第127話 高岡ちゃんおとまり
友里はふんふんと鼻歌交じりに、眠れる森の美女の第三幕冒頭部分を歌っている。
「タラタラタッタタッタッタ」
「ご機嫌だね、姫」
髪をとかしながら、友里の背中越しに話しかける優は、そっと髪にキスを落とした。鏡越しにそれを眺めて、友里は照れてぱたぱたと顔を手で仰ぐ。
「姫は優ちゃんだよ!眠り続けても起こしに行くからね!!」
優は王子様な友里に、頬を桃色に染めてはにかんだ。茨を超えて迎えに来る時に怪我をしないといいなと小さな声で言う。
「高岡ちゃんをお風呂場にお迎え行かなくて大丈夫かな?戻ってきたら、どんなお話しする?」
「もう寝る時間じゃないかなあ」
友里の髪をとかす仕事にもどりながら、優がニコニコと答えた。
──その様子を、お風呂から出てきた高岡はドアから一歩も入ることが出来ず、胸やけのするような気持ちで見ていた。
「あ!高岡ちゃんおかえり!!さあ、お布団へどうぞ!」
高岡に気付いた友里に、真ん中の布団を用意されて、隣に友里のベッド、隣に駒井優という構図で、高岡は顔をゆがめた。それを見た優が、友里が気にしないのなら自分がベッドを借りていいかと持ち掛けた。友里のベッドは普通のシングルサイズで、優はかろうじて足が飛び出ない程度だし、友里が隣のほうが高岡も安心するだろうと提案し、友里も床に落ちて高岡を踏んでしまうことを危惧して、それに乗った。うふふくすくすと笑い合って、友里が床にひいた客用布団に寝ることになった。
「なぜふたりはそんなに浮かれてるの?」
高岡は若干退きながら、優と友里を見つめた。
「高岡ちゃんとお泊りが嬉しくて!」
「右に同じ」
(友里はともかく、駒井優はぜったいちがうでしょ?)という気持ちで高岡は睨みつけた。しかし友里からは本心からお花が見えるかのように喜んでいて可愛らしいので、それはそれで高岡は(楽しもう)と、友里の隣の布団に腰を下ろした。
「友里、もう体調は平気?」
「全然!ビックリさせてごめんね。高岡ちゃんも倒れないか心配で、お迎えに行こうかって話してたの」
高岡はさすがに駒井優に迎えに来られる構図を思って、胃が痙攣した気がした。(無事にお風呂を済ますことが出来て、良かった)と胸を撫で下ろしていると以心伝心した駒井優が「持てるかな?」と呟いて、友里が「試しに行ってみる?!」などと言い出したので全力で拒否をすると、優が我慢しきれず噴き出した気がして、キッと睨んだ。
「洗面道具ありがとう、友里のおうちってお風呂がとても広くて楽しいわね。シャンプー、サラサラになったわ」
「あ!よかった!あれ香りがすごくいいよね」
「ええ、良い香り。はちみつかしら?」
ふたりで肩を合わせて、同じ香りの髪を楽しむ。長い髪同士、ドライヤーの時間短縮術などを語り合う間、優が微笑ましく見守っている。
「駒井優もお風呂行って来たら?」
「私は家で入ってきた。明日、すぐに家を出れるように、色々持ってきた。高岡ちゃんも朝走るかなと思って、ジャージをどうぞ」
「はあ?」
高岡は駒井優を見つめる。高岡のルーティーンの早朝ランニングも把握されてて、ぞわっとした。(だから、聞いてから用意しなさいよ)と言いかけてもう、無駄だと思ってジャージを受け取って黙った。
友里は素敵なナイトブラの話を早くしたくて、高岡にも新品を貸していた。「どう?」なんて聞くが、駒井優の手前、高岡は「明日にならないとわからないわ」と話を遮った。友里はそれなら、ふたりで茉莉花の彼女直伝のストレッチをしようと持ち掛けた。
優はその話題から目をそらしたが、友里と高岡の2人に促されて共にストレッチをすることになった。バレエを習っているふたりに比べれば硬い体をしている優は、柔軟で初めて負けた。
くすくすと笑い合って、朗らかな夜が、更けていこうとしていた。
高岡は、あまりにもたのしくて、友里が微笑んでくれるのが嬉しくて、友里ばかり見てしまう。22時半を回った辺りで、途端に感情があふれて、友里の胸に自身を沈み込ませた。
「……6年も、この田舎を離れるんでしょ……」
「えっ」
友里に表情が見えないのを良いことに、高岡は思いのたけを伝えた。
「駒井優は返事をくれないけど、友里とまた離ればなれになるの、やっぱり私、寂しいって思っているのよ」
高岡は我慢しきれず、ポロポロと涙を流してしまう。驚いたからではなく、本心から寂しくて流す涙だった。
「7年も、なんの音沙汰もなくて、またこんなに仲良くなれたのに……また、離ればなれなんて。仲良くしててもやっぱり距離が離れることは、つらいわ」
友里が背中を撫でて、優を見つめる。友里は、優が東京へ行くから東京へ進路を取ったが、それは服飾の夢があり、もう決めていることだ。しかし高岡の寂しさに気付いてあげられなかったことに、友里は反省した。
「なら、高岡ちゃんも、東京へ来れば良い」
優があっさりそう言うので、友里は慌てて、「羽田バレエスクールで先生をする」という高岡の夢を優に説明した。それは、友里も本来なら叶えたいと思っていた夢の一つで、その願いを無下にすることなんて絶対にできないことを告げる。
「……高岡ちゃんも東京へ来れば、離れても、1、2年で済む。苦手だって言う英語を沢山勉強しておけば、損はないだろ。日本ではバレエの先生の資格って必要ないみたいだけど、例えば別の国で国家資格を取る際に、留学するにも語学を嗜んでおくのは良いと思う」
