第83話  clever.


 友里は茉莉花が譲ってくれた写真の数々が、クローデットが撮影したものだと知り、その時々のエピソードに心震えていた。クローデットの傷の意味も、優が友里が怪我をおった事故に、どれだけ傷ついていたのかも……ようやく、一面を知ることができた。

(優ちゃんには関係ないって、おもってたけど、もしかしたらその言葉も傷つけていたのかな)

 友里の周りに生きている、やさしい人たちは、全員、優がどんなに傷ついていたのか教えてくれる人はいなかった。ただ、友里自身が、好きなように笑顔で生きていればいいと、言ってくれる人ばかりだった。


「守られてたんだなあ」

 ひとり、さまざまな思いが巡って、顔を覆った。

 ピルエットを、優に見てもらった時のような勢いが欲しくなってしまう。


「かっこいいでしょ、優は」

 言われて、友里は、そのまま、こくん、と頷いた。”かっこいい”に同意したのは、はじめてのことだった。

「勝ったわね」

 クローデットがにんまりと笑う。

 友里は、鼻をすすって気持ちを整えると、ハンカチで顔を拭いた。


「じゃあ、今度はわたしの番ね」


 友里は自作の優アルバムを、厳選に厳選し尽くした3冊をドンと並べて、勝負を挑んだ。

「一番とかは選べないから、手前から行くね」

 小学生の優が、山登りをして、こちらに向いて手を振っていたり、おにぎりを食べていたり、アスレチックジムにいる写真が目に飛び込んできて、クローデットは「さっ」と目をそらした。

「この時の優ちゃん、自分もすごく楽しみにしていた山登りだったのに、小さい子のために率先して補助をかって出てね、淑女の鑑のような所作の美しさで、女の子の山への恐怖心を克服した事件のはなしなんだけど……」


「そ、そんなのずるい!」

 クローデットは、思わず叫んだ。

「えっ、みたくない?」

「みたいけど!絶対そっちの方がカッコいい思い出が多い!」

 クローデットは悲鳴を上げて、なにか英語の呪文のような言葉で友里に恨み言を言った。 You suck! Really? No, you are being clever.──


「友里は卑怯よ!」

「いやこの話の優ちゃんは、かわいいんだよ?!」


 友里は、叫んで、クローデットを捕まえようと手を伸ばした。


「友里ちゃん」

 甘く、柔らかく低めの声の主に、伸ばした自分の手を握られて、友里はドクンと心臓が跳ねた。

 見上げると、外に出ていたはずの優がいて、友里は驚いた。

 優の傷の話を、クローデットから聞くことを、優に相談していなかったから、あわててアルバムを閉じて、袋に仕舞いなおした。ドキンドキンと、胸が鳴り、思わず優が写っているアルバムを袋ごと抱き締めた。優の顔が見れなかった。


「クローデット」

「なに?」

「まだひねくれた演技続けるの?」

「……はあい、わかったわ」


 そういうと、クローデットは友里のそばまで膝で歩いてきて、手を差し出した。

「握手」

 友里は、やはり優が、もうクローデットと話をつけていたことに気付いて、優を見た。優がこくりと頷く。

 ──自分がなにかをしたから、クローデットの心が変わったわけではないと、思って胸がチクリと痛んだ。素直に話してくれたわけが、わかった。

 友里なりに、この3週間は勉強とバイトと掛け持ちではあったが、お裁縫やら、クローデットと仲良くなるための準備を頑張ったはずだったのに、「なんの成果も得られませんでした」と、言われた気分だった。胸が痛む理由はそれだけではない。


「ホントに?クローデット」

 友里は思わず口に出していた。思ったことをすぐ口に出してしまう。

「ホントにわたしと、仲良くできる?」


「なに?友里はしたくないの?優に免じて、折れてあげるのに」

 クローデットは眉毛を片方大きく上げて、大げさなジェスチャーでわからないという様に両腕を広げた。

「優ちゃんに免じなくていいよ、わたしと仲良くしたくなければ、しなくていいんだよ!」

「なによそれ!」

 クローデットがばかにされたと叫ぶが、友里も感情がぐちゃぐちゃになって、今すぐ駒井家から走り出したかった。だが、宝物のアルバムを置いていくわけにも行かず、友里はぐるぐると考えてしまった。

 優をみると、困ったような顔でこちらをみていて、優が用意してくれたシナリオを踏み荒らしたことがわかって、心が痛んだ。

 しかし、それは違うと、叫びたかった。

「優ちゃんが好きなら、優ちゃんに迷惑がかからない程度に、優ちゃんを好きなだけで、いいんだよ」

「は?邪魔はすんなだけど、ってこと?」

「わたしのことなんて、気にしなくていいってこと!優ちゃんが好きだから、わたしと仲良くするのは別の話なの!」

 友里はぐっと両手を強く握った。


「クローデットの心は自由なんだから!!!………!」

「……!」


 急に視界が真っ暗になって、友里は驚いた。

(貧血!?興奮したときって本当に、貧血になるんだ?)

