第115話 チョコレートケーキ
土曜日、15時。友里は母親をパートへ送り出すと、台所のダイニングテーブルに使いそうな秤や、へら、ボウルなどを並べた。
朝からもう2本ほど、パウンドケーキを焼いていた友里は、きれいにラッピングをする。荒井家の、のんびりしたチャイムに出ていくと、駒井優が玄関先で待っていた。
「鍵で勝手に入って良いのに」
友里の発言に、たいした反論もせず、優はにっこり微笑んで、友里の頬に羽のように軽いキスをして、ただいまと甘くささやくと友里のポニーテールをさらりと撫でた。友里がどきりとしながら、おかえりなさいといってみると、優がはにかんだので、それがしたくてチャイムをならしたのだと気付いて心音が早まった。
「もう終わったの?」
台所に入ってきた優は、甘い香りの台所にはいると、予備校帰りのカバンを友里に聞かずとも、小さな棚の上に仕舞った。
「うん、優ちゃんも作るかなと思って材料、用意しておいたよ!」
「じゃあ、なにか作ろうかな…」
駒井家で作ってもいいが、今年は家族にサプライズできて良いかもしれないと、WEBでレシピを探し始める。
「友里ちゃんの分は、もう用意してあるからね」
微笑んで言われて、友里が頬を赤らめた。言ってしまえばこれもお家デートなのだけれど、明日のデートをとても楽しみにしている。ロングコートを脱いで腕まくりをして手を洗い、友里が仕立てた白いエプロンを渡されて身につけると、優ははにかむ。
「いまのも新婚さんみたい?」
「そうだね」
友里の恥ずかしい問いかけに、奇をてらわず優が頷くと、また頬にキスをするので、友里はやっておいて真っ赤になる。優は先ほどからずっと「新婚」と思っていることを、すっかり友里に気付かれているのなら、とことんやろうと思っていた。
「チョコケーキにしよう」
チョコレートケーキの支度をふたりで始めた。クッキングシートを切り出して、オリーブ油をぬった金型にひいていく。
「優ちゃんこれで良い?」
「うん、上手。あとは小麦粉40gと…クーベルチュールチョコレートと…お砂糖と卵」
支度を終えた友里が、ご褒美は?という顔で頬に人指し指を添えて目をつぶって、キスをねだるので、唇にした。頬にされると思っていた友里が寄り目で驚くので、優はおかしくて笑いだした。
「ははは!」
「優ちゃん!」
スキンシップが過多すぎて、若干照れる。1月に体を重ねてから、タガが外れているかのように、優は自制心というものを忘れてしまった気がしているが、今日は友里がキーセンテンスを言い出すまで、じっと我慢している。
小麦粉を粉ふるいに3回かける。砂糖と、卵と、手際よく分別していくと、優は、チップのクーベルチュールチョコレートを沸かしておいた湯で湯煎にかけた。
砂糖をすり混ぜて攪拌した、半透明になった全卵をよく溶けたチョコレートに何度にも分けて分離しないようにそっと入れると、人肌まで温める。
ふるった小麦粉を、チョコレート液に切るように混ぜこみ、バニラエクストラクトを入れ、クッキングシートを貼っておいた型にゆっくり流し込む。トンと軽く空気を抜いた。予熱したオーブンに、黒い天板の上にのせた型ごと入れると、45分の焼時間をセットして、優はエプロンを外し、椅子に座って待っていた友里にキスをした。
「手際が良すぎない?」
友里が奪われた唇と心臓を押さえつつ、惚れ直す仕草で、優の流れるような作業を褒める。すぐに優の母親仕込みだと、友里がなぜか胸を張るので、優は肯定しながらも、親と仲良しな友里にくすぐったくなって、笑ってしまう。
給湯器が鳴って、お風呂が沸いたことを示す。そろそろ友里の母親が、パートから帰宅する時間なので、友里がつけておいたものだ。
「新婚さんと言えばあれ言わなきゃだったね」
椅子に座ったままの友里の台詞に、片付けモノをしていた優はどきりとする。水のついた手をタオルで軽く拭いて、友里の言葉をそっと待っている。
「お風呂にする?ごはんにする?」
振り向いて、友里が座っている椅子まで歩いた。友里がいたずらっ子のように微笑んで、そばに来てくれた優の腕をそっと撫で、言葉を繋げる。
「それとも、わたし?」