「だから!あなた私に、英語を!?わかりづらい!!!」
優に言われて、高岡は泣きながら優を見つめた。つまり、優は友里の居場所はわかっているんだから、戻って来るまで待っていなくても、高岡が自分で追いかけるための素地を、作ればいいということだったらしい。高岡は、涙目で目を見開いて、友里の肩に手を置いたまま、優を見つめた。友里が、戸惑ったように高岡を見つめる。
「でもね、嬉しいけど、高岡ちゃんがわたしのために、夢をあきらめるのは見たくないよ、逢いにくるし、メッセも、チャットだって、「もう面倒くさいわね!」って高岡ちゃんが言うぐらい、たくさん連絡しちゃうんだから」
高岡は笑って、「そうね」と言いながら、友里の肩から手を離した。涙を拭いて、ひとつに束ねた髪を肩にさらりとかけた。
「私自身が友里と離れたくないと思えば、たくさん手段があるってことね」
言うと、優を睨みつけるので、優はニコリと麗しの表情で微笑みを湛えた。
「そうだよ、恨み言を言うより、確実な力を手に入れた方がいいでしょう?」
「まあいちいちムカつくけど、あなたつまり──私に優しくしてたのね?」
「いつでも優しいつもりだよ」
高岡と優はにらみあって、フッと笑った。ふたりが英語でメッセージを送り合う仲だったことも知らなかった友里は、混とんとした胸のもやもやに苛まれ、高岡を抱きしめながら、ベッドに腰かける優へと倒れ込んだ。高岡が優に膝枕をされているようになって、「ぎゃ!」という。
「羨ましい!わたしも仲間にいれてよ!」
「友里がいなければ、駒井優と口も聞いてないっ」
「確かに」
「えーー?」
友里だけが置いてけぼりをされているように、目をぱちぱちした。高岡と友里で、優の膝を半分ずつ枕にする。
「高岡ちゃんが良ければ、お勉強、続けるけど。わたしも勉強になるし」
膝枕のまま優に頭をそっと撫でられて、居心地が悪かったのか、高岡は起き上がって、懐かない猫のように遠巻きに布団で体育座りをすると、優の提案に頷く。
「……じゃあ、あと数学も教えてほしいわ。証明にミスが多いのよ」
「へえ、記憶力よさそうなのに意外」
「だって、途中でわけがわからなくならない?」
「感情なんて乗せなくていいんだよ」
友里はそのまま優の膝枕で、高岡と優の会話を聞いていた。全く分からず、のほほんと天井を眺めていると、耳の後ろあたりの髪を優の長い指先がそっと撫でるので、高岡がいるのに少しだけムラっとしてしまった。それを我慢しているうちに睡魔がやってきて、友里を夢の世界に誘う。優と高岡は、優の膝の上で眠る友里の寝息を聞いて、喧々囂々とした数学談義から黙る。
「いろんな未来があるよ、高岡ちゃんにも、友里ちゃんにも」
そういうと、眠った友里をそっと持ち上げて、布団へ戻した。枕を抱きしめて、にふふと笑う友里の頭を撫でて、優は笑みを湛える。
「自分は友里のいない未来なんて考えてないくせに」
高岡もそう言いながら客用の布団へ入ると、優が友里の部屋の電気を常夜灯へ変更した。優もベッドへもぐりこんだが、友里の香りがして、どきりとしつつ、高岡に悟られないよう目を閉じた。
「そうだね、考えたくないけど……でも、友里ちゃんが選ぶ未来に、わたしが邪魔なら、ちゃんと身を引くよ」
「うそ、友里がそんな未来選ばないように、駒井優なら画策してしまいそう」
「──そんな未来は、いらない」
暗闇に冷たい声が響いて、高岡はどきりとして黙った。「ごめんなさい」と言うと、優も「ごめんね」といつものように穏やかな声に戻った。
「友里ちゃんはすべてちゃんと自分で選んで歩いていける人だから。選んでもらえることは、嬉しいのだけど……自分の恋を、制御できなくて友里ちゃんの人生を奪ってしまったと、──間違っていたかもしれないと、考えない日はないんだよ」
目線が合う。暗闇に目が慣れて、駒井優の陶器のような冷たい表情が見えたので、高岡は悲しい顔をして見つめた。
「せっかく恋人同士なのに、バカね。友里のことが大好きな癖に。友里だってあなたのことが、とても大事なのだから、そばにいれてラッキーってさっきみたいに浮かれておけばいいじゃない」
優は、唇に人差し指を当てて「友里ちゃんには内緒にしてね」とほほ笑んだ。
高岡は「言うわけないわ」と言って、優に背中を向けた。見ると、友里が気持ちよさそうに眠っていて、(聞いていてくれたらよかったのに)と思った。優が友里が起きている時に迂闊な話をしないと、高岡は誰よりもわかっていたけれど、(駒井優の弱音を、友里が聞いていてくれたらよかったのに)と、この時ばかりは思ってしまった。
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朝5時に、高岡と優はランニングに出かけ、通学電車に乗るための支度を終えた頃、ようやく友里が起きてきて、諦めたようにしわしわでしょんぼりと「行ってらっしゃい」といった。
友里のその姿を見た優と高岡は、初めて、友里のために自分のルーティーンを休み、友里と一緒の登校を選んだ。
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