第117話 10分
階段を上がっていくと、踊り場に村瀬がいて、優は踊り場にある白いテーブルに、茶器を一旦避難させた。もしかしたら村瀬が優を引き留めて、望月と友里をふたりきりにさせる手なのかもしれないと思い、友里に「こぼすといけないから、小分けに持とうか?」と提案して、村瀬にも荷物を持たせる。
「下でいちゃついてきたんですか?」
下衆の発言を受けて、優は「うん」と素直に頷いた。後ろにいた友里のほうが顔を赤くして、慌てて優の上着のシャツにしがみついた。
「あれ、認めるんですか」
「村瀬さんが悪いふうに、言う人と思わないから」
あまり表情は変えず、優は村瀬の性質を褒めてシュガーポットを渡した。
「そんなふうに思います?ありがとうございます」
「言うとしたらタイミング的には、あのダッシュの日だな」
「ああ~…なるほどあれ、もう、計算の内だったんですか?大胆な賭けにでましたね、王子伝説がまたひとつ、でしたけど。私が悪い噂を言いふらしたら、どうするつもりだったんですか?」
階段の踊り場で、村瀬は受け取った全部の茶器をひとまとめにしてファミレスで培った技術で持ちあげると、優を見た。優は平然とした顔で答える。
「賭けでもなんでもないよ。あの場でわたしが、君から友里ちゃんを引き離す理由を知っているのは、友里ちゃんに告白をした君だけ。派手に遊んでるっぽいのに、人に好かれてる。自分が知りえた情報がどう変化していくかわからず、ただ吹聴するタイプの人は、人から自分がどう見られてるか気にならない人…村瀬さんは、違う。君だけが、意味をわかれば良かったから」
村瀬は人好きの人間だからと裏打ちしていく。友里は会話を聞いていても、よくわからず、村瀬と優を交互に見た。優が、「友里の事が好きだ」という意味を、村瀬にだけ伝えた。
「こえー!」
「怖くないよ、君たちのほうがよほど、怖い」
優は暖かいうちに紅茶を飲もうと促し、客間へ村瀬を戻そうとした。村瀬がお手洗いへ行きたいというので、友里が案内しようとしたが、「駒井先輩がいい」と言って、村瀬は友里に茶器を渡し、部屋に戻っているように懇願する。
「まっすぐ行けばすぐだから、わかるでしょう?」
「こんだけ広いと、人の部屋のドアを開けそうで、怖いですし」
どうしても村瀬は、望月と友里をふたりきりにしたいようだった。優は(告白だけなら、自由だ)と思いだしていた。ひとりひとりの想いは、大切にしなければいけない。友里の事を愛しているが、自分以外の人間が友里を自分以上に愛せるなら──そして友里が、優以外の人を愛しているなら、自分は身を引いてもいいと、やはりどこかで思っている節がある。
ぜったいに譲りたくないと思いながら、なぜそんなことを考えてしまうのか、優にも、わからない。村瀬が望月のために、尽力しているからかもしれない。
「──わかった。友里ちゃん、先に戻っていて」
「うん、喧嘩しないでね」
友里は先に望月がいる客間へひとりで戻る意味も分かっていないようで、優は仄かに笑ってしまう。優が、村瀬と話し合うために、ここに残ると思っているようだった。
友里が部屋へ戻った音を聴いて、優は、壁にもたれ掛かった。
「さて、何分の足止めを約束したの?君みたいにキスとかは、やめてほしいなあ…友里ちゃんに敬意を払ってほしい」
「一応10分は頑張るって言ったんですけど、キスのことは言ってきませんでした」
友里に強引にしたキスの事がバレていることにぎょっとしつつ、村瀬は(友里が言ったのかもしれない)と顔に気持ちをだす。
「詰めが甘いんだよ、村瀬。友里ちゃんがわたしに、君にされた口づけを愚痴るわけないでしょう?友里ちゃんの事が好きなんじゃないの?」
「──精進します…!」
「しなくていい」
壁にもたれて、優は長い足を組んだ。永遠に感じる10分だった。嘘の材料であったお手洗いの位置も説明すると、村瀬は一応、と、利用する。
「私、性自認が男なんですよね」
お手洗いから出てきた村瀬が流水音とともに突然言うので、優はふうんとお天気の話をされた時のように頷いた。
「駒井さんもそうなのかなと思ってて、そんで」
「わたしは、友里ちゃんも認める淑女だよ」
「……そうっすか」
胸の前でマリア像のようにしなを作る駒井優に、村瀬は思わず吹き出してしまう。見た目は完全に、細身の美形な男性に見える優に、勝手に敵愾心を覚えていた村瀬だった。
「だから、男同士がいやで友里さん、私が駒井さんをさわるといやがるのかなと」
優は普通に、友里に悪さをした村瀬が、優の魅力を知れば優を好きになり、今度は優に悪さをすると思っているのかも知れないと、しれっと村瀬に言った。友里は優にたいして、そう言う極端さを持っている。それを聴いた村瀬は、肩を震わせて笑った。
「駒井先輩の事、結構好きです」
「わたしは、君のこと苦手かな」
