第111話 保健室
保健室で倒れたのは、優の方だった。
腰に湿布を貼ってもらっているのをみていたら、友里も顔色が悪くなっていったので、ふたりで2床のベッドに分かれて、休んでいくことになった。
「クローデットが好きになっちゃうのもわかる」
友里が、隣のベッドに横たわる優をじっと見つめて、嬉しいのに困ったように、優のいとこのクローデットを、13歳の優が障害事件から守った出来事を思い出して、そうささやきかける。優はばつが悪そうに友里を見つめた。優がお姫様抱っこで走ったのは人生で2度目だ。17歳の体のほうが走りやすかったなと優は思った。
「だって困ってたでしょう?──でも友里ちゃん、ほんとうにやせたね、去年より…6…うーん、8kgは軽い」
「うわあ、優ちゃんスゴイ、ピッタリ」
(自分でも気持ち悪いな)と思う特技を、友里が目を輝かせて褒めてくれるので、優は困ってしまう。
「そこは、気持ち悪いでいいのに」
「だってピッタリで…」
「2か月で8kgは、やりすぎだよ、もっと丁寧にやらないと本当に体を壊すよ」
「そうなの?減りかた少ないと思ってた…。あのね、お菓子やめただけだよ」
「いままでどれだけ食べてたの?」
優は、笑ってはいけないシーンに、思わず噴き出してしまうが、すぐに人を笑わせて、ごまかそうとする友里の癖だと気づいた。
「お菓子だけなんて、うそでしょ?以前、夕飯もスープだけで食べてなかったじゃない。お昼ご飯も、紙パックジュースだけとかでしょ、やめなね」
「なんでわかるの…怖い」
「そこはちゃんと怖がってくれるんだ」
「わたしを心配してくれて、かわいくて怖すぎる…」
「……」
「起きてても良いけど、安静にしな!」
カーテンの向こうから、保健の先生が大きな声で声をかける。34歳、長い髪をひとつに束ねて、紫縁の眼鏡をかけている男性のような口調で喋るが、女性だ。女生徒から、なんでも相談できると人気がある。
優は深いため息をついて、保健室の天井を見た。
保健の先生が奥に座っているので、スマートフォンを友里に見せて、
【こっちで会話しよう】と送った。
【村瀬のこと聞いてもいい?】
端的に聞いてくるので、友里は、優を見つめた。友里はスマートフォンに目を移して、一生懸命フリック入力をする。
【ずっと言おうと思ってて、なかなか機会が出来なくてごめんね、先々週の金曜日に、告白されたの、すぐ断ったよ】
高岡からのメールで、優は友里が告白された事をすでに知っていた。告白だけなら、友里はかわいいのでそのぐらいあるだろうと思っていたが、付きまといまであると、普通科と商業科で遠くはなれているため、クラスでは後楽と萌果にもそれとなく、名前を出さずに「1年生が訪ねてくるときは2人がそばにいてくれ」とお願いした。ふたりは高岡の件もあったせいか、優からの頼みに、なんの理由も聞かず協力してくれた。
自分が派手に、友里の相手だと村瀬に知らしめたのは、少しでも友里への注目を分散したかったから。『"駒井優のモノ"を自分が奪えるかもしれない』と、調子に乗ってくれたらいいと思う。友里と村瀬だけの問題ではなく、優もふたりの問題に参戦できるようになる。
【教えてくれてありがとう。それで、友里ちゃんがあの態度?珍しいね。思い悩んで、痩せちゃったの?】
友里に責はぜったいに無いが、友里の村瀬への態度から一つの結論に達している。
(キス…だろうなあ…)
高岡も絶対に言わないが、優はなんらかの接触をされていると思った。キスぐらいなんて思えるわけがない。──優は友里に関しては驚くほど狭量だ。
【優ちゃんだけが、世界で一番大事なので、誤解をされるようなことをしたくないの、傷つけたくなくて、言うタイミングを悩んでました。すぐ相談できなくてごめんね。ダイエットは普通にバレエの為だよ~、足首が死んじゃう】
友里が、長文を書いた後、視線で謝る。優は、ふるふると首をふった。友里が迂闊でも危機管理能力が低いのでもなく、人間を弄んでいる人たちは、すぐに相手の大事なものを奪って、力を誇示しようとする。格下に見ているから、格下から抵抗されても、己のほうが正義だと言う自信がある。優は静かに怒りがとぐろを巻いた。
