第104話 借り

 

 シャワールームにもうもうと湯気がたち、ようやく汗のひき始めた体を洗い流す友里。今日は、羽田バレエスクール・大人部の参加日、日曜日だった。


「どう?」

「13~16時続けてレッスンはちょっとまだ厳しい感じ、基本レッスン60分、休憩とストレッチに30分、レッスン90分みたいにしてみたらどうかなあ」


 1学年下の高岡”先生”に問いかけられ、友里は久々の運動に笑う膝をかかえながら、今日のレッスンの様子が激しかったことを伝えた。大人向けのバレエスクールにするためのモニターでもあるので、その辺りを正確に伝える。


「……うんうん、ありがとう、来週はそれにしてみましょ!羽田先生とも相談するわ」

 高校1年生にしては大人っぽい高岡が嬉しそうに、「あとでちゃんとメモっておかなきゃ」と言いながらきちんとシャワーを浴び始めた。


「………!……」


 友里は高岡に言いかけて、そしてやめる…という仕草を、先ほどから繰り返している。さすがの高岡も、それには気になってしまい、「なに?」とようやく聞いた。


「あ~~…村瀬詠美むらせえいみって子、知ってる?」

「同じクラスだけど」


 高岡が知っている子だったので、友里はますます重い口になってしまった。もしも知らないと言われたら、告白されたことを言っても大丈夫かなと思ったのだ。女性同士だし、プライベートな事なので、(あ!!!性別をぼかして、別の子のこととして相談することもできたかもしれない)名前を出してからそれに気づいたが、後の祭りだった。そもそも嘘が下手なので、いちど話したらボロが出るに決まっていた。


「そいつがなんなの?うちのクラスでは男子よりかっこいいとか、持ち上げられているわね、駒井優とよく比べられてるけど」


「えええっと、同じバイト先なの」

「ああ!友里のファミレス。私も行ってみたいわ」

 高岡が可愛い事を言うので、「この後一緒にいこう?」とお誘いしてみる。キャッキャと喜んでくれるので、かわいい鳥さんが懐いたようで友里はほんわかしてしまう。優とこの後、一緒に帰る約束をしているが、今日は優が、17時に合わせられず、20時までなので、ちょうどごはん相手ができてうれしい友里だった。


「そういえば、駒井優の、自分以外に好きなもの作れ発言は、どうなったの?」


「そう、それね…なんかうやむやになってるかも」


 友里は言われて、(優ちゃん、「独占欲を持ってほしい」と言いながら「他の物も好きになって」なんて可愛いことをいうなあ。自分を好きでいてほしくて、でもわたしの事も心配してるのかな?)と、うっとりした。



「……駒井優に、友里の好きが、重すぎるんじゃない?」


 朱織は、友里をちらりとみた。友里のただひとつの好きなもの、やはり駒井優しかないの?と確認するための視線だ。

(駒井優とお付き合いをはじめたのかしら…気になるわ)高岡はまだ聞けずにいる。


「やっぱそうかなあ……だから、ほかに好きなものを作れって感じなのかなあ?分散しろ、てきな?」


 友里は、それには気付かず、あっさりと頭を洗っている。

(なによ、隠す気がないなら、つきあってるっていってくれたら良いのに)

 高岡もさっぱり洗い流したい気分になったので、友里にあわせて全身を洗ってしまう。ふたりでくしゃみをして、笑いあった。


「駒井優だって、友里以外好きなもの無さそうなのに勝手よね。駒井優って友達もいなそうだし、お勉強もスポーツも出来るけど、それだけだわ。友里のことしか考えてなくて、ちょっとどこか壊れてんじゃないの?それであの顔でしょ、キモいわ」


