第98話 誰が王子様
※背後注意
荒井友里は悶々としていた。
成田空港から帰る電車の中。
成田空港の屋上で、愛を確かめ合い、すっかりうっとりと友里と手を離さないと決めてくれた可愛い恋人と、そういうことがしたくて、したくて、どうしたらいいかわからなくなっていた。
(そういうことって、どういう風にしたら、そういうアレになるの?)
経験がないので、どこでなにをすればいいかもわからず、とにかく電車に揺られて、帰路についている。
「わ、見て、あの人かっこいい」
「ヤバ、やさしそう、かおちっさ…かっこよ…」
車内で優を褒めるいつもの言葉にも、(そうでしょう?!可愛いよねえ!?)と、"かっこいい"という言葉を脳内に届く前に"かわいい"に変換してしまうほど、恐ろしいパワーがみなぎっていた。
「優ちゃん」
「なあに?」
「どこか、寄って行かない?」
「ん、どこでも行くよ」
同じ目線の、世界で一番かわいいお花ちゃんがポヤンとこちらに向いて答えるので、友里は笑顔のまま固まってしまう。(ああああかわいいい)と脳内の自分が大暴れをしながら太文字ゴシックで思った。
「どこがいいかな」
「なにがしたいの?それによって、降りる駅を決めようか」
聡明な恋人が、『なにがしたい』だなんて公共の場でいえない友里に、提案してくるので、友里はしどろもどろになってしまう。
「カラオケ!とか?」
とりあえずふたりきりになれそうな場所を提案すると、優は名残惜しそうに手を離し、スマホで、近所の空き状況を調べる。大みそかのカラオケボックスは予約で溢れていていて3時間待ちばかりだった。
「そっかもう、今年が終わるんだ」
今気づいたように友里が言うと、ふわりと天女の羽衣が風で舞うかの微笑みで優が「あれほど毎日『今年はありがと』って言ってたのに」と、妙なツボに入ったように笑った。
(あああああかわあああわわわわあああ…!!)
友里の脳内の自分が、ついに花弁をまき散らし始める。脳内が、お花畑だ。
「地元の、カラオケボックスなら、今から帰れば予約取れそうだけど」
「地元まで行くなら、もう家に帰りたい。ふ…」
(ふたりきりになれるならどこでもいい)と言いかけて、友里は自分の顔が、下から真っ赤になっていくのを感じた。
「ふ?」
優が言葉を欲しがって聞いてくるので、絶対わかっていると思いながら、でも優を不安にさせていたという自覚が芽生えている友里は、意を決して言った。
「ふたりきりになれるなら、どこでもいいの」
タタンタタン。なぜかそういうときほど車内はシンと静まり返る。電車が線路を走る音が響くが、友里の心音のほうが早くて、友里はもう、羞恥で、しにそうだった。
「あ、うん、…………」
優が、なぜかすうっと無表情になって、頷くので、(あれ、わかっててきいたんじゃないの?……なにか間違ったかな)と優を見つめたが、優はそのままスマートフォンに目を落としたので、友里も大人しく、電車の振動に体をゆだねた。
:::::::::::
荒井家に入ると、手洗いうがいと、お風呂の給湯をつけた。
ひえきった家の中、お風呂までたどり着けず、廊下で友里は優を捕まえた。
抱きしめ合うと何度もキスをして、座り込んだ。座ってしまえば、目線は一緒になる。優の長い足を押さえて、間に入ってしまうと、向こう側の壁に足が当たって優は困惑したように膝を曲げた。
「友里ちゃん…どうしたの?急…すぎ……ん」
ハアハアと呼吸を荒くする優の口をふさいでから、友里は答えず質問で返す。
「電車の中で、どうして無表情になったの?」
友里が優のコートを脱がしながら、思ったことを口にする。唇を離さずにいると、瞳を少しだけ開いて、優が頬を赤くして話す。
「……いま、みたいなことを、考えてるのかなと思って」
「…ああ、優ちゃんも同じこと考えてたんだ……わたし、もう、どうしたらいいかわからない…」
友里は優に抱きついて、もういちど深く唇を押し当てた。かわいいかわいいと何度も言って肩あたりを手のひらでぐりぐりしてしまう。優が廊下の壁を背もたれにして、それに応えてくれるので、優の長い足の間に入り込んで、もういちどキスをした。
「そういう顔、何度も見た気がする」
「──友里ちゃんは、気付かないと思ってた」
「かわいい」
「かわいくないよ…淑女でもない」
「かわいいの!特別!!世界で一番かわいい淑女」
「友里ちゃんにとっての淑女って、なに…?」
キスを繰り返して、友里は優のセーターの中に手を入れて、服のボタンをゆっくりはずしていく。
「!」
優は驚くが、しかし抵抗せず待っているので、友里の胸は高まった。いつか、友里がプレゼントした制服のシャツをニットの下に着ていることに気づいて、驚いた。
「これ……?」
「……お守りがわりに時々、着てる、昨晩は…その、不安だったんだ」
「ええ、かわいい!」
「だから、かわいくはないよ……情けないの」
怒ったように照れる優に、何度もキスをしながら、友里はあっという間に自分の身代わりに優を包んでいたシャツのボタンをはずしてしまうと、一瞬息を飲んでから、優の素肌に触れた。
「ねえ待って…ここで?」
優がどんどん無防備になる自分に、驚きつつ聞くが、友里は答え代わりに沢山のキスをした。
