第143話 みんなが幸せになる方法



 友里は優の背中を撫でてから、思いの通じ合った真帆とキヨカを見つめて、ポツリと言う。

「みんなが幸せになる方法ってきっとあるよね」


 真帆は、首をかしげる。


「全員が幸せになんか、ならないよ」

 真帆はよく通る鈴のような声で、キヨカの肩越しで、あっさりと残酷に言った。

「ここでキヨカと結ばれても、結婚相手の大志は、新婦と友達が逃げたっていう、思いを抱えて生きて行かなきゃいけない。わたしは大志おさななじみを裏切りたくない」


 チラリと床を見て、真帆は悲しいように眉を下げた。

「好き同士ってわかったけれど、キヨカの結婚は避けられない。写真館は真帆の大切な場所。世界中の写真を撮りたいって夢を諦めても守りたい場所を、大志が守ってくれた。ヒナちゃんはまだ高校生だし、わたしが、いなくなれば、全部、上手くいく」


 ふわりと、真帆から花の香りが漂った。よく通る真帆の声は、朗読会のようで、物語の先を聞きたいようなシンとした空気に包まれていく。

「わたしたち幼馴染は全員キヨカに恋をして、キヨカは女王様みたいに、その日の気分でわたしたちを選べる立場にあった。わたしだけ優っていう宿り木を見つけ出して、その輪から抜けたくせに、諦めないから歯車が狂ったんだ……」


 真帆は透き通った声で、ゆったりとした口調だが、誰も口をはさめない。優は友里を見つめた。優から、友里に伝えたかった言葉を、真帆が話してしまうかもしれないと思ったが、それでもいい気がしてしまうほどだ。

 友里が、優の手をそっと握るので、優も握り返した。


「優とわたしが歪な関係だったせいで、キヨカが、歯車を壊してわたしを選んでしまったから──大志も、ヒナも、あれから、身動き取れなくなっちゃったんだよね」


「そんなこと」

 ないとも、言い切れず、ヒナは首を横に振って、真帆を見つめた。

「だから、わたしはみんなの前から消えたのに……大志を選んだってヒナから聞いて、のこのこお祝いに来ちゃったから。ごめんなさい、本当にお祝いしたかっただけなの。好きだから、離れよう」


 ふんわりとほほ笑んで、涙が一粒、瞳からこぼれた。

 ヒナは、絶望に震えるキヨカを失望の目でみた。真帆のウソは、キヨカにしか通用しない。真帆と話しているといつも共犯にされたような気持ちになっている。それは、仄暗い初恋のようだった。


「真帆」

 甘い声で、優が真帆の名前を呼んで、友里はドキリとした。慰めるための声色で、それは真帆にも伝わったようで、友里から離れた優が真帆の肩をなだめるようにそっと撫で、それに真帆も涙している。ふたりの親密度を感じて友里は息を飲んだ。


「優、ごめんね。優がわたしを避難所にしてたことはもう、良いから。充分助けてもらったから、もういいの。わたしが優を利用してたから、恨んだっていいことだよ。今、好きな人だけ、大事にしてね」


 真帆が決めた消える決意を、優が覆すことは、ほとんど無理だと思った。

「真帆ちゃんは、ワタシをいつでも助けてくれるのに、ワタシは、真帆ちゃんを傷つけただけだったのかなあ」

 友里が泣きそうなヒナの肩をそっとなでると、ヒナが友里をじっと見た。


「今の友里、昔の真帆ちゃんに、本当に似てる」

 友里はヒナに言われて、また首をかしげている。

「だから落ち着くのかな。……学校でも友里にばっか悪戯してごめんね」

「ツンデレごっこ?全然いいよ、わたし友だち少ないから、嬉しい!」


 ヒナが友里の指を絡ませるように握った。優はちらりとそれを見た。


「真帆さん、みんなわたしに似てるっていうけど、優ちゃんに似てる気がする」


 真帆の決意に口を出せない空気を壊すように、唸りながら、友里がそういった。そもそも友里に、真帆の醸し出す、全員が言いなりになるような空気は読めていなかった。優も真帆も、友里を見つめて、言葉の続きを待った。


「真帆さんは、真帆さんが我慢してるから、他で幸せになれって言ってるみたい。優ちゃんも、自分だけが、我慢すればいいって顔で笑うの」


 友里がつぶやくと、真帆はふるふると首をふった。

「我慢なんかしてない。わたしは、どこでだってしあわせになれるから、みんなもそうしてと、思うだけ」

 友里がプンと頬を膨らますので、真帆は友里に『真帆に影響されて優が寂しい笑顔をするようになった』と責められた気持ちになり、「ごめんね、友里さん、わたしのせいで」とまた涙した。


「すっごくかわいいし、天使の微笑みって思うから、全然いいんですけど」

「うん……?」


 真帆は(思っていた答えではなかった)という顔で少し戸惑ったように、友里を見つめた。

「優ちゃんの痛みは、わたしが気付くからいいとして。でも、真帆さんの我慢は、誰に見せてるんですか?」


「誰に?別に……誰かに見せたくて、我慢してるわけじゃ……」

 言いかけて、にんまりと友里にほほ笑まれて、真帆は(しまった)と思った。


「やっぱり我慢してるんですね!?」

「う、そんな」

 真帆が動揺していることに気付きもせず、しかし追い打ちをかけるように友里は続ける。

「今わたし、友達と、自分が好きじゃない人に告白された時の断り方を勉強しているんですけど、わたしが真帆さんのこと好きだったとしたら、真帆さんの言い方ってずっと期待してしまう感じです」