 友里の背中辺りにいた優が、大きく友里の名を呼ぶ声が聞こえ、クローデットが悲鳴を上げた。むしろ冷静に、ブラックアウトしていった。


 ::::::::::


「友里ちゃん!」

 汗が一気に噴き出して、友里がぐったりと床に倒れ落ちる前に、優が胸で支えた。あっという間に優の服が、友里の汗で濡れる。

「……また徹夜したのかな」

「友里はよく倒れるの?」

「ああ…うん、夢中になって徹夜とかするとね。多分わたしと君の制服を一気に仕上げたから」

 優は友里のおでこの汗を、拭いてあげたいが、自分が友里から離れるのを嫌がっているのか、きょろきょろと辺りを見回した。

 クローデットが、タオルを取りに行って、友里にぶつけるように投げた。

「どうして?」

「起きるかと思って」

「起きないよ、眠っちゃった。部屋につれてく」

 脇を閉めて、両腕で友里の肩と足を抱き、腰を支点にして自分の腹の位置に友里をおさめると、優はそのまま立ち上がって、クローデッドにドアを開けてとお願いした。


「お姫様抱っこ上手。優は力持ちね」

「ああ。…まあ…50kgぐらいは普通に持てるみたい。走るのは無理だけど」

 多少無理をして運んでいるので、「恥ずかしながら」という様子で、もうやめた本屋のバイトの話を、優が持ち出す。


「そう、13歳の私は48kg。重いのに、よく抱えて走れたね」

「無我夢中だったから、でもそれよく覚えてないんだよね、途中でクローデットも走ったんじゃなかったかな……」

 よっと掛け声で友里を抱えなおして、2階の優の部屋まで運ぶと、優の腰は限界を迎えた。クローデットは、実親から逃げた時の優を思い出していた。自分だけの王子様だと思っていたのに、今は、他の好きな子を運んでいる。自分と優の特別な思い出だと思っていたが、優にとっては、特別なことではなかったようだと思った。

「……かっこわる」

 自分への言葉だったのに、優が「優に言った」と思って、笑顔になった。格好悪いと、本人は思っているようで、クローデットは首をかしげてしまう。

「わたしは…友里ちゃんの前で、頑張ってるだけ」

 クローデットにそう言うと、優は友里を布団にそっと入れ、おでこの汗をタオルで押さえるように拭いてあげた。すうすうと寝息を立ててる友里を見つめる。

(充分かっこいいわよ、バカ)と思ったが、もう黙っていた。


「キスのひとつでも、したいみたいな顔して」

「あんまりからかうと、怒るよ」

 優は、そこまで本気でもない声で、友里を見つめたまま言った。


「友里は…自分がわたしのこと構うくせに、優を好きでいろって…変な子」

「──クローデットと、普通に友達になりたいんじゃないかな。ずっと語り合える友達欲しがってる」

「……ええ?つまり土俵がちがうということ?」

 少し古い言い回しに、優は苦笑してしまう。流暢に日本語を話しているので、外国に暮らしている人だということを忘れてしまうが、時折出る辞書のような言い回しが努力の証のような気がして、結構好きだった。



「──心は自由って、いい言葉ね」


「うん」

 クローデットは、自由に憧れて奔放に生きている。憧れているだけだから、本当の自由を履き違えているのかもしれないと、不安を抱えている。いつも大きなものに命令されてそれに従うのが普通だと思っていた。優への恋心も、優自身がダメだと言うのなら、本当は諦めるしかないと思っていた。最後のわがままのために来日して、全てを無に返そうと思っていた。本当の自由を、知らないまま。


「優、私、あなたのことが好き」

「……うん」


「友里はいつでも、私が優を本気で好きって、信じてくれてた。だから脅威に感じて、私とキチンと戦おうとしてくれてるって思って頑張ってたら、好きなら語れるだろうってことだったってことでしょ、ほんと……バカみたい、私。空回りしてた。明るくて賢くて、ちょっと卑怯だけど!誰かさんは友里の邪魔ばっかして、逆に友里を好きじゃないのかと思ってたわ」


「そんな、わたしは、わたしなりに」


「いまは、……私の好きすら、優に伝わってなかったからだって、わかった。友里の愛を、んん、全員のあなたへの愛を、あまり信じてないから?私というセクシーな女から、愛しの友里を守ってただけなのよね、このかわいい王子様も、から回ってた!」

「……よく見抜くなあ……」

「優が知らない優だって、私はおみとおしよ!」


 クローデットがそう言って、深く深くため息をついた。片目を閉じてそちら側を、手で強く押すと、顔を上げて優を見て、早口で言った。

「私、友里が好きだわ」

「だと思った、じゃなきゃキスなんてするわけがないもの」

 間髪入れず、優が言った。ずっとキスのことを気にしていたようで、クローデットは優を可愛いと思ってしまった。

「んもう!キスは、わるかったけど!!ほんっとやだ!とっくに好きだったわ!どうして?!」

「わたしにはわかるよ」

「なあに?」

 優がほんのり意地悪な小悪魔のような、しかし自分の罪を反省する声色で、ため息と一緒に言った。


「だって友里ちゃんを好きになった理由しか、クローデットに話してないもん。潜在的に、イメージを刷り込まれてたってこと」


 言われて、クローデットは、意味を理解すると顔を赤くして、優を殴るように手をあげた。

 優はその手をパシリと受け取って、微笑む。

「プライミング効果ってこと?きらい!!!」

「ごめんごめん、でもわたしを好意的に思ってくれてたから、上手に作用したってことでしょ?」


 困ったように美しく笑う優の胸に、腕を取られたまま、ポスンと頭を乗せた。ぐりぐりと顔をこすって、「そういうとこも好き」と何回も言った。

「自由な心で、これからも優が好きよ。でも友里も好きだから、あなたと違って強くないから幸せは祈らないけど、邪魔はしないであげる。譲歩してよ」

「……うん、わかった」

 クローデットの言葉に、優も頷く。優の柔らかな笑顔を焼き付けて、クローデットは叫んだ。


「ほんと好き!!早くわかれたらいいのに!」

「えー……別れても、わたしはずっと友里ちゃんが、好きだよ」

「のろけ!!!!!!!」


 友里はすうすうと眠っている。


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