第92話 お風呂が沸きました
荒井家はシンとしずまりかえり、ひんやりとしていた。友里がお風呂を軽く洗って、自動ボタンを押すと「42℃でお風呂に、お湯をいれます」と給湯が言った。パタパタとエアコンの暖房をつけて、ダイニングに座る優に、笑顔で紅茶を入れている。
「なにか手伝う?」
優が言うと、友里は「ワカメスープをのむくらいだから、大丈夫」と柔らかな笑顔を見せた。仕事帰りと思えないはつらつさだ。
「そんな夕飯で大丈夫?またたおれるよ」
「ちょっと痩せないと、バレエで怪我しちゃう」
優のとなりに座り、チキンとワカメのスープをフーフーと冷ましている友里を見る。優は、親がいないと聞いても、家に帰ることを選ばなかった自分をどう思っているのかと考えて、ドキドキしてしまう。
「おかあさん、そんなにいないなら、心配だからまた家においでよ」
「わたしほとんど家にいないし、夜だけだから大丈夫」
「夜が心配…」
「優ちゃんがこうしてきてくれると、確かに安心するもんね、でもね、今回はさすがに大丈夫だよ!前と違って出かける前に、たくさん準備してるし」
にっこり微笑んで、友里が言う。口づけをするのかと思って、身を寄せ合うが、友里がそっと離れた。
「……えっと、わたし今、すごい体が……どろどろで最高潮に汚いから、お風呂にはいってから、あげるね」
「えっ」
”プレゼント”を会話から省くので優は、”友里を”「あげる」のかと思って、動揺してしまう。友里が「?」という顔をする。(そんなわけがあるか)と優は自分を叱咤する。
「お風呂は、一緒にはいりますか?」
照れたように言い淀んで、敬語で聞いてくる友里に、優は(もしかして本当に、プレゼントは友里なのかもしれない)と思い始めた。
「恋人同士のお風呂と言えば、一大イベントだと思うけど」
思わずそのまま言ってしまう。
「クリスマスだし」
「……友里ちゃんがいいなら」
「やっぱ、そーだよね」
アハハと笑って、友里は、否定されたと思ったのか言ってから「ええええ!?」と大きな声で驚いた。優をまじまじと見て、胸辺りを押さえている。
「……友里ちゃんが良いなら、入るけれど」
友里の頬の高い位置が真っ赤になる。瞳に熱を感じて、優は、一歩ここで踏み出せば、きっと友里を奪ってしまうと思った。お風呂場でも我慢できないかもしれない、太ももの下あたりがゾクリとして、喉が鳴った。
「優ちゃん……良いの?」
友里が真摯に聞いてくるので、ドキドキと心臓が高鳴った。
「いいよ」
頷くと、友里がコートを脱いだ。下に着ている制服のリボンを、ほどく。優はその様子から目が離せないでいた。
「優ちゃん、無防備過ぎて心配」
「えっ」
可愛く微笑むので、(どちらが?)と優は思う。優が、どんなことを考えて友里のそばにいるのか、友里は知らないのだから仕方ないと思うけれど、無邪気な笑顔でそういう友里に、ポンポンと肩を叩かれた。
「お風呂、はいってくるね!」
友里はくるりと背中を向けて、ポニーテールを揺らして廊下をかけていった。
優は、手を伸ばせば届く位置にいる柔らかな体を、どうしても抱きしめたくなって、席を立った。追いかける。
「優ちゃん」
なにか友里が言っているが、かまわないと思い、背中越しに抱き締めた。
「バイトでぼろぼろだから……っ」
「お風呂で、洗ってあげる」
自分でも驚くほどすらすらと、恐ろしく大胆な提案をしながら、友里の腰あたりをなでる。友里の制服の脇にあるチャックをゆっくりとおろして、首筋に唇を押し付けると、制服の胸のあたりに手を入れた。
「優ちゃん……!」
〈お風呂が沸きました〉
給湯が、優に向ってアナウンスをして、起こしてくれた。
友里はもういない。友里が廊下を走った途中から、全て優の妄想だった。
(なんてことを……)
ぐっとおでこに拳を当てて反省する。足のかかとあたりまでドキドキして震えた。
そもそも、友里が抵抗もせず優に身を任せるわけがない。
さきほどの妄想は、優的には100点満点中、65点ぐらいだ。
(まずは最初はくすぐったがって、ふざけはじめると思う)
後ろから抱きすくめることは、出来たとしても、友里の手を取って、一緒にお風呂に行くくらいしかできなそうだ。いま立ち上がって、友里が入っているお風呂へ、そのまま入ることも可能だけれど。
「はあ」
友里は危なっかしい。犯罪に遭おうと、実際遭わなければなにも気にもしない。というより、表情には絶対に出さない。今日の男性たちだって、やはり優よりは力が強かった。友里が捕まっていたら、あっという間に友里は壊されていただろう。
以前、喜怒哀楽の喜楽しか出さないようにしていると思ったが、本格的にそうなのかもしれない。
未来しか見ないようにしている。ポジティブにもほどがある。
「もう少し……」
危険予知というか、危機管理能力というか──少しずつでもいいから、自分を守ってもらえないだろうか?
「わたしが他を守るから、わたしからは友里ちゃんが頑張ってほしい」
深くため息をつく。
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