第90話 クリスマス狂騒曲①



 クリスマス。

 クリスマスのファミレスは、いつもと違う。

 いつもなら会社員のおひとりさまがだらだらと過ごすまったり16時までも、家族連れ友人連れ、とにかく1席の人数が多くワイワイと賑わう。

 キッチンは客足がおさまると、仕込みをしつつ、メニューを作成するのだが、パーティを済ませた、もしくはパーティの前の客が多いせいか、いつもより単価の高いメニューもバンバン出て行くので、オーブンやフライヤー、食器を熱しておく機材もフル回転で間に合わず、仕込み分も限度があるので次々作るが、スライサーを出しておく場所がなくなり、仕込みをしつつという希望はかなわない。キッチンに生の野菜が高く積まれ、殻が剥かれていないゆで卵、誰も洗わない生米、パン粉のついたまな板……荒廃した戦場と化す。

 誰も仕込みが出来ないので、チーフがイライラしだして、店長を呼べ!と叫ぶが、店長は来ない。ついにドリアとグラタンの仕込み分が無くなって、オーダーストップになり、本店から怒られた店長が、ようやくねぼけ眼で駆け付けた。


(店長、17-21時で一度帰っただけなのに…)と思うが、友里も人を心配している場合ではない。


 デザート作成はオーダーを取るホール・友里たちの仕事なので、「ミントの葉っぱがない」とか、「生クリームの解凍わすれてた!」とか、大ごとではあるが、普段ならリカバリーできるはずのちょっとしたミスが命取りになってしまって、会心の一撃、なぞのレジ故障まで起こって、友里は神さまはいない、と思った。

 ナイフとフォーク……シルバーも底をつき、洗い場へ向かうと、清掃の人が仕込みをしていて、洗い物が山積みになっていた。いつものことと思った友里は防水エプロンを着て、ディッシュウォッシャーを回した。15分かかるので、その間に一度ホールへ戻り、スタッフに惨状を伝えた。

 ワインなど酒類も、クリスマスに居酒屋に行くまでもないが、お酒を嗜みたい人たちが来るのか、普段の倍は多く出る。グラスを美しく持っていかなければいけないので、緊張する。生ビールをさきほどから飲み比べている大学生の客がいて、10 杯も一気に注いだせいで、二の腕が死にそうになっていた。


(ああああ優さま…いま優の魂が降臨して、わたしをうつくしい所作にして…!!)


 優は死んでないので、それは叶うわけはないのだが、友里は優のしぐさを真似して、なんとかデキャンターの赤ワインを3杯、社会人の忘年会のような皆さんにお届けすることができた。


「おねーさんパンツ丸見え!」

「おまえがめくってるんだろ~」


 げらげらと笑われて、友里は慌てて立ち上がった。バッシングと呼ばれる、テーブルの上を片付けている時に、大きな机の隅に詰められたゴミを取るため、前に大きく屈んだせいで、大学生らしき大きな白いトレーナーを着た2人組にスカートを捲られたようだった。

「あー…すみません、しつれいします!」


 走ってバックヤードに戻りながら、見られたこと自体は傷つかなかったが、ファミレスのバイトの一番いやな部分を凝縮したお客に遭ってしまって、ストレスで泣きそうになった。


「おれが生ごみ捨ててきます」

「あたしがいく、あんたは黙ってシナモンシュガー作ってな…」

 9連勤の飯島さんはトングを、10連勤の保科さんが、手に持ったデコレーションケーキの生クリームを塗る用のパレットナイフを持って、背中から禍々しいナニカをだしながら友里を労ってくれた。


「大丈夫です、見られたのは短パンですし!」

「うちの制服マジ、パンツ透けるもんね、あたしも短パン仕込んでるよ」

「俺らも尻さわられるから、下にヨガ用のガチガチタイツ履いてますよ」

「あたまいい!しかし、触られるな!!」

 男性はギャルソンベストとよばれるカマーベストに、白いシャツ、黒いスラックスと、短いエプロンを腰に巻いている。女性は、白と水色のストライプ地に、ボタンスナップでエプロンを取り付ける不思議の国のアリスのようなエプロンワンピースだ。男女とも、その小さなエプロンポケットに、PDT、正式名はポータブルデータターミナル、通称”ハンディ”がずしりと入っている。右側の腰だけ、めちゃくちゃに凝る。


 この繁忙期が終わったら、わたし、新春初売りでヨガ用のタイツを買おう…あわよくば優ちゃんとデートするんだ……友里はいやなフラグを立てた。


 ピンポン。

 ワイヤレスベルのランプがついて、友里がハッと気づくが、保科さんが「げえ、さっきの客じゃん、あたし行くから荒井はケーキにフルーツ載せてて!」とダッシュで行ってくれた。

 飯島さんが、「おれが行く方がよくない!?」と頼もしい背中に言ってくれたが、大きく手を振ってくれるので、健闘を祈る。

「まあすぐおれも別卓に呼ばれると思うんで、荒井さんは、ケーキ終わるまで、手を離さなくていいからね」

「泣く!!優しさで前が見えない!!!」

 ブルーベリーとラズベリーを見本通りにポンポンと置いて叫ぶ。こういう作業は早くて得意なので、飯島さんに「ウマイ!」とほめられて調子に乗ってしまう友里。


「いやマジで見本通りじゃん、すごいよ、今日の客はラッキーだね!」

 褒められて、先ほどまでのストレスが消えるようだった。


 あと15分で上がりなのだが、次のバイトの子達が来ないので、友里はそわそわしだす。その間にもオーダーは増え、店内は満員になっていった。待ち客に渡す、予備のグランドメニューも品切れた。

 どこかこじゃれたレストランでクリスマスを過ごす、なんて言うのは幻想なのだ。ファミレスが一番、近くて便利!


(わかるけども!!!!!!!!!!!!!)


 保科が生クリームを塗り、友里が飾ったデコレーションケーキも飛ぶように売れた。5号なのが可愛くて、カップルにうけると思ったが、どちらかというとクリスマス兼忘年会の大人数の皆さんにうけた。1組の客など、10人ぐらいで1つを分けてた後、追加でもう5ホールも注文が来た。


「もうだめだ…次の子マジで来ない……」

 飯島が唸る。無断欠席にペナルティーはないが、繁忙期の欠席は心象が最悪だ。

「あのわたし、あがりなんですが残りましょうか」

「いいよ、荒井は高校生だから、帰りな」

 保科さんがそう言ってくれたので、友里はバックヤードへ向かったが、キッチンも引継ぎが出来ておらず、キッチンにいる店長に相談する様子でもなかった。


【優ちゃんごめん、次の子が来なくて、バイト上がれない】


 そうメールすると、優からすぐに返信が来た。

【気を付けてね。頑張って】


 胸がチクリと痛んだが、この惨状で、ひとりで帰るわけにもいかなかった。


「荒井、わるいな!!そのまま出勤にしていいから」

 事情を察した店長が、先に謝る。サービス残業ではなくなったので、ホッとした。

「荒井~~~~!!!ごめんありがとう!」

 さきほどはカッコよく見送ってくれた保科さんの、泣き声を聞いて、続きのホールケーキデコレーション作成へ入る。

 飯島さんも遠くでサムズアップしながら、15人様のビールを片付けては、お出ししている。


 結局次の子が来たのが友里の終電ぎりぎりの23時で、悪びれもせず彼氏と入場した上に、その彼氏が客として彼女のためにばんばんばんばんメニューを頼むので、ホールスタッフの殺意がピークに達したのを感じながら、友里は退勤した。


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