第70話 たったひとつの感情
「なに?友里またあの子?一度ぶん殴ろうか」
後楽が物騒な事を言う。優と高岡が消えた廊下を眺めていた友里は、慌てて立ち上がると、後楽の握りこぶしを開いた。
「あの子は体が資本なの。大切にしてあげて」
いつもの元気な口調とはかけ離れた、低いゆったりとした笑顔でいうので、2人は顔を見合う。
「やっぱなんかいわれたん?」
後楽が問いかけると、友里はいつもの様子で、早口で顔を上げた。
「ううんスゴイ仲良しだよ!!」
「でも」
萌果が、後楽の追及を遮って、友里の腕を取って、組む。
「友里さ、あたしらが、教室戻ってるって聞いてないで、ずっと購買にいたんでしょう?商業科まで駒井くんが探しに来て、軽くパニックになったんだから!ねえ駒井くんってさあ、自分がかっこよすぎな人気者なことに気付いていないの?」
萌果が友里に耳打ちする。
教室の入り口に来ただけで、女が3人すがり付くように用件を聞きに行ったし、むだに10人がその用件である友里の名前を呼んだし、5人くらい廊下で待ってたし、それをみてクラスの男子までが優を見るために鈴なりになっていたことを言われて友里は驚く。優が商業科の廊下に来たのも、ちょっとした見ものだなと思った。
友里は優がみんなに愛されている様子が好きだ。それを聞くのが好きと知っている萌果が、詳細に教えてくれる。語りがウマイので、友里はニコニコと笑顔で「早くみんなが淑女って気付いてくれないかなあ」になった。
落ち込んでいたような様子だったので、ホッとした萌果だった。
「スマホももってないし!」
コッペパンとコーヒー牛乳で埋まっている友里の制服のジャケットのポケットに後楽が入れてくれる。
「ありがとう~~」
「いいけど!待ち合わせしてる時は忘れちゃだめだよ!」
「友里ちゃん、そろそろ始まるから行こうか」
優が走って戻ってきて、空気を壊してくれる。3人は笑い合って、優を迎えた。
友里はもうそんな時間か!と叫んだ。ジャンプして、元気そうに振舞うので、友達たちは、それ以上踏み込もうとしなかった。
4人で購買部から、校庭までまた歩く。暗い校舎脇を抜けて、高校に併設されている短大の講堂を横切ると、野球フェンスを抜けて、校庭へたどり着く。部室棟は、校庭の奥にある。
いつもは野球部が練習している校庭側に、キャンプファイヤー用の木材が高く積まれ、先ほどとは違って、火種や、炭などが隙間に埋められていた。
「んじゃ、あたしらは行く~」
「たのしんで!」
後楽と萌果が、手を振って去って行く。(良いのかな、ありがたいな)と思いながら、友里は腰のあたりで手を振った。
「さて友里ちゃん、どこでみる?」
「コッペパンとコーヒー牛乳が食べられる場所かなあ」
「まだ食べてなかったの?」
後夜祭は夜の7時から。お夕飯の時間なので、みな教室で食事をして、思い思いに校庭へ出てくるので、教室でキャンプファイヤーの明かりを見る者も多い。
だから、校庭が見える空き教室は恋人たちで大抵、埋まっていて、他の教室は施錠されている形だ。
「わたしがうっかりしていたばかりに出遅れたねえ」
「でも教室で、ふたりでいるのは無理だし、大丈夫だよ友里ちゃん」
「確かに、優ちゃんの周りあっという間に女の子で囲まれちゃう!」
「いや他の人たちの手前さ……」
先程の後楽と萌果の発言で、教室にいた女の子たちがわいわいと優を取り囲んだのだと容易に想像できた。きっと教室で見ることになったら優のお膝にいない限りそばにいられることはないだろう。いや、そんな状況、怖すぎるのだけど。
「優ちゃんはモテる…」
友里は「ポストは赤い」くらいのテンションで、ため息と一緒になにもかもを吐き出した。これが嫉妬でも、もっと早くこの感情を知っておくべきだったと思った。
嫉妬だと早めに気付いて、クローデットに、最初からひどい対応をしなければよかったと思った。
(仲良くして、友好な関係を結んでおけば、イライラさせなくてすんだかもなのに)
淑女だよと、説明するのも、それならば、いやがりつつも聞いてくれたかもしれない。ウィッグを貸すのだって嫌な気持ちを感じなかったかもしれない。
吹奏楽部と戦ったときのように実力以上を出して認めさせるという準備期間もなく、付き合っているからと嫉妬するなんて…優を信用してないようだ、優の友達なのだから、信用すればよかったと反省した。
あらためて、自分の感情をコントロールすることは、難しいと思った。
バレエの件も、もしかしたらくるかもしれないクローテッドの件も、優を見つめる女の子たちの視線が気になるのも、全部嫉妬だった。逃げグセのある自分は、自分の感情からも、逃げてる。逃げてしまえば、一時はその恐ろしいものから離れることができるから。考えることがありすぎて、頭が痛い。
自分のことより、優のことは簡単には諦められない…諦めたくない。優とそばにいるのも、本当は恐ろしいのかもしれない。けれど、──たくさん考えると、友里には対処しきれないので、ひとつのことだけを考えた。
「優ちゃんが、大好きだから」
反省を切り上げるように、呪文をつぶやくと、優が頭上で赤くなるが、それを見れなかった友里だ。
優はなにかあったのかと思い、友里の肩に手を置いた。
「…なにか言われたの?」
「ううん、なんでもないよ!」
言ってから、横を見ると、耳元に近づいて話してくれている、かわいい優に見つめられていて、友里は人前でのあまりの至近距離に困ってしまう。
校庭にいるとジリジリと周りの子たちが近づいてくるので、もうコッペパンは諦めた。
(ここからは戦だ!まずは!絶対!!!!優ちゃんとふたりきりでキャンプファイアーをみてやる)
友里は、RPGのクエストを受注した勇者のような気持ちになった。
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