第126話 平和な大騒ぎ

 ところで最近、勉強がおろそかになっている気がして、優は気持ちも新たに、新しい問題集を購入した。テンションが上がってあっという間に半分ぐらいやっつけてしまっていると、珍しく着信が鳴った。

 相手は高岡だったので、すぐにとった。

「What's going on?」

『あなたね!!それほんといい加減にしなさいよ!!!友里の家にいますぐきて!!!』


 優は荒井家に駆けだした。


「どうしたの?」


 汗もかかない間に、荒井家のドアを開くと、友里がうーんうーんと唸って、廊下で寝転がっていた。友里を抱えようとして、廊下にへたり込む高岡が、乱れた髪を直しながら、優にしどろもどろに言う。

「ダイエット解禁だなんて言うから、駅前のパフェ食べ放題で先生たちが奢ってくれたのだけど……友里ったら、パフェを7つも作って、さらにフードコーナーも制覇して、ナポリタンまで……」

 優はあまりにも平和な大騒ぎに、あっけにとられた。友里は高岡に向かって、ひんひんと泣いている。

「優ちゃんを呼ばないでって頼んだのにい!」

「だってあなたを運べるの、駒井優しか思いつかなかったのよ」

「優ちゃんは人間体重計なんだよ~~」


 廊下でうずくまっている友里を、優はひょいと持ち上げた。

「うん、2kg+ってとこかなあ」

「わーん、やだ~!」

 お風呂でもお手洗いでも全部手伝うよと言う優に運ばれる友里は、両手で顔を覆う。高岡はふうとため息をついて、友里の荷物を友里の母親に預け、立ち上がった。

「じゃあ、おばさま。私はこれで失礼しますね、なにもないようで良かったです」

「あら、朱織ちゃん、お茶でも飲んでいって」

「私も食べすぎて、おなかパンパンで」

 高岡はスレンダーなままのおなかをさすって、はにかんだ。

「高岡ちゃん、帰るの?」

 優が危ないから送っていくというニュアンスで、問いかけると、高岡は制服姿のまま、くるりと回って、コートの前を閉じた。

「明日平日よ、ちょっと先生たちと学校帰りに逢えたからって、夜にパフェを食べるなんて暴挙しちゃうとはね。親がそこらまで車で来るまで、歩いて帰るわ」

「夜遅いし、泊って行けばいいのに」

 お手洗いから出てきて、少しさっぱりしたような顔の友里がそう言って、友里の母もパンと手を叩いた。連日の青天に、ちょうどお客様用の布団の虫干しを終えたところだった。


「お泊り会だ!」

 

 高岡が、瞼をパチパチとしている間に、友里の部屋に布団が敷かれて、あれよあれよと高岡家にお泊りの連絡がなされて、高岡の母に「初めてのお泊りなので!」と高岡に友人が少ないことをあっさりばらされた。高岡は、展開の速さと恥ずかしさで顔を真っ赤にして、今にも泣いてしまいそうだった。


「優ちゃんも泊まる?よね」

「ああ…どうしようかな」

「帰っちゃうの?」

「友里ちゃんはどうしたい?」

 友里の髪をそっと撫でて、お伺いを立てる優は友里を抱きしめるようにして見つめる。友里も、優に帰ってほしくなくて、腰に手を回した。

「サッと泊まりなさいよ!!!」

 ふたりの甘い空気に耐え切れず叫んだ高岡に言われて、友里は「!」という顔をして赤くなり、優は噴きだしそうになる。

「はあい、教官」

 可愛い声で答える優は、(あ!でもえっちな感じになったら)という顔で睨みつける高岡に気付いて、噴きだすのを我慢しきれずに咳ばらいをした。高岡は「もう!」と声を出して、優の背中をバンと叩きつけた。友里よりもずっと以心伝心してしまう優と高岡に、友里はいつも戸惑ってしまう。

 まずは友里をお風呂へ入れて、優と高岡で友里の部屋へ行って待機する。高岡は、ベッドと鏡台だけの友里の部屋をみて「こうなるわよね」と呟いて立っているので、優がバレンタインに貰ったクッションをとりあえずの座布団として進呈した。

「……友里のお風呂も、手伝うのかと思ったわ」

「さすがにお母さまがいるときは、ね」

 優の日本語を久しぶりに聞いた高岡は(やればできるじゃない)と言う顔をした。

「なんで英語だったの?」

「高岡ちゃんとは本心で語りたいから、感情が乗る方を選んだ」

 無表情で凛々しい顔をして、真面目な声で答えられたので、高岡は思わず信じて相槌を打ってしまう。(ネイティブのような発音の駒井優ならきっとそういうこともあるのだろう)と本気で思った。

「嘘だよ、単語や意味を調べてる間は質問が飛んでこないから。ずっと質問するんだもの、高岡ちゃんは」

「もう!やっぱり私を排除する気だったのね!?最低!!」

 からかわれたと思い、カッと怒って拳を振り上げる真似をする高岡に、優は「あはは」と笑った。けれど全部本当で、全部本心だよと続けるので、何が本当で何が嘘かわからず、(やはり駒井優のことは苦手だわ)とため息をついた。