 友里が子どものような声で言うので、真帆もそれにつられてしまう。


「きらいになったっていえばいいの?」


「弱い気がします。苦手だから無理、この地球上に一緒に生きていたくないとか言ったって、恋は、ころしてもらえないと終われないんですよ」

 友里は、一歩ずつ真帆に近づく。ほとんど身長も骨格も似ているふたりは、見つめ合って、友里がすこし照れたように微笑んだ。


「真帆さんが好きだけど無理って気持ちを、見せれば見せるほど、どうにかして、不安を取り去って、一緒に幸せになりたいって思ってしまいます」


 友里に手をそっと握られたその時、真帆には、パアッと辺りに風船や紙吹雪が飛ぶような、明るい景色が見えた。(困った)という顔で優に助けを求めるように見つめた。優は苦笑して、真帆に謝った。


「真帆、わたしたちがポジティブおばけの友里ちゃんに敵うわけないよ」

 優が似ていると言っていたのは姿形だけだったのだと、真帆は思った。真帆は、いつでも自分が身を引けば、場がおさまることに慣れていた。我慢をして、イイコでいることが美徳だった。ダメだなんて、指摘されたことが初めてで、どう答えたらいいのか、これ以上ない無邪気な笑顔の友里を見つめて、戸惑ってしまった。


「優から、あなたがどんな人かなんて、一度も聞かされてないから──驚きすぎて、思わず好きになっちゃいそう」

 ぽつりと、真帆は友里を引き寄せて、艶めいた声で耳打ちする。友里は丸い瞳で、真帆を見つめると、心を支配できなかった仕返しなのか、真帆がうっとりするような微笑みを友里に見せた。芍薬の甘い香りが強く香って、友里はクラリとした。


「真帆ちゃんは、姉貴を連れて、どこへでも行っていいよ」


 友里と優の協力を得たヒナは、どこか肩の力が抜けたようにソッと真帆に言う。真帆は眉を八の字にした。頬を抑えて、赤くなっていく。

「もうキヨカの一挙手一投足に心を奪われるのは、いやなの」


「真帆の全てに心を奪われているのは、わたし。全部捨てて、真帆を選ぶよ」


 キヨカもヒナの言葉に裏打ちされたように友里から真帆の片手を譲り受けて、手のひらを取った。

「あなた……それがどういうことだか、わかってるの?」

 真帆がキヨカの腕を叩くように振りほどいた。

「もともとわたしは、世界中を旅してたんだから、どこへだっていける」

「写真館は?」

「どこでだってできるよ」

「なによそれ……いま、浮かれてるだけよ。あなたのことなんて、ぜんぶわかってるんだから」


 キヨカは真帆の美しい声でそう言われて、しょんぼりしてしまう。(もう負けちゃってる)友里は、どちらかと言えば、キヨカの気持ちのほうがわかる気がしていた。 優に恋を否定されて、『嫌いだ』と正面から言われたら、友里も気持ちが折れるに決まっていると思った。(頑張って)と友里が見つめて応援すると、キヨカも頷いた。


「だって大志と結婚するんでしょ!?」


 ヒナが真帆の叫び声に合わせて、パンと手を打った。


「ごめん、真帆ちゃん、姉貴、嘘なんだ!」

 

 全員が目を丸める。


「大志と、わたしで仕組んだの!式場も、あれはただのコスプレ試着会!」

「はぁ?!」

 キヨカと真帆が、一緒に大声をあげる。

「おかあさんも共犯。真帆ちゃんを呼び戻して、一緒に写真館してくれても良いし、どこへでも行っても、いいって」

「嘘でしょう……?嘘よね、ヒナ」

 キヨカは声がふるえている。ヒナは、あきらめたようにため息をついて、手を後ろに組んだ。


「ホントだよ。だからもう、素直になってよ」


 ヒナの瞳は、あかく炎が揺らめいているような、血気に満ち溢れていて、本心からに見えた。

「本当は、しがらみがあっても、お互いを選んでほしかったけど、なんだもん。ねえ、なんにも、しがらみがないのなら、ふたりはどうするの?」


 ヒナに問われて、姉は真帆を見つめる。真帆も、妹のようにかわいがっていた幼馴染にそう言われて、時が止まっている。


「いいの……?」


 最初に真帆が問いかけた。その声に、キヨカは真帆を抱きしめて、そのままの勢いで抱き上げて、またキスをした。

「わたしのものだ」

「あなたのものになんか、ならないわよ!?」


 キヨカと真帆がわあわあと浮かれている。なぜか友里をふたりが抱きすくめて、友里は戸惑いながら、さんにんで微笑んでいる。

 後ろで、ヒナは、優にぺこりと頭を下げた。優は別れたほうがいいと思っていたのに、ヒナの気持ちを汲んで、一芝居打ってくれたことへの謝罪とお礼だった。

「駒井さん、友里の前で、ごめん。でも助かった」

「ううん、いいよ。──やっぱり、なにか、企んでいる顔をしてたから……半年前から準備してたの?」

「もうずっと前から!真帆ちゃんが、アナウンサーになってくれたから、結構探しやすくて助かったけど……こっちに戻ってもらうのがホントに大変だった」

「すごい」

 優はヒナの努力を、素直に褒めた。ヒナも、まさかこの計画に、他人からの賛辞がいただけると思っても見なくて、くるくるとした髪を掻いた。「もう遅いんだから、みんなしずかにね」と浮かれたさんにんに声をかける。


「片思いの相手」

 優がそれだけ言うと、ヒナはビクリとした。

「ごめん、ドレス作って貰ったら、あきらめるから」

「……いいよ、計画中のオアシスだったんでしょ」

「お見通しすぎて怖いかも~。それとも余裕なの?」


「全然だよ、いまも片思いしているみたいだ」


 優に微笑まれて、ヒナは「やっぱり、両想いって大変そう」と笑った。


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