第118話 仲良くなってどうするの



 先程優に奪われた体が、熱を帯びたまま、友里は、望月の待つ客間へ戻った。

 たぶん、優とそういう関係になっていなければ、村瀬からの告白も、意味など分からなかったかもしれないと思いながら、望月に気付かれないよう、優が淹れてくれた紅茶を配る。

「友里先輩、いい香りしません?」

「優ちゃんちの紅茶は特別だから」

「ううん、友里先輩が…」

 言いかけて、望月は黙った。友里は、先ほどまで焼いていたケーキかなと自分をクンクン嗅いでいるが、望月は、すぐに友里自身の香りだと気づいて膝に手を置いた。


 望月は、勉強の合間につまんですっかり食べ尽くしたピザの箱などを手際よく畳むと「水に濡らすと小さくなるんですよ」と雑学を披露して、すぐに辺りは元の通り、きれいな駒井家の客間になった。


「友里先輩って、いつ駒井先輩のこと好きって気付いたんですか?」

「えっ」

 友里は、まだ自分と優が付き合っていることを望月にばれていないと思っていたため、驚いて挙動不審になってしまう。

「大丈夫です、誰にも言いません!」

「えっでも」

「あの…──私、レズビアンなので、秘密は絶対守ります」

 望月の言葉に、友里がドキリとする。友里も優の淑女な部分が大好きなので、きっとそれに分類するんだと自分で調べたりしたが、知識があるとは言えず黙る。


「中学の時から、好きとか、付き合うとか…自分には遠くの花火みたいに思っていて。村瀬が、友里先輩が好きなんだ!って笑顔で言った時に、タガが外れたというか…」


 チラリと友里を見る。望月は、持久走の日、友里にタオルを渡した1年生なのだが、優から返却されたため、友里は気付ていない。


「おふたりが、付き合っているのもなんとなく、わかってて。同じように女の子に恋をする人に初めてあったから、嬉しくて」

 しかし、陰で応援するのもおかしいのかもしれないと思って、友里に話しかけたりしてみていた矢先だった。

「こんなに素直に、好きになったら一直線に言ってもいいんだって村瀬の態度に、すごい驚いたんです。誰の視線に怯えることもなく、誰かに向けられる悪意に、ひるむこともなく、性別とか関係なく、好きな人に好きって伝えてもいいんだって…。村瀬に、救われたんです」


 言ってしまって、望月はハッとするも、勢いのまま続けた。望月と村瀬は、優が友里をお姫様抱っこで保健室まで駆け抜けたあの日、本当に意気投合して、ふたりで、荒井友里と仲良くなるために計画をたてたと、汗ばみながら伝えた。


「わたし?」

 友里は自分を指差して、望月を見つめた。座ったまま少し跳ねる。

「でも、望月ちゃんは、優ちゃんが好きなんだよね?」

 友里は、現状を整理しようと声を上げた。

「望月ちゃんが優ちゃんを好きで、村瀬さんがわたしと友達になろうとしてて」


 望月はそっと手を上げて、友里に「駒井先輩の事は好きですが」と話し出した。

「でも、駒井先輩を好きな友里先輩が、私は──」


 望月が、「好き」と言いかけて、言い淀む。この場にはいないはずの美しい優に、どこからか見られている気がした。嬉しいと言うより肉食獣に狙いを定められているような、ぞわぞわと恐ろしい感覚が、下から上がってくるようだった。しかし、村瀬が用意してくれたこの機会を逃したら、望月は一生伝えられないと思った。

「……!」

 机に手をついて、望月はたちあがり、友里のもとへ前のめりになった。瞬間、折り畳みの机がぐらりとかたむき、乗せていた茶器たちが、望月へ向かって、滑り落ちていった。


「きゃああ」

 望月の悲鳴とともに、優と村瀬が客間へ入ってくると、ひとつのカップが床に落ちて割れていて、友里が望月の上に覆い被さり、必死で斜めになっている机の茶器を支えていた。が、優を見た瞬間に、ばさりとティーポットが友里の背中に落ちて、声にならない声が上がった。優は瞬時に、客間に備え付けられているユニットバスへ友里を抱えて連れていった。


