第131話 なりたいもの


 友里をバイト先まで送って、優は今日からプレ家庭教師になるので、予備校で数名の中学生と、誰のバイト先へ行くか相性を決める作業が、19時から行われる。それまでの2時間、高岡につかまったままの優は「答えられる事だけは答えますよ」という顔で、友里のファミレスに滞在してふたりで滞在していた。


「大丈夫かしら、言葉にするとよくないかと思って、絵で描いてきたのよ」

 高岡はルーズリーフを取り出して、仕上げのなにかを描きだした。

 かわいい妖精の絵を描いていて、優はそれをまじまじと見る。

「へえ、絵がうまいね」

「まだ見ないで。どうせ駒井優は、絵もうまいんでしょう?」

「絵は壊滅的だね」

 そういうと優は、半信半疑で驚いたままの高岡の、余ったルーズリーフの端に、うつくしい所作でサラサラと物体を描く。高岡はくるりとノートを反転してみたりしたが、どうみてもクリーチャーで、どちらが上かもわからず、「せめてタコ?」と悩みぬいた先に言った。

「ネコ」

「ぶふっ」

 ひとしきり笑って、は~とため息をついて高岡は涙を拭いた。

「お化け屋敷もジェットコースターも、絵もだめなの?すごい、意外とかわいいところたくさんあるじゃない。駒井優画伯」

「友里ちゃんなら、なにを描いたかわかってくれるんだけどな」

 優は慣れ親しんだ反応に、「喜んでいただけたなら幸い」という顔をして、高岡の本題を聞く。


{友里に似合う王子様を探してるの?}

 ノートに大きくかかれた文字を見て、優は目をパチリとした。ぱらりとノートをめくると、パタパタと羽を動かしながら、村瀬と望月にそっくりな王子を応援している優にそっくりな妖精のイラストが描かれている。次のページでは、友里にそっくりなお姫様が、茨のベッドで元気に飛び跳ねて、歌をうたっている。強化された茨で、王子たちは弾き飛ばされていた。

{望月と村瀬は、王子候補としては、弱いんじゃない?}

{どうして排除しないの?}

 石造りのお堀の中に、王子ふたりを突き落とす妖精の優が、悪い顔でガッツポーズをしていた。

「あなたはリラの精になんて、ならなくていいのよ」


「あはは!絵がうまい」

 優は噴きだして、お腹を抱えた。高岡は4~12歳の女の子たちにバレエを教えるアルバイトをしているからか幼稚園の先生のようにポップで可愛く説明されて、さすがの優も拍手をした。「天職だ」というと、高岡ははにかんだ。


「別に……王子を探しているわけではないよ。ただ、友里ちゃんに近づくからって、排除してたら……友里ちゃんが誰とも出会えなくなるなって思うから。彼女は強くて魅力的なんだから、独占はするけど、好きになるのは、止めたら悪いよ、心は自由ってやつだろう?」

「なら、わたし以外を好きにならないでとか、言ってあげてもいいじゃない」

 優は目をまんまるにして、高岡を見つめた。「ハハハ」と笑うと、自分の前髪を撫でるように、頭をおさえた。

「はあ、わたし、ほんとに高岡ちゃんが苦手だな」

「な」

 高岡は眉をしかめる。優はしばらく笑ってから、顔を覆って、そのまま腕を組んで前のめりになって、高岡へ顔を寄せた。

「友里ちゃんのために、ずっと考えてくれたんだね、ありがとう。大丈夫、ずっと言ってるよ。わたし以外を好きにならないで、どこにもいかないで、独占欲を見せて、わたしの気持ちを疑わないでって。──情けない言葉をずっと友里ちゃんに言ってるから、飽きられないか、心配」


