第123話 ゆり

 

 友里が好みそうなアクション大作は早朝と夕方しかやっておらず、少女漫画原作の実写化映画しか時間が合わなかったが、パンフにおどるデートムービーの文字に浮かれた友里が率先してチケットを購入した。女性に不治の病が判明した辺りで、優は、ぼんやりと眠気に負けそうになってしまった。


 友里の言う通り、寝不足も相まっていたが、昨日から小さな頃の思い出が、優の脳裏を占めてぼうっとしていた。友里を汚したことは、やはり優にとって、後味の悪いモノだったのだろうかと、欲に負けた自分に問いかける。


 もしも映画の中のように高校生になってから友里に出会っていたら、こんなに強く友里が優を想うことがあったのだろうかと、ふと考えて、──出逢えれば必ず好きになってしまう自信があるが、出会わなかった世界線に怯えた。


 ──……。


 記憶の中の小さな友里は、いつでもなにかしらの長い棒を持っていて、髪はバレエのためにお団子にまとめていたが男勝りだった。優が弱虫で、カマキリの卵にさえ怯えていても、「わたしが守るからね」と小さな背に優を抱えて、走り出す。赤いマントがよく似合う小さな英雄。

 小柄で目ばかり大きく、肩までの黒髪が人形のようでこわいとからかわれていた優は、男子によくいじめられていた。友里が、パッと走ってきては、優を助けた。優がまだ病弱で、休んだ日には、学校での出来事、友里が好きなもの、見てきたものを話してくれる時間が優は好きだった。テレビアニメの1話分、友里と半分にしたプリンの味も覚えている。

 太陽の影に隠れながら、夏のプールへ。花火を見るための特等席を見つけ出した友里の背中を追いかけた。招待されたかまくらで眠って熱を出した優に、手作りのおだんごをお見舞いにもってきたしゅんとした友里が笑顔になった瞬間。全てを忘れない。

 友里はキラキラ輝く世界への切符をたくさん持って冒険へ行き、お土産を優にたくさん持って帰ってきてくれるような存在だった。


(憧れから始まったのかな)


 ──映画の主人公が、「私が死ぬまで恋をして」と叫んだときに、友里が手を繋いできて、にこりと微笑みあった。


 事故に遭った後の友里に、劣情を抱いたことを、優はいつでも深淵を覗くような気持ちで思い出す。恋というには、俗物的すぎるけれど、そこからかもしれない。


 活発な友里がまだ治りきらない怪我のせいで部屋で遊ぶようになり、ゆっくりと優と立場が逆になることが増えた。


 中学1年生の夏休み、友里が駒井家に来ると優が話せることもあり、両親がよく友里を招待した。友里の父が不在なことも多く、友里は駒井家に預けられていた。

 一緒に眠っても、ただ安心するだけで、なにも思わなかったのに、ある夜、目を覚ました優の手のひらに、友里の裸体がそのまま乗っていた。手のひらにたぷんと胸が丸くかたどっていて、質感のちがう先端がはっきりと分かった。むにゃむにゃとよだれを垂らして眠る友里のまつげが、スローモーションで震えた。

 優が慌てて手のひらを引き抜いたせいで、ごろりと寝転がった友里の真白い肌が暗闇にさらされた。優は半裸の友里を薄いタオルケットの中に押し込めて、背中を向けて眠れぬ夜を過ごした。ただ一緒にいたい好きという気持ちが、もういちどさわりたい気持ちに変わった瞬間、友里を汚した気がして、友里をまともに見れなくなった。


 クローデットに裸を散々押し当てられてもなにも感じず、一層「友里の体だからだ」と強く刻まれたせいで、より、恋として、友里を意識するようになっていった。


 中学生の時から、通っている茶道教室で「ゆり」と呼ばれている人がいることを知った。5月の頃、青と緑の中間色・次縹つぎはなだ色の訪問着がよく似合う、栗色の髪と薄茶色の瞳の女性は、清楚ながらも大口で笑う女性ということを知る。「ゆり」は大人になった友里のようだと思い、逢うたびにペコリとお辞儀をした。


 水曜日の夜23時、水泳クラブからの5キロをランニングで帰宅する途中、同じくランニング中の「ゆり」に再会したのは本当に偶然だった。「ゆり」は、170cmまで身長の伸びていた優のことを自分と同じ大学生と思っていたらしく、優も初めての大人扱いがあまりにも楽で、訂正をしなかった。

 毎週水曜日の23時に「ゆり」とお茶をする日々が続いた、中学2年生のある日。

 友里が駒井家に泊っているといつもの連絡を受けて、優はいますぐ会いたい気持ちと、触れたくない気持ちで揺れて、深いため息をついた。それを聞いていた「ゆり」がアパートへ泊めてくれて、優はその日──はじめて友里以外の女の人に触れた。「ゆり」も同じように想いの届かない相手に恋をしていた。お互い、利用し合うような関係だった。

