第96話 サヨナラのキス

 

 深夜、ホテルのフロントで話をすると、バタバタとクローデットが出てくるのを待った。

「もう!ばか!」

 言いながら、クローデットが優に抱き着く。

「ごめん」

 優が全部背負って謝ると、胸に顔を埋めたまま数秒じっとして、そのまま叫ぶ。

「友里はひどい!」

「!」

 ロビーに迷惑にならない程度に、小声で大声を出したクローデットは友里を一瞥もしないで、優を堪能した後、彗に向いて、走っていく。


「彗もごめんなさい!」

「いいよ、クローデット、またおいでね」

 穏やかに全てわかった顔でそう言うので、クローデットは申し訳ないような困ったような顔で彗の手をとると自分の頭に置いた。

「ありがと……迷惑沢山かけて、ごめんなさい」

「いいさ、君も駒井家のお姫様だから」

 妹を見る瞳で、彗が促されるまま、クローデットの金色の髪を撫でた。



「じゃーごめんね、俺は仕事休めないから、帰るけど、みんな気を付けて帰ってね」

 ジーンズの太もも部分を叩いて、彗が言う。

「は?2人もつれてっていいよ!?」

「ほんとにいいの?」

 すっかり見透かされている彗に聞かれて、クローデットは「ぐ」と口をへの字に結んだ。


「彗兄、ありがとう、気をつけて」

 優に言われて、彗はピースサインを作ると、帰宅していった。


「さて」


 言うと優は、クローデットに部屋のサイズを聞く。ツインを取っていたので、まずはネットでこのホテルの約款を調べた。


「いけるかなあ、クローデット同じ部屋に泊まっても良い?」

「仕方ないわ…フロントで話すわけにもいかないし、客室はゲストNG.ぜったい今から部屋なんて、とれないでしょ」

「えっ、ごめんなさい、わたしが、考えなしだから!」

 今更気付いた友里が、反省しているので、優も苦笑してしまう。


 遅い時間だが、フロントに2人分の追加料金を払って、優が戻ってきた。希望通りではなく、この年末に、急遽空きが出たので、3人部屋にしてくれるという。3人はクローデットの部屋から荷物を運び出して、ホテルの従業員と共に、新しい部屋へ入った。



「日本のホテルは狭いって聞いてたから、ツインにしてたけど、次は最初からスイートにするわ」

 腰に手を当てて、部屋を眺めるクローデットは、豪華な作りにため息をつく。二間続きの白とベージュで彩られたラグジュアリーな洋室。部屋の窓からは、成田の夜景が一望できる。

「ほんとに同じ料金?」

「うん」

 優がフロントの方とどんな話をしたのか、友里には見当がつかなかったが、ベルパーソンが「年末はよくあることです」とほほ笑んでくれるので、ニコリとほほ笑み返した。優とクローデットがチップをはずんでいるので、ふたりは同じ年なのに、大人だなと友里は唸った。


「しかし豪華な部屋ね。多分これは、キャンセルじゃなくて、VIP用だわ。優は日常に折り込んでフットインザドアを使うのね、簡単なイエスを引き出して…あとはYESへのハードルを下げる、っ…この詐欺師!スキ!」

「わたしは未成年だし、詐欺師はどちらかと言えば君の保護者の茉莉花だよ。こんな年末の深夜に…、茉莉花に振り回されたホテルマン達にはたくさん良いことがあるといいな」


 豊満な胸をぺったりとくっつけるように、クローデットは優に抱き着くと、ブルーグレイの瞳で見つめる。

「たくさんしゃべるのね」

「……うん」


 優は、話の腰を思い切り折ると言うより一刀両断するようにシュークリームをクローデットの眼前に差し出した。

「買ってくるって約束したのに、ひどいよ」

「それは、──ごめんなさい」

 しゅんとなるクローデットに、優はふんわりと涙袋をぷっくりさせてほほ笑む。


 クローデットは頷いた勢いのまま、シュークリームにかぶりついて、驚く。

「!!!!!なにこれ!?飲み物?!」


「吸いながら食べるんだよ」

「はあ?こんなものにまで作法があるの!?日本おかしい…!」

 クローデットは爆笑しながら、シュークリームを食べた。



「わたし、お風呂お借りするね」



 友里が、小さな声で言うとふたりの言葉を待たずにお風呂へ駆けだした。パタンとドアの閉まる音がする。


 残されたクローデットと優は、顔を見合わす。

「…あれは気を遣ったのかしら」

クローデットは、友里の消えた動線を見つめている優を見る。ごろりと、優がだらしなくベッドに寝転がった。もうすっかり眠る時間なので、眠そうだ。それだけではなく、精神ともに疲れきっている。横にクローデットも寄り添った。