 服のまま、お水をかけられて友里は、冷たさに少し悲鳴を上げる。

「大丈夫だよ、優ちゃんだいぶ冷めてたから!それよりポットが」

「そんなのどうでもいい」

 紅茶のシミができている部分に水をかける。優は慎重に服をめくるが、水膨れもなく、たいしたやけどではなくホッとしながら、服を脱がせた。友里の傷跡の周辺が、少しだけ赤くなっている。どちらかというと、ポットが当たったせいだった。


「大丈夫ですか?」

 後ろから村瀬と望月の声がして、上着を脱いでいた友里の体を、優が背中で隠す。

「大丈夫だから、外にいて」


 声をかけると安心したように、ふたりは外に出てくれた。

 赤くなっているだけで、すぐに治りそうだ。しばらく安心のために流水にさらす。

「優ちゃん、ありがとう」

「ううん、ひどくなくて良かった」

 優は、心底ホッとして、カラの浴槽に一緒に入って、友里を前から抱きしめて椅子になる。友里の背中に冷たいシャワーを当てる。友里の額にキスをすると、友里は瞳を閉じて、安心したように優に体を預けた。


「なにがあったか、聞いてもいい?」

 優がそう聞くと、友里が首を傾げながらポツリと話し始める。

「望月ちゃんが、わたしたちが付き合ってるのを知ってて……だから、仲良くなりたいんだって話をしてたら、お茶がこぼれちゃった、ティーセット、守れなくてごめんなさい」


 抱きしめる体が暖かくて、優は友里の体をうっとりと抱きしめた。友里の話は要領を得ないが、つまり(望月は告白に失敗したのか)と優はおもった。

 抱き締め返しながら、優は、相手が優ではなくても、友里が身を危険にさらすことを知った。茶器よりも友里が大事だよと言って、優はもういちど額にキスをした。


 優は濡髪のまま、てきぱきと友里と望月の着替えを用意して自分も軽く着替えると、壊れた茶器を片付けるために席を外した。


「友里先輩、ごめんなさい!」

「大丈夫、全然平気!怪我しなかった?」

 友里がタオルを肩にかけ、ガッツポーズで応対する。

「あのね、さっきの話だけど」

「!あ、いいんです!言いたかっただけで」

 

友里が言おうとするのを止めるように、村瀬が友里の肩を抱いて、耳打ちをした。

「友里さん、思ってるよりお風呂って声が反響するんで、気持ちいい声はおさえたほうがいいっすよ」

「!!?」

「村瀬っ」

 赤い顔の望月に、にやついた顔の村瀬が蹴られて、友里は別に何もしていないのにそういうことをしたと思われたことにカアッと顔を赤くした。

「今はなにもしてないよ?」

「わかってますよ!?」

 友里が真っ赤になるので、からかっておいて、村瀬も赤くなった。村瀬が、友里に恋心を抱いているのを友里が忘れているかのように無防備で、髪を撫でられていることを見た望月は、濡髪で薄着の友里を村瀬から引きはがした。友里がそのまま小さな望月にトスンと寄りかかるので、望月はその柔らかさに驚く。


 優が戻ってきて、(どういう状況?)という顔で友里の横へ来た。

 友里は何も心配することは無いという気持ちを込めて、優の手を掴んだ。優は、微笑みで、握り返した。その様子を見た望月が、急にしぼむようになって、会話をやめてしまった。優が促す。


