第120話 いいの?



 部屋の掃除をあらかた終えた優は、21時を過ぎて、無心で床を拭いていた。「どうして望月ちゃんとお友達になったの?」と今にも聞かれそうで、聞いてこない友里に、苦笑してしまう。聞かれたら友里と同じように、好きな人の話をしあいたいだけだと言われるとわかっているからだろう。


「わたし、そういえば優ちゃんのお友達、あまり知らない」

 友里が、片づけを手伝いながら、気付いたように言った。優は友里の友人関係をほぼ把握しているので、不公平かもしれないと思って、口を開く。

「クローデットはいとこ…、藤崎部長、あとは吹奏楽部にも結構いるけどドラムの坂田とかチューバの滝口は友里ちゃんを知ってたよ、男ばっかだな?女性もいるよ、お稽古の人、水泳のクラブとか…友里ちゃんに紹介したことないね、そういえば」


「そうだよ!だから高岡ちゃんと仲良くしてる時に、好きなのかもって思っちゃったし!!」

「あはは、確かにあの時の友里ちゃん、どうしてって思うことばかりだったな」

「だって、優ちゃんを好きって自覚したばかりで……」


 優は、高岡への恋心を疑う友里を捕まえて抱きしめても、言葉にしないと伝わらない日々を思い出した。あの頃から友里の挙動が、優の思惑から外れて行っている気持ちを感じていたため、答え合わせをされた気がして、ときめいた。以前からずっとわかっているはずなのに、付き合う程、言葉にできない気持ちが増えていく気がした。


「わたしは、ずっと友里ちゃんが好きだから、気持ちの切り替えを感じられたの羨ましいな」

「いつから?わたし、全然気づかなかった」


 友里に言われて、優は古い記憶を漁る。好きだと自覚してそばにいるようになった小学生の頃の、まだ友里と同じ身長の自分が、たくさんの好きなものに囲まれている友里の後ろをついて回っている姿を思い出して、あまりの献身ぶりに恥ずかしさで項垂れる。


「どうしたの?」

「いや…」

 優は友里が持っていた蛇の抜け殻が、キラキラした小石が、好きという気持ちを込めて、まだ家のどこかにある気がして頭を抱える。

「本当にずっと…友里ちゃんが好きって言ってて、恥ずかしくて」

「……いつからか、言わなくなったよね?」


 友里に言われて、優は椅子に腰を掛けた。

「そうだね、…友里ちゃんが欲しいってことが伝わってしまいそうで」

「…!」

 優の言葉に、この一か月ですっかり優に鍛えられた友里は、体を重ねる意味だと気づいて瞬間的に顔を赤くした。優はごまかしたつもりで、バレたことに照れて横を向く。

「中2の頃、出会った人がいて…その人のおかげで、ただ、自分が好きなだけでいいと思えるようになったから、落ち着いた」


「……なんていう人?」

「ゆり」

「…?」

「ゆりって呼んでって言うだけで、本名は知らない」


 友里はどきりとした。友里には6年生の記憶があまりない。そして、中学生の頃の優は、友里には、快活でバスケが上手な自慢の幼馴染にしか見えてなかった。クラスは違うが、気付くとそばにいてくれるような、そんな関係だった。今のように、ずっとそばにいるわけではなく、優には優の、友里には友里の世界があって……イベントのたびに、駒井家にお邪魔したり、夏休みには、優からお土産を貰って、宿題を仕上げるような、いたって普通の幼馴染だった。

 確かに、優がしとやかになった気がしていた。ぐんぐんと背が伸びて、大人びて、美しくなっていった頃だ。淑女だと感じたのも、14歳の頃だ。


「こういう話、そういえば、はじめてだね。友里ちゃんってわたしの生活に、あまり興味が無いと思ってた」


 優がそっと笑うので、友里は立ち上がって、優のそばに行った。椅子に腰かける優を前に、しゃがんで、ひざに頬を乗せた。


「優ちゃんが見せてくれる全てが、全てって思ってるの」

 優はひざにいる友里の髪を撫でた。

「……踏み込んできちゃ、ダメって思ってる?」


 茉莉花がいつか言った、優の”線”を飛び越えることは、いつもこわいと思う友里だが、この”線”は、優がはじめて見せてくれたものだ。どきりと心臓が震えた。

「いいの?」

「いいよ、嫌いになったら、ちゃんと言ってね」


 友里は優の膝に手をついて、顔を上げた。優がじっと友里を見下ろすと、頬に手を添えるので、そこに体を預けて、スリスリとすると、手の平に唇が当たった。

「ならない」

 優の問いかけに、友里はふるふると首を横に振った。そしてポンと飛び上がるように立ち上がると、優の唇にキスをした。


「ねえ優ちゃん、もうデートは始まってるってことにしたら、怒る?」

「……?」


「バレンタインデート、今からしませんか?」


 友里の提案に、優はどきりとした。

 コホンと咳払いをして、支度に1時間欲しいとお願いすると、友里も承諾してくれて、荒井家で待合せることになった。


 ::::::::::::::



