第73話 なんて夜だ
憔悴したような、貧血の手前のような気分だったが、優を追いかける形で講堂を出た友里が校庭へ戻ると、優はあっという間に女子にかこまれていた。一瞬だけ、外で優が待っていてくれる気がしていた。それとも様子のおかしい恋人を心配して、すぐに追いかけなかった友里を、責めているだろうか?
どんな顔をしてるのか、炎に照らされて全くみえなかったけれど、逆光でもあんなにスタイルの良い人間が、ふたりといるわけがなかった。
「友里?」
高岡の声がして、顔をむけた。
「よかった!あれ、駒井優は一緒じゃないの?」
そう聞いてくる高岡のとなりに、クローデットがいて、「ひえ」と声を出した。
「hi」
「この人が友里の知り合いだっていうから…ずっと英語しか話さなくて、困ってたの……」
高岡に当たるとは、クローデットは運がいいのか悪いのか…友里は唸る。
「優ちゃんに迷惑をかけないでって言った」
「だから友里の名前だけ、出したんですけど?」
「なによ、日本語流暢じゃない!」
高岡が叫ぶ。クローデットはこっそり友里と優の後を付け、学校へ着くと、人目の付かない校舎裏に隠れて、日が暮れるのを待っていた。大量に買った日本のコンビニお菓子を、エコバックにつめて、食べているところで高岡に見つかったらしい。
「友里、あの」
耳打ちをされて、高岡のほうへ行く。クローデットと高岡の身長が一緒で、不思議なかんじだ。
「制服……いろいろ、とれてるわ」
制服をみると、先ほどの件でとれてしまった胸元が、大きくはだけていることに気付いて、友里はあわてた。高岡が、スカートの脇にあるチャックの上にあるホックなどをとめてくれたが、シャツのほうはボタンが外れている。第3ボタンで、だらしなく胸元が開いてしまう。腕に持っていたジャケットをとりあえず羽織った。
「駒井優なら裁縫道具くらいもっていそうだけど」
「確かに。優ちゃんなら持ってるけど」
いま追いかけて、ボタンがとれたから貸して!というのはいささか憚られた。高岡もなにかを察したのか、口を
「優ってそうなの?」
クローデットが疑問符で聞くが、友里は、自分の嫉妬に反省したので、友好的に応えようと、自分を奮起した。そうなんですよと胸を張る。
「優ちゃんは完璧淑女なので」
──そんな優とキスをしてしまった。
突然思い出して、友里は、全身が熱くなるのを感じた。最後のキスだけは、わけがわからないままだが……足先のトゥリングがつめたく感じた。
「フウン、でも王子さまがお裁縫してくれるのも素敵よね、それが普通の国もあるわ。女がお裁縫とか、思考が古いんじゃなあい?」
「……!」
友里にだけ伝わるいやみで、クローデットがいう。出逢ったときから、そんな様子だった。茉莉花の優の幸せを祈っているだけの、ためし行為ではない。
完全に友里と戦うための言葉遣いをしている。しかし、友里はグウっと我慢をして、クローデットに優しくすることに注力する。わかってくれるかもしれない。
「日本では普通のことではなくて、淑女教育が…」
「日本的な女に当てはめられる、優がかわいそう。そもそも優はかっこいいのよ、かわいいとか失礼だわ」
「えっと、本当にかわいいものの前で、人間は無力ですよね…、誠心誠意尽くしたいと思う対象は全て可愛いで出来てるんです」
「ねえなんのはなし?」
高岡が戸惑って見ている。謎の美少女と友里がなにがしかの口論をしていて、その内容が高岡にとっては意味不明なので、本気で困っている。友里は黙った。
「優って大胆なところあるから、かわいいって思うのおかしいのよねえ」
クローデットは辞めず、そういって、舌で唇をなめた。
「私と優が夜を共にしたあの時なんて…ほんと大胆で…かっこよくて!」
「うう……」
友里にその言葉はクリーンヒットして、少し泣いた。確かに強引な部分を、先ほど目にしてしまったばかりだった。認めざるを得ない。
「なっ、駒井優は浮気したってこと?」
高岡が、話の内容で察して叫んだが、すぐに自分の言葉がまずいものだと気付き、口を押さえた。
「浮気相手はこっちよ」
クローデットに指を指されて、友里は、チラリとその指をみた。友好的に…と思いたいが、やはり無理そうで逃げ出したかった。完全に自分に自信満々な人の前で、自分はチンチクリンに思えた。
遠くでキャンプファイヤーの音が聞こえるが、友里は立ち上がる気力もなくベンチに腰かけた。
「ねえ、一緒に火のそばに行きましょ」
クローデットに言われても友里は、行く気が起きなかった。優が、女の子に囲まれてちやほやされている図は、昔から見たくなかったのかもしれないと今更思った。