「まだ、話足りないんでしょう?望月さん」


「いえ、でも今日は…帰ります。明日、バレンタインですし…おふたりに悪いので」


 望月は、どこかつきものが落ちたような微笑みで、優にそう返した。


「駒井先輩とお付き合いしている、しあわせな友里先輩と、ただ仲良くしたい。…先輩たちには、それを許してほしいです」


 ペコリと、深く深く頭を下げる。


「あ、私も!」


 望月の決死の告白に、のってくる村瀬の尻を、望月がまた蹴った。

「軽薄になる!全てが!」

「殺意が高いんだよ!蹴りに!」


 友里はポカンとして、小さな望月が大きな村瀬に立ち向かう姿に、またトムとジェリーを思い出していた。



「いいよ、望月ちゃん、おいで」


 優が友里からするりと離れて、望月の肩を抱いた。


「そうだ、友里ちゃん可愛い同盟でも組もうか」


 友里は、なにが起こっているのかわからず、自分から離れて望月を抱きしめる優を見た。優の胸のなかに隠れてしまう小さな望月が、一対の繊細な砂糖菓子のようで、息をのんだ。村瀬が「ひゅう」と口笛を吹いた。


 望月と優はみつめあうと、友里の可愛いところを上げ連ねていく。瞳が濃い蜂蜜色な事、その瞳がとらえる可愛いモノ、好きな事、両手で手を振ること、なにかを見つけた時にぴょんと跳ねる癖があること…、友里自身も気づいていないような沢山の癖や、仕草までどんどんと話されて、友里は嫉妬というより照れの許容量を超える。

「優ちゃん!」

 美しい砂糖菓子のような優と望月の口から出る言語が、その容姿に見合わないような気がして、友里が声を上げて押し止めると、望月と優が一緒に友里を見つめた。


「友里ちゃんがいつもやってることでしょう?」

「ごめんなさい、恥ずかしい!優ちゃん」


 友里が顔を覆って、しばし丸まったダンゴムシになる。優は満足したように、望月をもう一度抱き締めて、その耳元で、友里に聞こえない声で言った。


「恋は怖いな、バレンタインってわかってて、来てしまうんだから」

「……!」

 望月には、すぐに優の意図が分かった。恋人がいる人に、友人になりたいという言葉でごまかして、告白をなかったことにした意味を、優が遠回しに責めていると思った。


「だから、明日じゃなくて、今日伺ったんです……」

「明日のデート中はきっと、友里ちゃんの頭の中は君と村瀬の話題でもちきりだよ」


 望月が顔を上げると、優は望月の髪をさらりと撫でて、にっこりほほ笑んだ。


「満足した?」


 その表情は、いつもの駒井優の美麗な姿だったが、望月は突然傘も指さず、雨のなかに連れ出されたように、ドキンと心臓が鳴って、心細くなった。


「自分の恋に折り合いをつけるために来てくれたんだよね、望月ちゃんは。イイコっぽいし、恋を楽しんでほしいけど…友里ちゃんはとても残酷で魅力的だから、告白して恋をやめることは難しそうだから、言えなかったのかな?」


「残酷…?」


「しばらくわたしも一緒に、苦しもうかな」


 望月は、優の声がとても明るいのに、悲しくて、ひどく疲れ切っているようで、じっと優を見てしまう。心にもない事を言われていて、きっとそれはなにかの罠だと思った。ニコリと、花のような美しい温かみのある表情の駒井優を見つめてしまう。全身の力が抜けるようだった。

 友里が、優に向かってきて、片腕にしがみ付くので、望月はハッとした。抱き締めていた望月から腕を離して、優は友里の抱擁に応えた。


「優ちゃんが、望月ちゃんと、村瀬さんとも、仲良しになるってことなの?」

「そう」


 友里が困ったように、望月を抱き締めていた優にしがみつく。望月は「そんなおそれおおい…!」と友里に沢山の言い訳をするが、優が肯定しながら望月の頭を撫でるので、二の句が継げなくなる。


「村瀬は…まあ、保留で…」


 優が言うと、村瀬が「なんでですか!」と遠吠えを上げた。

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