村瀬は、優が子どものように白い歯をみせて笑うため、あまりの美形ぶりに噴き出してしまう。顔が整っている人間の、全力の否定は、体が凍り付くようだと村瀬は思った。
「おもしろ!!……いや、こええ…!たのしい」
(どんな感情なんだ)
優はアトラクションの後の人のような村瀬に、無表情になる。
「村瀬は人懐こいな」
告白などせず、ゆっくりと仲を深めていけば友里に警戒されなかったのに、と言う空気を孕んで、優が村瀬に話しかけた。
「駒井さんとも仲良くなりたいんですよね、私。告白は、後悔してませんよ。仲良くしたい意味がすぐ伝わりますし」
優は、ふわりとシクラメンの花弁のように微笑む。話をしてみて良かったと思うほどには、自分のなかにはない価値観だった。
「恋を破るのは没頭だから、没頭させようと思って…本当はもっと怖い手段で、村瀬とは話もしないでいろいろしてしまおうと思っていた」
村瀬にそう言うと、思い切り笑っていた村瀬も、表情を収めて、優の隣に立った。優より身長が10センチほど小さいので、優が下を見る形になるが、優は、村瀬に体を向きなおすことはなかった。
「……後学のためにおしえてもらっていいですか」
こわごわと、村瀬が優に問いかける。
「君が入ってるモデル事務所よりもランクが上の事務所を紹介して、転校させようと思ってた」
ポツリと大きなことを言うので、村瀬は一瞬怯えたが、よくよく考えて、首をひねる。
「駒井さんが大きな事務所に顔が利くのは、まあ説得力ありますけど…は…え、えでもそれは、私にとっては結構いいことでは?」
村瀬はいつの間にか優にバックグラウンドを調べられている件については、目をつぶって、優の提案を、噛みしめる。村瀬の所属している事務所は田舎の小さな事務所なので、もっと大きなところに移籍するのは、村瀬にとっては悪い話ではなかった。
「あれ?友里ちゃんと離れてもいいの?」
優がようやく村瀬を見た。村瀬は美形を晒したままだったピン止めがずれたので、付けなおして、優を見つめた。
「……駒井さんにとっては、それが一番怖いことなんですね」
夜中にゆっくりと咲く花のような白い姿で、優は、微笑んでもいない。黒い瞳は、どこまでも黒く、宇宙の終わりのようで、村瀬はゾクリと背筋が震えた。
「こ、怖え…」
「こわくない。恋する淑女だよ」
村瀬はあくまで淑女押しの優が面白くて、首をかしげる素振りをして、(駒井さんなりの冗談なのかもしれない)と思い始めた。そして、だんだんと優の機嫌が、怒っているのではなく落ち込んでいることに、気付いてしまった。
「あーあ…、ホント…なんか、すみません」
空気が読める事は、ある意味、弱みを握られているようなものだ。空気をわざと読まずにこのまま優と友里の邪魔をすることもできるが、村瀬は、怒りに立ち向かうことはカンタンで、やけくそになって突っ走れるが、優からあふれ出る、去って行くかもしれない飼い主を見つめる犬のような雰囲気には、抵抗が出来そうもなかった。これも美形のなせる、魅了の一部なのかもしれないと思ってしまう程、優の造形を好ましく思っていた。荒唐無稽な大手事務所紹介の件も、優ならコネクトできそうだなと信じてしまう程。
「……もしもあれなら大手の事務所、教えてほしいです」
精一杯の強がりで、冗談を言ってみる村瀬。
「だめ。遠くから支援したら自分の手柄と思って頑張るけど、わたしの紹介だと永遠にわたしを利用しようとする」
「…すげえオミトオシってやつだ」
村瀬は唇を押さえてハッと息をのんだ。本気で行きたいとは思ってないため、その話は詳しく聞かなかった。
「私……自尊心が削れちゃう相手といても、楽しくねーんじゃないかなと思ってて」
「うん?自分のこと?友里ちゃんのこと?」
「いや、友里さんと駒井さんです。なんとなく、自信とかがすくなくないですか?愛されてる自信つーか?自分自身に」
「……」
いつかの高岡もそう言っていた。友里がなぜ、優の愛情を信じきってくれないのか、優が一番知りたい。友里が優を好いてくれているのは、優は一応わかっているつもりだった。好意を利用していると、反省することが多々ある。
「元気っぽいのにどっか寂しそうで、パワフルなのに弱そうで、夢中になっちゃいますよ」
「……わたしはなにを聞かされてるのかな?」
「友里さんを好きになった理由言えば、過去の友里さんの話、いっぱい聞かせてくれるかな?とおもって。幼馴染みにしかわからない話、聞きたいだけです。中学生のときの友里さんとか」
優は、白い目で村瀬を見る。絶対に友里の話を、村瀬にしないと誓った。
「そろそろ、10分かな?」
優が言うと、客間から、がしゃんと大きな音がして、優と村瀬は驚いて部屋へ駆けつけた。
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