「友里ちゃんは、どういうつもりなんだろう」

「サヨナラのキスでもする?」

 くちづけをしながら、そう言うクローデットは、優の胸に滑り降りる。

「しないって、言う間もないじゃない」

「せっかく友里がくれた時間だから、楽しませて」

「…もう好きにすればいいよ」

 諦めたように、優は漫然と唇を奪われながら天井を眺めている。


「友里は傲慢で、ひどいわね。好きだけど優の恋人としては、難しいわ」

「利用したくせに。ああ言えば、友里ちゃんが動くって思ったんでしょう?」

「まさかこんなうまくいくと思わなかったけど……、あなたが、上手く友里を誘導して、諦めさせると思った」

寝転がる優の胸に上手に重さを感じないように寄り添い腕枕のようにして、クローデットが言うので、優はうわ言のような嫌そうな声で答えた。

「友里ちゃんには狡い手をひとつも遣いたくないんだよ…コントロールしたくない…わたしの意思で、なにかを話して貰いたくない……危ない時とかは、仕方なくするけど、自分の言葉で話す彼女が好きだから」


「大切にしすぎなのよ、もっと冷たくあしらえば、必死でついてくるかもよ。今日の私のように。友里は私と優、どちらが大切なのかしら」

「……そんなのもう考えたくない」


 瞳を閉じると、ベッドの素晴らしいマットレスのおかげで、優はなにもかも忘れて眠気に身をゆだねたくなってきてしまう。


「友里って、これから毎日、愛をささやけば私を好きになってしまいそうに見える」

 自分の目を隠すように、優は大きな手で頭を押さえる。クローデットがまだ、優を苛める気のようで、すこしだけ目が冴えた。

「クローデットにもそう見える?」

 不安を的中された気がして、優は唸った。

「やってあげましょうか」

 優の胸に顔をうずめて、クローデットは悪魔のような妖艶な甘さで問いかけた。優は、ゆっくりと目をつぶった。

「そしたらわたしは、友里ちゃんに冷たくして遠く去ればいいのかな?」

「ダメよ、冷たくしたらムキになって追いかけるタイプと証明された」

「今この時が証明か……。どうしたら良いんだろう、苦しいのに、ヒドイと思うのになんていい子なんだとも思って好きでいることをやめることもできない。難しいな友里ちゃんは……」

 2人で友里攻略の単純さと難しさに、笑う場面ではないのに、笑ってしまう。


「友里は、とても愛しいけれど、キラキラした黄金のつぶを手に乗せたまま持ってる危なっかしい子どもみたい。風の前にも無くならないと信じている可哀想な子。キスは特別、友里ちゃんに触らないでって言っている女に、別の女とサヨナラのキスでもしろってひどいこと言ってるのに気付いてもいない」


「クローデットはやさしいな」

「ひどい女……それでも友里ちゃんがかわいいって顔してる」


 優にそっとキスをした。


「ねえ、大人のキスをしても良い?そしたら、諦めるわ」

「ダメだよ、友里ちゃんの顔が見れなくなっちゃう」

「大丈夫、友里がくれた時間よ」

優は顔を手で覆いながら、深く息を吐く。そして、クローデットが優の唇を奪う寸前でクスリと笑った。

「クローデットがだよ、友里ちゃんの事、相当好きになってるんでしょ?」

 優に微笑まれて、クローデットは泣きそうな顔を一瞬だけして、優の胸に顔をうずめた。

「……なによ‥優のバカ…どれだけ自分を犠牲にすれば気が済むの?もういいわよ」

 ぐりぐりと優のニットに顔を押し付けたあと、ガバっと起き上がり、優を布団でぐるぐる巻きにした。


「友里とお風呂入ってくる!」


 クローデットはモノの数秒で全裸になり、無防備に鍵を開けたまま浴槽にいた友里の元へ行った。ガチャリと鍵をかける。


「え!?クローデット!?」

 反応の遅れた優が、駆けだすが、「友里が全裸!」という言葉に躊躇してしまう。


「これが噂の傷か、派手ね!」

「え!写真はだめ!!」

「やだー、ふわっふわ!!」

「きゃあああ」


 中から裸の友里が翻弄されているような声が聞こえてきて、優は焦る。焦って、外からもロックつまみやコインで開ける方法など、さまざまな開け方があることを一瞬忘れて、ドアを叩いてしまう。


 クローデットは浴槽にいた友里を抱きしめて、シャワーの音でかき消しながら、クローデットと出会ってからの7年、優がいかに友里を好きか、滾々と聞かせた。あとで優になにを話していたか聞かれても、絶対に口を割ることはなかった。


「優と友里への復讐よ!」


 そう言って、ふふんと笑った。





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