第97話 観念して



 翌日。快晴。

 クローデットは優と友里にバグをして再会を願って帰国した。涙のお別れではなく、また会う日まで、幸せを誓い合うお別れが出来た。


「次は友里もアメリカに来てよ。優とふたりで」

「あっ、行きたい!」

「ホントに?絶対よ!」

「優ちゃんに英語ならうよ」

「舌の特訓を特に頼むのよ」

「うん、難しいってきくもんね?」

「クローデット……」



 空港の屋上で空を見つめながら、友里は、寂しい気持ちを追い払うように言う。


「優ちゃん、今日のチケット片道25万円って知ってた?」

「さすが年末だね」

「知ってたから、みんな引き留めるの躊躇してたんだね…わたしほんとに、モノを知らなすぎるや」

「これから覚えていけば良いよ」


 微笑んだ優に、ときめきながら、友里は12月の白く煙る青空を眺める。


「友里ちゃんのおかげで、ちゃんとお別れが出来たよ、ありがとう」

「…うん、でも…ほんとは嫌だったんだよね?クローデットに聞いた」

「……」


 優は無言で答えるが、友里に横顔をじっと見つめられたので、観念したように口を開いた。

「…──そう、だね、クローデットは、友里ちゃんの気持ちを確認するために、一芝居打ったから」

 真横にならんで空を見ていた優は、グレーのロングコートのポケットに手を入れながら、回って、15cm下にいる友里の真正面に向いた。

「おしばい?」

「そう、友里ちゃんが、ほんとにわたしを好きかどうか」

「…? あ、また恋心を疑って!」


 友里はふざけたように笑ったが、優が真剣な顔で俯いているので、刺した指をおろし、そっとそばに寄った。袖を掴んで、見上げる。

 優の表情は暗く、キャンプファイヤーの夜のように青い肌をしていた。


「ほんとにわたしを好きなら、クローデットの見送りを止めたはずって言うのが、見解だけど、冷たくされると追いかけちゃう性質がわかって良かったねって話をした」

「……優ちゃん…?」


「昨夜の友里ちゃんは、わたしとクローデットどちらが大切だったんだろう」


「……!」


 優は、突然のことに、わけがわからなくなっている友里を、グレーのロングコートの中に、だきしめた。

 人目があるが、この際、どうでもいいと思った。


「感謝はしている。だって高岡ちゃんのときだって、きちんとお別れができるのは素晴らしいことだって話も聞いたからね、友里ちゃんはとてもいい子だ。でも、昨夜からずっと、クローデットの恋は応援するのに、わたしのことはないがしろだっておもわない?」


 胸の中で友里が、優の嫉妬に困惑しているのが分かった。わかったが、止められなかった。


「クローデットとキスをしたよ、これも全然気にならないかな、気持ちが伴わないキスだから」

 友里は言葉に詰まる。クローデットの気持ちを考えれば、それは恋のキスだ。


「友里ちゃんが好き、わたしだけのものって、言いたい」

「…!」

「友里ちゃんにも、そう思ってもらいたい」

「……」

「友里ちゃんには単純な、独占欲すらないのかな」


「優ちゃん…」


 色々葛藤したとわかる声色で名前を呼ばれて、優は少しだけ可哀想になってしまう。友里はずっと、優の心は自由という。それを、突き放されている気持ちになってしまうのは優の我儘だ。きっと友里のほうが正しいと思う。


 優は、友里を手離した。

 にこりと聖女のような微笑みで、なんでもなかったことのように見つめる。


「…ふふ。冷たくしたら、というやつだよ。ごめんね、試すようなことをして。帰ろっか」

 空港から、帰路につく提案をして、歩き出す。友里が止まったままなので、優は数歩だけ進んだが、足を止めて振り返った。


 友里を少し離れた位置から、見つめる。ポニーテールが強い風でなびいて、濃い蜂蜜色の瞳が、優を見つめている。一時期より全体のフォルムがスラッとしていて、ちゃんと食べてほしいと思った。

 以前、自分の「好き」を疑わないでほしいと言った、けれど…もしも友里がに優が友里を好きなまなら、なにをされても、しても、自分の気持ちも揺るがないし、それでいいと思っているのだろうかと、優は思ってしまう。


 心は変わる。


 ほんの少し前まで友里だって、優への恋心などみじんもないように見えていた。高校2年生になって初めて、友里の中に、ほのかな恋心が見えたから、優は傷を恐れながらも猛攻した。だから、振り向いてくれたと思っている。今後、自分のように友里に恋をぶつける人がいないとも限らない。恋を手に入れると、さらに、さらに──と、望んでしまう。友里のようにひとつの気持ちだけで、正しくいられない。


 これ以上醜い様を晒すなら、今、手放したほうが友里の為ではないか。


 友里が、優まで駆けよってきて、優の袖を掴んでまっすぐ見つめた。


「──傷を見せて」


 いわれても、優には見せられる傷なんてなかった。友里のように、見てすぐわかれば、説明も楽なのにと思って、あまりの身勝手さに、優は自分を恥じた。


「なにもないよ」

 キョトンとしてみるが、友里には通じないようで、真摯な眼差しを向けられた。(さすが幼馴染み)と思う。

「教えてほしいの。優ちゃんの傷を人から聞くだけじゃ嫌なの。優ちゃんのことばで、きかせてほしい」


 空港の屋上でする話ではない。しかし、優は、友里の言葉を否定する力を根こそぎ奪われているかのように、単純な友里の気持ちを変えて、話を切り上げることが出来なかった。


「そして、わたしが、優ちゃんを好きでもゆるして ──離さないで」


 友里が、優が思ったことを悟ったように言う。体が震えている。そっと、優に抱き着いた。優は、友里が抱きしめるたびに宿る、炎のような揺らめきを感じることに罪悪感を覚えた。


