第140話 だきしめたい


 真っ赤なキヨカのスポーツカーは、友里と優を乗せて夜の高速道路を走っていた。


「わたしも、友里さんと一緒。真帆の代わりに似た女を抱いても、ちっとも楽しくなかった。あれを楽しめるのは、やはり……壊れてるなって思うし、壊したのは、わたしなんだなって……」


 本物のキヨカに触れて、優は確かに自分に似ていると思った。他者に自信があるように見せて、繊細ぶって、相手のことをコントロールできると思っている。狡猾なケダモノ。彼女の言うように、同族嫌悪を覚えた。


 友里の制服のシャツの首元に顔をうずめて、友里の健康的な肌を布越しに感じようとしたが、自分が贈ったネックレスの硬さを感じて、優はうらぶれた。自分の独占欲が、友里の柔らかさを奪って、自分に跳ね返ってきた気がした。

 優は起き上がって、無の表情でキヨカを見つめる。キヨカは、その視線に気付いて、ぐっと息をのんで、目をそらし、運転に集中した。優は観念して、友里にキヨカの意図を伝えた。


「友里ちゃん……つまり、真帆を抱いてたわたしは、キヨカさんの身代わりで、わたしも、友里ちゃんだと思って真帆を──だから、キヨカさんは、わたしの恋人に、無茶を言っている」

「……優ちゃんの話なの?」

「うん」


 友里は、優が、過去に女性とお付き合いしていたことは聞いていたが、真帆を友里と思って抱いていたとは気づいていなかったようだと、優は思った。いつもは、友里を見つめていればだいたい考えていることがわかるが、優はただ友里の言葉を待った。


「あ、えっと…中学2年生の頃っていってたよね……?」

 優が頷くので、友里は、「そのころの自分といえば、優ちゃんに、似合うと思って作ったシャツのボタンを変更しただけの手作りのプレゼントを贈ろうとして照れて贈れないような、子どもじみた真似をしていたのに、優ちゃんが自分を「抱きたい」と苦しんでいたなんて」というようなことを、もごもごふわふわと言って、優の胸にしがみついた。


「おとなっぽいね……?」

 友里がようやく呟くと、運転席のキヨカが毒気を抜かれたようになって、「たしかに!」と噴き出した。

 優は腹を立てたまま、キヨカに唸る。

「わたしへは、なにをしてもいいけれど、友里ちゃんをこれ以上巻き込まないで下さい」


 友里の言葉に、優は全てを悟られたと思った。幼馴染の友里はいつでも優が泣いていたり、傷ついていると敏感に察知して、自分のことは二の次で、優を笑わせようとしてくれる。そして優を苛むものに立ち向かうヒーローだ。そんな友里の事が優は、とても愛おしくて、大好きで、とても悲しいと思った。友里に感情を我慢させているのは、他でもない、自分だ。


 優の要望通りにしてくれたのか、キヨカはなにも言わず次のICで高速を降りた。しらない街の夜景を眺めながら、ヒートアップしている心を、優が自分で沈めていると、友里が優の腰をそっと抱きしめた。

 優はまた、自分のことで怒るのが苦手な友里が、キヨカの言葉を借りるなら、(壊したのはわたしなのかな)と思っていることを恐れた。友里は、優のことを「壊れすぎてラスボス形態になっている」と言っていたが、友里だけのお姫様になったと思っていたのに、また友里を苦しめているのかと思って、優は申し訳ない気持ちになって、自分の腰にしがみ付いている友里の頭を撫でた。もう「かわいい」といって貰えないかもしれない。


 友里が、スリスリと寄り添って、言葉はつむげないが、優を慰めるかのように柔らかく抱きしめる。

「友里ちゃん……」

 優は、懺悔の気持ちで友里の名前を呟くと、キヨカから思考を外すように友里を見つめた。友里の体を抱きしめることは、悪い気がして、今は出来なかった。



「友里さんは、ヒナのお洋服を作ってくれる人なのに、面倒ごとにまきこんでごめんなさい」


 姉の表情で、キヨカが謝る。優の怒りがすこしおさまる気がしたが、(もう口を閉ざしていればいいのに)とも思った。友里が優を心配して、キヨカに懇願する。


「これ以上、優ちゃんを傷つけないでほしいです」

「でもさ浮気──とかおもわないのかな」

 優への攻撃はそれとは別とばかりに、キヨカが言う。


「中学生の時の優ちゃんが、どうだったとしても、それは今の優ちゃんを形成してるひとつです」


 優への恋の気持ちだけで友里が言うと、ヒューと口笛を吹かれて、胸にしがみ付いた友里の頬が紅潮したのが分かった。大人にからかわれる友里を見て、優は申し訳なくなる。昔に戻って、「あと3・4年がまんすれば、友里と想いが通じ合うのだから、いますぐやめろ」と言えればと思った。


「愛してんだね、優さんのこと」

「それはもう、絶対自信があります!」

 腕が優の腰辺りを支えるのをやめ、ガッツポーズをする。


「優ちゃんの事が大好きなので……今の優ちゃんは、過去と全部繋がっているんだから、過去だって、今の優ちゃんを作ってくれたものだと、思ってるんです」


 優の胸が高鳴る。こんな時ですら、友里に愛されていると思って嬉しくなるのが恥ずかしくて、友里から離れようとしたが、友里はそれを許してくれなかった。凛々しい笑顔で見つめられてドキリとした。意識して、キヨカに優への告白を伝えたと、優は気付いて、(こんな時ですら……ポジティブの塊だな)と思った。素敵な友里に自分が似合わない気がして、優はどんどん逃げたくなっていくが、それすら悟られて、友里は、優の薄い腰に回した腕に強く力を込めて、離さない。