【友里ちゃんは悪くないよ。勝手に告白してきて、ふられたのに、付きまとうなんて、自信家ってすごいね】
友里にわかりやすい言語に置き換えて、ふわりと伝える。それを読んだ友里はうんうんと頷きながら、頬を膨らませて、勢いよくメッセを打ち込む。
【ヤダって言っているのに、かわいい後輩枠に収まりたいそうです、その枠は高岡ちゃんでいっぱいなのに】
【高岡ちゃんは色んな枠に入りすぎでは?先生だし、幼馴染だし】と、優。
続けざまに、友里がメッセージを贈る。
【小鳥さん枠でもあります】
【村瀬さんはわたしなんかに構わないで、別の幸せ枠を探せばいいのね】
優はその文言を見て、ふと小さな枠組みの人形の家の中にデフォルメされた友里や、友達、駒井家の人たちがいるビジョンが浮かんだ。
「ユウチャン!」
可愛い声でそんなファンシーな世界でも、トルソーと鏡台しかない部屋にいる友里がにっこり両手を上げて手を振っている妄想をして、優は(いよいよここまで来たか…)と自分自身のいやらしさに眩暈がした。
友里が自由に、快活に生きているからこそ、彩り豊かな人生をその満面の笑みに映せると優は思う。恋人にしてもらえたが、いつか、友里が自由に羽ばたくためなら、別れが来ても良いとさえ思っている。
友里の幸せ以外、他人も自分さえどうでもいいと、言ってしまいたかった。
けれど、友里は優のそれを自己犠牲と言うし、友里に気遣わせて生きるのは、本意ではない。他人の幸せも友里自身の幸せにつながる。
友里の人生に組み込まれているうちは、優は、友里のために、自由に自分自身の道を、楽しんで生きて行かなければいけない。すこしでも友里に心配をかけたら、友里は全てを手放して、優を支えに来てしまうだろう。
──川に落ちていく、小学生の友里が脳裏に浮かんだ。こちらに手を伸ばして、川岸に残された優をみて、ほっとしたように笑ったあの顔を、流されていく友里を、忘れることができない。
「はあ……」
心臓が痛い気がして、あの時掴めなかった手のひらで、胸を押さえた。
優は、少しだけ迷ってから、言葉を打ち込んだ。
【わたしはどんな枠にいるの?】
【優ちゃんはわたしの恋人枠】
「う」
一瞬で返事が来て、思わず声が出てしまった。優は友里を見た。友里がニコっと凛々しく微笑むので、優は(やられた)と思った。幼馴染などさんざん迷ってから恋人と言ってくれると思ってた節があったせいで、友里の格好つけたわざとらしいセリフにまんまとハマってしまって、真っ赤になった顔を、スマホで隠す。
【かわいいお顔が見えないけど?!スマホでかくれちゃうなんて、小顔なんだから!!みせて!】
【や】
【かわいい!いますぐ抱きしめたい!!】
【怒るよ】
【かわいい、好き 愛してる!!大好き!!!】
優は返事をせずに、友里に背を向けた。友里の作った制服を着てきていることに、背中を向けてから気付いて、友里にもそのことがバレてしまった気がして布団をきちんと被った。以前、優は心細い時に友里が作った服を着ると、友里に言ってしまっていた。
【ふざけてごめんね。優ちゃん…もしかしてとっくに知ってた?高岡ちゃんから?】
優から返事をしないでいると友里が構わずどんどんメッセージを打ち込んでくる。
【優ちゃんの事が、世界で一番大事だし、優ちゃんと一緒じゃないと、わたしがわたしらしくいられないから、ずっと仲良くできるやり方をかんがえていきたいの】
【今日も、大切なことを全然言ってないのに、わたしを助けてくれてありがとう。もっとちゃんとするね、腰お大事にね】
【大好き】
数秒して、優が友里の方へ向く。
眉を八の字にして、友里が困っているので、優はまだ赤い顔のまま、唇だけで「好きだよ」と言った。
「!」
ガバ!っと友里が起き上がってきて、優は唇にあたたかな衝撃を受けた。
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