友里の言葉を合図に、優が頬をそっと撫でた。
「意味がわかっていってる?」
「……!」
友里は言ってから、お誘いの言葉と言うことを思い出した。優とのあれこれは当然嬉しいが、そろそろ母の帰宅が迫っていた。
「帰ってきてすぐ、させて貰えば良かった」
「ハハ」
情緒のない発言に、優が照れて笑ってしまう。自分ばかりそう言うことを考えているのかもと言う照れも混じっている。
「新婚さんみたいなんていうから、ずっと期待してたのに」
素直にそういうと、友里が椅子から立ち上がり、優に抱き着いた。
「優ちゃん…かわいい…」
チョコレートの香りが辺りに漂い始めた。時計を見るとあと23分はオーブンから離れられない。家族のチョコレートケーキを焼くより、友里と身体を重ねたら良かったかなと優は、ダイニングテーブルの上に寝そべって友里の口づけを受けながら思った。
「……友里ちゃん…」
優しい友里のキスに、物足りなさを感じて、もどかしくなるが、自分から手を加えてしまうとまた自分ばかりが友里をむさぼってしまうと思い、優は友里の好きなようにさせた。拙いがゆっくりと舌が混ざりあい、優がピクリと震えると腕を回して、そこをそっと撫でてくれる。「かわいい」と、全身で言っているようで、優は、友里の柔らかな愛し方にうっとりした。
「優ちゃん、背中痛いよね、お部屋に行こうか?」
「ケーキが困るし、ここでいいよ」
はあはあと興奮したように息をしている友里が、熱を帯びた濃い蜂蜜色の瞳で優を見つめて、肩辺りをなでなでとして、キスより先に行きたいと、じたばたしてるような態度を示す。
「ここでいいって…テーブル、痛いでしょ?」
一度テーブルから起き上がって、友里は、優の冷たくなった背中を撫でた。優は長い足を持て余すように、少し跳ねて降りる。
せめて、カーペットとこたつのある居間のほうへ行こうと促す。
「どこまでする気なの?」
優は少しだけ、意地悪な気持ちになる。友里のことをいじめたいと思っているわけではなく、自分を欲しがっている友里がかわいくて、もっと欲しがってほしいだけの、たわいもない問いかけをしてしまう。
「全部だよ」
強い友里の欲求をききたいだけの優は、友里の台詞にぞくりとした。自分が引き出してしまった達成感もあるのかもしれないが、普段のふわふわした様子を知る者が驚くような凛々しさだと、優は思う。友里の強さを知ってるのは、自分だけで良いと思う。素敵でかわいい友里を、自分だけのモノにしておきたい。
ごくりと息を飲んで、優は、友里を抱き締めた。友里が気付いて、優しいキスをする。
「誰にも渡したくないな……」
「わたしは、優ちゃんのだよ」
ポンポンと背中を叩かれて、優はなぜか泣きそうになった。
「ここで颯爽とお姫様抱っこでベッドに持っていけたら、わたし、素敵なんだけど」
悔しそうに友里がそう言うと持ち上げようとするので、優が驚いている間にオーブンが焼き終わりの合図を鳴らした。
思っているよりも長い口づけをしていたことに気付いたふたりは多少照れつつ、チョコレートケーキをオーブンから取り出して、ダイニングテーブルの上にきれいに焼き上がったケーキが並んだ。
続きをしようかと友里が優の腰辺りに手を伸ばそうとしていると、友里の母親が、大量のピザをもって帰宅したと、玄関先で騒いでいる声がした。
「優ちゃん、後で……いい?」
友里の心の底から残念そうな唸り声に、優は多少の優越感と、自分の中にくすぶる熱を感じて、肯定もせず、友里をじっと見つめた。友里が、優に「それまでしばらくお預け」とばかりに抱き着く。優は、本当なら、攫って、部屋に連れて行きたいくらいだった。
友里は諦めが良すぎる。
(もっと欲しがってもらうには、どうしたらいいのだろう?)
微妙な空気のなか、友里の母を迎え入れる。
「お友達もどうぞ!」
「?」
まだ暖かいピザを受け取りながら、友里が母の声に疑問の顔を上げると、そこに村瀬と望月がいて、驚く。一緒に玄関まででてきた優が、友里の肩を抱いて、ふたりの招かれざる訪問者に、珍しく綺麗な顔をしかめた。
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