第74話 あの子なんなの



 無理やり講堂前から校庭に腕を引っ張ってこられた優は、後ろから見知ったロングヘアの女子が駆けてきたので、そちらを向いた。

「1年は遠慮してよ!」

 先ほどまで優にかわいい声をむけていた女子が、語気荒く高岡朱織をすでに認識しているのか、肩を殴った。

「友里が…!大変なのよ!」

 高岡は、走った距離というよりも動揺のほうで息を荒げながら、女子を気にすることなく、優を睨みつけ、サッとジャケットの袖をつかむと優を走らせた。

「わ」


 歓声が上がったような気がしたが、高岡はもうどうでもいいと思った。

 優は走り出しながら、高岡に「ごめん」と謝った。

「なにが?あなたの女の躾が出来てないこと?前からだけど」

「わたしの女ではない」


 『ぎいい』と高岡は歯を剥いて嫌な顔をするが、走りながら、そんなことよりも優に伝えたいことがあるという。


「髪は黒くて、うちの制服を着ているんだけど、明らかに外国の女性に、友里がキスをされたのよ、着衣は乱れてるし、どうしよう、駒井優」

「……!!」

「ちょ!はやい!」


 友里の元へ、優は高岡を置いて走った。

 友里は、胸をおさえた状態で校舎の壁添いに立っていて、優の姿を見つけると、いつものようにパッと顔を上げて、サッと目をそらした。

「友里ちゃん!」

 目をそらされたが、優は慌てて駆けつけて肩を抱くと、友里の様子を目視した。(怪我はしていなそうだ。良かった…)と思ったが、これは自分が行った行為だと気づいて、天を仰いだ。友里にも、高岡にも気まずく思う。

 友里をもう一度見ると、よく知った口紅の色が唇に付いていて、持っていたハンカチでそっとおさえて拭いてみるが、なかなか落ちなかった。ドキドキと心臓が嫌に鳴り響いた。

 友里は、優をもう一度見上げた。

「「さっきはごめん」」

 声が被って、お互いにポカンとしてしまう。友里が先に、話し出した。

「追いかけなくてごめんね」

「わたしも、急に出て行って…それに、制服……ごめん」

 見つめ合っているところに、高岡がたどり着いた。


「どういうことなのか!説明しなさいよ!!!」


 キャンプファイヤーも終わり、生徒たちがゾロソロと帰っているので、注目の的になりかけている。変な話題にならないか心配になり、友里は思いきり冷静になり、血の気が引いた。

「待って高岡ちゃん、ここでは」

「だって友里、ヒドイじゃない!駒井優は、う…──」


「…う?……」


 クローデットは、いつの間にか消えていて、説明が難しい。

 高岡は、優にさすがに「浮気をした」などは言えない様子で、説明を求めてブンブンと自分の腕をふるばかりだ。

 優は一瞬、高岡の肩に、指先を当てて「ここで友里ちゃんと待ってて」というと、校内一位の俊足で校舎へ戻り、あっという間に高岡の荷物と友里の荷物、それから自分の荷物と、ジャージを持ってきて、友里にかぶせた。


「ボタン、わたしが持ってるから!」

「えっ」


 気まずさが、校舎を走ったことで消化されたのか、優は友里を、いつものように見つめている。友里も、さすがにじんわりと汗をかく優を見上げ、あっという間にわだかまりが溶けてしまったようだった。


「優ちゃん、玉の汗が美し……じゃなくて、縫っ…てくれるの?私のシャツ……あ、縫いづらかったら脱ごうか?」


 ポッとして優にそう頼む友里を見て、道すがらでシャツを脱ぐ友里を想像して高岡は(なにをいってるの?)と嫌な顔をした。さすがにそれは優も、推奨できないので、今日はこのまま優のジャージを着ていてもらうことにした。

 優からカバンを受け取った高岡は、(1年の教室に行ったのかこいつ…)と優の無神経さを恨んだが、もう今更だと観念した。


 


 学校はすぐに校門が閉まってしまったので、場所を移動した。

 ファミレスに入って、持ってきたドリンクバーの冷たいカフェインレスのお茶を一口飲んで、高岡は優に向き直った。


「あの、クローデットって子は、あんたのなんなの駒井優」

 いきなり核心をつく。

 優は、暖かい紅茶をポットごと持ってきて、布をかぶせて蒸らしている。ティーコゼーを借りたこともあることも知らない友里は(うちのファミレス以外は充実してるんだな)とぼんやり思った。高岡は、優が友里の知らない間に店員にまでモテてることに気付いて、「チ」と舌打ちをしてしまう。


「…むかしなじみ……で…アメリカの叔母の家に、たまに住んでる」

「じゃあ、なぜその女が、友里の唇を奪うの?」

「え!」

 優は、思っていたよりも大きな声が出てしまって口をおさえた。


「友里に、駒井優を諦めてクローデットを好きになれと、言ってキスしたのよ!」

「えええ……どういう…状況?なんてひどい」

 優はまるで自分が暴行されたように真っ青になった。

「いますぐ消毒したほうがいいかな…?」

 友里が2人の鬼気迫る状況に耐えきれないのか、軽口を叩くので、心底呆れた高岡と青い顔の優が友里を見る。


「キスをされたのよ、友里」

「すごいビックリした!!けど、チョコの味したな~くらいしか思わなかったよ。あれは、多分ダースじゃないかな」

「冷静ね!?」


 高岡は、友里の無頓着さに頭が痛くなった。



「友里にとってあの女の口づけは、そこまで重くないのね、良かったわ」

 高岡は緊張が解けたのか、安堵のため息をついて、お茶をもう一口飲んだ。


「そういうわけでもないんだけど、気持ちが伴わないのなら、カウントしなくていいかなって思って」


 優は、友里の言い分に、ならば自分の、先ほどの強引なキスも友里にとってカウントされない物なのかなと、思った。友里への気持ちを、唇に乗せていたので、あれはあれで優にとって残酷な友里への抗議の気持ちの一つだった。

(わたしが、友里ちゃんの全てを好きだと、言っても伝わらないんです高岡ちゃん……)

 優は、なぜか高岡に弁明するように思ってしまう。それでも、無理やりにしてしまったことだけは、後で謝ろうと思った。友里に伝わらなくても、きちんと言葉にしようと思った。

(言葉にするからあやふやなのかもしれない)

 文面を考えて、優はぼうっとして、クローテッドの口紅が結局取り切れず、薄く残る友里の唇を見つめてしまう。

 優のほうが、友里の唇を奪われたことにショックを受けていることに気付いた。

 友里は気にしてないが、もしも許されるなら今すぐ上塗りしたい──。


「駒井優、きいてる?」


「はい」

 目の前でシャボン玉がはじけたような顔をして、優は高岡を見た。

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