第91話 クリスマス狂騒曲②


 終電にあわてて飛び乗って、友里はため息を吐き出した。

 このまま、どろどろの体で駒井家クリスマスパーティへ行くのは、はばかられる。やはり食器洗いもしたので、手袋をしていても、しっかり業務用の洗剤で洗っても、肘の辺りから、髪から、全身から、食品の香りが充満しているようだった。

「あ~~最悪の1日にしてしまった」


【今終わりました、帰ります】

 

 優にそれだけ送って、スマホをじっと見つめたが、優からの返信はなかった。


 自分のせいで、恋人として初めてのクリスマスを台無しにしてしまった反省会を開く。ガラガラの電車の椅子が熱すぎて拷問なので、ちょうどいい罰だと思った。


(……この拷問はきつすぎる…………──貧血になりそう……立とう…)


 酷使しすぎた足を、ガラガラの電車の椅子に伸ばしたいぐらいだったが、はしたないし、このままでは汗だくになって体調を崩しそうだったのでドア付近に立った。


「あれ!?さっきのファミレスのおねーさんじゃん」

 よっぱらったような男の声がして、友里はくるりとポニーテールを揺らして振り返った。

「パンツ見られても平気だった子でしょ?おっつ~今帰り?なんて、追って来たんだけど!ストーカー、やばくね?」

 ファミレスのバイト中に、スカートを捲ってきたふたりぐみの男性だった。細身の高い声の男と、比較的おっとりしてそうな、大柄の男。後者のほうが、きわどいことを言って、友里は言葉を失った。


 ストーカー?つけてきた??


 友里はゾッとしてしまう。


「遅くまでがんばるね」

「……」

「無視か~、ファミレス制服じゃないとイメージ変わるね??っていうか高校生?学校だったのに、こんな時間まで働くとか、お金に困ってるならもっといい仕事知ってるよ!」


 労っているのか、からかっているのか、友里は「学校の制服で帰るのはダメだよ」と優に言われていたのに、今日に限ってやってしまったと思った。完全に絡まれてしまって、大変面倒臭い気持ちになっていた。

 髪を触られそうになったので、別の車両へ逃げたが、あとをおわれたのでまた無言を貫く。田舎の車両は2列しかないので、閉塞感がスゴイ。


 以前から、ファミレスのバイトをしていると、柔和に見えるのか、待ち伏せをされたり、男性から絡まれることはよくあった。自分にとっては大勢の客でも、客にとっては2~4人のうちのひとりなので、覚えられてしまうようだった。逃げ場のない電車では、最初はびっくりしたが、口を開かなければ、どこかへ行ってくれるのはわかっていた。ただ、乗っているのが終電なので、別の駅で降りて巻くということもできず、自分の最寄りの駅を知られてしまうことが怖かった。繁華街のある駅の2つ向こうが、友里の最寄り駅なので繁華街で降りてくれればいいが、もっと先だったら嫌だなあと、ぼんやり思った。

 友里の悪い予感は的中し、最寄り駅まで絡まれ続けてしまった。クリスマスに、高校生に絡むなんて、どういう神経をしているのかと悩んだが、自分には理解できないので、考えるのをやめた。

 電車のドアが開いた瞬間に、サッと飛び出して、振り返らないで改札を出た。

 後ろから男性たちが追いかけてくる音が聞こえて、(しつこい!!)と思いながら駐輪場へ駆け込む。警備員の男性がいたので、「ふたりぐみに追われてます」と大声で通報すると、彼らはこちらへは来ず、反対側へ走って行ってしまった。


「大丈夫?」

 ハアハアと呼吸を整えていると、警備員さんが声をかけてくれるので、こくこくと縦に頷いて、お礼を言って自転車のところまで走った。


 スマホをもう1回見ると、優からの返信があった。

【迎えに行くから、駅にいて】


 そのメッセージをみた瞬間、優がひとりで来ていて、ふたりぐみの男性に遭遇したら危ないと思い、血の気が引いた。キョロっと辺りを見回してから、【今、変な人たちがいたから、】メッセージを打っている最中で、女性のか細い悲鳴が聞こえて、友里は慌てて、走ってそちらへ向かった。


「優ちゃん!」

 優と、優の兄の彗が、先ほどの男性たちを地面に倒している様子が目に飛び込んできた。

 白いダッフルコートを着た会社員の女性が、着衣が乱れた様子で、地面に座り込んでいる。友里と一緒に警備員さんも来たので、事態は大ごとになった。


 ::::::::::::


「鉄道警察の取調室に入ったの、おれはじめて!」

 友里の自転車を積み込んだ彗のSUVが、深夜の街を走り抜ける。すっかりクリスマスの片付けを始めていて、イルミネーションだけがピカピカしているが、新年を迎える準備に様変わりしている。

