第84話 なつく
フワフワと背中を撫でていると、うっすらと友里の淡い栗色のまつげが動いた。濃いはちみつ色の瞳が、こちらをじっと見つめているので、優は声をかけてみる。
「友里ちゃん」
その低音は、いつもよりもずっと甘い声で友里の名前を呼んでしまう。
「……ごめんね、心配をかけて」
心配をしている時の声だとわかってしまったのか、先に友里が謝ってきた。倒れたこともそうだけれど、優の過去を暴いてしまったからだと思った。なにかを言おうとしたが、声が出せなかった。大事な言葉を声に出して話せないのは、今も同じだと思った。
「なにか、飲まなきゃ」
ふるふると横に首をふった友里に、先にぬれタオルを渡すと、首を拭きづらそうにしていたので、手を貸した。ごしごしとこすったせいで、赤くなっているので、そっとおさえるように拭くと、「ほう」とため息をつくので、微笑んでしまう。後ろにまとめていた髪をほどいてあったので、ふわふわの髪をそっと枕の向こう側に流した。
「みなさんは?」
「居間にいる。ここは、わたしの部屋だよ、友里ちゃん」
優のベッドに横になっていたと気付かされて、友里は、どきりとした顔をした。
「重いのに…?」
体重の事を気にしたようで、優は苦笑してしまう。確かに腰に響いているが、大丈夫だと告げると、恥ずかしそうに起き上がろうとしたが、まだだるくて力が入らず、申し訳ない気持ちのまま布団にこもっている。
「疲れが出ちゃったのかな?お茶、冷ましておいたから」
優が寝たままの友里をそっと、自分の胸に抱き起こすと、お砂糖を入れて甘くした紅茶を小さなスプーンで、友里の唇にそっと流しいれた。唇が、本来の薄いピンク色に戻っていくので、優はホッとする。
突然、優の胸に、友里は顔をうずめた。
「わ、待って友里ちゃん、お茶がこぼれちゃう」
優は慌てて手に持ったお茶のカップを、丸いラグの上に置かれた小さな折り畳み机に戻す。しがみついたままの友里の頭をそっと撫でてみたが、それでも友里はどかなかった。緊張でドキドキするので、部屋の机とドアを見てから、気持ちを落ち着けて、瞳を閉じて、撫で続けた。
「わたしの力だけでクローデットに、認めさせたかったせいで──、優ちゃんが、隠してたことを、聞いてしまってごめんなさい」
そう一息で友里がいうと、優の手はいちどだけぴくんと止まったが、すぐに優しく撫でたまま、その言葉に答える。
「隠していたわけじゃないけど……クローデットのことは、わたしの仕事かなって思ってた。迷惑をかけてごめんね」
友里はふるふると首を横に振って、優をぎゅっと抱きしめた。
「優ちゃんは、誰のものでもないし、かわいいって言うのも、困らせてたらごめんね……──」
友里の言葉に困ってしまう。自分の過去に関しては、なにも感じることがなかった。先ほど友里に話していたことは、聞いて知っていた認識で、それを聞いた友里がなにも変わらないと言うので、それを信じるしかなかった。それよりも、クローデットにも指摘されたので、自分が出しゃばってしまった事を反省していた。
「──これ以上クローデットに友里ちゃんが関わったら、とられちゃうみたいな気がしたんだ」
なので、素直に、一番素直な、一番いやな気持ちを友里に吐き出した。自分のいない所で、実は友里のことを気に入っているクローデットが、「お試しで!」とかいいながらキス以上の関係を持ちだしたら嫌だなと思っていた。
「それはない」
きっぱりと友里が優を叱る。「優がクローデットの恋心も軽んじている気がしてしまう、それはいけないことだ」と伝えられて、優はまた困ってしまう。
「優ちゃんを大好きなんだから、わたしに宗旨変えとかは、無いんだよ優ちゃん!」
(それがあり得るかもしれないから怖いんだ)
いえずに優は言い淀む。ずっとクローデットに性的なアプローチをされていた優は、身構えてしまっていた。ここ最近のクローデットは、ボーっとしていたら1日に何度も唇を奪われてしまったし、ベッドの中の「お試しで!」も、何度も断った。「実験してみないことにははじまらない」ともっともらしいことを言いながら、透けたキャミソールを着ている姿は、はっきり言って頭が良いとは思えなかった。
「友里ちゃんはとてもいい子だから、心配なんだ」
そっと、きゅうと抱きしめた。
「優ちゃんは買いかぶりすぎ」
「友里ちゃんが、気付いてないだけ……」
優は幼いころから何度も、友里を好意的に思っている人を目撃している気持ちだったので、その都度、心が痛んだことを思い出す。自分に好意を向ける人たちより、そっと友里を見つめている人たちのほうが、本気で友里を愛している気がしていた。
「わたしを好きなのは、優ちゃんだけ!」
しかし当の本人はそれを認めず、優にとってはありがたい勘違いをしてくれている。
(わたしだけが、友里ちゃんを愛しているって、ずっと思っていてくれたらいいな)
「……そんなことは、ないよ。魅力的な女性だよ、友里ちゃんは」
優は自分の考えと反対のことを口に出した。友里にとって、世界がずっと広くて、自分以外の人間と愛し、愛される未来だってあることを視野に入れてほしかった。
クローデットとの話し合いも、外でこっそり聞いていて、友里が自分を、自分だけのものにする気はないと”優しさ”で言ってくれているのに、ショックを受ける自分を恥じた。
「ありがとう……でもね、たくさん勇気をもらったから、大丈夫って、いったでしょう」
友里は、どこか納得のいかない声でそういうと、こてんと優の胸にもたれかかった。
瞳がうるんでいて、眠る直前のような瞼が、落ちそうで、落ちない。まつ毛が、パチパチと音を立てる距離だ。
優を見つめる。いちど、完全に目を閉じて、また開いた。唇を少し開いて、顎を上にあげると、瞼を完全に閉じた。
優は友里にさそわれるまま、口づけをした。軽く重ねると、もういちど深く。
「……っ」
「すきだよ」
「優ちゃ…………っ」
唇を奪われた友里はぐにゃりと体をねじって逃げた刹那、はじめて優に軽く胸をまさぐられた。ビクリと震えて、甘えた声を出してしまう。
「……あっ」
バン!!!