 高岡にすらわかる造形美で、優が艶めいたため息をつく。高岡は、その図を想像しておでこまで赤くなってしまうが、優をぎろりと睨みつけた。

「でも、友里自身に好きな人が出来たら、身を引こうとしているじゃない」

「そうだね」

 あっさりと頷くので、高岡はイラっとした。

「そういうのが、不安にさせるのよ」

「高岡ちゃんを?」

「友里をよ!」

 優は、机に頬杖をついて、高岡を見つめる。


「わたし、友里って呼び捨てにするのが、やっぱり羨ましいのかもなあ」

「すればいいじゃない?」

「癖で、ちゃん付けしてしまうんだよね」


 そろそろ本格的に高岡に怒られるだろうかと優は思う。しかし話題をポンポンと変更していることに気付いてもいない高岡が、真剣に優が、どうやって”友里を呼び捨てに出来るか問題”を悩んでいる事を見て、優は穏やかな気持ちになっていった。


「高岡ちゃんが、友里ちゃんの相手ならよかったのに」

「ねえ!それはぜったい言っちゃいけない言葉よ!?」

「はあい」


 遠くで、ウェイトレス姿の友里が、そわそわとこちらを見つめているのが見えて、優は手を振った。ベルを押すと、友里がダッシュで来てくれた。

「ご注文は♡」

「和定食と……え、ドリアでいいの?たんぱく質補給?脂質が多くない?──ドリアだそうです」

「はい、お待ちくださいね♡」

 メニュー表を指さし、優からの質問に頷くだけだった高岡にも、にこりとほほ笑んで、水色のエプロンドレスを翻して、友里が手を振る。優も高岡も振りかえした。


「友里は働き者ね」

「手を振るサービス、良くないと思うんだけど、高岡ちゃん的にはどう」

「私たちにだけなら、いいんじゃない?マーケティング的に、ダメなの?」

「かわいすぎると思うんだ」

 あまりにも麗しい顔でバカな事を言うので、高岡は思わずむせた。

「駒井優って、ちょっと友里に似てきたわ」

 高岡はすごく嫌だけどと追加しながら、そう言ったのに、優が赤い顔を見せて喜ぶので、自分に対してたまに、血の通った表情を見せるようになったなと思った。

「長年連れ添った人たちが似てくるって言う、あれかしら?」

 高岡が言うと、優はハタとして、顎に指先を乗せた。


「あ…そうか、わたし、友里ちゃんに似たいのかもしれない」


 かわい子ぶって首をかしげて見せるので、高岡は今日の優はどこか、浮かれているような、ねじが外れているような気がして、「ウエ」と言った。優はそわそわとして、高岡にお礼を言った。高岡はなにかに気付いたような顔をして、お礼を受けて、どういたしましてと頭を下げ返した。


「生徒さんの前では、せいぜいカッコよくしなさいよ、勉強効率が上がるわ」

「”友里ちゃんみたいに”はダメかな、人気でそう?」

「私はそっちが良いけど、やんちゃな王子様よりは、”自信満々な女王様のような東京の国立大志望”のほうが、親への信頼が厚そう」

「じゃあ、そういうロールプレイしてくるよ、どうも演技が得意みたいだ」

「お仕事おつかれさまです」

「はい」

 フフとほほ笑み合っていると、友里が和定食とドリアを配膳してくれた。

「楽しそう!仲間に入りたいけど、仕事が!」


「友里、お疲れ様。今日は楽しいかも」

「きょうはってなに?高岡ちゃん」


 あっという間に優の予備校の時間になり、高岡も電車で帰宅することにした。

 友里に手を振って、優と友里が21時に、いわゆるデートで帰宅する約束を取り付けているのを、背中で待った。


 駅までの歩道を歩きながら、速足の優の背中を見つめる高岡は、あと少しで予備校へ着く優のロングコートをつまんで、話しかけた。


「駒井優、あなたのこと、ずっと壊れてるって思っていたけど、壊れても正気みたいな顔ができるのは、友里のそばにいるからなのね」

 一瞬、言葉の意味を理解できないというような顔をして、優が立ち止まる。言葉を飲み込むとこくりと頷いて、花のかんばせで微笑んだ。

「高岡ちゃんは、わたしに気付かないことに、平気で気付いてくれる。でも友里ちゃんに傷をつけないように、がんばるからね」


「ねえ……言うのはやめようかなと思ったけど、今日はずっと、友里っぽい考え方よ。演技でもしているつもり?私にとっては楽だったけど、癖になるからやめなさいよ、あなたは、あなたなんだから」