 自分たちの家のある区画まで来ると、辺りは真っ暗だった。

 時間は深夜0時を過ぎていた。


「ごめんなさい……」

 友里が謝ると、頬杖をついて街灯を見つめていた優がやっと友里を見た。

「友里ちゃんが謝ることじゃない──けど、心臓が止まるかと思った」

「う、うん、でも……優ちゃんと彗さん、ホントにすごい」

「あのふたり、大変な強盗だったみたいだから、お手柄だよね、また表彰されちゃう…」

「そんなことより、友里ちゃんが、襲われてるのかと思って、気が気じゃなかった」


「あー…」

 友里は、ファミレスからつけられていたことと、先ほどまでの状況を軽く説明する。優が、絶句して、さすがの彗も言葉をかけられなかった。

「しんっじられない…」

 優が頭を抱えて唸る。

「わたしもまさか、そんなことになるとは…」

「一歩間違えたら、友里ちゃんが、ひどい目に遭っていたなんて」

「でもお姉さん、なんの被害もなくてよかった」

 友里がのほほんというので、彗が年長者の責任という面持ちで、友里に現状を伝えた。

「ほんとに危なかったんだよ、駅を出たところに黒い車が止めてあって、友里ちゃんはたまたま駐輪場のほうへ行ったからよかったけど、歩いて帰る方向に行ってたら、男性ふたりに足を抱えられて、車につれこまれるところだったんだから」

 間一髪……、という出来事に、友里はゾッとした。

「今度からは必ず、大人たちに連絡すること。どこの駅で降りても、迎えにいくから」

「はい」

大事になってしまったので、反抗せずに頷く。

「コートが似てたから、こわかった……」

 優が振り絞るように言うので、友里は優の手をそっと握った。優が握り返して、両手で友里の手を握ると、そのまま抱きしめてくれたので、友里もそっと手を背中に回す。今日の友里のコートは以前から使っているモノなのだが、優がプレゼントしてくれた白いコートを着ていたと誤解して、助けに入ったらしい。お姉さんが無事で本当に良かった。


 彗はふたりの様子をミラーでちらりとみた後、なにも声をかけることなく微笑むと、ホッとしたようにため息をついた。家に到着したが、優が離れたくないというので、友里はドキドキして「どうしよう」という顔で彗と優を見比べた。


「でも優ちゃん、いっかい家に、クリスマスプレゼントを取りにいってきてもいい?」

「…今日は友里ちゃんと、一瞬もはなれたくない」


 可愛い事を何度も言うので、友里の胸がぎゅううっと締め付けられるようになった。優は、こてんと友里に寄り掛かり、そのまま抱きつく。


「ああ…あああ…ど、どうしたらあああ」

 あまり困っていない顔で、友里が狼狽える。声が震えて、顔は真っ赤になってしまう。運転手の彗は、深夜で誰も入っては来ない道とはいえ、荒井家の真ん前に車を止めているので、判断に困ってしまう。そこの角を曲がれば、駒井家に着くのに。


「あ、こうしたら?友里ちゃんちに、優がお泊り」

「……ナイスアイデア」

「でしょう」

 優と彗でニコニコやり取りをするので、友里も一瞬、(それが一番)と思ってから、深夜で真っ暗やみの荒井家を見上げてハッとして、さらに彗に恋人であることはバレていることも思い出して、恥ずかしさで震えた。

「…!!彗さん!?だって、あの!?」

「だってあんなことがあって、優だって不安だろうし、友里ちゃん支えてあげてよ」

 優は思い切り犯人に手を掴まれたのだが、相手のひじの上部に掴まれていない腕を勢いよく当て、そのまま犯人の腕を後ろにひねって、腰を肘で蹴飛ばして地面に倒したらしい。確かに、犯人と格闘したことは不安だろう……と友里は思う。


「じゃあ、そうと決まれば姫さまは、なにか荷物は必要?」


「彗さん!決まってないです、待って…!」


「なにも…あ、下着…友里ちゃんちにあった気もするけど…」

「たしかに、夏に置いてったのがあるけど!」


「じゃあそれでいいや、他はなにもないです」

「んじゃ、親には俺が言っておくね!メリークリスマス!!!」


 ご機嫌な彗に、荒井家の前に降ろされて、友里は15cm差の優を見上げる。

 優は友里の手をぎゅうっと握っていて、離す気配もない。12月の風が優のさらさらの黒髪を撫でて、美しい真剣な表情を月の下にさらす。友里は連日の疲れや、今日の出来事が打ち消されて浄化されていくような気持ちになってしまう。

 しかし、きちんと言わなければいけないことがある。


「あの…ね、優ちゃん」

「うん」

「うち…あの……」

「うん、遅いけど、友里ちゃんのお母さんにちゃんと挨拶していいかなあ」


 友里は百面相で、赤くなったり青くなったりしながら、意を決して、優をじっと見て、両手で優の手を握った。


「おかあさん、おとうさんの単身赴任先に、今朝から行ってて、お正月明けに帰ってくるの。だから」


 友里の家は、父親が大阪に単身赴任しているので、普段は母とふたり暮らしだ。

 友里は振り絞るように、真っ赤な顔で言った。



「今日、うち、誰もいないの……」





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