第82話 クローデット
※特定の疾患を書いてますが、全ての症状が当てはまるわけではありません。ご了承ください。
クローデットは10歳。親から虐待をうけ、外科医の
日本人の駒井優が来たのは、そんな明るい兆しで溢れかえっていた、4月のはじめだった。
話さない、眠らない、食べない。
クローデットはよく眠りよく食べよく遊び、よく学ぶので、目の端にうつる黒い塊がボーッとしているのを見るたび、最初はうんざりしていた。
後見人の茉莉花が、心因性失声症と診断された優に、「話さなくていいから、ジェスチャーで話そう」と、変顔をするが、優はマネキンのようにどこか遠くを見るばかりで、一切笑いもしない。
クローデットは、茉莉花に気に入られようと媚びたりするのに、血の繋がりに甘んじて、それを怠っていると、どこかで優を不遜に思っていた。
クローデットは、優と2人きりにされることが多かったので、そのストレスもあり、ことあるごとに英語の悪口を優にぶつけた。アホだのバカだの、言えないようなヒドイ言葉も、産みの親が言っていた言葉の数々を、マネキン優にぶつけた。
2日後、クローデットの癖までそのままに優が、完璧に同じ言葉をおうむ返ししてきて、クローデットはうろたえた。発音が正確で、驚いた。
「黙れ」と叫んでも同じ言葉を言われ、親に怒られているようで、興奮したクローデットは優を殴った。優はぼんやりとしているだけで、心底ゾッとした。
同じ言葉を話すだけだと気づき、わざと覚えたての日本語を話して、優が口を開けば、吐くだろうと意地悪をした。
その悪意は、クローデットの一張羅を吐瀉物で汚した。
罵詈雑言を言って優を責めたが、それも完璧におうむ返しされて、クローデットは黙った。仕事から帰宅した茉莉花に、叱られた。茉莉花がずっと、クローデットに気を遣っていると思っていたので、反省しつつも、本で読む母のように叱られて嬉しかったのを、覚えている。
その時、優がマネキンになった理由を茉莉花から教えてもらった。
友里という友人に、ひどい傷を負わせたせいだった。
「優が怪我をしなかったのは、選ばれたからでしょう?誇りに思えばいいのに」
クローデットは、自身の虐待環境も、『神に選ばれたから死ぬ前に保護された』と思っていた。だから、どんなに傷を追っても、死ななかったのだと。茉莉花に、淡く微笑んで、それは優に言わないでくれと懇願された。クローデットは、なぜかわからなかったから、そのまま英語で伝えた。
「わたしが助かったのは、神さまに選ばれたから」
クローデットのいいなりに、完璧な発音で、おうむ返しに言う優に、「そうよ!」と拍手を送った。「そうよ!」と優も言った。
優を苦しめる友里が、このまま目覚めず、選ばれなければいいと思った。
服をたくさん買ってもらったかわりに、茉莉花にいわれ、優にも普通の通常会話をたくさん身に付けさせた。スポンジのように吸収していく優が楽しくて、クローデットは、朝の牛乳配達を優とやってみたいと茉莉花に頼み込み、その1日目の写真を、アルバムの1枚目にいれた。
優は無表情だが、配達のために、前髪を整えたり、きちんとした洋服を着せると美しく変身を遂げた。クローデットは初めて、優の美しさに気づき、思わず口づけたが、優はなんの反応もせず、「愛してる」と日本語でいったら、言おうとした優に、新品の服を汚された。写真では、新品の服を着た優と、遠くに茉莉花のTシャツを着たクローデットの後頭部が写っている。
クローデットが解く数学の問題も真似してくるので、クローデットはわざと大学レベルの数式を開いたが、優が勝手に数式を調べて、どんどん解いていくので、一緒になって大きな紙に書いた。数字は世界共通言語だと気付いて、嬉しかった。
2週間で友里が目覚め、優はあっという間に帰国してしまい、数枚の写真だけがクローデットのもとに残った。
それから2年後の12歳。
クローデットの両親がまた、ヒドイ虐待を繰り返していたので、クローデットはたまたま、優のショートステイに合わせて茉莉花に保護してもらっていた。優は、2年前に逢っていたことをすっかり忘れていた。クローデットは、『どんなにつらくても私が死ななかったのは、ふたりが再会するために神に生かされたのだ』と思っていたので、がっかりした。
顔に殴られた跡があって左右のバランスがおかしかったから、恥ずかしかったことを覚えているが、優はそれについて、なにか指摘したり、言うことはなかった。
クローデットは目を見張った。元々美しい子どもだったが、2年でさらに背が伸び、ガリガリだった体は筋肉をまとい、どの子どもよりもセクシーで憂いを帯びた表情は、クローデットのブルーグレーの瞳をとらえて離さなかった。
最初は違和感のあった黒髪・黒い瞳にも慣れた。むしろ、その黒がどんな色よりも美しいとさえ思った。その時の写真は、隠し撮りのようになってしまった。ベランダに軽く組んだ両腕を乗せ、その上にもたれかかるようにしてつまらなそうに遠くを見つめている優の髪が、風になびいている。
クローデットは覚えたての日本語で、「久しぶりに逢えて嬉しい」と言うような言葉を伝えたが、優はまだ、日本語を話そうとすると吐いたので、また、クローデットは優の英語の先生になってあげた。
他人に言いたそうな言葉を先回りし、それを優がおうむ返しすることで、他人とコミュニケーションを取らせた。通訳のような事すらした。