 体の欲が消えたことで、「自分が好きなだけでいいと思えるようになった」と言ったのは「ゆり」のほうだった。優もその感覚がわかって行った。


 それから、しばらく「ゆり」の家に寝泊まりすることが多くなったが、保険証をみられ、こどもであることがバレた後は、ただ寝泊まりするだけになった。「ゆり」も大学卒業と同時にこの田舎を去り、優と「ゆり」はそれきりになった。


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「優ちゃん!感動したね!!」


 友里の声に、優はハッとした。場内が明るくなっていて、映画はすっかり終わっていた。死んだ恋人の墓に手を合わせて、彼女と約束した海にひとりで自転車で向かいながら叫んだところが最高だったらしい。優はニコニコと友里の感想を聞いた。

「原作も読みたいから、満喫とか行っちゃう?ソフトクリーム食べ放題だって」

 パンフレットについていた漫画喫茶のペア割引チケットにまんまと踊らされている友里が可愛くて、優は、ボーリングより眠ってしまいそうだなと思いながら、頷いた。新品のシュシュが可愛くて、頭を撫でるついでに触ってしまう。

「一緒にいられるだけで嬉しいよ」

 そういうと、友里は一瞬変な顔をした。どうやら高岡が、優を真似して一緒の事を言ったらしく、(高岡ちゃんめ)と遠くにいる高岡へ念を飛ばした。



「──優?」


 鈴を転がすような声がして、友里はそちらへ向いた。懐かしそうに駆け寄ってくるのは、肉感的だがどこか少女のような清楚な女性だ。昨晩、優に踏み込んでもいいと言われた”線”かもしれないと思い、良い子の振る舞いができるよう、友里はパンフなどをまとめて胸に抱いた。


「ゆり」


 優が同じ音なのに、友里を呼ぶよりもずっと甘い声でささやくように言うので、友里は思わず優を見上げた。友里は、「自分が好きなだけで良いと思えるようになった」と優がいうきっかけの女性の名前としか知らないが、付き合っていた女性とイコールだと気付いて、心臓がどきりとした。


「久しぶり!あれからまだ背が伸びたの?すごいなあ」

「3年ぶりだね」

「うんそう、就職してこっちに一旦帰ってきたよ」


 友里は「ゆり」を思わずうっとり眺めてしまった。ピオニーの甘い香りがした。ベージュ色のスーツを着て、ワンレングスの淡い栗色の髪を緩くウエーブにしてひとつに束ねている。肌が光り輝くようで、眉の梁が美しい。光沢のある黒いインナーがスタイルがよいことを示しているが、全体を清楚な雰囲気で固めていて、美しい声を放つ唇に嫌味のないコーラルピンクの口紅がよく似合っている。友里と同じくらいの身長だが、ヒールのおかげでかなり大きくみえた。

「はじめまして、荒井友里です」

「あ……!可愛い、初めまして。羽二重真帆はぶたえまほです。優とは昔、茶道教室で一緒だったの」

 優が「真帆って言うんだ?」と甘い低音で囁くので、優も本名をしらなかったのは本当だったのかと、友里はふたりを見つめた。


「そうよ、”ゆり”は茶道の先生が「ユリの花のように」って言う教えを叩き込むための、ニックネームみたいなものだったんだけど、あなたがあまりに可愛く呼ぶから……っと……ごめんなさい、映画が上映しちゃう」


 友人に呼ばれて、真帆は会話を中断すると、優のジーンズポケットに名刺を差し込んだ。

「小さな放送局でアナウンサーをしているの。またね、優」


 友里にもぺこりと挨拶をして、真帆は手を振って友人の元へ戻っていった。後ろ姿を、いつまでも見つめた。スーツと同じ色のハイヒールが大人っぽくて、友里はつけてきたピンクゴールドのネックレスをなでた。

「あの人が「ゆり」」

 ぽつりと呟いて、優を見ると、優は穏やか瞳で友里を見つめて頷いた。思い出した時に逢うなんて、虫の知らせのようだねと優が言うと、友里はパッと微笑んで、優を見上げた。

「憧れのお姉さんって感じで、素敵な人だった!」

「うん?そうだね」

「優ちゃんはもしかして、大人っぽいおねえさまが好きなのかな?」

 ネックレスも大人っぽいしと、友里は笑顔のまま聞いてみる。


「友里ちゃんが、一番好きだよ」


 優は、迷いなくその言葉が言えるようになった環境に感謝した。好きを貫けたことは「ゆり」のおかげでもあるので、彼女に対しても感謝の気持ちしかないと続けていう。


 友里は、優を見上げたまま、なにかの前触れのような気持ちで背中の毛穴がジワリと開いたようだった。優のその穏やかな表情も、声も、見たことがない気がした。「最上級にかわいくて、たおやかで、大好きな艶めきっ」と叫びだしたい気持ちと、チクリと痛む心が混在していて、これが優の中へ踏み込むと言うことかと思った。まるで先のわからない洞窟へ入るようで、RPGの勇者たちは本当に勇気があるなと思った。

 しかし、装備は、お揃いの下着にコート、ネックレス、優への恋心。実はわりと万全に揃っているのではないかと急にポジティブになり、友里は優の腕を掴んで、上を向いて進むことにした。



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