キヨカには、みせない素直さだ。それならよかったと優は、微笑むと、「友里ちゃんはお化粧に興味があるみたいだから今度教えてあげて」と言った。「全然いいわよ」と笑いながら、真帆は、一応元カノの立場の自分と、友里が仲良くしたいだろうかと疑問に思ったが、優は全く無頓着だったので、(友里ちゃんはそう言う子なのかしら?敵わないわね)とひとりで結論付けた。


 ねぼけ眼の高校生たちを身綺麗にして、ハムエッグをサンドイッチにしたものを持たせると、高速道路を使って1時間かかる学校への算段を、真帆と優がてきぱきと決めていく。

 キヨカは、真帆が遠く離れてしまうかもしれないと、まだ心配していて、家から出たがらなかったが、真帆が「ぜったい大丈夫」と、顔を紅潮させていやがりながら、タンスの奥から引っ張り出した、手のひらに乗るくらいの黒いクマのぬいぐるみを渡した。なぜかキヨカは突然ご機嫌になり、安心して、高校生たちを送ってくれた。

 インパネに、もこもこの黒いぬいぐるみを置いてキヨカはご機嫌な鼻歌を歌う。

「どうして?」

「ワタシにも、ふたりの関係性って、全部はわかんないんだよね」

 ヒナが、後部座席の友里へと、サンドイッチを配りながら、疑問に首をかしげる。

「これは、わたしと真帆が初めて贈り合ったクマだよ。わたしは白を持ってる。この子を置いて、どこにも行かないって約束なんだよ」

 ひどい独占欲だなあとヒナが言った。友里はもぐもぐとサンドイッチを食べながら、いつでも消え入りそうになる優にも、そういう約束の一つもなにかあればいいなと考えて、ヒナの反応を見て黙ったが、やはり優を見つめて問いかけてしまう。


「ねえ優ちゃん、このネックレスを預けたら絶対帰って来るってことにする?これはぜったい、大事にしたいし!」

 友里が赤い顔で、優をじっと見つめた。

「え、友里ちゃん、どこにもいかないで──」


 優と友里が後部座席でまたいちゃいちゃと恋の確認をしだしたので、ヒナとキヨカは高速道路の車窓を眺めた。

「──ヒナ、ありがとうね」

 キヨカにソッと言われて、ヒナはサンドイッチを食べながら頷いた。


「姉貴はバカだから、このぐらいやらないとだめだったでしょう?でもすっごいヒヤヒヤしたんだから、もう2週間前なのに招待状とか席次決めとかブライダルエステとか、花嫁がすることなんにもしていないのに、バレないかなって。大志は「キヨカは俺がやってるって信じてるから平気」って言って、笑ってるしさぁ」


 ヒナに、はあと盛大にため息をつかれて、キヨカはあまりの自分の杜撰ずさんさにうなだれた。今更になって幸せな気持ちから諸々のお礼と謝罪行脚に、思考が引き戻された。その姉を見て、ヒナはにやりと、リスのような瞳をクルンと輝かせて笑う。


「ねえ、ヒナ。ホントに大志とお母さんもグルなの?おとうさんは?」

「お父さんと大志のご両親は結婚すら知らない。挨拶は写真館の宣材撮影だと思ってる。結納もしてないじゃん?姉貴は、結婚の流れを知らなすぎ!!」

「嘘でしょ……!」

「ほんとほんと。大志が頑張ってくれた」

「ねえ、あと、友里ちゃんに頼んでる、ヒナのドレスはどうするの?」

「あれは、ワタシへのご褒美ってことで」

「ちゃっかりしてる!」


 頭を撫でられて、ヒナはニコニコした。ヒナの瞳には、キヨカが金色に光って見えた。

「ああよかった、いつもの姉貴に戻って。何年かかったと、思ってるの……」


 言いながら、ヒナはスヤと眠りについた。パンが手から落ちそうになって、キヨカがキャッチした。優が目ざとく、受け取り、運転に支障は出なかった。


「一気に疲れたのかしら。赤ちゃんみたい。ふたりも、あと40分ぐらいかかるし、寝ててもいいわよ」

 友里と優にもそう声をかけるキヨカに、優はもうすでに覚醒している時間なので、首を振った。友里を胸に抱きよせて、「友里ちゃんは少し目を閉じていれば?」と甘い声で言うと、友里はうっとりしてから、おとなしく優の胸に収まった。「よく眠れますように」と言って肩を撫でる。


「ねえそういう技は、どこでおぼえてくるの?」

 キヨカが感心しながら言うので、優は首をかしげる。

「しいて言えば、友里ちゃんがやってくれたことです」

 優が真摯な声で答えるので、まだ眠っていなかった友里の頬があっという間に赤くなっていった。目を閉じたまま口を開く。

「わたし、そんなこと、した?」

「してるよ、最初は小学校3年生の秋ごろかな、具合が悪いけど眠りたくないって言ったわたしに、眠くなるまで抱いてくれた。最近だと……そう、今年の夏……」

「もう、いいよ優ちゃん」


 それきり友里は、赤い顔のまま狸寝入りの態勢に入ったが、優は愛おしい表情で友里の背中を撫でる。

 しばらくすると、すうすうと寝息を立てて友里は眠った。優は友里の髪をおでこにそって撫でた。むにゃむにゃと友里が笑う。

「かわいい」

 思わず呟いてしまう。友里が思っているより、優は友里の態度ひとつに葛藤するし、煩悩と戦っている。


「かわいいね、友里ちゃん」

「……はい」

「そんな警戒するなよ、取って食べたりしないんだから」

「するつもりだったじゃないですか」

 ごめんごめんと謝って、キヨカは笑った。「真帆を愛してるって話をしたかったんだ」という。


「優さん、本当にごめんね」

 キヨカに言われて、優は浅くこくりと頷いた。

「こちらこそ……いつかは、向き合わねばならないことだったので」

 優の言葉に、キヨカは「それでも」と言い、しかし自分が怒りに任せて撒いた種なので、優の行く末を心配する。


「もしもこの件で、ふたりの仲がおかしくなったら、絶対に協力するから」

「真帆にも、同じことを言われました」

 優は真帆に言ったように、友里への援助を惜しまないでほしいと約束させて、この話を切り上げる。キヨカは、話足りないように言いかけるが、なにを紡げばいいのか、悩んだ後、ポンとハンドルを叩いた。


「じゃあ今、どんな些細なことでもいいから、なやんでることってある?お姉さんが解決できることなら、なんでもしてあげちゃう」

「……そうですね、期末がどうなるかとか……あとは、呼び捨てですね」

「?」

「いつの間にかヒナさんも、友里って呼んでて。わたしも、友里ちゃんを友里って呼びたいけど、なかなか……」


 優が、少しだけ赤くなった頬を見せてそう言った。大人びてみるが、ようやくヒナと同じ年の子どもだということを、心の底から理解したようで、キヨカは本気で謝罪した。


「友達になろうよ、優さん」

「あはは、いやです」

「なんでー!」

「友達になろうって言われて、友情が持続したためしがないです」

 優は微笑んで、キヨカに言う。

「友達になりたければ、いつでも、真帆と逢いに来てください」

 本当は笑うような関係ではないと思ってはいるが、同族なので、あははと笑ってしまう。わだかまりが過去のモノと、思えるのはお互いに愛している人を胸に抱えたからだと思った。


 

 朝焼けが青空に変わっていく。2月の空は青く、爽やかに明けていく。


 週末に優の諸々の悩みを解決するための餃子パーティーをしようとキヨカが言うが、期末テストの時期と被るのでと優に素気無く断られて、それらはすべて、3月へ回された。

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