 苦々しい声と顔で、高岡が何度も言うので、やはりおもわず笑ってしまうが、それはさすがに言いすぎだとおもい、否定する。


「優ちゃんはたくさん、好きなものも嫌いなものも、わたしに教えてくれるよ。夏休みは毎年、アメリカに旅行に行ったり、趣味もたくさんあるよ。水泳とかバスケとかトランペットとか。キャンプとかも行くみたい。いまは受験勉強を熱心にしてて色々おやすみしてるけど。お医者様になるんだよ。人参もピーマンも食べられないけど、根菜は好き、おばけがキライ、キラキラしたものと、紺とか緑色が好きで…」


 友里はシャワーをとめて、うっとりと優の色々な特性を高岡に聞かせる。わしわしとボディブラシで泡を立てると、その泡を体にのせ、ぬるぬると体を洗いながら、考える。


「やっぱりわたしのほうこそ、優ちゃんしか、ないのかも」


 あんなに拒否していたバレエをあっさり始めたいと思ったのも優のため、アルバイトも、優を淑女と飾り立てて世間に認めさせるためだったし、お裁縫の趣味も優に似合う服を自分で作りたかっただけだ。将来の夢であるウェディングドレス制作も、優に着せたいため。


 全ての行動が優基準で、照れてしまう。


 それは、優だって困ってしまうだろう。


 ──わたし以外に好きなものを見つけてほしい。


 ようやくその意味が、分かった気がした。優には友里が、空っぽに見えていたのかもしれない。

 怪我の痕だけを残して、盲目的に優を愛すことだけで、からっぽの体を満たそうとするその姿は、その傷さえなければと、よけい目に止まってしまうのではないか?たくさんの"大好き"で囲まれていれば、友里の傷跡を、優が目にすることも減るのではないか?

 優に好かれたくて行動するのではなく、自分のために、なにかを選んでいく──そういう人に、友里がなれば、優の痛みも消えていくのかもしれない。好きなバレエをやめるとか、後ろ向きな理由でなく。



「色々友里には見せてるのね、私の眼には、きれいだけど、つまらなそうな冷たい顔をしてるから、騒がれてるのは意味がわからなかったけど」

 また考え事をしていた友里は、高岡の言葉に謎解きの途中で止められたような顔をして言う。

「いつも天使と見まごう、ピンク色のほほでニコニコしてるよ」


「桃みたいな顔は、友里の前だけなのよ」

 壁を殴るようにシャワーのお湯を止めて、高岡は(さすがに駒井優が可哀想。いい加減気付けばいいのに)と友里に向いた。


「うん、大丈夫わかってるよ」


 先に友里に言われて、高岡は言葉につまった。


「優ちゃんがわたしに見せたくないと必死に隠して、頑張ってくれてる傷はね、ふたりのものなんだよ…すぐには、治らないし一生抱えていくかもなんだけどね!ゆっくり、ふたりで、大切に治していくの」


 ふわりと友里が微笑む。高岡は迷った。ふたりは仲良しだが、どこか遠慮しているような顔をいつもしていると思っていた。しかし、遠慮が無くなっている気がする。幼馴染なのに、高岡には言ってくれないが、(付き合ってるの?)高岡朱織の口から、そこまで出ていた。


「…ねえ、友里の傷をみてもいい?」


 高岡に言われて友里は、「いいよ」と声をかけた。なんでもないことのように髪をひとつに束ねて、前をタオルで隠すと、友里は背中を向ける。

 高岡は仕切り板に近づいて、そっと友里の個室を覗く。

「……綺麗ね」

 背中の真ん中に肩甲骨から腰の下まで、蔓のように伸びる縫い跡があった。痛々しいが規律正しく、高岡がおもっていたよりも広範囲で(よく生きていたわね)と言う方向で驚いた。これは駒井優も気にするだろうと独り言つ。

 が、友里がおもうほど卑下するものでもないとおもった。綺麗に縫合されている。これはこれでダンサーとして人気も出そうだが、本人が隠したいのなら苦痛でしかなさそうだから、口に出さずおもうだけ。


