第145話 喧嘩



 目を覚ますと、横にキャミソール1枚の友里が眠ってて、いつものいやらしい夢かと思って、優はドキリとした。やわらかな髪をなでると、「ユウチャンカワイイ」と鳴くので、現実だった。友里の夢の中では、せめて友里の理想通りでありますようにと何度目かの願いを込めた。


 友里に愛された日は、どこか物足りない疼きがある。友里のつたないが強引な手管は『友里にされている』という加点がかなりあって、──あれほど泣いてしまうのに、欲張りだと思って、反省する。

 優は部屋着に着替え、友里の体を拭くためのタオルを用意しに1階へ降りた。家族は誰も帰宅しておらず、シンと静まり返っている。15時。期末試験の終わった土曜の朝から友里と、デートと言う体で待合せたのに、あっという間にそういう状況になって、お昼ご飯も食べていない。目覚めてきた体が食物を要求する。

 あるだけの野菜をスライスして、チェダーチーズを焼き立ての分厚いハムに乗せると全てをパンに挟んで、ラップで包み、ぬれタオルと共に自室にもっていった。


 友里はまだ眠っていて、タオルで体を拭くと身もだえする。

 淡く総毛立つ健康的な肌が愛おしくて、唇を落とすと、キスマークをつけたくなるが、高岡の泣き顔がよぎってやめておく。

 髪をとかして、三つ編みにしていると、ごろりとうつぶせから寝返りを打って友里が目を覚ました。

「おはよ、いいかおり」

「おはよう、友里ちゃん、サンドイッチ食べる?」

「うんありがと」

 布団から起き上がって、キャミソールの紐を直す友里は、下が見つからず、諦めてそのままでいようとするので、優が探して渡すと、お行儀悪く足を高く掲げて履く。優は目をそらしてサンドイッチの出来を確認した。


「おいしい♡」

 トマトの酸味がいいと言いながら、友里はサンドイッチを一瞬で完食してしまった。全く足りない顔で「お腹いっぱい!」というので優が苦笑すると、友里のおなかからも抗議の音が聞こえる。


「お茶漬けでも作ってこようか?」

「だめだめ。試験勉強で、すごい太ったの!」

「この前から1kg痩せてるくせに。友里ちゃんは嘘をつきすぎる」

「人間体重計め~~」

「はは、言い方が高岡ちゃんみたいだ」


 優が笑うと、友里はお腹を押さえて、ころりと転がった。


「優ちゃん大好き」

 濃い蜂蜜色の瞳が優を捕らえると、優はいつものようにどきりと心臓が跳ねた。

「優ちゃん、あんまりにもきれいだから、ぱぁっと光の粒がやってきて、天使に包まれて天界へ一瞬で帰ってしまう気がして、ちょっと怖い」

「なあにそれ」

「毎日、かわいいなって思ってる……」

「友里ちゃんは、ほんと目がおかしいけれど、ありがとう嬉しいよ」


 優が友里のそばに近づくと、目を閉じるので、期待に応えて、そっと口づけをした。

「友里ちゃんにかわいいって、言われなくなる日が怖いな」

「ないよ、ずううううっと、全部カワイイって言うよ」

「……」


 優の探るような瞳に、友里はにっこりとほほ笑んでずりずりと匍匐前進すると、ベッドの横に座っていた優の頬にキスをした。

「ずっと一緒にいてください」

 何度目のプロポーズかわからないねと、友里が添えながら、優に抱き着いた。

 優が悲しそうに微笑むと、驚きで離した手をもういちど優に絡ませた。


「大好きよ、優ちゃん」

「……うそだよ」

 優は我慢しきれず、掠れた声で友里に答えた。友里は、優の細く薄い体を抱きしめながら、自分の中にはない感情を探しているようだった。目の前にいる優が落ち込んでいるのだから、精一杯慰めようと、おろおろとしている。「今、えっちしても意味ない?」などと笑わせようとして、優は苦笑してしまう。


「ごめん、変なこと言った」

 優が話を切り上げて、友里の頬にキスを落とすと、タオルやサンドイッチの入っていたお皿を片付けて、「なにかご飯を探してくるね」と立ち上がった。

 友里は、その背中に、この1週間、言いたくて言えなかった言葉を投げかけた。



「優ちゃんは、真帆さんちから帰る道中からずっと、わたしに嫌われたかもって思ってるのかな?」


 優は一瞬で、奈落に突き落とされたような気がした。しまい込んでいた感情を、強引に表に出された。その間に、友里はすっかり準備しているような顔をしていたので、優はいちど友里を見てから、なにも言えず横を向いた。


「……」

「気付くよ、それは。何年優ちゃんを見てると思ってるの?」


 友里に言われて、優は棒立ちになった。いつものようになにかに没頭して、ひとりになりたくなったが、今、友里に帰ってほしいとお願いして、言葉のまま、本当にひとりにされたら、耐えられないかもしれないと思った。

「でも。真帆さんを傷つけた訳じゃないし、どちらかと言えば、優ちゃんが傷ついてて……だから、わたしはいつも通り、優ちゃんが大好きだよ」


「友里ちゃんは残酷だ」


 友里が優のそばまで来て腰を撫でるので、優は友里のほうから始めた話を、真剣に返しているのにと思いながら、その柔らかな小さな手を、取った。


「友里ちゃんが距離を置いてくれたら、謝罪をして、許された気持ちになれるのに。謝らせてもくれない」


 『どうして?』という悲し気な表情で見つめられて、優は息が止まったようになった。中学生の時に、大学生と付き合っていただけでも、嫉妬まではいかなくてもなにか思う所があるだろうと、優の常識では思ってしまう。真帆が、手に入れられないと思っていた、友里の身代わりだったと聞いて、怖がられても仕方ないと思う。


