第112話 秘密の庭園


 ザア!保健室のベージュ色のカーテンが開いた。


「ふたり、寝てる?ちょっと席はずすから、カギ閉めてくけど…」

 カーテンを開けた保健の先生の目に映ったのは、優だけベッドで横になっていて、友里が椅子に座っている姿だった。

 先生が友里に話しかけてくるので、友里はしどろもどろに、言い訳を繰り返して教室へ戻りたいと伝えてみる。


「うん?顔が真っ赤だし、具合悪いなら、いいぞ?まだいても」


もうひとり寝ている駒井優を気にかけて、先生はまだ眠っているのなら、欠席届を職員室から貰ってくると伝えてくれた。チャイムが鳴るまで、保健室で休んでいていいことになった。


「静かにしとけよ」


 保健の先生が、鍵を預けて保健室から出て行ってしまって、友里はこんなにタイミングが良くていいのだろうかと、内心とても焦っていた。

 優がむくりと、ベッドから起き上がった。


「──友里ちゃん、さんざん煽ったんだから、しかたないよね」

「…、あおってなんか」

 嘘だ。友里は、途中から、先生がいるからと安心して、優をすこしからかって、遊んでいたところがあった。かわいいからと言って、してはいけないことをした。心臓がドキドキして、優を見ていられない。

 優は、ベッドの布団を捲ると、友里をじっと見つめて、一度だけ瞬きをする。さらさらの黒髪が優の妖しく輝く瞳にかかった。手を広げて、椅子に座っている友里をじっと見つめると、淡い赤のグラデーションを彩る唇を開く。


「きて」

「…!」


 友里は、あまりの可愛さにぎゅうっと胸が締め付けられて、気付くと優の胸に収まっていた。

友里は、優にほんのりとまとわりつく冷却湿布の匂いを、思わず指摘した。


「…決まらないなあ」

「かわいいよ、最高…♡」

「友里ちゃんだけだよ、そんなこというの」


 :::::::::::


「ん……」

 口づけをすると、友里は、甘い声をこぼした。

 村瀬に友里が告白された後も、何度も体を重ねているし、くちづけもしているのに、友里から直接聞いたせいか、優は沢山上書きをしたくなってしまう。独占欲が人よりも強いのかもしれないと、反省する。

「嬉しいよ、怒られるかと思ってた、警戒心がたりない!とか」

「友里ちゃんはひとつも悪くないよ」

友里は優の気持ちに首をかしげた。自分がひとつも悪くないことなんて、あるのだろうかと思ってしまう。


「……気持ちが動いたの?」


 友里がそっと優を抱き締めて、額と頬にキスをして、優を見つめると、ふるふると首を振る。優は村瀬に悪いなと思う。彼女の想いを肴に、自分の気持ちを友里に認めてもらえるこの状況を、優だけが独占してしまう。


「優ちゃん以外、なんとも思わないなって思った」

「……友里ちゃん……」


 くっくと優が笑うので、友里はなにかおかしな事を言ったかとしきりに、優の瞳を覗く。自分の残酷な部分を、友里はなにもわかっていない。


「友里ちゃん…いまだけ、呼び捨てにしてもいい?」


 自分でも驚くほど、優は、友里に甘えた声でお願いしてしまうと、友里がぎゅううっと目をつぶって、なにかに耐えるようにばんばんとマットレスを叩くので、ダメなのかと焦る。パッと友里の顔が輝いた。

「かわいい。いいよ、っていうか、普段から、ちゃん無くてもいいよ?」

「普段は、もう慣れててなかなか変えられないな」

「わかる」

 言っておいて、友里は優の言葉に全肯定した。くすりと微笑んでから、優は横たわっている友里の上に乗りかかると、唇に唇を重ねて、じっと見つめた。友里の長くやわらかな髪をひと撫でして、友里を抱くと体を浮かせて、背中に手を回す。

「友里…」

「う…」

「友里、好きだよ」

 名前を呼びながら、その度に角度を変えて唇をそっと重ねるので、友里はビクリと震える。優の長いまつげが、友里の頬に当たって、友里はくすぐったそうに肩をすくめた。


「うう…甘……」

 優の甘い低音の声を聞くたびに、友里は、背筋を羽のようなもので撫でられたようになる。唸るように、恥ずかしさから耐えるような声を出して、ごくりと喉を鳴らした。ここは学校の中の保健室で、そんな場所で、こんな風に、大人の口づけをしていることに、友里は、やはり動揺している。いつもよりもずっと恥じらいが大きく、声がか細い。

「…優」

 耳打ちするより小さく、友里に名前を呼ばれて、優はぶるりと震えた。

「……うんなあに、友里」

「大好き」


 お互いにキスをして、しばらく口づけが止まらず、友里は震えて、場所さえ違えばもっと大胆に声を出すのに、今日は押さえきれない呼吸だけで耐えるように、保健室のベッドの海に両足を滑らせている。