「あの」

 キヨカに向かって友里は、一度優を見つめてから問いかけた。


「優ちゃんと、キスしてないですよね?」

「は!?」


 キヨカは思わず冷水をかけられたような声を出して、ハンドルを離しそうになって、慌てて押さえた。車がぐわんと揺れていちど走行車線側へ行ったが、後続車に迷惑をかけることなく登坂車線に戻れた。

「ええ?!してないよ。さっきホテルに誘ったけど、断られたよ」


 優が怒って「キヨカさん」と言うので、ごめんごめんと首元の髪を前に送りながら言うが、友里は続けてキヨカに問う。

「写真館で、優ちゃんとキヨカさんが見つめ合ってて、あの時、キスしたのかとずっともやもやしてて……ヒナちゃんが、お姉さんはキスは日常だっていうし」


「ヒナが!?」

「……ちがうんですか?」

「ええ?あんまりムカつくこと言うから、殴ろうとしてたとこに、ヒナと友里ちゃんが来たんだよね?誤解されるとしたら、あの時かなあ」

 優につられて、友里の事を「友里ちゃん」と呼びだすキヨカに、優はムッとした。

 しかし優が言っていた通り、「胸ぐらをつかまれただけ」という状況がキヨカにとってもそうだとわかり、友里は深いため息をついた。


「なんだ……!」


 友里が優に抱き着いたまま、安堵した声を出した。よほどわだかまっていたのか、すこし涙目になっている。

「あ、でも!こんなにかわいい子を殴ろうとするなんて!」

 友里の声に、キヨカは「はあ」と言った。

「でも友里ちゃん、その子で本当にいいの?キスなんかどうでもいいと思うようなことをしてきてるんだよ。その辺、怒ってもいいと思うけど。わたしが言うのもあれだけど、かわいいって形容詞、あってる?友里ちゃんはもっと幸せにならなきゃだよ」


 優はキヨカが自分と似ていると、キヨカも思っていることに気付いたが、黙った。確かに友里には、もっと幸せになってほしい優だった。キスなんて本当に、些細で些末な事だ。


「優ちゃんは宇宙一かわいい淑女ですし、一緒にいる以外に、幸せはないので」


 友里が優にしがみついたまま言った。(可愛いわけはない)と思ったが、優はジンと胸が熱くなって黙った。そして、友里が、なにかに気づいたようにパッと瞳を輝かせて優を見つめるので、優はなんと言ったらいいのかわからないような複雑な表情をして、見つめ返した。


「優ちゃん、わたし、全然ちがってた」

「──なにが?」

「ずっとこの感情は、嫉妬だと思ってて、優ちゃんが他の人となにがあっても大丈夫って自分が、思わないといけないって思ってたんだけど、優ちゃんを虐めるキヨカさんを見て、違うって思った。想いの伴わないキスのことだ──」

 友里は、うんうんと唸りながら、しどろもどろに、自分の中の感情と向き合いながら、優に告げる。


「優ちゃんはただでさえ自分を犠牲にするような、我慢しすぎてて、嫌だってことに鈍感で、傷ついたままのひとなのに、そばにいたのに、守れなかったから、怒ってたんだわたし自身に」


 友里のしどろもどろの言葉に、優は、驚いた。友里がずっと、複雑にキスを気にしていたのは、「優を守れなかったから?」


「惚気を高岡ちゃんに言えなかったのも、守れなかった自分が優ちゃんを語る資格がないって思ったのかも!!優ちゃんを世界で一番幸せにするのはわたしなのに!弱気になってた!!」


 はあと落ち込む友里は、優の胸に、ポスリと摺りついた。「あ、でも今日ヒナちゃんには優ちゃんのこと話せたかも、あれは事実だけだったからかなあ」などと呟く。


「自分の感情が、ままならないし、片付けが出来ない時みたいだ。優ちゃん、今日は絶対、守りぬくからね、キヨカさんに負けないから」

「友里ちゃん」

 優は、もしもキヨカにキスをされていても、殴られたとしても、自分が犯した過ちの代償と思っていて、友里に守られるような謂われは全くないと思っていたが、あくまでも友里自身の、感情の起点が優であることに、くすぐったく、申し訳ないような気持ちになった。


 自分が思う時は、利己的で自分勝手と感じるような、「そばで幸せになってほしい、あわよくば自分が幸せにしたい」と思う感情を、友里がそう言ってくれるだけでこんなにも嬉しいと気づいて、優に熱い気持ちが昂って、さまざまな葛藤が消え去った。

 ──友里をだきしめたいという想いしか、残らなかった。




「『一緒にいる以外、幸せはない』か。わたしもそう言えたら、良かったのかな」


 後部座席で延々と抱きしめ合うふたりを眺めて、ポツリとキヨカが、フロントガラスを見つめながら言った。

 トンネルに入り、暗闇を抜けるとぽつぽつと雨が降り出して、窓を濡らした。その先は大雨だった。


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