友里は、隣に座るクローデットのために腰を浮かせて避けた。
「クローデットは、キャンプファイヤーを見に来たんじゃないの?」
優のための黒髪ウィッグを、ゆるい三つ編みにしていて、後で跡が残ったらどうしようと頭の隅で思いながら見つめた。顔はいいが、やはりそれだけだ。
「あなたを見に来たのよ」
「え」
来日の理由を、クローデットは伝えてた。腕を組んで、眉を片方高くあげる。
「ねえ優が、あなたのせいでどんなに悩んだか、知ってる?」
風が吹いて、11月をいきなり思い出させた。しかし心臓がドクリとして、体が火照るようだったので、ちょうどいいくらいだった友里は、クローデットを見つめる。
「優ちゃんが、傷ついてるのは、知ってる……けど」
友里は、(この人に、事故のこと話したのかな)とまた少し嫉妬を感じたが、優が傷つく問題ではないとおもっている友里は、頷く。
「あなたは、知らないのよ、だから優から離れられない。知ったら、優に謝罪して、自分から優を手放すのに」
「優ちゃんが傷つく必要はないって言ってあげてください」
「そんなの何度も言ったわ、友里が怪我をして、優がたすかったのは、うつくしい優が神様に選ばれた証拠よって。全部忘れて、優は優の幸せを掴んで、とね」
クローデットのような人たちが、優を傷つけているのだろうかと、友里は反射的に思った。友里が怪我をしたのは、友里の不注意で、優が傷つく事ではないと、再三言っているのに、優に「おまえの身代わりで」と言い続ける人たちがいるなら、友里は戦いたいと思っていた。まさに目の前に。
「あなたが、優ちゃんを傷つけてるんだ」
「はあ?友里でしょう?」
クローデットが、友里の肩をガッとつかむので、高岡はビクリとして慌てる。
「あなた、友里に酷いことをしようとしてるの?」
高岡が手を出すがパシリと叩かれた。
「There is nothing you can do about it. Save your breath.」
高岡に叫ぶと、荒々しい英語口調になるクローデット。友里は、高岡が怪我をしていないか心配で高岡に駆け寄った。赤くなっているので、思わずクローデットを睨んだ。
クローデットもベンチから立ち上がって、スタイルのよさを見せつけるように足を前に組んで腰に手をおいた。
「ねえ友里、優が心因性失声症になっていたのは知ってる?あんなに素敵な声が出なかったの!あなたの前では、話してたみたいだけど、それを支えたのは私!!」
クローデットは、アメリカでの優の様子を、ほんのさわりだけどねと、付け加えて言った。
「あなたの前にいる優は”作られたもの”なのよ。本当に疲れるとアメリカに来て、癒されるの。優が無理をして、友里にわかりやすい言葉でいうと"頑張ってつくりあげてる"の。あなたたちの関係は”傷の舐めあい”っていうのよ、新しい恋をした方がいい、あなたなら、そのへんの男で大丈夫よ」
友里は思わず笑ってしまう。明らかに優のことが大好きなこの人から、あきらめろと言われて「はいそうですか」と友里の気持ちが変わるとおもってるのかと、思った。友里は、優の過去を優が語ってくれるまで、なにも知らないままだが、優が見せてくれる姿を、愛しきるのが正しいことだと疑っていなかった。
かつかつとクローデットがそばに近づいてきて、笑ったせいで殴られると思い、目をつぶった。
頬をそっと撫でられる。
ちゅむ。
一瞬のことだった。友里の両頬を掴んだクローデットの肉厚な唇が、まったりと友里の唇を包み込み、ゆっくりとはがれるスライムのように粘膜を感じさせながら、友里から離れた。
「はい♡」
「は……?」
「大丈夫、好きになる人がいないなら、私を優の変わりに好きになってもいいわ♡ぜったいあなたの愛は受け取らないけど、愛されると心地よいから」
「な、なん……」
クローデットは殴るより、よほどひどいことをすると、投げキッスをしてクルリと背を向ける。優が消えた方向へ向かって走り出してしまう。
「いくら欧米でも、親しい間柄じゃないと、キスなんてしない」と、優の叔母である茉莉花に優が叫んでいたことを思い出す。あの時は頬だったが、今は確実に唇に、やわやわとした甘いチョコレートの香りが残っている。手の甲で拭うと、口紅が付いていた。
「?!」
友里は真っ赤になって、パニックになりながら、唇を押さえた。高岡を見ると、高岡も目を見開いているので、現実だった。
「!?!?っ!!っ?!っ?!?」
「????……!!!!????」
高岡と友里は、言葉にならない言葉をかけあって、じたばたした。
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