 優の答えを和訳すると、「わかってるから心配しないで」とたどり着き、肝心な答えはキチンと聞けない。望月や村瀬の件も、友里を連れて行ってしまう6年の話も。


 高岡は友里のいない間にしかできない話を、早口で優に伝えようと思った。きっと優も、この時はそういうつもりで来てくれたのだと思っていた。


「この間、友里の体にキスマークを見たわ」


 ベッドに腰かけていた優は、思いがけない方向からボールが飛んできたが、無表情のままキャッチして高岡を見つめた。あれからまだバレエスクールの日もない、服を脱がなければ見えない場所の話なので、他人だったらあり得ないが高岡に限っては、友里にやましい気持ちはぜったいに無いという信頼から、優は頭を下げる。


「それは、大変失礼しました。友里ちゃんが無防備に服を脱いだのかな?」

「バレンタインデーのあとよ」

「ああ」

 優はすぐに膝を打った。優がプレゼントしたネックレスを高岡に見せたのだと気付いて、「喜んでくれたようでよかった」と呟く。

「友里は私が気付いたことに気付いていなかったみたいだけど、ああいうの良くないわ。傷を………これ以上増やさないであげてよ」

 高岡に言われて、優は反論もせず、手を合わせてその手を唇に押しあてて「はい」と言った。


「すぐ消えるって、わかってるのよ、でも、ポットを背中におとしたり、──友里を好いている望月や村瀬をそばに置いたり」

「うん」


「……いやなの、友里に、なにか、傷痕がつくことが」

「ごめんね」


 高岡は優の穏やかな謝罪の声に、だんだんと冷静になって、胸を押さえた。(言い訳がたくさんあるだろうに)と高岡は思った。──キスマークだって友里の性格を考えれば、彼女からつけてと言い出しかねないとも思う。そもそも、恋人たちの行動はふたりで決めたことだと高岡は信じている。優ばかり責める事ではない。


「いいえ、こちらこそ……ふたりのことに口を出して、ごめんなさい」

 ずっと感じていたもやもやがすこし晴れたようで、高岡は完全に自分の感情だけだと言って、もういちど優に謝った。


「ううん、友里ちゃんの件で、怒ってくれるのは高岡ちゃんだけだから、助かる」


 優に微笑まれて、高岡は陶器のような顔に表情がにじみ出るのは、友里の家の中だからだろうか?と思った。人間味があるのなら、それはそれでいいと思った。いつもの駒井優は、ちょっと倒れただけで壊れてしまう陶器のお人形のようだと思っていた。

 壊れた優の欠片で、友里が傷つかないか、それだけを心配していたけれど、もしかしたら友里は優が壊れないように支えているのかもしれないと、高岡はふと思って(傷をいとわない友里だから、──尊敬してしまうのかもしれないわ)と深いため息をついた。



「そろそろお風呂にお迎えに行こうかな、高岡ちゃんは、ここで待っててね」

「……はい」

「いやに素直だな」

「だって、なんかやましいことをするのなら、今してもらおうとおもって──同じ部屋で、なにかはじまったら、嫌だもの」

「わたしの事を何だと思ってるの、高岡ちゃんは」

「友里にやましいことをする178cmの虫」

「ひどいなあ!」

 美しい顔を赤くして、八の字の眉になった優は「アハハ」と、怒っていない声で笑った。(美しい駒井優に対して、そんな事を言う人間は初めてだろうに)別の人にそんな口を聞いたら、嫌われるに決まっている。高岡はそれでも、優に対して尖った口のきき方をやめることができなかった。嫌われてもいいような気持ちもしていた。

 「そんなに言うなら、ついておいで」と優は高岡をつれて一緒に友里を迎えに行き、──脱衣所で倒れている友里を見た。


「友里!!」

「湯あたりだ」

「そうよ、食べてすぐのお風呂って、良くないっていうわ」

「食べ放題から、1時間ぐらいかけて帰ってきたと思ってたから、完全に判断ミスした」

 優はとりあえず、脱衣所に置いてあった友里のかばんから、ビタミンC入りのラムネを取り出し、友里の口に入れて、体を横にした。お水を持って来ると、そっとラムネを溶かすぐらいの量を、少しずつ口に含ませた。友里は青い顔で、瞳を開ける。

「ううん……のぼせちゃった。ちょっと休めば、大丈夫だから、服が濡れちゃうよ優ちゃん」

「平気」

 裸の友里にバスタオルをかけて、優は自分が椅子になって濡髪の友里を寄り掛からせた。ラムネを舐め切ったころ、友里は急にしゃきっとして、優と高岡にお礼をした。

「おみぐるしいところを」

「良かった、友里ちゃん」

 優が椅子の状態で友里を背面から抱きしめた。高岡は、ホッとしてバスタオルの下に下着を手渡した。

「あ…まだちょっと動けないかも」

「…え、手伝ったほうがいいってことなの?」

 高岡は、かあっと頬を赤くしたが、体調のすぐれない友里の為なら、仕方ないと意を決してしゃがんだ。

「高岡ちゃん!?」

「できることでもやってもらうと楽なんでしょう?──ほら」

「あ、わたしが足をあげようか」

「優ちゃんはふざけてる声がする!!ふたりとも、お母さんじゃないんだから!!!」


 騒ぎを聞きつけた友里の本当の母も駆けつけて、みんなで友里の世話をしようとする。もうすっかり元気を取り戻した友里は、みんなお母さんみたいで恥ずかしいと連呼して、全員を外に出して脱衣所のドアを閉めた。そしてパパッと自身で着替えてから、1分も経たないうちに脱衣所のドアを開けた。

 3人のママたちがホッとしたように胸をなでおろして待っていて、「う」と言って、「ごめんなさい、お騒がせしました、ありがとう」と頭を下げた友里だった。

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