第130話 ロールプレイング
友里をそっと覗き込むように小首をかしげると、黒髪がサラサラと流れた。優が微笑んで、友里の肩を抱く。
「荒井さん、初めまして。駒井優です。科が違うから、わからないかな」
あっという間に「初対面の駒井優さん」になりきって、ふわりと余所行きの声と顔になる。友里は思わず顔を覆って鳴いた。
「ユウチャンカワイイ!!!!」
「──ダメだよ友里ちゃん、友里ちゃんはわたしを知らないんだから」
優が低音の甘い声に戻って、友里の頬を撫でる。幼馴染ではない優の表現力に、演技がはじめてとは思えないと褒めたたえながら、しかし友里は冷静になれなかった。
「だって、顔がよくて……。”荒井さん”だって!はずかしい!!きゃー!!でも優ちゃん、初対面の子の肩を抱いたら駄目だよ!!」
「あ、そうか。ごめんね」
言いながら、仕切り直す。ふたりで演技のプランを練る。遊びに真剣だ。
優の演技プランは、「ツンとクールな感じだが、実は荒井友里に片思いしてる」 そして、友里は「優に初めて逢う学生」だ。
「わたしが優ちゃんを初めて知るの?優ちゃんはいつの間に、わたしのどこをすきになったの?この学校で優ちゃんを知らないなんてありえるの?」
「それは、おいおい仲良くなったら、伝えあうってことで……」
役のディテールに拘る友里に、優が苦笑する。
優の胸に包まれるように寄り添っていた友里が、この距離感はありえないなとそっと抜け出すと、スカートがひっかかって、友里のカバンが机から落ちた。チャックを閉めておかなかったため、作っていた刺繍道具が床に綺麗にばらまかれた。空き教室は机が多く、しゃがむとほとんど机で囲まれていて、天井が見えないほどだった。
友里たちはカーテンのしまった窓際の壁添いにいる。
針を数えてみると、一本見つからない。バグを見つけるのが得意な優がすぐに拾ってくれて、友里は微笑んで見上げた。
「ありがとう!」
「荒井さんのためにやったんじゃないよ」
「……あ」
ちゃんと優がロールプレイを続けていたので、友里は「初対面」の顔をした。机の足の檻の中で、陶器のように整った冷たい瞳で見つめられて、たじろいだ。しゃがんでいるせいで、15センチ離れた身長を久しぶりに感じて、どきりと心臓が鳴ったが、初めて美しい優を見たのなら、言葉を失っても仕方ないと思い、黙った。優が流れるような手つきで刺繍糸や布を、友里よりも上手に収納してくれた。その仕草は淑女たる優の丁寧なたおやかさで、友里はホッとして笑う。
そして優は、しゃがんだままの友里の元へ戻ってきて、机と机の間に、左ひざを立てて座った。床に置いた友里の手に、そっと手を添えるためだ。立たせてくれるのかと友里は思ったが、そのまま床に固定されて、顔をつき合わせた。
「わたしのためにしたの。荒井さんと、お近づきになりたくて」
「……!」
「刺繍素敵だね。いつも丁寧に作ってるのを見て、気になってたんだ」
好きになった理由を追加で入れてくれて、友里は苦笑しそうになるが、じっと見つめられて、身動きが取れなくなった。サラサラとなびく黒髪、長いまつげと、黒い瞳がきらりと輝く。これが初対面だったら、友里は(お迎えの天使かと大騒ぎしそう)と思った。長い指先に、たどられて、ジャケットの中の手首を掴まれた。友里はビクリとした。あまりにも整った、毛穴がひとつもない肌に友里が見惚れている間に、優は瞳を開けたまま、そっと友里の唇へ、唇を寄せた。
ちゅ。
唇で、リップ音が鳴って、友里はハッとする。
「優ちゃん、初対面でキスするの!?」
「だって友里ちゃんが、デレはキスだって」
「あああ……!言いました!!!」
自分の迂闊さに手で顔を覆うがしかし、ロールプレイングが思っているよりも良かったので、友里はぱっと顔を上げて、ニコニコと優を見つめる。優は友里が嬉しそうで、ホッとした。
「演技なんて、友里ちゃんにはしたくないな」
「でもすごい素敵だったよ、ひとめぼれしちゃいそうだった」
「嘘つき、ちょっと怖がっていたくせに」
「そんなことないよ?ほんとだよ、ただすごい他人だと思うとほんと美すぎて言葉が繋げないっていうか、キレイでかわいいな~って思ってしまって……」
優はチラリと時計を見た。もうすぐ半になってしまう。友里もそれに気づいたのか無邪気な笑顔で優を見つめた。
「じゃあ、あと1回、キスして帰ろっか!」
優は友里の浮かれた提案に、プツンと導火線に火が付いた思いがした。今にも他の生徒がやってきてがらりとドアを開けられてしまう、この場所でその行為が、どれほど危険か、頭の中をめぐるが、チリチリとそれらすべてが焼かれて、友里の腰を抱き寄せ、唇を奪いたいという気持ちしか、残らなかった。
「ン?!」
いちど唇を重ね、優は角度を変えながら再度、唇を奪った。指先で友里の下唇を捲り、顎を他の指で支えると舌を滑り込ませる。舌で上あごをそっと撫でると、友里は震えて優にしがみ付いた。
呼気の乱れた友里に胸をぐいと押されて、優はようやくハッとした。この感情の昂りを、いつも反省するのにまたやってしまったと思い、優は土下座をしたいような気持になる。しかし、今回は体をまさぐったわけでもなく、友里に提示された条件内だった気もするので、胸の中の友里を見つめてみる。
「多い」