 優が荒井家へ入ると、シンと静まり返っていた。友里の母は、思い立って大阪の父に夜行バスで逢いに行ったと聞いて、ラブラブぶりに驚く。


 23時。バレンタインデーまであと1時間。友里は、優を部屋へ招待すると、この日のためにと、友里が自作のクッションを優に渡してくれた。

 なにもない友里の部屋にクッションがふたつ増えた。



「優ちゃん、ハッピーバレンタイン!」

 友里は、自分のプレゼントを優に手渡した。

 大きめの美しいエメラルドブルーの箱とパウンドケーキだった。箱のほうは、とても軽い。

「おうちに帰ってから開けてね」

 手持ち用の袋まで用意してくれて、至れり尽くせりだ。


「……下着?」

「あっ優ちゃんったら!すぐ気付いちゃう!」

 箱を開ける前に、普段よりももっと低音の甘い声で、唸るように言う優に、友里が照れたようにニコニコ微笑むので、優はあきれるやら恥ずかしいやらで、友里を見つめることしかできない。

「サイズ知ってるし、買えちゃうなと思って」

 友里は、少し前に優の全身のサイズを、体に沿った服を作りたいと丸め込んで、計らせてもらっていた。

「でもありがと、大切に着るね」

「良かった!楽しんでね」

 下着を楽しむとはどういう意味か、優はどきりとして友里を見つめた。

「──帰ってから開けろっていうけど、いっしょの時に着るという解釈でいいのなら…いま見てもいい?」

 友里の手のひらの上に自分の手のひらを重ねて、指の間に指を滑らせる。

 友里が照れたように笑って前髪を押さえた。

「やっぱそうとるよね!?うふふ、そうだ、いつか言われるかなって思ってたんだ…服を贈るのは、脱がせたいからだっていうものね…」

 友里は、どこかで自分の贈る服に対して劣等感のようなものすら感じていたのかという程、動揺してパタパタと顔を仰いだ。彼女の口から、その言葉が出て優はどきりとした。何度も体を重ねているのに、今更だ。

 誕生日も、クリスマスも友里から素敵な手作りの服を戴いた。優からもコートやジャージを送っているし、お相子だと優は思う。


「わたし、友里ちゃんのお洋服を着ると加護を受けている気持ちになるよ」

「…?」

 優は、友里の手作りの服は素晴らしいと伝えようとするが、いつも褒めているせいか、優からの言葉は伝わらない気がしてしまう。ゴージャスすぎて普段着れる服はシャツくらいなのも、友里の劣等感を支えてしまっている気がした。


「悪さが出来ない…清浄なものを羽織っている感じだから…心細い時に着させてもらったり…」

「悪さ…?」

「ほら、去年の、誕生日も、…上手くいかなかったでしょう?」

 直接的な言葉は憚られたが、口づけができなかった件を言っている。

 友里がそれに気づいて、頬を赤く染めていく。

「でも文化祭では、勇気を貰えたから、最近はたくさん…してしまってるけど、友里ちゃんのプレゼントは、すごいんだよ、自信を持ってほしい」

「…ありがとう、優ちゃん」

 優は友里にわかる言葉で、伝える。友里はその気遣いも嬉しくて、照れたように頬を押さえて、下着に関してはメーカーの物なので、手作りとは違うことも添える。そして、「そっか、優ちゃんは、セックスが悪いことだと思ってるの…?」と呟いた。グッと優が息を飲む。


「いけないことでしょう…?」

「イイコトしよう?って言っても伝わる気がするけど……?」

「…!」


 友里の自尊心を奮起させようと語らっていたはずのふたりに、妙な空気が流れて、優は友里の濃い蜂蜜色の瞳を見つめた。今、贈られた服を着ることはやましい気持ちが無くなるいう話をしたばかりだというのに。


「どうする?開けてみる?」

 友里が、そわそわとした顔で、優へ送ったプレゼントをちらちらと見た。

「うん」

 優は、友里のソワソワに感化されながら、きれいに友里のプレゼントを開けた。

 薄鈍色の中に、明るい色の蔦が全体的に模様として入っている生地と、縁に紐と同じレースが黒いラインとして丁寧な刺繍が入った下着だった。優は全体的なフォルムがいつものスポーツブラのようで、多少ホッとした。大人っぽいイメージではある。


「あのね…お揃いなの!」

 友里は服をめくって、新品の下着をぺらりと見せてきた。優は、そのあっさりとした態度でも、どきりとして、すぐにしまってもらう。友里の物はもっと肉感的で、フォルムが全く違ってみえた。

「アンダーを減らしたおかげで、同じメーカーが着れたからよかったあ」

「…むちゃして…」

「お揃いって嬉しいから!」

 コートの事を言っているのかもしれないと優は気付いて、クリスマスに思い切ってプレゼントしてみてよかったと思った。明日は、それを着て出かける予定だ。そしてその下に、お揃いの下着を着て……?優は背徳感にぐらりと目眩がした。

 華やかな牡丹のように、優が頬を赤らめて友里の肩に寄り掛かる。友里も、優の手をつないで、優に寄り掛かった。


「優ちゃんのこと…、なにがあっても、大好き!」


 一言も望月と村瀬の話をしないのは、友里がたくさん気を遣っているからだと優は、気付いた。優は夕方に望月と村瀬に奪われていた時間を取り返すように、友里の体をむさぼってしまったのに、そんな子どもじみた独占欲すら、内包してくれたようだった。

 恋人が、誰かから愛されている不安を、断ち切るすべはない。見えているだけ、マシだと思う。優なりに戦うが、選ぶのはいつだって友里だから。


「……わたしも、チョコを用意している間にそう思った」

 たくさんの準備に、無粋なものを入れたくないと思ってくれた、友里の気持ちに応えるべく、優も、思考からすべてを消し去り、友里の事だけ考えようと思った。

 せっかくのバレンタインデートだ。

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