「自分ではみえないけど、この間写真を見せてもらったの!」

「え!裸を…?誰に撮ってもらったのよ!?ちゃんと消去したんでしょうね?まさか駒井優?!」

「ちがうちがう!!自分のスマホで!優ちゃんの従妹のクローデットに!」

「あああ…のキス女…?って友里!あなた色々、話してないでしょ!?」


 高岡はついに怒って、シャワールームから出ると、友里に根掘り葉掘り、洗いざらい白状させた。


「なによ…おめでとう…。そう、やっぱりそうなのね、だと思ったわ」

 ふたりで洗い髪にドライヤーをかけながら、高岡は友里と優がお付き合いしたこと、そして諸々あって、すでに深い関係であることを知った。のけ者のようで少し寂しいが、恋とは突然動き出すものだと、理解はしている。


「…太ももの傷は、さすがにパンツ見えちゃうけど見る?」

「えっ!それは。いいわ!恥ずかしいわ!」

 友里の発言に、どんな危ういところにあるの!?と高岡は焦って手を振った。ぶんぶんぶんと首も振る。


「わたしと高岡ちゃんの仲なのに」

「どんな仲よ!」

「元ライバル」

 友里はにっこり笑って高岡に向き直った。高岡は胸がいっぱいになってうるうるしてしまうが、すぐにカッとなって叫んだ。

「友里ってちょっとズルいわ!」

「うふふ、高岡ちゃんは小鳥さんみたいでかわいいな…!」

 すぐにピヨピヨ怒鳴ってしまう高岡を、友里はかわいいと言ってくれるので、高岡は自分の気性の荒さを、肯定されている気がして、スッと心が休まる。友里の良いところだと思うし、やはり少し大人っぽくなった気もして、高岡はむだにドキドキした。


「で、そこに村瀬詠美がどう関わってるの?」

「!」

「わかるわよ、なにかあったんでしょ?友里が言い淀むなんてよほどでしょう」


 思ったことをすぐ口にする友里の特性を、高岡はすっかり掴んでいた。困ったように友里は、まだ耐えていたが、やはりひとりでは抱えきれないと思い、意を決した。

 そして、出会って2日で村瀬詠美に告白をされたこと、キスをされたことを白状した友里に、高岡は絶句した。


「危機管理…!!!!!!」

 唸るように言われて、友里は思わずごめんなさいと謝ってしまう。


「なんでそう、すぐ奪われるのよ……信じられない。ありえないわ。でも──そうね、私だって、他人と一緒にいて、唇を奪われるかもなんて思ったこともないわ……傷ついたのは友里だわ…」

 高岡はため息を深くつきながら、わなわなと震えて、ひとりで思考して、きちんと着地してしまう。


「相談してくれて嬉しいわ。今回も気持ちは大丈夫?」

「うん、平気!」

「…そう、良かった。一緒に、駒井優への対応を考えましょう。アレが変な風に知ったら、おそろしいわ」

 高岡は駒井優にストーキングされて友里と友人関係を結ぶに足る人間か、怪しまれていた数日の傷を自分でえぐるように、体を震わせる。それだけの悪さをしたのはわかっているけれど。


「少しでも、優ちゃんを傷つけたくなくて…ほんとは忘れちゃった方がいいのかなと思うんだけど、うううん、でも、やっぱり優ちゃんのためっていうか、自分が優ちゃんに好かれたい為って感じがします!先生!」


「ダメな生徒ね!ほんとに」


 年下の先生、高岡は友里に微笑んだ。


「でも、駒井優には借りがあるから……私も幸せにはなってほしいとは思うから」

 

 高岡が、気になることを言うので、友里は首をかしげる。


「こうして、友里とまた一緒にいられるのは、駒井優のおかげだもの」


 「スゴイ嫌な思いもいっぱいしたけど!」と追加で悪口を言いつつ、はにかんで、微笑みあった。



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