第110話 ダッシュだ
早朝5時、友里は颯爽と隣を走る優を見上げる。玉の汗がキラリと光り、ニコリとほほ笑みあう。朝日の中ふたりは、キンと冷えた2月の空気を感じながら、街を駆け抜けた。
──理想を夢で見る。友里がガバリと起きるとスヌーズを繰り返したスマートフォンの時計は6時を過ぎていた。
いつもの友里なら、それでも早いぐらいだが、優はとっくにジョギングを終わらせて、朝食の準備をしている時間だった。そんな日々が1週間は続いていた。友里はどうせダイエットをするのなら、体力もUPしようと、1週間前にパフェを食べた次の日、5時起きの優のジョギングに付き合うことを宣言して、──未だに叶えられてなかった。
【ごめんなさい、いまおきた】
メッセージを送ると
【おはよう、昨日よりは早いね!すごい】
可愛く素敵な恋人のやさしい返事が、すぐに来る。優は甘々で穏やかで、大概のことを許してくれるが、自分のルーティーン、こと時間に対してはシビアだ。曲げることはない。友里が朝弱いのも知っているし、だから友里が合わせてくれたら、「一緒でうれしい」と言うだけで、ジョギングのために友里を待つことはない。
【明日こそは】
【無理しないで、また倒れたら心配】
【日曜日のバレンタインデート、下着買いに行くんだよね?それまでにはちょっと痩せなきゃ、優ちゃんとお揃いのサイズがないと困るから】
【その話、生きてるの?】
友里はたんぱく質多めの海藻類サラダをモリモリ食べながら、優のメッセージを見る。母親に、「はしたないよ」と言われて、スマートフォンを閉じた。
「友里、今朝もチキンと海藻?パンは?」
「うーん、やめとく。お昼に食べるから、心配しないで」
「はいはい、でもほどほどにね。今の体重で止まりな?すごいイイ感じだよ!」
「あはは、ありがと」
食べきってもまだ7時前で、友里は制服に着替えた。正規の制服は少し緩くなったので、今日は自作の制服を身に付けた。
【今朝は一緒に学校いってもいいかな】
【嬉しい、迎えに行くね、はやくあいたい】
メッセージにドキンとする。(そろそろできそう)なんてはしたないことを思う。優の体調のこともあるので、はやる心をペシペシと殴る。
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優と電車に乗ると、吹奏楽部の面々がいて、友里と優があっという間に囲まれてしまう。だいたいが「駒井先輩、たまには遊びに来てください!」という切実なお願いだ。
「予備校が忙しくて、ごめんね」
ふんわりと優が微笑むと、1年生たちは「それなら仕方ないですね」と血の涙をのみこむような声で言うので、友里は自分だって優に逢えなくなったらその位の声を出しそうだし、気持ちは本当にわかるから一緒に泣きそうになった。
初めて取り巻きと同じ位置で優のそばにいるので、優への推し心を思うと、居心地が良い。みんなで「駒井先輩かわいい~」が出来ればもっと最高なのだが…。
「あの。先輩。最近、雰囲気が柔らかくなって、すごい、かわいいです」
横にいたひとりの女生徒にぽつりと言われて、友里は素早い動きで、肩の下あたりまでの栗色の髪をふたつに結んでいる、友里よりも5.6センチほど背の低い女子の肩をそっと抱いた。
「かわいいよね、優ちゃん」
「え、は?!ああ…あ…あの、ええ…?かわいいです。はい……荒井先輩っ」
「うん、かわいいよね!ありがとうううう!!」
以前、優を迎えに来たことがある子だった。優のかわいいを見抜くなんて、素晴らしいと思って、友里は1年の肩を抱いたまま、「もっと優ちゃんの可愛さについて語り合わない?お名前は?」と誘った。少女は、どこを見たらいいかわからないように目を泳がせた。
「も、
望月が、必死の思いでそういった瞬間、優に肩を掴まれて、「ひ!」と言った。
「友里ちゃん、口説かないで」
優が言うと、1年生はくるりと優に持っていかれてしまった。ダンスの場面のようで、わっと歓声があがり、友里は、笑われて真っ赤になってしまう。
「クド?!口説いてないよ!?!?ごめんね、興奮しちゃって……!」
「ごめん、友里ちゃんが」
優にエスコートされている望月に友里が謝ると、優も一緒に謝った。望月は、あっという間に話題の中心になったことに、キャパオーバーになってしまい「いえ、いえ、良いんです、すごい良いんです」とうわごとのように繰り返した。
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駅に着くと、そこに村瀬がいて、友里はまた優に言うのを忘れていたことを思い出した。プイと無視をすると、優がそっと友里に耳打ちをする。