「友里ちゃんから、色々なものを奪ったくせに、恋してるからとうぬぼれて、これからもたくさん奪おうとしてしまう、そんなことは許されないんだよ」


 初めて、友里に言ってしまう。こんなことを言えば、むきになって「違う」と、追いかけてくるのは、わかっているのに。


「わたしが弱虫だから、本当は逃げなくてよかったことから逃げたせいで、失ったと思わせてごめんね。わたしが、前向きな理由じゃないけど、自分で選んだんだから、傷つくのはわたしだけで優ちゃんは関係ないって思ってた」

 友里は、言って良いのか一度だけ躊躇したが、決意して、言葉を紡いだ。

「でもそうじゃなかったんだよね、わたしが体に、優ちゃんは心に、同じ傷を負ってたんだ。クローデットに初めて写真を見せて貰ったの。あんなに大きいって、知らなかった」


 友里は、優を見つめた。優の黒い瞳に、友里だけが映っていて、友里は今ここで、この話をやめたらせっかく見せてくれた優の傷をまた、素敵なベールで隠されてしまうと、ごくりと決意するように、息をのんだ。

 抱きしめる手を放して、優の手をコの字に、エスコートするようにそっと握る。


「わたしが、優ちゃんを手放せば、目に見える傷からは解放できたのに、優ちゃんから逃げることを選べなくてごめん」

 友里の手を、優は振りほどけない。自分は手離す算段をしてるのに友里からの提案に怯える。


「友里ちゃんに逃げられてたら、わたしはもっとこわれてた」


 ふるふると友里は首を横に降る。


「優ちゃんは壊れてないよ」


 柔らかな胸に手を押し付けられ、腕を抱かれながら、優は、自嘲気味に笑う。友里に見せていないだけなのに、友里は勝手で残酷だと思う。


「優ちゃんは壊れてるんじゃなくて、傷を放置しすぎてラスボスに進化した感じ」


 優が友里から逃げようとしているのが、わかったのか涙声で震えているくせに、友里が一生懸命に明るく言うので、優は複雑な表情をした。そんな時ですら、優を笑わせようとするポジティブさが、心の底から好きだし、そういう姿をずっと見せながら、自分以外のところで幸せになってほしいと思った。


「あはは、なあに、それ?」

 優も努めて、笑ってみる。


「よくあるでしょう?完全悪だと思っていて、容赦なく倒したら姫を助けることができないけど、愛で立ち向かえば、姫を助けることができるやつ」


 ──「優ちゃんはわたしのお姫様だから」

 幼い頃、友里が、優に言ってくれた言葉を、友里は繰り返した。優の胸がドキンと鳴った。


「絵本の最後にある、ふたりはずっと幸せに暮らしました!ってやつのためなら、わたしは優ちゃんとだって、戦うよ。お姫様がラスボスなんて、もえちゃう!」


 空中をパンチするように、友里が手を振るった。優の心の澱の醜い闇が、友里の光に照らされる。

 あわれな自分自身。


「『あなたがなにものでも、愛してます』って、全力で立ち向かうよ」


 優を責めているのは、優自身だ。友里がその気になれば、優も殺せる。その覚悟を見せられた気がした。


「わたしは勝手に死んでしまいそうだな」


 友里を、倒すことは優には絶対に出来ない。どこか静寂な気持ちで、審判を待つ、勇者に殺される寸前の魔王はこんな気持ちなのだろうか…?


「殺さないよ、ハッピーエンドになるんだから」


 瞳には涙が輝いているのに、凛々しい笑顔で微笑む友里に、優は見とれてしまう。胸が苦しくて、好きでしかたがなかった。とどめをさしてほしいのに、殺して貰えないようだ。


「わたし、一番は優ちゃんだって優ちゃんが不安に思わないように、色んな気持ちを、キチンと覚えて行けるように、強くなる」


 自分自身の"なにか"に向き合うように、友里が言う。

「あまりに素敵な人だから、自分みたいに弱くて逃げるだけの人間のものにするのはおこがましいと思ってた」


 友里が優の腕を支えに、見つめて言う。


「もう、優ちゃんを誰にも渡さない、不安にさせてごめんね。優ちゃんが傷つくのが嫌だったのに、結果、優ちゃんを傷つけたのは、わたしだったってこと、なしにしたい」


 そしてぎゅっと抱きしめられて優は驚いた。思いがけない言葉に、心臓が跳ね上がった。


「不安…?」

「そうだよ、優ちゃんは、わたしに愛されてるのわかってるっていいながら、不安を感じてたんだよ。かわいすぎる!大好き!愛してる。恋だし推しだし!わたしのすべて!」


 友里は泣きながら、「重いかも」と言って優をもっと強く抱きしめる。言われて、優は長いまつげをパチパチとした。(そんな、かわいいですまされるような、単純な話だったろうか?)そして、呆然としているまま、キスをされた。

 屋外で、周りの目が気になったが、優はうっとり、その口づけに応えてしまう。


 キスで呪いが、とけるのも、あながち嘘ではないと思った。


 ものすごいわがままを言ったと思ったのに、あっという間に、単純な話にされてしまって、優は戸惑う。自分の悩みなんて、友里の前では薄い布のようなもので、見ている間に美しいなにかに作り上げられてしまうのかもしれない。不安や猜疑心の詰まった、醜い心の箱を開いてみたら、優を飾る素敵なプレゼントになっていたような気分になる。



「わたしだけの優ちゃん」


 友里は頬を赤く染めて、ずっと言えずにいた言葉を言って、涙目で笑った。ドキンと胸に炎が宿る。


「わたしだけの、友里ちゃん」


 その言葉を、口に出すと、体が軽くなった気がして、優は目頭が熱くなった。

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