「んう…」
優がぼうっとして、赤い顔で呼吸が浅くなっていくので、友里も息を荒げてしまう。本格的に理性が無くなる前に、友里はたくさん告白をしておきたくて、優の薄い腰骨に手を伸ばしながら、首筋に唇を置いたまま、お話をする。
「優ちゃん、淑女って、美しくて品があることなんだって」
友里は、優にいつもされるように、色々なところに口づけを落とす。してみたかった、優からの愛を、自分も返そうと思った。
「初めて淑女って言葉を知った時、世界で一番きれいでかわいい、わたしだけの女の子の優ちゃんのことだと思ったの」
友里は、優の鎖骨辺りに口をつけながら、優の黒髪をさらりと撫でた。
「それから、すぐに、わたしだけの!って思うのは、おこがましいと思った」
(その話しは、さっきしたっけ?)と友里は続けて、優の頬にキスをする。耳元で話を続けた。
「あと、字がキレイとか悪口を言わないとか!立ち居振る舞いが美しいとかいっぱい当てはまるんだけど」
「……わたし、そんなふうに友里ちゃんにはみえてる?わりと…はあ…色々、足りないし、その、あ…き、嫌われたくないから言いたくないけど、下品なとこだって、あるよ、淑女なんかじゃない…」
喘ぎながら瞳を閉じていう優を、友里は、ごくりと喉をならして見守る。優の首筋を指先でそっと撫でると、スリと頬を添えてくれてかわいい。頬を手のひらで包んで唇にキスをする。
「全部かわいいよ、もがいてても、困ってても、いつでも今ある最善を模索して、美しくあろうとする。不安も、もっと教えてほしい。大好きが深まるから…。
優ちゃんのこと、生まれが良いから恵まれてる王子って言われるとむしゃくしゃしちゃう。わたしの、美しくてかわいい子は努力して淑女になったんだもん」
「……」
優は、思い悩んだ末に、聞いてみる。
「友里ちゃん……後悔しない?」
「なにを?」
いつか、この日を後悔しないだろうか…優は怖くてその理由を口に出せないが、瞳を閉じたまま友里に体を寄せた。
「後悔なんかしないよ、全力で、優ちゃんを愛した日を、忘れないと思う」
優はあまりにも真摯な友里に、頬を染めて見つめてしまう。黒い瞳がくるりと光をまとい、目を閉じると、ポロリと涙がこぼれた。
いつも、優への誉め言葉を、口説いているつもりはないと友里は言っていたが、今日は心の底から口説いていると思った。優は友里の本気をみて、緊張と溢れるほどの愛で、どうにかなりそうだった。
口づけを繰り返しているうちに、お互いの息遣いしかきこえなくなり、呼吸が荒くなって、言葉が聞こえなくなると、友里が優の体の奥へ触ってきた。
逃げられないような、不安と期待で、優は心臓が、我慢していた声が、漏れだしそうで、両手で口を押さえた。
セーターを脱がされて一瞬震える。下着姿になると、優はフラットな胸をかくすように思わず手を伸ばすが、友里がその手をそっと掴むと、指に唇を押し当てた。
「さむい?」
優は戸惑った。優の指にキスを落としながら、心の底から大事で、大切なものを触るように、友里が聞いてくるので、ふるふると首を横に振った。熱くてどうにかなりそうだった。
「優ちゃん。大好き」
〈お風呂が沸きました〉
友里が、凛々しい笑顔でそうささやいた瞬間、給湯が、ふたりに声をかけたが、友里は柔和な微笑みで「あとでね」と言って優をそっと、痛くないように押し倒した。
「?」
「今日は、じっとしててね、優ちゃん」
ジーンズのチャックを下ろされて、優は、ハッとした。グレーのスポーツ用の下着が露わになって、やっと気づく。
「わたしが、抱かれるのかな…?」
「そうだけど…」
ぽかんとした友里に、優も目を丸くする。
「そうなの?」
「うん」
遠足に行く前のこどものような楽しそうな声の友里に笑顔で頷かれて、優は笑ってしまう。まさか愛されると思っていなかったので、本気で大きな声で笑ってしまった。
友里はその様子に戸惑う。
「くすぐったかった?」
「うん、──くすぐったい」
くすぐったい、友里のつたない愛が伝わってきて、あははと体をくねらせて、優は笑いが止まらなかった。愛される要領は知らなかったので、なにをすればいいかわからない。手の甲で涙をぬぐった。
「友里ちゃんが、わたしの王子様だ」
「そうだよ、優ちゃんは王子じゃなくて、淑女なんだから」
友里が、にっこりとほほ笑む。そして一生懸命に優の服を脱がすので、優は友里が可愛くて、愛おしくて、心の澱が消えていくのが分かった。
王子様は、壊れたお姫様を剣でも魔法でもなく、柔らかな愛とキスで、お姫様に戻していく。それは、お姫様が望んだから。
一緒にいたいと望んで、決意しなければ、その愛を受け取ることはないだろう。
くだらないことで、ずいぶん悩んでいた気がする。いつもこうやって、優が自分で恥ずかしくなるような発作的な悩みは、友里がどこかへ消しさってくれる。やはり友里からは優にだけ作用する清浄なものが出てるのかもしれない。
優は、自分で服を脱ぎ始めた。
「優しくしてね」
ふざけたように言うと、友里がガッツポーズをした。
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