「いいの?」
「うん、あとでお話しするね」
優に困ったような顔を向けて、袖をツンと掴んだ。優はそれだけでなにかを悟り、意識してくれたようで、友里を守るような仕草になる。(もしかしてもう気付いている?)(──まさかね)友里は、優を見上げた。
「友里さん!おはようございます」
無遠慮な声で、村瀬が駆けてきて、優と反対側の友里の肩にぴったりとくっついてきた。友里は完全に沈黙している。
「おはようございます」
優が声をかけると、村瀬は「うおっ、どもです」と優に言う。伝説の生き物に遭ったような表情はやはり表に出てしまうようだ。
「友里さん、今日、うちの家の周りの道路に、すげえかわいい肉球跡がついたんですけど、みます?本人…本猫?も写ってますよ」
「……!」
友里が好きそうな話題を話しかけてくるので、友里は「ぐう」と唸った。
「あ、また寝たふりして、かわいいな、いつもこの時間なんですか?見たことなかったから、次の電車くらいかなって思って今週ずっと駅で待ってたんですけど、良かった~、やっと会えた」
友里が朝に弱いことを、村瀬は知らない。この2本後の電車が多かった。ほんとにHRにギリギリだから、村瀬と逢わずにすんでいたようだ。
「一対一ってどうしたらいいかわからなくて、先輩方のお手を煩わせるのもあれだし、教室にまた行くのもどうかな~とか考えた末なんです。そーだ、連絡先とか教えてくれたら画像送るんで──」
「詠美、おはよ」
褐色でテニスラケットを背中に背負ったポニーテールの少女が、詠美の脇をすり抜けるようにして声をかけてきた。
「おはよ、美咲」
「詠美、早いじゃん」
「真子もじゃん!おはよ!」
通り過ぎていく朝練運動部の女子達に、村瀬詠美は名前を呼んできちんと挨拶する。
「で、猫なんですけど、近所に、茶色と黒がいてこいつらがまた、かわいいんですよ、いつもいちゃついてて、にゃんたまみます?」
何事もなかったように、友里に向きなおして、すぐに会話を続けるので、友里は困ってしまう。困りすぎて優を見上げて見ると優は、ふわりと光をまとったように微笑み、友里に耳打ちをした。
「友里ちゃん、ダッシュだ」
「…!」
友里は言われて、一緒に走るのかと思ったが、ひょいと体が宙に浮いて、一瞬、めまいを起こして倒れたのかと驚いた。
ほとんど友里を、お姫様抱っこの要領で抱えて、優は走り出した。
「!?優ちゃん!?」
「待って喋らないで、けっこうがんばってるから!」
「……!!!!」
友里は、優にぎゅうっとしがみ付いて、(いま、自分の体重が0kgになりますように!!!)と願いを込めた。
「きゃああ」と周りの生徒たちが、歓喜の声を上げた。何が起こったのか全く分からない生徒たちも、なぜか「わああっ」と歓声を上げて、駒井優の走りを見守っている。
「え?あのこ、倒れたの?」
「それを、駒井先輩が運んでるってこと?!」
「かっこよすぎる~~~!!!王子~~~!!!!」
「駒井先輩!!がんばって~!!」
想い想いにストーリーを作り上げて、駅から学校までの道のりで、駒井優が王子様になっていってしまう。
「なにそれ、面白すぎる……!!」
残された村瀬は、思わず立ち止まって、優と友里の背中を見送った。
そして「きゃあきゃあ」と手を打って喜んでいる、吹奏楽部女子の肩を掴むと、「あれはどういうこと?」と問いかけた。
吹奏楽部女子は、周りの女子を見回して、自分だけが真剣に優と友里の姿を見れないことにショックを受けながら、そちらを見つつ、「荒井先輩と駒井先輩は幼馴染で、仲良しなんです」と、赤い顔で村瀬を見上げて、告げた。
「なるほどなあ!!」
あはは!と笑って、村瀬は女子に握手を申し出た。彼女は訳も分からず、村瀬の握手を受ける。
「そっか、だからかあ、あれじゃあ、友里さんは、私なんか目じゃないわけだ」
村瀬は独り言のように言ってから、唇に手を当てた。
「あれが友里さんのお相手か、強敵だなあ……」
「あの…?」
右手を掴まれたままだった女子は、村瀬を見上げて声をかける。
「あれ、ごめんね、子猫ちゃんは、お名前なんていうの?」
「は?!猫じゃないです、
「璃子!よろしくね、私は村瀬詠美」
にっこりとほほ笑んで、村瀬は、望月に「まだまだあのふたりのこと、色々教えてよ」と言った。
「私、友里さんが好きなんだ」
「……!」
あっさりと言われて、望月は目を見開いて真っ赤になった。
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