「ほらやっぱり、すぐ気づいてくれる」

 ニコリとほほ笑まれて、高岡は戸惑ってしまう。いつものように、にらみ合うくらいがちょうどいいと思い、優がその気ならと、仕方なく、高岡は本心を言うことにした。すこしだけ嫌だが、仕方ないとつけながら。


「友里のことが大事なの、駒井優より。だけど、あなたのことも、心配はしてるのよ、これは、本当よ。だから、そうやって自分なんてどうでもいいみたいに、自分を傷つけるの、やめなさいよ……これは、友里の為でもあるわ」


 多くの車が流れて、グレーのロングコートを着ている優が、なぜか消え入りそうで、高岡は不安に思った。どうして不安になるのか、まったくわからない。優が苦手な気持ちは変わらないし、例えば優が友里のようになるのなら、楽しいことは分かったが、それでは、友里が恋をしている本当の駒井優は、どこへいけばいいのか。


 ──もしも、優が、11歳のあの怪我のあとから、合わせ鏡のように、無意識下にずっと友里を演じていたのだとしたら。と考えて、ゾッとした。


 しかし、高岡はその考えを消した。それなら、バレエを始めるはずだと思った。

 友里のイマジナリーフレンドだと思っていたほど、不思議ですぐれた才知に溢れているのは、昔からだ。今日の友里ごっこも、高岡のしつこい質問に辟易して、きっと完璧にしてしまっただけだろう。

 しかし、友里が無くしたものを少しずつ、集めていることは確かで、駒井優だって、友里以外の何かを人生に添えなくていいのだろうかと、心配になってしまう。


「友里ちゃんを、わたしだけのものにずっとしておきたいんだ」


 本人が望んでるんだから、すればいいじゃない……というより、(もうほぼしているじゃない?)と、高岡は思ったが、その声は弾んだようなものではなかったので、高岡を黙らせるための友里っぽい演技ではなく、本来の優が、本心からの言葉を言ってくれているのかもしれないと思って、ただ聞いていた。


「でもどこかで、別の誰かにさらわれたら、きちんと身を引こうって考えるのはね、たぶん、防衛本能だよ、失うかもしれないその時に備えておきたいだけなんだ。それって、幸せだから起こる現象なんだって。だから、大丈夫だと思うよ」


「けっきょくのろけなのね?」

「そうだよ」


「だいじょうぶなのね?」

「うん、納得してくれたかな」


 きっと優は、これ以上高岡にいらない苦しみを与えたくなくて、出来れば納得してほしいのだろうと思った。出会いこそ悪かったが、今はもう、高岡も優も、ひとりの友人として、大事に思っている事を確認できた。どこかなにか通じ合うのは友里と一緒にいるだけで幸せと思う同士だからだ。

 

 優自身が、友里を怪我させたこと、様々な問題から、その幸せを感じていいのかと自問自答を繰り返しているだけで、その苦しみは優と友里がふたりだけで乗り越えるもので、高岡が、背負う必要はないと、ようやく思うことができた。


 高岡は、きっと、最初から優が羨ましく、友里の隣にいるのなら自信を持ってほしいのに「なぜ」と聞きたかっただけだった。


「高岡ちゃんこそ、リラの精みたいだ」


「わたしが、駒井優を王子に選ぶわけないじゃない、というか、さっきの図では一応、便宜上、あなたが自分をそうおもってるってこと?!ってききたかっただけ」

 高岡は深いため息をつくと、背の高い駒井優の背中を軽く叩いた。


「あなたは魔女よ」

「ええ?」

 驚く優に、ふ、と無敵のような笑みで、高岡が微笑んだ。いつかの、友里と肩を組んだ写真の高岡を彷彿とさせて、優はたじろぐ。


「魔女と姫で、ずうっと仲良く暮らせばいいのよ。私はそこに、たまに遊びに行くから。そうね、友里がいつも言う、懐いた小鳥って感じ?」


 それだけ言うと、優の予備校に着いたので、高岡は駅まで走りだした。手も振らないで行ってしまうので、あとでメッセージを送ろうと、優は思った。



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