「は…はぁ…ん」

「友里……」


「…ん……っはっ」

「……っ」



「照れる…」

「うん、恥ずいね…」

 乱れた呼吸のまま、満足するまで口づけをしておいて、ふたりで照れてしまう。


「あ、優ちゃん…」

「ん?」

「わたしの胸…いつの間にか、出てるけど、ブラはずすの毎回上手になってない?」

「無意識で…」

 さすがにその嘘は、友里にすら見抜けてしまい、赤い顔で苦笑されてしまうが、優はそのまま、友里が許す限り、友里の体を堪能してしまう。友里は、学校で優の体を触るほど度胸が座ってなかった。いつもよりも可憐に、小さく震えながらしきりに「やだやだ」をするので、優の気持ちに火をつけてしまった。



 ::::::::::::::



 2時間目が始まる少し前、作業を終わらせた保健の先生は、生徒2名が眠っている保健室のカギを開けた。生徒が眠っている時に、眠っている生徒に悪さをされない為、席を外すときはカギをかける決まりだ。


「先生」


 眠っていたはずのひとり、普通科2年生の駒井優は、流麗な立ち居振る舞いで、保健の先生を迎えた。キラキラと少し高めのツゲの刈り込みの中、宿根草が咲き乱れる庭園に佇む、王子の幻影を見た。

「荒井さんが起きないので、先生を待ってました。起きるまで、寝かせてあげてください」

 先生は一瞬、(あれ、花壇?)という顔をして、保健室の看板を見る。ぱちくりと瞼を何度か瞬きして、眼鏡の曇りを取ってから首を振って、駒井優に動揺を悟られないよう、普通の生徒への対応と同じ口調で、続けた。

「荒井、前もこんなんじゃなかった?」

 ベッドの中で頭まで隠れて、すうすう寝息を立てている友里を指さす。駒井優は、そっと哀愁漂う表情で、荒井友里を見つめた。淡い桃色のダリアを中心に、ゼラニウムの独特な緋色、デルフィニウムの青が咲き乱れるよう。(ここは、モネの睡蓮の中…?)保健室の先生は、駒井優に見惚れてしまう。やはりさっきから、ここが宮殿か、フラワーガーデンのような錯覚を受けてしまい、先生は動揺している。先生は後ろに束ねた長い髪を、前に持ってきてパーマの取れかけた毛先をくるくるとした。


 駒井優を見ると、そっと花弁のような唇を開くので、どきりとして仕草を見つめてしまう。

「──先生、生徒会のかたが、名簿をお願いしますと……」


「あ!そうか、それも届けてくるわ。駒井、ちょっと荒井をみててやって」

 (良い口実が出来た!)とばかりに先生は顔を輝かせて言った。

 少しここからはなれて頭を冷やさないと、駒井優のことを「王子」と呼んで、かしづいてしまいそうだった。

「はい。あと、わたしたちの、教科の欠席届はどうなりました?」

「それも忘れてました!職員室から持って来ますから、少々お待ちくださいね」


 先生は思わず敬語になりながら、大急ぎで作成していた資料をプリントアウトすると、また保健室から出て行った。

 優は鍵を閉める。




「…優ちゃん、すっごい淑女だったねえ…声が甘くてドキドキしちゃった」


 先ほどまで呼吸荒く、ぐったりしていた友里は、むくりと起き上がり、乱れた着衣を直し始める。恥じらいもなくブラのホックを無防備につけだして、優は慌てて、友里の着替えを手伝った。友里が作った制服は、脱ぐときの手間を友里が省いたおかげで、脱がしやすくて困る。優は自分ではがした制服をまた着せていることに、仄かな背徳感を感じながら、そんな状況で、先生が入ってきたのだから、友里はもう少し焦ってもいいと説明したが、友里は優のいたずらを全部肯定するような口調で、「たしかに焦ったねー」と笑うだけだった。

 あまりに友里が急に冷静になったので、優は、今まで体を重ねていた時間が全て優の空想だったのかと不安になり、まだ露わになっている友里の鎖骨をなでると、友里が余韻の残るからだをビクリとさせたので、(よかった夢じゃなかった)と満足した。


「ごめんごめん。友里ちゃん」

「優ちゃん…!もう…だって学校だよ?……鎖骨なんて、今までなんでもなかったのに!!」

 友里はぷんぷんと怒りながらも、(ソンナ イタズラッコ ナ トコモ カワイイ!!!)などと小鳥のような声でピヨピヨ呟くので、優は苦笑してしまう。


「──でも、よく生徒会なんて、わかったね」

「先生の机の上、名簿作成しているのが見えて、その日付が今日だったから、提出期限なのかな、ってカマをかけたら当たっただけ。先生って忙しいよね」


 靴下を拾って、トゥリングの付いた右足にキスをしてから、友里に履かせてる。


「優ちゃんはすご~く大胆だ」

「だって今は、かわいい友里ちゃんのために仕方なく、でしょ。がんばった」

 膝にもキスを落とされながら、そっと太ももの傷に長い指が触れた。友里は悶える。


「ん…でも、さすがにもう終わりだよ。するとしてもわたしの番!」

「──さんざん煽ったので?」

「そうだよ、今夜はバイトから9時に帰るので、お家に来てね、優ちゃん!」

「はい、お迎えにいくね」


 うっとりとするような麗しい笑顔で淡く照れながら微笑むので、友里はメロメロとしてしまう。

 しかし、ほんの出来心で優をからかうようなことは、かわいいうちだけにしようと、熱の残るからだをなだめながら、友里は真面目に思った。


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