友里がいつも通り優の口づけの重さに苦言を呈するが、ふざけた感じがなく、濃い蜂蜜色の瞳がくるりと潤んだ気がして、優は答えを少しだけ甘い声で口にする。
「わたしにとっては、1回だよ」
髪を撫でると、友里は「ん」と目をつぶり、お腹を押さえる。小刻みに肩が震えて、頬が真っ赤だ。先程まで優に押さえつけられて赤くなった、光る唇を拭って「モウ」と鳴いて、優を見つめるその目はやはり涙で潤んでいる。
「ドキドキしちゃうから!!やっぱり学校ではやめよう」
拒絶の言葉なのに、友里の悶えるしぐさに優は心臓がドキリとして、喉が鳴った。そっと腕を伸ばし、肩を抱こうとして指先が触れると、友里の体がビクリと跳ねあがって、太ももを交差して合わせる。真剣な顔で瞳を閉じて、優から離れようとするが、自分の瞳から、涙があふれ出しそうで友里は戸惑って唸った。
「まだ初対面の演技?」
「……駒井さん、これ以上はホントにダメよ!初対面ですることじゃないわ」
友里は冗談めかしてそう言った。恥ずかしすぎて冗談を言ってしまう友里の癖だと思った優は、赤い顔で見つめる。
「荒井さん」
聞き慣れない音を囁かれて、友里はビクリと震えた。今動くと、体がとんでもないことになりそうで、ぐっと我慢している。すると壁に手を置いて、優が友里の体に触れないように覆いかぶさり、耳に唇を寄せた。
「──したいの?」
優の言葉を聞いて、友里はビクリと震える。(学校で)ひゅっと心が冷えるが、それよりももっと心臓が早く動いて、頭の中で大きく鐘の音が鳴って、視界が二重にとろけた。首筋に唇が落ちて、友里は震える。
「あッン」
必死で我慢していた甘い声が喉からこぼれ出て、両手で唇を押さえて、優をパッと見た。優が驚いたように目を丸くして、喘ぎ声を出した友里を見ている。(だって、優ちゃんがっ)という顔から火が出る勢いで震える友里をなだめる。
「うん、わたしが悪い、たくさん誘った」
優はホールドアップして、さすがに謝る仕草をした。すると、チャイムが鳴って、四時半を知らせた。──優のひそかなタイムアタックは……友里の瞳を覗くと、「バイトへ行かねばならない」という顔をしていたので、不発に終わったようだった。チャイムを恨む。
「わ、わたしこんな状態で、電車に乗れるかなあ……」
「……」
真っ赤な顔でそう言いつつ、友里があっさりと興奮を手放しているように見えたので、思わず友里の二の腕を揉んだ。「ンあ」と声を上げてよろけて優にしな垂れかかる友里を見て、優は幾らか満足を覚えて、肩を抱いて支える。そして耳元にささやいた。
「……こんな状態の友里ちゃんを、誰にも見せたくないな」
友里は優の悪戯に、(小悪魔ちゃん…!カワイイ!)と言いたいが口に出せずパクパクとするだけで、自分がどんな状態なのか、一瞬で頭がパニックになった。
「瞳がとろんとして、真っ赤な顔で、色っぽい、たべちゃいたい」
それを聞いた友里はペシペシと頬を叩いた。そっと胸の先を触られると、友里はビクリといつもより大きく跳ねてしまった。
「あ……わたしが優ちゃんを、た、たべたいの!」
(タイムアタック成功してたのか……)優はじわりと胸が踊ったが、それよりも友里の身体の震えを心配した。
「敏感になってるんだとおもう──、最後までしてみる?服の上からさわるから」
「え、え、やだ……!こんなとこで」
「だって、立てないでしょう?ほら、……さわるよ?」
「あ……っ。……んう……!」
「声は抑えて」
「……っ」
ガラ、ガララララ。
「すみません、お邪魔します、どなたかいますか?」
友里は「はい!」と立ち上がった。
「え、どこ、友里!」
空き教室にずらりと並んだ机の中から、友里の声がして、高岡は辺りを見回した。床がほとんど見えなくて、死角になっている。
「待って、今、──あいた!」
友里が机に当たる音がして、高岡は教室の中へ入ってきた。ようやく床から、ひょこっと「へへ」と言いながら、ポニーテールの友里が出てきた。
「まだいたのね、良かった。今日バイトだと思って、一緒に帰ろうかとけっこう探したのよ……駒井優は?」
「います」
優も立ち上がると、無表情のままで、いつもの白い顔をしていたが、どことなく不機嫌に高岡には見えた。
「なによ?なんで床に転がってるわけ?さがしものでもしてたの?」
「……In a way. The empty classroom was full of invaluable……priceless jewelry.」
「…ある意味、かけがえのない貴重な宝石でいっぱい???なにいってんの?」
友里がアハハと笑って、パタパタと手で顔を仰ぎながら、制服の埃を軽くとった。
気持ちは昂っていたが、ある意味、高岡が来てくれて助かったと、ふたりして思った。あのまま、どこまでもいってしまうところで、そしてやっぱり、”空き教室はあぶない”と肝を冷やす。
「部活は?」
「おやすみ!」
(自主的なやつか)と優は思って、ため息を吐く。自分が抜けた後の大事な戦力なのに、困ったものだと思った。カバンを振り回して、高岡は言った。
「駒井優に聞きたいことがあるのよ」
この質問魔から逃げ切るには、なにになりきればいいのだろうか?優は無表情のまま、友里を見つめたが、友里はニコニコとほほ笑むばかりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます