第103話 キス=?



 友里は窮地に立たされていた。


「好きです、友里さん」


 突然の告白に、めまいがする。


 深夜の茉莉花の言葉が、脳内を巡ったが、まさか昨日の今日で、そんな話になるとは、茉莉花だって思わないだろう。

 移動教室から帰ってきた6時間目の前の休み時間。書道教室の前で、村瀬詠美むらせえいみにつかまって、墨の香りが漂う教室内に、閉じこめられた上で、冒頭の告白となった。書道教室は入り口がひとつで、鍵を閉められたら、鍵を閉めた相手をかいくぐらない限り、外へ出られない。


「村瀬ちゃん?」

「そうです、村瀬ちゃん。その言い方かわいいですね、友里さん」


 嬉しそうに、頬を指さして村瀬が言うので、友里は寝不足も相まって、おでこを押さえて瞳を閉じると眠ってしまいそうだった。


「え、いや、でも、昨日会ったばっかだし?なんで…?」

「一目ぼれってやつです、しかも、私のスタンプ使ってくれるし」


 それが決め手だとしたら、誰にでも恋をしなければならないのでは…?友里はわりと多くの人が使っている、詠美のスタンプを思った。


「実は、3学期始まってすぐ、かわいい子がいるって数日、目で追ってたんですよ。そしたら昨日の放課後、私のスタンプの話をしてて…感性も合うんだ!ってドキンと来てですね。──それから名前を聞いたら、いつもバイトのみんなから聞いてた伝説のアライユリだってことも、運命的じゃないですか?かわいいし、頑張り屋だし、タフだし、素直で、明るくて、大好きしかありませんよ」


「…はあ…」


 友里にとっては、すべての情報が今聞いたものばかりで、恋に落ちる理由を聞いてもピンとこなかった。

 長い前髪をかき上げながら、美形を見せつけて、詠美は友里に近づいてくると、友里の小さな手を取った。友里は思わず、ささっと手を振りほどいて、逃げる。


「あ、もしかして、女ダメとか?…です?」


 傷ついた顔をして、詠美が言う。


「いやそういうのはなくて、好意は嬉しいですけど、ほんと、わたし、なんていうか…」

 告白を断ることが初めてで、しどろもどろになってしまう。恋人の淑女な部分が大好きなので、友里は(自分は女性が好きなのだろうな)と、思っていたが、誰でもときめくわけでは、なさそうだった。村瀬の事をなにも知らないので、自信家な子としか思えない。


「誰か付き合ってる人とか、いるんです?もしも相手がいないなら、お試しでつきあってほしいです」


 探るように、追い詰めるように、強引な詠美が友里の瞳の中を見つめてくる。5センチほど背が高い、細く薄い体つきの詠美に、優を連想して、友里は息をのんだ。ここで、優と付き合っていると言って、優に悪い噂でも立ってしまったらどうしたらいいのか。いつの間にか、ドアの反対側の、教室の隅にあるロッカーの脇の辺りまで追い詰められていて、ガシャンと背中がロッカーのドアに当たった。


「それは!いえないけど」


 目をみて言った瞬間に、抱きすくめられて友里は戸惑う。女の子同士のスキンシップではなく、恋人の抱擁のようで、ぞわりと背中に冷や汗が出た。

「!」

「好きなんです」

「あったばかりでしょう?」

「時間は関係ないです」


(怖い)


 友里は、両手を後ろに掴まれていたので、肩や頭で詠美を押したが、友里に気遣うつもりもない力は、なかなか引き離すことができなかった。睨みつける為に顔を上げると、躊躇なく唇を奪われて、友里は目を丸くする。


(「無防備」ってやつだああ)


 何度奪われれば気が済むのか、友里は自分の無防備さを呪う。今回は両手を後ろ手につかまれて抱きすくめられているのもそうだったけれど、予測さえできていれば、絶対に顔を上にあげることはなかった。顔をそむけるなり、自衛することもできただろう。しかし、まさか、キスをされるとは、誰も思わない。


「あれ、──うっとりしません?」


 詠美が困ったように言うので、(ナンデ?)という顔で返した。


「普通…ほら、今のキス、気持ちいいでしょう?」

「……?」


 ポカンとして友里が見やるので、詠美は友里の顔をまじまじと見つめる。

「あれ?!もっかい、してみていいですか?チャンスください」

「いや!無理!!ぜったいやめて!!」

 友里はワンワンと吠えて、顔を下に向けた。

「5歳の時から、キスがうまいって言われ続けてるんで!大丈夫です!」

「やだー!!」

 じたばたと足を蹴る。詠美は友里の攻撃からすべて避けるので、相当運動神経が良い。しばらくその攻防が続いて、友里は全力で、モグラたたきの要領を続ける。


「……降参です」


 息を荒げて、友里から離れると、両手を掲げてホールドアップする村瀬。苦笑しながら、友里に軽く謝罪して、友里の乱れたジャンパースカートのリボンを直したりしてくるので友里はビクリと震えた。


「そんなびくつかないでください。友里さんと仲良くなりたくて、手っ取り早くお付き合いしたかったけど、──そうだな、かわいい後輩ってことでどうです?」


 あっけらかんと恋をあきらめたような口調の村瀬に、友里は怪訝な表情をして(本当に高校1年生か?)と、高1当時の自分を思い出しながら、ジャケットを直した。掴まれていた手首が痛い。暴行だ。本人に悪気がないのがさらに怖い。キスも、なにも思わなかったが、優のことを考えるとどうしたらいいかまだ、思考が伴っていない。