ドアが開いて、友里も優も、文字通り飛び上がった。
「クローデット、ノックはしたほうがいいよ」
「優のアホ!!」
「び、びびびっくりした!!!」
ドキドキドキドキと心臓が震えて、友里は眠気が一気に覚めた。さきほど優に触れられた部分が、心もとない気がして、抱きしめるように押さえた。
「友里が目覚めたら教えてって言った!!!」
クローデットは、また友里たちの高校の制服を着て、つかつかとベッドまで歩いてくると、ドスンと腰を下ろした。
「これ、ありがと」
制服を指さして、友里に言う。
「考えたの。私、頭は良いけどばかだから」
優を好きなクローデット…。友里を殺したかったとか、友里の怪我も、選ばれたか生きているとか、友里にとって、問題提起された気持ちだったので、それらもきちんと考えたかった。
友里は、クローデットともっと話をしたいと思っていた。
「きっと友里になりたかったのかもしれないって」
「ワタシ!?」
突拍子もない事を言われて、思わず声が裏返ってしまった。
「そう、優に溺愛されて、明るくて、普通で、優しい家族がいて許してもらえて!優からずっと聞いてて、平和な異国にいる普通の女の子の、友里にあこがれたんだわきっと。私はあなたになれないから、嫌いだった。──あ、だから、優を好きになったとは思わないけどね?ちゃんと、好きよ、優のこと」
「…………そんな、わたしそんなじゃない」
「友里には、見えないだけで、恵まれてるのよ」
「わたしには、見えないって…よく言われる!」
泣きそうな顔で、クローデットに微笑んでしまって、クローデットがそれを敏感に感じ取った。優に、恋をわかってもらえない感情は、たぶん世界で一番、ふたりだけがよくわかっていた。
「そう……でもそれが、友里が幸せな証拠。私が、あこがれた友里。見なくても、あるってことをしってる」
クローデットは、友里の結わえられてない髪をふわりと撫でた。友里は突然、懐かなかった猫が、しっぽを絡めてきたような気持ちで、カチリと固まってしまう。動いたら、ササーーー!!とどこかに逃げてしまうと思った。
「友達になって、友里」
「え!うん!!うれしい!!!」
クローデットに言われて、友里は満面の笑みで答えてしまった。また犬のようだと言われてしまうかと思ったが、クローデットも照れたように微笑んでいるので、大丈夫だと思い、そのまま「えへへ」と照れたように微笑み合った。
クローデットがきゅうっと抱き着くので、友里も背中にそっと手を回した。
「クローデット」
しびれを切らした優に声をかけられて、友里の肩越しに、友里の背中側に腰を掛けている優に向かって、ぺろりとピンク色の舌を出した。(勝手に友里に触ってごめんなさい)というような、からかう仕草だ。友里の肩から起き上がって、座っていた自分の膝に手を置いた。
「だから、まあ私の完敗。優かわいい同盟だっけ?入ってもいいわ」
「え!いいの?!」
「ん~~まあ、かっこいいんだけど、かわいい一面もあるし、全部知ってる私のほうがお得かな!?って思ったのよね!!」
上を見て、そういう姿はペコちゃんのようだった。愛嬌があって、かわいい。
「あああああ、そ、そういうアレもあったかあああ……!!」
友里が『不覚!!!!』という武士のような顔で叫ぶので、優とクローデットは見合って、笑ってしまう。
「でも友里ちゃんにだけ、かわいいって思われているの、嬉しいよ」
優が助け舟を出すので、涙目の友里は優船によじ登って、ニコニコと笑った。
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