「だって離れてるのは、さみしいから」

 友里に言われて、優は眉を寄せた。

「……大好きだから、悩んでいるのに」

 友里を見つめもせずに、虚空に優が言う。


「もしも、わたしが、優ちゃんと同じことしたらどんなふうに怒るの?」


 優は、言い淀む。自分が、友里に対してどんな独占欲を抱えているか、優自身もその場にならないと、よくわからないくらい、理性では測り切れないなにかを抱えている事には、気付いている。


「友里ちゃんが、他の誰かと?」

 キヨカのように、怒りをどこかにぶつけないと生きられなくなるのか、まったくわからない。けれど友里に、それを伝えたら怖がられそうで、また、いい子の仮面をかぶる。


「──友里ちゃんの幸せしか、考えたくない」

「ほらやっぱり、優ちゃんだって怒らないじゃん」


 仮面を喜んでしまう友里に、優はうなだれた。言わなければ伝わらないのに、友里ならばわかってくれると思って、伝わらないことでショックを覚えたり、相手の反応に凹んだりするのは、なんて、我儘なのだろうと思って、優はグッと息をのんでから本心を言った。


「本当は、すごく嫌だよ。だけど、友里ちゃんが、選んだなら、仕方ないって」


「優ちゃんは、わたしのどこが、そんなに好きなの?」


 友里は思っていることをすぐ口に出す。質問の答えになってない言葉に、また疑問を重ねられて、優は、自分の友里への感情が、なにも伝わっていないことに、苛立ちを覚えた。

「わからないなら、いいよ、もう」


 立ち眩みがして、優はベッドにすわり、そのままコロンと横になった。


「わたしは優ちゃんが好きなとこ、いっぱい言えるよ、頑張り過ぎちゃうとこも、強がって色々堪えちゃうとこも、大好き。頭がよくて考えすぎちゃうとこは心配になるけど、優しくて、たおやかで、気遣い屋さんで、繊細で淑女で……演技が上手で」


 横になった優に、友里は覆いかぶさって、友里の誤解だと反論したくなるような、優に都合のいい解釈を伝えていく。優は歯がゆい思いで、瞳を閉じた。

「わたしは、狡猾で、裏から手を回すのが得意で、勝手に傷つくくせに思慮に欠けた暗い馬鹿だ」

「どんな優ちゃんも、大好きだよ。カワイイ」

「また噓だ」


 友里が言葉にするほどに、優は信じられなくて、もういちど起き上がった。

「友里ちゃんは、わたしのことを、なにもわかっていない」


「うん、もっと言って」

 振り返ると、友里の濃い蜂蜜色の瞳に見つめられて、優はたじろぐ。言葉に出来ない思いがあふれてきて「あ」と言って喉が詰まった。頬が赤く染まり、両手を後ろ手に支えにして、起き上がっている胸に、友里が耳を当てて抱き着いてきて、心臓が爆発するのではないかと思うぐらい、ドキドキと音を立てた。


「すごい心臓の音」

「友里ちゃん……」

「これを聞いたら、わたしを好きってわかっちゃうから、優ちゃんはカワイイ」

「……!」

 淡く微笑んだ友里に見つめられて、優は余計に心臓の音がたかまるのを感じた。体が震えているようで、目が潤んだ。言葉なんて発することもできない。よじよじと優を上ってきた友里が膝立ちになって、優の耳を、キャミソールのみの自分の胸に押し当てた。

「わたしの心臓の音もきこえる?優ちゃんにだけ、こうなるんだよ」

 優は友里の柔らかな体に包まれて、強い友里の匂いに、頭の芯がクラリとした。

「ねえ、はじめて喧嘩したね」

「え?……これ、喧嘩なの?」

 呂律が回らないような声で、優が問いかけると、友里が目を丸くして驚いた。

「だって、わたしがキヨカさんと真帆さんの──優ちゃんが、醜いからいやって言ってた話を、聞いたからでしょ?嫌われたって思ったのに、わたしが幸せな顔してたら、優ちゃん、不安になっちゃうよね」

「……!わたしが一方的に拗ねて──」

「だって、優ちゃんのことたくさん知れて嬉しいのに、怒れないよ」


 友里の柔らかな胸の感覚と、穏やかな声に、優の視界がゆれる。真帆の、全ての人間に有無を言わさぬ声色とは違うが、優にだけ特別に効いてしまう、固有結界のようで、優は(ずるい)と思った。また受け入れられて、溶かされてしまう。

 幼い頃から、友里は優が泣いていると自分の一番柔らかな部分に優を沈めて、包んでくれる。幼いころは、何度も丸いほっぺをくっつけてくれた。きっと無意識に、柔らかいもので包めば、優の尖った心が丸くなることに気付いている。


「いとしい…………」

「おはなし、終わって平気?」


 思わず言ってしまった声に応えるように問われて、優はハッとした。このまま友里に赦されてしまっていいのか、再度友里に問うと、友里は困ったように微笑んだ。


「じゃあ、わたしが怒るまで、喧嘩してみる?」


 友里はパンと手を叩くと、戸惑う優をおいてけぼりにして、ニコリとほほ笑んだ。

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