「……こういうのは困るから、もうしないで」

「はあい、しません!」

 口を開いただけで村瀬が嬉しそうにするので、友里はすこしムっとした。


「好意を向けられるの、すごい困る」

 いま注意事項を言わないと、しつこくされる気がしたので、友里は強い口調で言った。


「はあい!でも、はなしかけてもいいですか?時間があれば、おとせるかもとかは、かんがえてないです、ほんとに」


 嘘つきの顔で、詠美が言うので、友里は最大限の拒否の言葉を考えたけれど、うまく思いつかず、それでも強く睨んだ。頭の端で、こんなに惚れっぽいならすぐに他の子に行きそうだなとも思ってしまう。


「話しかけるのは許してもらいたいなあ」

 友里は無言を貫く。頭の隅に困った客対応マニュアルが浮かんだ。完全黙秘だ。

「でも友里さんが、私を好きになっちゃったらそれは、ちゃんと言ってくださいね」

「! ぜったい好きにならないけれど」

「友里さん、絶対ってこの世にはないんですよ」


 思わず声を出してしまったが、含んだ微笑みを向けられて、相手が余裕を孕んだ瞬間、友里はダッシュで村瀬をすり抜けると、書道教室のカギを開け、そこから逃げ出した。笑った声がした気がした。

 心臓が弾けるようにドキドキと言っていたが、怖さの一つだと思った。友里が心の底から楽しいお化け屋敷に対して、優が怯えていたが、こういう気持ちなのかもしれない。


(今度からはちゃんと労おう…)


 友里は、6時間目に間に合わなかったうえに、教室に着いた途端、貧血で倒れて保健室送りにされたので、さらに村瀬をうらんだ。



 :::::::



 ハッと目を覚ますと、この世のものとも思えない、美しく光り輝いた淡い桃色の強い光に包まれた女神さまが見えたので、お迎えが来たのかと思って、友里は思わず(優ちゃんに最期一目あいたかった……)と思った。


「大丈夫?友里ちゃん?」

 当の本人に、問いかけられ、友里はハッとした。

「優ちゃんだ!?」

 ガバリと起き上がって、またへろへろとベッドに倒れこんだ。

 保健室。ベージュ色のカーテンに囲まれている真白いベッドの中で、夕暮れの中、友里は制服の胸のボタンとリボンだけはずされて、横になっていた。ポニーテールの結び目が少し痛くて、友里は髪の結び目をそっと外してゴムを手首につけた。


「優ちゃんがいるってことは、放課後?ごめん、付き添わせた」

「ううん、いぬいさんが友里ちゃんのかばんとか、わたしに預けてくれたよ」

「えええ…ありがとう……」


 友人の乾萌果に後で連絡をしようと思いながら、うっとりと優の微笑みを見上げて、お礼を告げると、時計が目に入る。16時半だ。


「あ、バイト…!」

「今日はお休みしたら?」

「ううん、今日は誰も変われないから」

「あの、村瀬って子は?昨日知り合った…」


 友里はその名前が出て、びくりとする。胃の辺りがぐるぐるして、そばに寄り添ってくれていた優に思わず抱き着いた。座っていると目線が一緒になる。

「友里ちゃん?」

「もうちょっと…こうしてて」

「……」


 優はすこし悩んだようにしてから、友里をやわらかくそっと、宝物のように抱きしめると、頬と、唇に口づけをした。

「優ちゃ…?!学校だよ…」

「大丈夫、先生は会議で、しばらくいないから。信頼されてるのも、あまりよくないね」

「……!」


 友里が起きたら帰宅できるよう、鍵まで預けられている優の確信犯な言葉に、驚きつつ、心臓が飛び出しそうな気持になりながら、安心感からキスを数回繰り返した。


「っ…」


 さすがに保健室で声を上げるわけにもいかず、友里は自嘲気味になる。

 優は逆にいつもよりも大胆に、友里をベッドに押し倒して、深く唇を合わせるので、友里は優にしがみ付いた。

「優ちゃん……これ以上は」

「ごめん、倒れたのに」

 ハッとして、優が言うので、友里は(夢中な優ちゃんかわいい)という顔で微笑んでしまう。寝不足の原因が、言葉では憚れるようなことなのに、体の心配をしてもらえて申し訳ないような気持ちになりながら、起き上がって向こうを向いて、赤い頬を指の甲で押さえる優の背中に、見とれた。


(キスがうっとりしちゃうのは…好きな人とだからなんだよ、村瀬さん)


 ポジティブに変換しつつ、友里は、それでも、村瀬の告白を誰かから優に知られるくらいなら自分から話さなければと心に決め、起き上がった。


 ガチャ!!ガラァ!とカギを開ける音と、ドアが開いて、優と友里は心臓が飛び出るかと思うほど驚く。


「あれ?まだいたのか!大丈夫?荒井さん」

「はーい!!」

「元気そうだね!?土日しっかり休んでね!担任にも言っておくから、ちゃんと夜は寝るんだよ!」


 快活な保健室の先生に注意と指導をされて、友里はようやく起き上がる。胸のボタンがずっと開いてて、思い切り谷間が見えていたことに気付いた。パチパチとボタンを留めると、胸のリボンは優が結んでくれた。


「バイトも休むんだよ?」

「え!?い、行きます」

「「だめ!!!」」


 優と先生にハモられて、友里は震えあがった。仕方なく倒れたことを告げておやすみの連絡をすると、副店長がかわりに出てくれた。金土と休んで友里はすっかり元気になったが、村瀬の件は、まだ優に言えなかった。


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