同じ地区の子が、優に目を付けて、かっこいいと騒ぐので、「あれはわたしの!」と言ったら、セックスしたと言う噂が流れてしまった。
おかげで、優に近づく女の子はまずクローデットを警戒してくれたが、茉莉花にはまた叱られるし、優には、怖がられてしまった。一緒に勉強はしたが、手も握らせてくれなくなったので、強引な大人のキスをしたら本気で嫌われた。
それから1年後。13歳。また優と再会した。クローデットの母は死に、父は施設にいたクローデットの親権をとりたいと、再三頼むようになっていた。家庭裁判所から家に戻るとその足で暴力と暴行をされたので、クローデットは本格的に茉莉花の家に居候をしていた。
クローデットはこの頃、既に成熟し、自他ともに認める美少女だった。優も美しさに磨きがかかり、所作や長い指が、ドアを開いたり、椅子を引くだけで絵になるので、たくさん写真を撮った。クローデットがじっと見つめるだけで、他の男の子は赤くなったりするのに、優は無関心で、クールだと思った。もうほとんど日常会話には困らなかった。
優が「言葉が怖い」というので、「話さなくてもわかるから、良い」と言ってあげると、ほほ笑んだので、ほとんど先回りして身の回りのことをしてあげた。
しかしどうしても、上手になった日本語を聞いてほしくて、クローデットが話しかけると、優もその努力は認めてくれるのか英語だが返事をしてくれた。その美しい響きに魅了された。優の声が好きだった。それ以来、極力日本語で話しかけている。
どんなにアプローチしても、優は困ったように微笑むだけで、クローデットに手を出してこなかった。クローデットの財産は、体と頭脳だけだったので、勉強だと言って横に座ったり、ふたりで図書館に行く度にキスをせがんだ。奪うなら早く奪えばいいのにとすら思って、様々なアプローチをした。
優のことを「おとこ」だと思っていたので、日本の男は軟弱なのかもしれない…と、今度は本気でベッドに侵入することにした。
クローデットは自分の外見が美しいことを知っていた。知能は高くとも、ベッドに入る以外の愛を知らなかった。
「友里ちゃん、ごめんなさい、許して」
泣きながら、日本語でうなされている優をみて、クローデットはすぐに高熱がでてることに気づいた。茉莉花を慌てて呼びに行ったが、セクシー下着だったので呆れられながら叱られた。その時、優が女の子だと知る。
幸い、日本から持ち込んだ解熱剤で、優の熱はすぐに下がったが、今度は眠れなくなっていた。クローデットは母が教えてくれた唯一の子守唄を、優の寝室に入り込んで歌った。優が落ち着いて眠ってくれて、自分も穏やかに眠ることができた。
(こんなに優を苦しめる友里という存在が、生きてるからいけないんだ)
優を抱きしめて、クローデットはなぜ友里が事故の時に死ななかったのか、神を恨んだ。
それから、優はクローデットに少し優しくなった。
相変わらずクールだが、困っていると助け船を出してくれたり、計算式で自分でなんとかしていた高いところのものを取ってくれたり、比重を考えてから持とうとした重い荷物をヒョイと持ってくれたりと、些細なお手伝いだが、優に嫌われてると思っていた分、嬉しくてたくさん甘えた。優は日本の話を、ぽつりぽつりとしてくれるようになった。
ほとんどが、友里の話で、クローデットは友里に嫉妬をして、優を困らせたこともあった。
「他の話をしろと言われても、できないよ」
「バスケで優勝した話を、あと2・3回して!アリウープしたんでしょ!力学的エネルギー保存則の説明を」
「友里ちゃんが応援してくれたから、頑張れた」
「イヤー!!」
ある日、実親が茉莉花の家をさぐりあて、子どもだけで留守番をしている時間に怒鳴りこんできた。クローデットはすぐに見つかり、3発、耳を殴られて抵抗ができなくなっていた。そもそも、殴られずとも親に抵抗する気力もないのに。
虐待児が自分の虐待環境に気付くのは稀なことだ。クローデットも、実親に見つかればこれが普通だと思っていた。
アパートの管理人のお手伝いをしていた優が、茉莉花の自宅へ戻ってきて、ドアほどの大柄で金髪のそばかす男が、直径5cmはある太い指でクローデットの金色の髪を掴み、引きずっていた様子をみた。一瞬の躊躇も見せず、すぐに駆けつけてくれた。クローデットの実親の足に美しい放射線を描いて得意のバスケでボールをぶつけ、掬うと、彼を大きく転ばせた。頭を梁にぶつけた実親は呻いてじたばたしている。
「こい!」
クローデットの腕を自分に手繰り寄せ、殴られて歩けないことがわかると、自分の首にしがみつけと促し、クローデットの足と背中を抱えて、逃げ出してくれた。
その姿は、巨大な悪鬼から、姫を救う、完璧な王子様だった。
走り出した優の黒髪が風でなびく姿を見上げながら、クローデットは羽が映えたような気持ちだった。汗、クローデットの手を引く力強さ、大きな手やきれいな爪。こちらに振り向いた美しい黒い瞳は、クローデットの心を傷つけたものたちへの怒りと、彼女への憐憫に溢れていた。そのすべてを、今も覚えている。
ふたりで走って茉莉花の働く職場へ行くと、あっという間に実親は逮捕された。
恋をするのに充分だった。
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